続・トコモカリス無法地帯

うんざりするほど長文です。

「愛のテーマ」が嫌いです。

2023-05-11 01:34:46 | 好き嫌い趣味

昔の映画には必ず「愛のテーマ」なる、かったるいBGMが付き物でして、私はそれが大嫌いでした。きっかけは幼少時に買ってもらった「映画音楽集スペクタクル・アクション編」というカセットテープでした。まだCDが一般的じゃなく、自動車内で聞ける音楽はカセットテープが主流だった時代です。

買ってもらったその日のうちから、帰りの自動車の中でテープを流してもらいました。しかし、どの曲もタイトルのスペクタル・アクションの題名からは程遠い印象のゆったりした退屈な曲ばかりが続きます。しかも収録されてる映画タイトルも全体的に古臭い。「ベン・ハー」「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」他にも聞いたこと無い古いタイトルがメインで、そうしたタイトルに限ってどれも収録されているのが「愛のテーマ」ばかり。くっそ退屈でつまらない音楽ばかり、半分以上が聴きたくもないハズレ曲揃いの残念ラインナップでした。

たまに「レイダース(インディ・ジョーンズ)」や「スターウォーズ」に「スーパーマン」など派手に盛り上がる曲も混じっているけど全体的に少数派でした。それで今と違いCDじゃないので聴きたい曲を即頭出しもできず、早送りを手作業で進め、好きな曲の位置まで毎回調節うするのも面倒でな。おかげで私にとって「愛のテーマ」てのは鬼門です。忌避対象です。大好きなメタルマックスの「愛のテーマ」すらかったるくてまともに聴く気になりません。

それでも唯一例外的に好きな「愛のテーマ」が一つだけ存在します。映画「さよなら銀河鉄道999~アンドロメダ終着駅~」で主人公・星野鉄郎くんがメーテルと再会する場面でかかるあの曲。神々しいほどに美しいメーテルと再会した鉄郎の歓喜の表情、そして互いの深い思いが交錯するのにふさわしい盛り上がり。この「愛のテーマ」だけは別格です。

そしてこの「愛のテーマ」は再会場面だけではなく別れの場面でも流れます。当時小学生だった私はこの別れが見ててあまりに辛く、エンディングが流れている間まばたきをしませんでした。だって映画が終わったらもうメーテルに会うことはできません。網膜に焼き付けるつもりで必死に凝視し続けました。そのくらい銀河鉄道999の「愛のテーマ」は私の人格形成の根本に突き刺さったまま、未だに抜ける様子がありません。

使い方といい流すタイミングといい、この「愛のテーマ」は効果が強すぎる劇物です。今でも聴くと、幼少時にトラウマと性癖をひん曲げられた衝撃を思い出します。

この映画、メーテルの登場が半分あたりからのうえ、鉄郎は黒騎士ファウストとの戦いも努めなければならず、どうしてもメーテルの出番と台詞が少ないのですが、本人が出てこなくとも故郷の星ラーメタルの古城に肖像画がかかっているなど、前作では終始謎の女だったメーテルの周辺事情が見えてくるため、本人がいないのに気配はやたらと濃密だったりします。そして999乗車後にはメーテルの方から「どこかの星で死ぬまで一緒に暮らしましょう」とアプローチしてきます。これ前作で鉄郎が機械伯爵を倒した後に「君さえ良かったら・・・いっしょに暮らして欲しいんだ・・・」とメーテルに告白した構図の裏返しになってます。劇場版2作は互いに鏡合わせのように対象的な構図があちこちに見えて、特に顕著なのがラストシーン。前作では999号に乗って去っていくメーテルを見送る鉄郎の姿で終わり、さよならでは鉄郎を乗せて飛び去る999号を見送るメーテルの姿で終わります。そいで、これまでどうにも内面の読めない謎の女だったメーテルが感極まった様子の独白を流します。

「あなたの青春と旅したことを私は永久に忘れない」

「さようなら、私の鉄郎」

普段のクールな態度から随分とギャップのある執着が見えます。案外重い女だったメーテルにクソデカ感情をぶつけられて映画は終了、しませんでした。ここからさらにダメ押しの名エンディングテーマ「SAYONARA」が始まります。歌詞に込められたメーテルの悶々とした超特大感情、セピア色の回想場面、故郷へ向けて歩き去っていくメーテルの後ろ姿、私の知る限りでこれほど緊張感みなぎり心休まらないスタッフロールを他に知りません。少年の心をザックザクにえぐり、性癖をがっつり歪ませてあの人は去って行きました。なんつー映画だ。

 

というわけで、自分にとって「さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-」は他のアニメ作品などと違い、幼少時のトラウマに直結する特別な映画です。こないだの休日に劇場版「銀河鉄道999」「さよなら銀河鉄道999」を連続で観たので、あの頃の記憶が蘇り、作品についてあれこれ考察してしまいました。999にはTV版・漫画版・劇場版があり、それぞれが3つとも別作品扱いなので、どれが原作だの正史というわけではありません。基本的にどれもが最後の星へ到着後に鉄郎はメーテルと別れて、一人で地球に帰る内容は同様です。
しかし、劇場版だけがその後にもう一度旅立ち、メーテルと再会する展開に続きます。もう2度と会えないと思っていた人と再会できる。それは鉄郎くんじゃなくても再起するさ、言えなかった言葉、伝えられなかった思い、いっぱいあるだろうさ。そして再会したら今度こそ完全に取り返しのつかないような劇的な離別を経て諦めるんだよ。そういう苦い物語なんだよ。999に限らず、もう会えないと思っていた人と再会できる場面は心に刺さるんだよ。脱線するけど「水の森」という漫画で、主人公の兄妹が1年前に亡くなった養親の墓参りしてると、そこに死んだ養親(叔母)がひょっこり現れる場面があります。これは作中に奇跡を起こせるキャラが居て、そのキャラが養親の亡くなる前の1日だけを1年後に飛ばす奇跡を起こした結果で、彼らは生前に伝えられなかった思いを交わし、満足してお別れが出来ました。何が言いたいのかつーと、一度完全にお別れした人との再会は強烈にメンタルを揺さぶられるシチュエーションです。自分にとっては999に植え付けられた性癖です。
そこで再会した後にまた別れるのかよ、メーテルさん。ひでー女だな。幼少時にまぶたに焼き付けるつもりで凝視した彼女の後ろ姿は、今でもありありと思い出せるほど鮮烈でした。


そーいや、コミックス1巻表紙のメーテルは、後のイメージと違って若干幼い顔立ちだったのを思い出し画像検索しました。

「銀河鉄道999 ANOTHER STORY アルティメットジャーニー」

なにこれ。
あらすじになんやかやと設定が書いてあり、最後に「そして、鉄郎は3度目の「銀河鉄道999」での旅に出るのだった…」え、3度目の旅立ちですか。そしてメーテルとまた再会するんですか。劇場版「さよなら銀河鉄道999」から続く物語なんですね。

