続・トコモカリス無法地帯

うんざりするほど長文です。

映画感想「N号棟」

2022-06-12 21:21:34 | 映画の感想

映画「N号棟」を観てきました。しかしたいへんに期待外れの内容だったので、ここに感想を書き捨ててしまおうと思います。もちろんネタバレ全開です。

これミッドサマーじゃん。ミッドサマーみたいな話を邦画でやろうとしたけど、変なカルト集団の話だけでは客への訴求力が足りないと考えたのか、前宣伝はかなり盛っています。
その事前宣伝と紹介文句では「2000年、実際に起きた…幽霊団地事件~云々~が、その裏で本当は何が起きていたのか?」等長々と書いてあり、劇中に起こりそうな奇怪な事件を匂わせていますが、本編では幽霊要素も実話要素も極小フレーバー扱いでしかありません。ぶっちゃけ物語内容にほとんど関係しません。廃団地現場に行くと早々に怪しい住人達と遭遇し、そのまま妙に馴れ馴れしく画一的に親切な集団に取り囲まれ、あとはなし崩しに彼らのペースに振り回され続け、最後には取り込まれて死ぬ話。ミッドサマーじゃん。終盤に全員が同調して大声で泣き叫ぶのも同じ。ミッドサマーじゃん。

初っ端からケチつけるのは他作品に似過ぎているから、だけが理由じゃないけれど、少なくとも話題作だった「ミッドサマー」を先に見ていたら、本編の内容予測は早くに出来てしまうし、その予想を超えるオチでもないので、ここは個人的な低評価要素の一つです。

私が大きく不満を感じた期待外れの主な理由は、事前紹介の品書きと本編内容の食い違いです。この映画に興味を持って公式サイトに見に行けば
「2000年、実際に起きた…幽霊団地事件」
の前振り文がデカデカと真っ先に目に入ってきます。そこで私が期待したのは、

・幽霊団地と呼ばれる程に頻発したらしい過去の超常現象の謎
・それが解決できないまま、廃団地と化すまでに住人を襲い続けた怪奇エピソード
・現在の視点から情報を統括した調査による異常事態の謎と原因の究明

つまり日常世界とは違う超常現象が起こる異常事態の法則を調べ上げ、恐怖の原因を突き止め、それらを解除、もしくは回避手段の発見へ至る、未知の危険へ対処法を探る展開でした。サイトにも「考察型体験ホラー」と書いてあるのだから、深く緻密な構造で作られてると期待するじゃない。しかし、そんな展開はぜんぜんありませんでした。私の期待は一つも応えられませんでした。

少しばかりの超常現象は起きるけれども、それより周囲に居並ぶ不気味な人達をどうにかする方が先決です。この映画で最大の欠点は「超常現象よりも狂った人間が怖い」物理的な恐怖優先なことです。そんなん知ってるよ。音や影の遠まわしな雰囲気で不安を煽るお化けより、包囲圧迫してくるキチガイカルト集団の方が、直接物理攻撃で襲ってくるから単純に危険度は高いんだよ。でもそれは現代日本舞台じゃ警察に通報して解決する話なので、興味をそそる謎と不思議には繋がら無いんだ。サイコホラーも恐怖ジャンルの一種には違いないけど、幽霊団地と超常現象の謎にはかすりもしない、迷惑人間に困らされるだけのリアクション芸なんだ。