もう会えないと思い、映画のエンディングテーマ「SAYONARA」をまばたきもせずに見つめていた当時の私がバカみたいですね。感動して損しました。


実装石スレッドなんて見たの何年ぶりだろう

2023-01-16 04:12:26 | 好き嫌い趣味

ふたばの虹裏で珍しいものを見ました。
「実装石スレ」
ずいぶん昔にグロ裏へ追放されてすっかり下火になっていたキャラクターのスレッドが立っていました。そしてレスも多く、書き込み内容も穏やかなものでした。

2005年頃はカタログが緑色に染まるほど、ふたばの虹裏で隆盛だったネタですが、主な題材が「虐待」という公序良俗に沿わない傾向のジャンルでした。当時の実装石ジャンルの本拠地は作品傾向ごとに分かれた「保管庫」へ、各々が絵や物語を書いてアップローダーに上げるやり方で、ふたばのスレは定時に立てて、絵を貼ったり雑談や作品の感想を書き込む出張所のような場所だったと記憶しています。しかし虐待という扱いのきわどいネタは、けしからん悪徳としてバッシングされやすいのも事実で、ふたばのスレには頻繁に荒らしが湧き、マジレス画像やウプレカス画像、無意味な文字列連投、荒らし個人の話題ばかりを書き込むなど、穏やかに進行することのほうが少ないくらいで実装石スレとしてはあまり機能していなかったように思います。それでも日々の進捗のように保管庫には毎日作品が上げられ、ふたばのスレでも実装石についての考察や思いつきの軽いネタなど、交流の場があり、ジャンルの文化は続いていました。

しかし、虹裏でスレが削除されるようになり、グロ裏へ移動するとともに実装石ネタは一気に停滞してしまいました。その原因が何かだったか全てはわかりません。何故なら私もその頃には実装石ネタから離れつつあったからです。現場にいなかった者に状況説明はできませんが、グロ裏は今まで居た場所とは雰囲気が違いました。いつも罵り合う書き込みばかりで実装石の話ができる場所ではなかったような覚えがあります。
その頃、実装石の物語を書きかけていたものの、モチベーションが薄れその話は途中でフェイドアウトし保管庫に投下した分も削除し、今でも止まったままです。

その後、私は体調を崩し何らかの創作活動のようなものが一切できない状態になり、そのまま10年以上が経ってしまいました。その間、書きかけの実装石が頭の僅かな片隅に残り続けていましたが、向きあい続きを作る気力が湧くこともありませんでした。他にやることたくさんあったし。

今にして思うのは、ネタ傾向の健全・不謹慎などに関係なく、文化は棲み家を破壊すればそのまま潰れます。虹裏での実装石スレはいつも荒らされていましたが、それでも一種の文化を支える受け皿として十分な働きをしていました。こうした嗜好品の文化は繊細なバランスに支えられて成り立っているものです。だから気に入らない表現物を潰すなら、発表の場を壊してしまうのが簡単かつ確実で、供給の無いジャンルに新規が参入することはなく、いずれ忘れられて消えてしまいます。実装石は消えませんでしたが、今でも細々と続いている状態は往年の勢いがまるで無く、居場所を追われた文化の脆さをひしひしと感じます。

今回見たふたばの実装石スレは定着したものではなく、突発的に立ち、当時を知る古参としあきが久しぶりに集まる同窓会的な内容でした。当時を懐かしみ楽しい半面で、今の寂しさを少し悲しくも感じました。経年劣化なのか、ふてぶてしい表情で汚物に塗れる実装石の絵を見ながら、こういう不快度を強調した姿が現在の実装石のスタンダードなのかなとも。私は実装石を儚く哀れな居場所のない者のカリカチュアと捉えており、その不幸な境遇から大事なものを見誤り破滅していく悲劇の演者としての姿を見たいので、そんなん自分で書いて供給するしかありません。実装石ジャンルでもさらに狭い偏った嗜好なので、他人の作品で満足できたことがあまり無いです。


「ペギタン」に関するヘイト二次創作の話

2022-05-19 05:03:04 | 好き嫌い趣味

一昨年のニチ朝番組のマスコットキャラがネット上の某所で虐められています。ネット上で匿名掲示板なり、R18Gも扱う画像SNSなどでは、こうした架空キャラを虐待するネタが定期的に発生します。古くは2ちゃんの「しぃ」ふたばの「実装石」ピクシブの「ゆっくり」など枚挙に暇がありません。近くでよく見ればそれぞれが持つ雰囲気が微妙に異なるのがわかりますが、遠くから眺める分には残酷で悪趣味なネタに変わりなく、大抵の人からは眉を顰めて敬遠されるジャンルです。しかし同じように見えても細かな傾向は違います。自分の専門は実装石ですが、ゆっくり等の他キャラにはまったく興味が湧きませんでした。
ところで、それら古い虐待ネタに代わって現在進行形の被虐キャラ化しているのは「ペギタン」です。実はこれも盛り上がっていたのは2020後半~21年までの話で、現在は残り火が燻っているだけなのですが、そろそろ流れも鎮火しつつあるので、私見を交えた概要を書いておこうかと思います。

ペギタンというのは2020~2021年にかけて放送された「ひーりんぐっどプリキュア」に登場するマスコットキャラの1匹で、小さなペンギンの姿をしています。性格は気弱らしいです。らしい、と伝聞のような書き方なのは、私がプリキュアという作品をシリーズ通してただの一度も視聴した事がなく、まったく本編内容を知らず、ふたばやピクシブでのペギタンの描写から窺い知れるキャラ概要がそのくらいだからです。本編なんか見なくてもキャラ虐待に支障ないのは実装石でよく分かってるんだよ。私はローゼンメイデンも未読未視聴だけど、翠星石の劣化コピーらしい実装石をギタギタにするのは得意でした。それでペギタンも本編中では気弱なのが災いして、どうも戦力増強にあまり貢献できなかったらしく、視聴者からのヘイトを稼いでしまったようで、本編でさらっと流された失態への応報な扱いを、二次創作的に消化しようとする流れが生まれた様子です。

私がこのジャンルを最初に知った時には、既に「ペギタニスト」という言葉が存在していました。ペギタニストとは文字通り、ペギタンをギタギタに痛めつける嗜好を持つファンの事を指します。しかし彼らはペギタンを嫌っている様子ではありませんでした。作中で迂闊な行動を取るペギタンに何の報いも無く進んでいく本編物語に対し、作品世界とキャラクターの行動を納得消化するためのファン心理が働いていたフシが窺えます。視聴者視点では過剰な高待遇を受けているかに見えるキャラへ、相応の苦痛と受難を与え、視聴者それぞれが解釈のバランスをとるために虐待パロディを作っている様子でした。なぜなら、それらペギタニストと呼ばれるジャンルで描かれるペギタンは、たいへん可愛らしく、また性格や言動も愚かしい程にパートナーを一途に慕うものであり、その小さく愛らしいペギタンが理不尽に翻弄され、不条理に蹂躙され、ボロボロに傷つけられながら泣き叫ぶ姿は、残酷描写で可愛らしさがより一層際立つ内容でした。つまりペギタニストと呼ばれる人々はペギタンを嫌うどころか、大変可愛いと考えており、そのペギタンを過酷な環境へ追い込むことで、必死に苦しみもがくペギタンの可愛らしさがさらに輝くという感性を持っています。大変よく理解できます。私も同意します。小さく儚く可愛らしい者が悲鳴を上げ絶叫し死に物狂いで悶え苦しむ姿は大変可愛らしく、他に代えようもなく尊い価値があるものです。

しかし、それでもやはりこれらはヘイト創作です。ヘイト創作とは、ある作品やキャラクターに不満を感じた時にそれらを改変し、貶める意図で作られる二次創作を指します。先のペギタンを虐待する一連の流れに、ペギタンを貶める意図が皆無とは言えません。これらのペギタン二次創作では本編中に一切なかった糞尿を漏らす場面が頻発します。また設定上オスなのに卵を産み、ベビーペギタン(略してベビタン)という赤子を育てる場面もよく出てくるようになりました。実はこれらの「過剰な排泄」と「子供を産み増える」設定は虐待ネタでは普遍的な描写で、これまでも余所で虐待ネタに使われたキャラクターには、もれなく追加されていました。そしてこの設定が大っぴらに取り込まれていくと、キャラクターが必ず陥る既定路線があります。有害野生動物化して駆除対象となる方向性です。すると描かれるキャラの容貌に変化が起こります。容姿はより醜悪に、言動はより傲慢で強欲に、憎むべき邪悪な存在へと書き換えられていきます。そしてこれらの架空キャラ虐待ネタを好むファン層にも系統分化が起こります。

元々の、可愛いけど少々ウザいキャラが酷い目に逢うのを好む層。
新解釈で、醜悪な汚く卑しいキャラを苛烈に処罰するのを好む層。

どういうわけか、この手のジャンルではある程度まで参加人数が増えると、被虐対象を過剰に蔑み貶め、悪として糾弾処罰したがる傾向が出てきます。それでペギタンについて話すスレッドでも日々が経つほどに雰囲気と流れが変化していきました。より過激で即物的な方向へです。いや過激なのは元からか。ペギタンで検索するとサジェストで「はんだごて」と出てきます。これは2020年中頃からペギタニスト達が執拗にペギタンの尻にはんだごてを突っ込み焼き続けた結果です。最初期からやってることは酷いのですが、当時のスレッドの流れはなかなかに技巧的でした。ペギタン画像となりきり台詞の書き込みに対し、当意即妙なレスを返しつつ場面に応じた画像を貼り、小さなエピソードを繋げていくのです。例えば、
ペギタンが温泉に入りたいと言えば、ゆっくり暖まってね、と「熱湯で煮られる」画像が貼られ、
いくらおにぎりが好きだと言えば、いくらをプレゼント、と「足にマチ針を大量に刺す」画像が貼られ、
僕のアナルさんに忠誠を誓えと言えば、即「はんだごてで腹腔内を焼かれる」画像が貼られ、
もっと舌を使えと生意気を言えば、その舌を用意するために「ペギタンの舌を切り落す」画像が貼られ、
何をどうしてもペギタンがドギツイしっぺ返しを受ける即興劇の様相を呈していました。それでいて会話口調は穏やかに進み、つまり「口頭では柔らかな態度を崩さないのに、行動は苛烈で容赦ない暴力を加え、ペギタンの望まない方向に要求をかなえる」悪意と皮肉に多少のウィットを交えた大人の悪趣味な雰囲気がありました。例えるならば大昔の連歌遊びのような上の句に下の句を繋げるように、なりきりペギタンの言動へ逆手に取るような一捻りした返答と、内容に応じた画像を即時貼り付けていく、少々知恵と発想の妙意が要る、なかなかに高度で雅な楽しみ方でした。実際、書き込みに対し瞬時に論点ずらしと混ぜっ返しを考え、最適な画像を選び数秒のうちにレスを返すのは、瞬発的発想力と豊富なネタ画像を網羅する記憶力の両方が必要で、くだらないことに無駄な力を発揮する「としあき」さん達の高いスペックが窺えました。あの人たちは基本的に頭は良いんだよ、性癖が歪んでるから理解されにくいだけで。

しかし、どんなジャンルも時間が経てば変化します。ペギタンがギタギタにされる絵を描く人も変わり、ネタ傾向も変わり、ピクシブの感想欄の雰囲気も変わり、ふたばのペギタンスレッドの流れも変わっていきました。可愛らしいペギタンの容姿を醜悪にアレンジした絵が増え始め、ペギタンなりきりの台詞は元の気弱キャラとはかけ離れた図々しくふてぶてしい物言いに占められ、それらへの返答レスも直接的な罵倒と殴打画像の割合が増え、架空キャラを悪意と嫌味で面白おかしく弄るよりも、直球の憎悪で叩きのめす傾向に流れて行った様子でした。つまり、ペギタンを扱うヘイト創作に違いはありませんが、主人公が交代したのです。

前半では、理不尽と不条理な受難に翻弄されるペギタンが悲劇の主人公でした。
後半では、理不尽で不条理な言動で周囲に迷惑をかけるペギタンを罰するスレ民が主人公になっています。

ただし、どちらも使用されるのは苛烈なペギタン暴行画像なため傍目には同様に見え、両者ともペギタンがぼろぼろになる点では一致するので、傾向が違えども対立することはありません。ただし両者から見たペギタンの姿は明らかに違うようです。

一方は、気弱で甘ったれなマスコットキャラが、日曜朝の子供向けTV番組から間違ってR18G指定Vシネマ世界に迷い込み、ガチ悪人の残虐さに蹂躙される哀れな姿を好み、この場合のペギタンは惨たらしい仕打ちにより一層可愛らしさを引き立てられた、悲劇の主人公です。
もう一方は、己の分をわきまえず自分のわがままで際限なく周囲に要求を繰り返し、節制なく増殖し周辺環境を汚し迷惑を振りまく害獣の姿です。容姿こそペギタンですが性格も図太く、パートナーに依存せずとも逞しく野生化して暮らしており、それらに迷惑を被った人間が腹に据えかねて報復処罰する対象としての設定が多数つけ加えられており、こちらのペギタンはいわば勧善懲悪ドラマで時間いっぱいに傍若無人を重ね続けて、最後に誅殺される悪役の役目を負っています。周囲に散々ストレスフルに負荷をかけ続け、その応報として有らん限りに罵倒されながら壮絶な死に様を散らすヘイト要員として消費されています。

つまり、両者では暴行を受ける要因が異なります。前者は小さく非力でやや愚かしいマスコットキャラを、可愛いからとギタギタに痛めつける人間側に問題理由があり、後者では有害生物がその迷惑の咎で刑罰を受けるペギタン側に問題原因があります。どちらが歪んでいるかと言えば前者のサディズムだと思いますが、後者の無理矢理な他罰傾向も行き過ぎている気がするので、共に世間からは公序良俗に反したモラルの無い悪趣味ネタと見られることには違いないでしょう。