だからというか、映画序盤で主人公たちが廃団地に乗り込んだはずなのに即住人と遭遇、あとは怪しげな住人がわらわらと出てくる時点で、無人の廃墟が時間経過によって醸し出す独特の薄気味悪さなどすぐに消失してしまいました。そして団地住民たちの妙に統一された生活用品と白衣装は、明らかに閉鎖的なカルト宗教を思い起こさせる出で立ちで、ぶっちゃけオウム真理教くさいです。あの激ヤバカルトを彷彿とさせる集団などと、まともに会話しても真意など掴めません。カルトの勧誘は大抵わかりにくい言い回しで翻弄し、獲物を捕える時だけ危険な素が出るものですが、既にオウム事件も風化しつつあるからか若い主人公達は優柔不断に相手のペースに飲まれて、ビビりっぱなしのくせに危機管理意識などまるで無く、唯唯諾諾と相手の言い分を聞いて行き、たった一晩で3人中2人が籠絡されてしまいます。いや、こういう真の目的を伏せたままにこやかに近付いて来る、カルト宗教やマルチ商法の集団にアウェーで立ち向かうのは実際かなり不利で難しく、恐怖には違いないが、そういう生々しい対人トラブルの恐怖を求めて観に行った映画じゃないんだよ。幽霊・心霊・超常現象、完全に人外の怪奇要素を摂取したくて観に行ったんだよ。

わりと早いタイミングで、これは「人が怖い」系映画だと気づいてしまったので、あとは尺稼ぎにしか感じませんでした。それでもまだ事件の根本原因には怪奇現象が係わってるかもしれないから、希望を捨て切ってもいませんでした。しかし終盤に主人公が逃げ込んだ先の部屋で椅子に座った謎のミイラを発見します。このオチはサイコじゃん。ヒッチコックの。いくらなんでもネタが古過ぎるだろ。令和の映画なのに20世紀の古典映画と同じもん出すのかよ。制作の感性古過ぎるだろ。こんなの一周回って新しいなんて解釈すらできません。もう五周くらい回って味がしないネタだよ。そしてミイラ発見した直後にカルト親分が登場して教義解説を始めます。せっかくミイラという怪奇アイテムが出たのに即狂人演説フェイズに入り、謎のポルターガイスト現象は狂人の背後で騒ぐ賑やかし役でしかありませんでした。観たいものは観れず、知りたいことは知れず、期待していない奴らばかりが前面に出てきて、へたくそな新人勧誘場面ばかりが続く展開に、見ている最中ながら気分は盛り下がる一方でした。久々に掴んじまった「これじゃない感」こんな映画に誰がした。

個人的に感じた制作側のやらかしは、内容と不一致な虚偽宣伝だけに限りません。元々の内容が「廃墟に行ったらカルト集団に遭った」だけの1行で済む極薄のため、前半では主人公達の過剰に軽薄な会話が多く、現場に到着してからも軽薄会話が続き、それらは些細な物音に大げさに驚く場面の前振りになるのですが、あまりに何度も驚く場面が頻出するため、物語が動き出す前に気分が冷めてしまいました。ホラー映画の大きな音で驚かす手法は「そもそも大きな音は強い刺激だが恐怖ではない」と、これも古いやり方と揶揄される風潮が20年くらい前には既にありましたが、この映画では未だに多用しています。全体的に感性が古い映画です。古いだけならまだしも使用法が稚拙です。序盤からあまりに多用するもんだから、中盤に差し掛かった頃には見ていて疲れてしまいました。仕組みはわかるけど、急な大きい音声てのは単純に神経へ負担がかかるので、何度も鳴らされると疲れるのさ。だから序盤の虚仮おどしに乱発したせいで、本筋が始まった頃には耳が麻痺して聞き流すモードになっており効果が大幅に減少していました。

そして演者の驚愕演技も大袈裟過ぎました。怖い場面でも他人が余りにビビる姿を見ると、逆にこちらが冷静になってしまう相対効果が悪い方向に出ています。自分のギャグに自分でウケて笑う人の話は聞き手が冷めてしまうとも言われますが、これも同様の自分のホラー描写に自分でビビる人に見えます。いわゆる自画自賛タイプ。つまり何も起きてないうちから音演出と過剰演技を乱発したせいで、本筋に入った頃にはすっかり慣れて飽きて冷めていたわけです。見せ方がワンパターンなんだよ。

なので前半部分に食べたくもない調理法のホラー要素を食わされてしまい、後半に入っても味付けが変わらず、せめて口直しのデザートを欲しつつも、映画は終了まで好みの味付けに変わることなく進んでしまいました。