ここまで書いていれば隠しようもなく、自分は明確に前者の「可愛いから痛めつけたい」側で、いちいち相手の落ち度をあげつらわないとペギタンに暴行を加えられない面倒な縛りを窮屈と感じます。そもそも善だの悪だの気にしてたら楽しめないジャンルです。そして自分が求めるものも、悪を叩き潰す正義と自己肯定感ではなく、可愛らしい者が凄惨な目に遭うギャップの美しさであり、あくまで主人公はペギタンであり、虐待を加える者は添え役でしかありません。そして苦痛と悲哀の表現は肉体損壊と流血量だけで表すものでもなく、むしろ内面的な精神が蝕まれていく過程こそが最も重要と考えています。自分で書かないのかと言えば、ペギタンはあくまで「出来の良い他所の子」なので書きません。老害思考の自覚もあるので他人には指示も表明もせず、自宅の日記で感想を一人で呟くだけに留めています。

しかし昨今の新しい被虐ネタとして、というか一部の二次創作者の描くペギタンは非常に精神的損壊描写に優れており、極めて高レベルな残酷悲哀キャラに仕上がっています。強度の精神的ストレスを受け続けた場合の、心が壊れた姿の描き方がたいへん秀逸です。苦痛と恐怖を受け過ぎると悲鳴すら上げられなくなるのよ。そんな元気は残ってないのよ。そして特筆すべきは、物理的にも精神的にも容赦ない凄惨な拷問を何百回も描きながら、対象のペギタンは終始一貫して素晴しく可愛らしいこと。TV本編だとちょくちょく作画崩れがあったりイマイチ容姿の解釈がこなれていない絵もあるのですが、ペギタニスト系創作者の描くペギタンは本編よりも容姿の愛らしさが大増量されています。もちもちとやわらかそうなほっぺやお腹やペギケツの丸さ、気弱そうに潤んだ目、非力にぺちぺちと振る小さな手足、不安に溢れ出す涙、苦痛に強張る皺、ストレスで禿げる脱毛、助けを求めて「ちゆ~」とかつてのパートナーの名を呼び続けるも、番組放送終了とともにパートナー契約は解消されており、誘拐監禁され終わりの見えない拷問虐待を受け続けるうちに表情が固まり、明らかに精神に失調をきたして怯える姿はあまりに可愛らしく、キュートアグレッションを強くそそられる姿をしています。その怯え続けた先に到達したのは、もはや抵抗も諦め、悲鳴をあげる気力も失い、ただ恐怖に硬直しながら無言で涙を流し続ける適応障害を起こした精神の壊れたペギタン、俗にPTSDタンと呼ばれる状態です。

よくぞここまで描き切ったと感心します。肉体損壊のたびに大声で悲鳴と絶叫をあげながら惨殺されてる間はまだまだ元気があるんだよ。少なくとも大声をあげる自由はあり、苦痛を主張する気力もあります。何回ブチ殺されてもすぐに再生復活するネタなので、肉体損壊などダメージのうちに入りません。それで好きなだけ泣き叫ぶの騒音も許されてるなら、心も体もめいっぱい自由を満喫しているのと変わりません。苦しみの質としてはまだまだ序の口だと思います。私は加虐方法手段として派手な肉体破壊より精神を蝕む拘束を好みます。一瞬で終わる肉体の苦痛より、無限に続く終わらない精神抑圧のほうが効果的と考えます。もちろん併用すればなおさら効果的です。

結局のところ、他にも数多くあるヘイト創作キャラ虐待ジャンルで、私が興味をそそられたのが実装石とペギタンだけというのは、効果的なメンタル破壊描写があるかどうかに尽きます。ちなみにこの手のジャンルの多くでは、精神的虐待方法として、親子を捕えて子を殺す展開が多くありますが、ワケあり家庭育ちの自分には親子愛が理解できず、家族殺しのどこが苦しいのかサッパリわかりません。子供をぽんぽん生んでダメージを受ける盾役を増やす防御策は生存戦略として優秀で、実際それで本体がノーダメージで済むのだから、これはもはやサバイバル群像劇の一種で、虐待ネタではないとも思います。
というか、どのジャンルでも虐待ネタが進むとキャラの性格がどんどん改変され、親子の情愛など欠片もないふてぶてしく悪辣な種族へと設定が変化していくのは毎度のことなのに、そこで出てくる精神的苦痛の与え方が親子関係を壊す方向にしか考えられないのは、発想が貧困かつ矛盾してると思います。倫理も道徳もわきまえない卑しいキャラがなぜか親子愛だけは十分に備えている不思議。つまり作者側が家族愛を無条件に信じており、疑問なく前提に置いてしまっている。彼らは幸せな家庭で大事にされて育った人達なのでしょう。私にはそのへんよくわかんねーや。

私は子だの親だの外部オプションへは目を向けません。そんなマトを散らせる作戦には乗りません。そいつ本体を捕まえてから分解できる限り解剖し続けます。自由を奪い可能性を削り希望を一つづつ諦めさせながら、徐々に変化していくであろう泣き声を楽しみます。始めは悲鳴、次に絶叫、続いて嗚咽、やがて慟哭、その先は何でしょうか。断末魔までじっくり付き合いながら眺めていたいと思います。対象を嫌いだからやるんじゃないのよ。可愛いからこそ見たい聞きたい楽しみたいと思うのです。

そんなジャンルの有望株として最近上がってきたキャラがペギタンですが、結局のところ、私にとっては他所の子なので、他所のペギタン飼い主さん達の虐待手腕に関心しつつ、受けた刺激は自分のところに居る子達にフィードバックしたいと考えています。うちの子てのは実装石のことです。うちの実装石達は、主を求めて彷徨う非力な出来そこない人形であり、野生で図々しく逞しく繁殖する害獣ではありません。その小さな儚い生きた人形の心を弄び踏み躙る話が大好きなのですが、全盛期から既に20年近く経っており、もう誰も書いてくれないので自分が書くしかありません。当時からも自分好みの傾向作品は少なく自分で書くしかありませんでした。自給自足です。ちなみにヘイト創作のつもりはありません。元ネタのローゼンメイデンは原作・アニメともに未読・未視聴で、元キャラの翠星石にも興味なく、彼女を貶し蔑む意図もありません。彼女をモデルにいじった劣化コピーキャラがたまたま私の琴線に触れただけです。キュートアグレッションとは対象が可愛くなければ成り立ちません。対象へ過剰な落ち度を求め、咎を負わせ、汚く卑しく醜く貶め蔑み、悪として断罪するのはただの正義他罰中毒で別種の欲求です。私はペギタンがギタギタに傷つけられる姿が大好きですが、その原因の9割は病んでる自分にあります。残り1割は他者への依存心の高いキャラクターの甘えんぼ性格描写に依ります。つまり、危機感の薄い甘えん坊かまってちゃんが恐ろしい人達に捕まり、意図しない方向でかまわれてしまい、一方的にボロクソに壊される様子が大好物です。対象の性格が「かまってちゃん」なのが重要なのさ。私の世界法則ではかまってちゃんは大リスクなので、そのまま愛され肯定しちゃうとバランス悪いのよ。


好みのスタイル

2014-05-24 02:36:50 | 好き嫌い趣味
何でも女性化する昨今の傾向でジェイソンがフィギュア化されます。80年代スプラッター映画の殺人鬼の人。ホッケーマスクで有名なあれ。

これのアレンジがやばい、すごい好み、ど真ん中ストライクです。
上着のレザージャケット、ぼろぼろの裾が翻ってます。
ズボンも材質違いのレザー、中に詰まった肉圧で横にしわが入ってます。
腹部には太いベルト、金具が四角枠のごついやつ、私も持ってます。
中着は軽装、のぞく腹筋はいい具合に割れてます。
脚元はこれまた頑丈そうなブーツ、底のゴムも分厚くて素敵。
顔の左上半分を覆うホッケーマスク、片目を隠したクールな面構え。
両手に武器、お馴染みのオノとマチェット、これで殺傷力2倍です。
手にはしっかり皮手袋でグリップ力強化。
あとはちょっと負傷して僅かに血がたらり。

これで男だったらよかったのに。ジェイソンさんは元々は男性ですけどこれは女性化アレンジされたフィギュアの話です。ぶっちゃけ本編でのジェイソンさんはいつもぼろい作業服姿でこんなにかっこよくはありません。だから先述したスタイルで男版が欲しいと思ったのです。
いや、別にジェイソンでなくてもいいのです、先述のスタイルでさえあれば。


私にとって理想のヒーローの姿ってこんなのなのです。
書き溜めてた黒歴史ノートの主人公はこんな感じだったのです。黒尽くめレザーの上下に、目線隠しの帽子、丈夫そうな皮手袋とブーツとベルト、ぼろぼろの上着の下には四肢をプロテクタで堅め、両手に武器持って、顔はスカーフェイス。すごい厨二病スタイルですけど、こっちは世間に厨二病という言葉が浸透する前からやってるんだよ、25年くらい前からだよ。当時は自分でキャラクターを考える文化がまだ一般的ではなかった頃、ロードス島戦記やらが流行り出してゲームでキャラメイクすれば甲冑着ないと殴り合えない情勢の頃からこのスタイルだよ。もちろんルール上では弱いよ、紙装甲だよ。

10年くらい前にパソコンに取り込んだ絵のデータが残ってました。色塗らずに放置してたので線画ですけど。

実際に紙に描いたのは15年くらいは前だと思います。
身体のパーツバランスがめちゃくちゃですが、ロボアニメのパースつけたあおりアングル絵を真似したせいです。設定身長が2メートル越える長身なのであえて人間ぽくないポーズで描いてました。

それでも自分にとって「これが最高にかっこいいスタイル」とわかっていたから大事にしてました。
一生懸命黒歴史ノートをつづり、ノートがワープロに変わって、パソコンになった頃にそいつの話は完結して奴は遠くに行っちまいました。その時に私の魂のしんどい部分を何割か持っていってくれたので、少し生きやすくなりました。

厨二病だった昔の私は間違ってませんでした。だって今になってこういうスタイルが「アレンジ」として出てきたってことは、元よりカッコ良さを増す方法が先述した内容のアイテムを着せたデザインだったということ。ジェイソンというのはスラッシャーホラー映画の看板キャラ、殺人鬼というアウトローの極みです。マフィア・ギャング・ヤクザといった組織だった悪役の対極にある、他者は皆殺しという個人経営暴力の最終形態が、こうした覆面殺人鬼キャラ。人間関係を一切考慮せずにひたすら自己都合だけを押し通すならこういう形になっちゃうのさ。言葉を発さず、表情も持たず、殺傷力だけが突き抜けた歩く暴力機械。


25年前の自分に言ってやりたいです。
「お前の理想の『戦う者』の姿はいずれ目の前に現れる」
「そしてそれは『ジェイソン』という殺傷力の塊にかぶせる形で出てくる」
「好きだろジェイソン、圧倒的パワーでどいつもこいつも皆殺しなジェイソンすげーつえーだろ」
「でもな、そのジェイソンは『女』だ」
「残念だったな、理想のかっこいい男のスタイルが、女になっちまったよ」
「もう自分で作るしか無いぞ」

くそう、どうしてこんなことに。

これで男のフィギュアだったら文句なしの夢の具現化で、笑って死ねる程に満足しただろうに。


25年前の自分が言ってます。
「ジェイソンけっこう負けてるじゃん。トミーに2回負けて超能力女にフルボッコじゃん。ランボーやコマンドーのほうが強いよ」
うるせークソガキ、てめーランボーやメイトリクスみたいに半裸で戦場走り回りたいのかよ、擦り傷切り傷が嫌だから肌の露出は控えて全身レザーで固めたいと思ったんだろが。ばーかばーか。


1年1ヶ月

2013-10-11 23:48:19 | 好き嫌い趣味
日記を読み返すと、去年の9月頃に積みプラモデルの解消を始めたようなので、だいたい1年と1ヶ月目に入ったところです。

どれだけ組んだかなーとリストアップしていくと、武装+本体のまとまりで325体ありました。他に武器セットが82セット、ディスプレイスタンドが46個。箱や袋に詰まってる分を400個以上組んだことになります。けっこう頑張ってるじゃないの。これだけ作業を繰り返すと手際も良くなって、1体当たり組む時間が早くなってきました。一昨日組んでたのはコトブキヤのヴァーダント。箱開けたらランナーが10枚以上ぎっしり詰まってたけど気付けば4時間くらいで組みあがってました。ただ組むだけじゃなくて可動箇所の補強を考えて、削ったり接着したりと若干手を加えながらですが、それでも4時間程ですから、随分と手馴れてきたようです。直線主体のデザインだからバリ取りが楽だったのもありますが。

次に組み立てるのはガンダムダブルオー劇場版のソレスタルビーイングチームです。

先に日記でブンドド遊びの脳内戦記の主役をソレビのガンダムチームに設定したと書きましたが、実はまだ主役機が出来ていなかったのです。これまでの325体は全部敵役設定。本編開始前のお膳立て。幕が上がれば眼前に325体敵が並んでるわけです。超豪華、大歓待。
「こいつら全部喰っちまっていいんだな?」
もちろんです。一人当たり80機以上倒さないとなりませんが、このくらいあれば満足していただけるでしょう?地上から、宇宙から、水中から、異次元異世界から、長距離射程狙撃・大火力ミサイル一斉発射・至近距離格闘戦、あらゆる手段で殺しにかかりますから全部返り討ちにしてください。

昔「超人機メタルダー」て特撮番組があって、第1話から敵軍団が全員登場する場面がありまして。ずらりと画面狭しと並んだ敵の群れを見て、当時の私は「こいつら全員と戦えるのか、いいなあ」と楽しみで仕方ない状態でした。ご馳走の群れに見えたわけです。そしてこの番組での最初の相手は「凱聖クールギン」ヨロイ軍団のボス。いきなり大幹部をぶつけてくる大盤振る舞い。ひどいよね。最初に一番美味しいの食べさせかけて、残りは後で、残りを片付けてからねというお預け状態。