そもそも開始冒頭で画面に「タナトフォビア」と文字が出ます。日本語に直すと「死恐怖症」
主人公はこのタナトフォビアであり、死ぬのが怖くて夜も眠れないほど常に怯えて生活していますが、私にはタナトフォビアの素養が皆無なため、主人公の恐怖がさっぱり理解も共感もできませんでした。死ぬのが怖いんだって。じゃあ不老不死になりたいのか?というほど突き詰めた執着も見えず、なんとなくふんわりと死ぬのが怖いファッション・タナトフォビアぽいです。自分一人だけが何時までも死ねない終わらない不老不死生活の方が怖くないですか?私は怖いです。なので見ていて主人公にまったく感情移入できませんでした。

というか、この映画の描く恐怖描写は普遍性に欠けています。ビビるべき時には鈍く、平常時はパニクってばかりの彼らが遭遇している恐怖は、まわりくどい干渉をしてくる狂気集団のせいばかりではなく、もちろんほぼ無害な怪奇現象のせいでもなく、彼ら自身の愚鈍さに由来する結果であり、常人の意志判断力と危機管理意識があれば容易に回避できる事態であり、一般的恐怖と看做すにはいささか危険度が低すぎると思います。逆に言うと、主人公達はこの映画舞台のような「元幽霊団地と呼ばれた廃墟」という特殊環境を除き、日常内でも同様のカルト宗教やマルチ商法の勧誘に遭遇した場合でも、やはり取り込まれて身の破滅を迎えていただろう人達です。目先の不安へ向き合わず、不審人物相手に断ることも出来ず、判断と行動を先延ばしてばかりの人物に相応の最期を迎えただけの話です。

これ一番怖いのは主人公達のゆるい頭じゃないのか。環境のせいにしちゃいけないわ。だって主人公達は明らかに怪しい外敵には弱腰で唯唯諾諾と流されるだけなのに、仲間内だと互いに煽ったり貶したり盛ったりとやりたい放題言いたい放題なんだよ。外敵に弱いくせに内部のマウント取り合いは熱心なんだよ。だめじゃん、自業自得やん、こんなの。ホラー映画の序盤で無残に死ぬタイプのいけ好かない若者が最後まで出番引っ張るんだよ。誰視点で観ればいいのさ。ムカつく若者を死なせる犯人側視点もカルト集団の時点で難しいです。少なくともぼっちの私には難しい。カルト仲間と一緒に友情・努力・勝利を目指す物語になっちまうじゃないか。そういうの摂取したい時は素直にジャンプ漫画でも読みます。ホラー映画に求めていません。

ここまでボロクソに貶しましたが、当然優れた点もあります。廃墟舞台のホラー映画に付き物の「画面が暗過ぎて何が起こっているのか見えない」問題がありません。夜間POV視点の画面がぶれて見づらい場面はありますが、それもあえて見づらいPOVとして撮っており、不安と不気味さの前フリに使うためわざと画面を乱す演出です。どちらかと言えば画面より台詞で恐怖を煽っていくスタイルであり、人物間のやりとりは過不足なく、観ていて状況理解しやすい良く練られた内容でした。最初から狂気の集団による物理型サイコホラーとして宣伝していれば、自分もそれに合わせた気構えで観れたはずです。世間には不意打ちのような予想外の展開を喜ぶ客層が居るのも知ってますけど、少なくとも自分は違い、戸惑いから気分を立て直すのに時間がかかるタイプなのでこの映画は合いませんでした。

もう終盤に差し掛かろうかというあたりで、ようやく主人公が能動的に動き始めます。仲間はカルト側に取り込まれてしまい、もう誰も頼れなくなったため、深夜に自分一人だけでも脱出を試みます。しかしステルスミッション開始かと思いきや、照明を手に持ったまま明るい広場方向へ向かって行きます。夜の闇に身を隠して移動するどころか、敵陣ですげー目立つ行動を取ります。しかも寄り道しやがる。少し離れた場所に小さい別棟があり、そこへ用もないのに入っていました。そこでは医療施設のような設備があり怪しい男が遺体を分解作業している様子でした。また突然のジャンル変更、バイオハザード等のSFホラー系へ。もうこれ幽霊と全然関係ないよね。廃墟である必要もないよね。そしてアクション開始、主人公は遺体損壊男と戦って勝ちました。しかし増援に囲まれカルト集団に再度囚われてしまいました。脱出するんじゃなかったのか。なぜ寄り道したのか。なぜ戦っちゃったのか。主人公の行動が全然理解できない。