話を戻します。
今までブンドド遊びの構想を暖めて1年待ちました。明日からソレビガンダムを組んだら戦闘開始です。雑魚なんて用意してないからな、この世界は歪みまくって原型とどめてないから、歪みを正そうとするソレビのほうが異分子。歪んでるのはお前の方。
ジオン陸戦部隊とか水泳部とか強襲部隊とか編成してると大変楽しいです。
陸戦部隊はドム隊が高速機動射撃で攪乱し、グフ隊が格闘戦を仕掛けて、足が止まった標的をザクスナイパーとヒルドルブが狙撃します。
水泳部は丸くて硬い奴らが爪を振りかざして殺到してきます。包囲を抜けた奴はジュアッグとゾックの砲撃の餌食です。
強襲部隊はケンプファーとかスーパーザクF2000とか武器満載した奴らが飛び込んできて撃って撃って撃ちまくり、弾丸が切れたら次の武器に持ち替えてまた撃つの繰り返しです。こいつらの前にぼけっと立ってたらあっという間に粉々にされますから、殺られる前に殺るしかありません。
あと、キマイラ隊上がりのゲルググチームとか、ジンクス部隊とか対ガンダム専用の連中も用意しました。
質を考えた上での圧倒的な物量作戦です。ただこいつら、みんなエースパイロット揃いの特殊部隊ばかりなのでプライドが高く、互いに俺が一番強いと思っている奴らばかりなので仲が悪いです。他陣営と連携とか無理。シロッコとハマーンとフル・フロンタルが共闘するわけないじゃない。

妄想楽しいけど、文章に起こすときっと戦闘ばかりでつまらないんだろうな。物語がないもんな。



昔、オリジナルでミクロマンのお話を書いてみようと思ったのですが、登場人物が多すぎてキリがないなと気づき止めました。最初はサイバトロンとデストロンの抗争に突如謎の勢力が介入して、その正体がミクロマン。元々トランスフォーマーてのはミクロマンの手伝いをするための下働きロボットです。それが独立して海外でトランスフォーマーの名前を付けられて商品展開されたわけですが、設定の経緯からすればトランスフォーマーにとってミクロマンというのは造物主、上位存在なわけで。その上位存在が2003年に帰ってきたのですが。ミクロマン2003というシリーズがあって、あれで可動フィギュアの関節機構に革命が起きて、今の全身21箇所くらい可動するフィギュアが広まったわけです。そのぐらい物凄いシリーズだったのだけどタカラは昔から商売下手でこのシリーズを上手く生かせなくて平成ミクロマンシリーズは終了してしまうのですが、これが悔しくてその勢いでミクロマンがトランスフォーマーをぼっこぼこにする話を書こうとか思ったものです。

ミクロマン2003の最初のラインナップの4人は設定で消息不明後にアクロイヤーと化したらしいのですが、どうしてそんなもったいない話にしちゃうかなと当時は思ったものです。だって初期4人てキャラが立ってる。ハゲ、モヒカン、ドレッド、七三、とヘアスタイルから決まりまくってて、もちろんリーダーは昭和から系譜の続く七三分けのおっさんです。見るからに頼れるリーダーっぽくて、言わば昭和特撮のチームリーダー系。科特隊とかウルトラ警備隊とかマイティジャックとか異常な戦闘力持った特殊チームの隊長さんの系統だから、こんなのが出てきてしまうとコンボイだとかオプティマスだとかメガトロンだとかもう関係なくぶちのめされて、最後に残るは「星間帝王ユニクロン」だけ。でもさすがのユニクロン様だって理解できます。自分が星間帝王である限り、いや、トランスフォーマーである以上、造物主たるミクロマンにはかなわない。星間帝王デスキングだった頃からボコられていた天敵です。
巨大な体躯を持つユニクロンが震えるわけです。
この僅か10センチ足らずのミクロマンの戦闘能力が、惑星をも喰らう自分を凌駕すると本能が告げる。武器すら持たず徒手空拳の時代遅れの七三分けのちっこいおっさんが、ひとたび動けば、その脚が、拳が、あらゆる攻撃が、特殊合金ボディの防御をブチ抜き、どれも必殺の威力を叩き込んでくる事に。
先に動けば殺られる。後手に回ればやはり殺られる。もはや星帝は動けず。
主人が道具を処分するのに言葉は要らない。
最凶のトランスフォーマーはなすすべなく砕け散った。

という場面が書きたかったわけです。

つまり、手持ちのロボットでグラップラー刃牙がやりたかったわけだ。

あとはほら最近何かと鬱陶しい近隣アジアの前にいきなり旭日旗背負って「大日本帝国軍」がリニューアルされて登場して「朕茲ニ戦ヲ宣ス」 とかやる感じ。


ナレーション漫画

2013-05-11 21:20:18 | 好き嫌い趣味
部屋にモノが溢れかえって困っているので、売り払い安い本を整理していました。

私の好みは戦うお話系列が多いのですが、いわゆる超能力バトルものはあまり読みません。もうちょっとこう血生臭い描写を好む傾向にあるので、骨がバキボキ折れたり血がブシューと流れ出るような作品ばかりです。ですがそれにもさらにある特徴がありまして、個人的に「ナレーション漫画」と呼んでいるのですが、登場人物のセリフ以外に四角枠で勿体つけた説明を入れて盛り上げるタイプの漫画の類、あの変な言い回しって読んでる最中は大変面白いと思うのです。読後になんにも残らないけどな。

例を挙げると、少し前なら

み し り

「それはおよそ一切の流派に」
「聞いたことも見たこともない奇怪な構えであった」


とか

「危険生物」
「人間の陸上および海上における野生動物の襲撃による年間死亡事故数の最も多い――」
「最も危険な野生動物は…」
「“熊”でも“鮫”でもなく――」

「“蜂”である」
「日本原産『大雀蜂』」



とか。

そしてこういう大袈裟な表現を並べると「じゃあどれが一番強いの?」と気になりますよね。トーナメントとか始められると気になって夜も眠れません。元々寝ないけど。

トーナメント動画。


「喧嘩商売」という漫画はノーマークだったのですが、なんだか気になります。でも現在は連載が止まってて再開目処はついてないようです。自分の先生き短いから結末が見れなさそうなら手を出すべきではありません。
同様の途中でブツ切れの「餓狼伝」は処分します。
むやみに風呂敷広げる作家さんは多いけど、私はそのたたみ方に注目するので途中放棄作品を評価しません。


も一つ動画。これ表示がおかしいですよね。

視聴数に対するコメント数の割合が異常です。見た人が少なくとも10コメントを入れてる計算。何故そんな異常事態になっているかは見ればわかります。ふーわふーわ。



三形態

2013-03-15 01:39:14 | 好き嫌い趣味
基本的に睡眠・トイレ・入浴、以外の時間は机に向かっています。ずっとデスクワーク。そのどれもが身体に負担らしく、一日の終わり頃にはどこかが不調をきたして作業を中断せざるをえません。特に足の血行がやばい。腫れてむくんで痛みます。痛むならまだマシ。気温の低さに膝から下が鈍痛でかたまり、右足を引きずって歩いた日もありました。こんなんで自動車の運転なんぞ出来ないわ。普通に座ってるだけで毎日ダメージ喰らって悪化の一方とかウンザリしてます。立っていれば腰が痛み、座れば足が痛み、横になれば頭がイラつきます。この三択だと座ってる状態が作業が進む分最もマシなので自然と机作業ばかりになります。

座り状態にも三種あって、

・前傾
テキスト書いたり、プラモ組んだり、机上で作業する場合の基本。腰の角度のせいで坐骨神経痛が最も響くのですが、だいたいの場合は作業に集中してるので、一段落ついて気が抜けた瞬間に一気に痛みを感じ始めます。要は一番負担が大きい体勢。でも集中してる間は苦痛感じないのでよく選ぶ体勢。

・通常
椅子に楽に座ってモニタを見る時の姿勢。凝視が続くせいか目にダメージが来る。具体的には瞳孔が開くのが自覚できるほど眼球が緩む。実際に瞳孔はすごく開いてる。よくドラマでダウンしてる人を介助するときに「まずい!瞳孔が開いてる!」とかの場面があるけど、そのくらいナチュラルに開いてる。定規で測ったら直径8ミリくらい。あとドライアイもひどいから目薬は常時携帯です。去年の秋頃が最も酷くて最近の具合が少しマシになりましたが。今も瞳孔が開いて6ミリくらいです。もう平気、慣れた。
眼科ではピント調節機能がかなり弱ってるから近距離用眼鏡等で用途ごとに視点を補助して切り替えるように勧められました。つまりもう自前の目では調整は無理。こないだの検査中に焦点がずるっと落ちるように外れたことがあって、検査担当の看護師さんが「あっ」とか思わず声を出しました。普通の症状ではないらしいです。眼球が視神経の指令を放棄した瞬間が機材で検知されてびっくりした模様。私だってびっくりですよ。眼球から力が抜けて焦点が外れるとか初めて経験しました。
割り切って近距離用眼鏡を使い始めたら目の疲労度は格段に下がりました。もう少しお金貯めてPC用眼鏡も用意しようかとも考えてます。
ただ、今現在眼鏡屋でフレームを見ても好きな形がありません。お気に入りだったHOYAの縁なしフレームはもう製造終了しています。近距離用に買ったナイキのフレーム、実際にかけてみるとレンズ上部のフレームが太くて黒いので、眉の繋がったような間抜けな顔に見えます。室内専用なので外に出ることはありませんが、このデザイン選択は失敗でした。

・ふんぞり返り
椅子の背もたれに身体を沈めた姿勢で、腰からつま先まで伸ばした形になるので足への負担が小さくて済みます。身体を伸ばして胸元に本を置く読書時の体勢です。これが何故か呼吸器系に不調を起こします。鼻水が少量ながらじわじわ湧いて息苦しい、咳に痰が絡んで息苦しい、どちらも粘膜系がやられます。何げに出る量が多く、200枚ティッシュ一箱が僅か一週間弱の期間で無くなります。箱ティッシュ5箱セットが1ヶ月で消えるのは一人暮らしの消費ペースではないような気がします。だって摂取する水分が片っ端から粘膜通って逆戻りですから、床にこぼしたお茶をティッシュで拭き続けてるのと原理は変わりません。なんて資源の無駄使い。

というわけで何をどうしても私の身体は毎日痛みダメージは蓄積し崩壊して行ってる気がします。

だから急いでるのです。とりあえず手元の未読本は残り10冊を切りました。プラモデルも片っ端から組み立てて、この半年で150体組みました。今の出来の良いガンプラは比較的安価で高品質な素晴らしいものだということが理解できましたが、デザイン的には飽きました。元々ガンダムのデザイン好きじゃない私にどれだけ数を押し付けてもこれ以上好感度は上がりません。つか部屋のガンプラはモノアイ連中ばかりです。そもそも私は数年前までガンダムアンチだったわけで、Z・ZZ・逆襲のシャアやらガンダムセンチネルやら0083やらVガンやら、どれも大嫌いでガンダム・マクロス・パトレイバーが新作出て盛り上がるの横目で見ながら「青の騎士ベルゼルガ物語」を読みふけり、いつか、いつかきっとボトムズは帰ってくると鬱屈したものを抱えていた流行に乗れない周回遅れでした。そいで待っていたボトムズ新作の赫奕たる異端はなんだかコレジャナイとも思ったのだけどオーデルバックラーのデザインはかっこよかったので内容は気にしないことにしました。あの機体って版権こじれて出せなくなった青騎士系ATをTVシリーズ系のATデザインに盛り込んでみただけって気もするけど、ではなんでガワラデザインでなくブチメカ?とも思うけど、キリコ側アストラギウスでのゼルベリオスを作ってみました感は割と好きです。真ん中の縦長センサー顔とかにわざわざパイルバンカー・シールドを持たせるあたり意識はしてるのでしょう。現行機より強いよ、最新型だよ、エースパイロットカスタム機だよ、というコンセプトは毎回ボロいスコープドッグで戦うキリコとは対照的な位置にあり、実にケイン・マクドガル的だと思います。キリコだって本当はラビドリードッグというハイスペックカスタム機乗ってのだけど、ぶっちゃけ似合わなかったよね。結局ターボカスタムやバーグラリードッグ等ドッグ系に落ち着いてしまいました。

ボトムズの話ではなくてガンダムの悪口書くつもりだったのですが、よく考えたら私はファースト原理主義者で悪口書けるほどZ・ZZ以降は見てなかったわ。クロスボーンガンダムとガンダムダブルオーを見たけど他は知らないし、そのうえ一番好きなモビルスーツは?に「ハンブラビ」と見た目だけで挙げる節操なしです。


疲労度

2012-12-21 23:53:00 | 好き嫌い趣味
私の身体のパーツはもうだいぶガタがきていて、耐久度が低いです。連続稼働時間とか測ると明らかに以前より短いです。感覚器系の弱り方は深刻で、目が疲れると瞳孔が緩んでピントが合いません。病院では神経系の問題とか言われたけどそれだけでは無い感じです。だって同じに使ってるのに左右で消耗具合が違いますから。

元々、目に負担の多い生活をしています。四六時中モニタと本の文字を読み、最近は手元を凝視して身体の限界がくるまでプラモデル組み立てしてます。

現在のガンプラの水準があまりに高くて簡単にすごいのが組めてしまうので、合間に古いキットも組んで気分転換するのですが、そのつもりなのですが、正直なところ旧キット組むのってなかなかに大変な作業で気分が変わる前に身体が消耗してダウンします。

一昨日組んだのは1/144ティエレンタオツーと1/144ガンダムアストレア・タイプF。どちらもランナー4~5枚あってかなりのパーツ量があるのですが、組むのは楽。とても楽。直線面にランナー接続があるのでニッパーで切ってデザインナイフで2、3回削ればキレイになり、即組めます。関節部分はポリパーツでスムーズに嵌り、どのパーツも精度がすばらしく高いのそのままキレイに合います。つまり1パーツあたりにかける労力がとても少ないわけです。ティエレンタオツーにはごつい可動シールドが2個もありますが、気付けば勝手に完成してました。アストレアは別名・武器セットと言われるほどに付属武器が多く10個くらい武器がありますが、それでもあっという間に出来上がりました。