そして映画は主人公がカルト側に取り込まれ、元仲間を殺し、自分で自分の腹を刺してカルトリーダーおばさんに褒められながら死んでいきました。それから外出すると、入院中の母も死なせ、団地廃墟に住みつくお化けの仲間入りして終わります。最後の場面で真っ赤な服を着て廃墟の一室に佇む主人公はまともな人間には見えません。そもそも廃墟の住人達も死人の群れだったのでしょう。劇中はっきりと言及しないし、昼間っから皆でわいわい騒いで暮らしてるから錯覚するけど、生活インフラの無い廃墟で集団生活のインフラが維持できてるわけがないです。あれは死人の生活ごっこであり、供された食べ物も死人の食べ物でしょう。やたら陽気に食べて食べてと推してくる中身の見えないコップに、主人公達が口をつけるまで全員が凝視して様子を窺がってるのは、ヨモツヘグイだからだと思いました。ヨモツヘグイてのは死者の食事を生者が食べると生きて帰ることが出来なくなる呪いの一種です。

だから物語をまとめると、大学生3人が曰く付き廃墟へ向かい現地に巣食う死者の群れに取り込まれてしまった話、となります。大まかな本筋だけを抜き取ると、なんとも気味悪くおぞましい話なのに、死者のとるアプローチ方法が死人であることを隠し、馴れ馴れしいカルト・マルチ商法のような勧誘を仕掛けてくるため、気味悪さの質が違ってしまいました。最終的には心霊現象に行きつきますが、そこへ至る過程は全部カルト集団との対人トラブルとして描かれており、超常現象怪奇ホラーを期待して見に行くと、実際の内容は狂人サイコサスペンスをお出しされてしまい大きく肩すかしを喰らいます。最初の宣伝は良かったし、撮影方法も上手かった。画面的な問題はまったく無いけど、本編の物語展開だけがネックとなり終始違和感をぬぐえず、物語に乗り切れなかった映画です。

つまり脚本が悪い。

スタッフロールが流れ始めても、すぐには席を立たずに画面を見ていました。戦犯たる脚本担当者が誰なのか確認するためです。しかしなかなか出てきやしねえ。ひょっとしてもう見過ごしてしまったのでは、と疑問が出かかったあたりで、スタッフロール最後に「監督・脚本:後藤庸介」とありました。監督も兼任かよ。こんな映画に誰がしたのかわかりました。この人物が最高に雰囲気ある心霊ホラー設定を、狂人トラブル物語で潰してしまった張本人です。脚本・監督を占めてるてことは、映画も最初から徹頭徹尾この内容で製作してたわけで、宣伝文句に騙された私が浅はかでした。私は考察型と相性悪いんだ。今後に邦画ホラーを観る時には製作スタッフを確認します。この人の名前があったら宣伝文句と内容に乖離があるので、その映画には注意します。

これが明らかに稚拙なアイドル頼りのしょぼいホラー邦画だったら、こんなに不満も感じなかったんだよ。最初から「隔離地域で狂気カルトに襲われる映画」を期待して観に行けば、むしろ高評価だったかもしれない。観客に見せる情報量整理は巧みに構成されてるから、過不足無く物語が頭に入り理解できる。考察型にありがちな散漫な伏線未満バラ撒きは殆どないから、設定も物語も良くまとまってる。途中で期待ジャンル違いに気づいて、脳内の鑑賞態勢変更しながらでも話について行けたからな。だから結論は「ジャンル違いの不幸な出会い」です。私が劇場代金払って期待していた内容は、怪奇現象の因果解明であって、対人トラブルの悲劇じゃなかったからです。