先程まで組んでいたのはドルバックのパワードスーツ。ハークとノーブ。マシーネンクリーガーをもっと簡略化したような格好してて、キットも単色プラのモナカ構造。大きさもパーツ数もガンプラの半分もありませんが時間は倍以上かかりました。
曲面ばかりの丸っこいメカなのでバリ取りもデザインナイフで何度も削って整えます。1箇所あたりに10回くらいは削ります。今の私はバリの引っかかりが病的な程に気になるため、この作業は手が抜けません。そしてパーツを組むとうまく合わない。関節軸が太すぎたり細かったりするのでまた削り作業が続きます。ナイフで削ってヤスリで削って、ようやく合わせて接着して、しばらくほっといて乾燥したら溶けてはみ出したプラを削ります。つまり1工程当たりの手間が段違いに多いわけです。そして出来た完成品は背丈10センチもありません。とても小さくて弱そうです。実際、弱いメカらしいです。ドルバックなんて私は見てなかったからコイツの活躍なんて知らないわー。
今まで、リガード、グラージ、クァドラン・ロー、ウグにジャーゴにデュラッヘにガッシュ、ゲバイにドラウ。丸っこい形のメカを散々組んだが、どうにも進行具合にムラがあると思っていたらやっと原因が分かりました。曲面主体のキットはゲート跡処理の手間がかかるわけです。

前日の成果と今日の成果があまりに違うので、理由を考えていたらやっと結論が出ました。3手間×50と10手間×25の違い、でしょうか。1工程の手間が多すぎて時間かけた割に進みが遅く、出来上がりもしょぼく、こんなに頑張ったのに報われなかったと気落ちするわけです。

そりゃな、設計時期に20年以上の差があるキットの出来を比べちゃいけませんな。

今日はもう左目がダメになってしまってまるでピントが合わないのですが、ここまでやった成果がこんなものかよとがっかりです。そのくらいドルバックのパワードスーツのキットって出来がしょぼい。



それでも前のバルキリーⅡよりマシだと思ってますよ。コイツはちゃんと腕うごくからな。立派なものさ。あれと比べたらなんだって許せるさ。


トラウマ排除

2012-11-07 02:37:39 | 好き嫌い趣味
長いこと放置していた積み漫画を崩す作業に入っています。

1年以上かけて続いた女神編が終わった「神のみぞ知るセカイ」19巻で一端区切りが付くのですが、これこのまま終わってもいいんじゃないの?素晴らしい完成度なのでここから続いていくうちに冗長になってグダグダになって転落、とか要らない心配をしてしまいます。ここまでの出来を見る限り、失敗は全くない計算され尽くした構成なので多分大丈夫だと思うけど、こんなにキレイに第1部完をやってしまうと今後のクォリティ維持のプレッシャーが大変なものではないかと余計な気遣いをしてしまいます。そのくらい19巻の締め方は素晴らしかった。読んでいて圧倒されました。私は割と本読みな方なので本を読んで圧倒された経験は今までに数度はあります。でもそれはまだまだ成長途中の若い頃の話。20歳になるまでに読んで圧倒された本が3冊ありますが、逆に言えばそれ以降は無い。無かった。ある程度人生経験も踏んでもう不惑と言われる年代に入った今年になって、こんな衝撃を食らうとは思っていませんでした。泣けるとか感動とかそういう枠ではくくれないインパクト。要するに、と頭でまとめようとしても何かが溢れ何処かが抜けてしまい、言葉に置き換えれない一枚絵。一枚絵と言ってはいけない。ここにくるまで何百というコマを使って描かれた「ちひろ」というヒロインの心情の行き着いて溢れ出した気持ちを描き出した最後の一枚絵。

たぶん、ここで私がどれほど言葉を重ねて書いても、近似値にはなれどあの絵の表現・説明にはならないのでもう止めます。

あのね、みんな翼が生えているのよ。自分以外は。好きな人は人知れず世界を背負って戦ってたのよ。みんなの運命も関わってたのよ。自分以外は。

だから惨めだとかそんな小さい話では無いのよ。彼女は図らずも凡人の身で世界の裏側を覗いてしまって、そこで出来ることをして、実際結構大事な役目を果たしてます。でもだからこそ自分の想いが届かないことがよく理解できるわけで。そして最後の涙はそれだけではない。言葉にはならない。




さて、積み漫画崩しの続きです。

「電波オデッセイ」
永野のりこの芸風は理系オタ男がちょいダサ可愛い女の子に惚れて四苦八苦するのが一貫していて、これもそのカテゴリなのですが、若干毛色が変わっていて主人公の女の子が現実の辛さに頭がブッ飛んでしまうとこから始まります。この作者、この作品とすげこまくんでやりたいことやり尽くして気が済んだらしく、以降あまり作品描いてないようですが、その分これらの作品には念がこもっています。キモくてダサくてヘボくてどろどろの暗黒の思春期をのたうちまわりながら過ごす、うんざりしそうな重いテーマを馬鹿馬鹿しくふざけて描くという珍しいスタイルなので、好きな人は大好きだけど合わない人にはとことん合わない漫画だと思います。元の発行部数が少なかったらしくしばらくレアもの扱いだったのですが、去年復刊されたのを買いました。私、これの元版の1,2巻は持ってたのですが売っぱらっちゃったのですな。なんというか他の永野作品と比べて重いし、話の進みも遅い。なので一度は切った作品。

で、読み返してどうだったかというと、「へっ」と鼻で笑ってしまいました。
多分、世間一般的な視点ならば内容的にはかなり良いのだろうと思うのですが、そう感じるだろう大多数には私は入らない。「みんな以外のうた」とか「永遠の仲間はずれの国」とか、入口からして既に狭いこの作者の作品世界において、さらに除外されてしまいました。要約すれば「貴方に幸せを」な話。この作者はデビュー時点で既に母親だったらしく、子を想う母の気持ちが根っこに込められていて、どんな人も祝福されているのよ、あなたは愛されているのよ、というテーマが読んでいくうちに現れて来ます。パッと見はマッドで怪獣でサイエンスだからそんな重たい漫画に見えないけど。
主人公たちは色々悩み苦しみ傷つくけど、それでも前を向いて進んでいきます。いろんなトラウマあるけれど、内面的に成長していくわけですが、これがそのなんというか個人的にはちゃんちゃらおかしい。
私個人に限って言えば、過去のトラウマは内面的成長ではなく、外部から力づくでぶちのめして克服してしまったので、実は愛されていたとか、廻りも辛かったとか、どうでもいいのです。別に親が愛さなくても、周囲が悩まなくても、子供は餌さえ食えれば勝手に育つからな。いちいち「私のこと好き?」とか「私のこと大事?」とか「私のこと覚えている?」とか気にしてても腹は膨れないぞ。辛い過去とかトラウマとか誰だってあるけど、今の御時世に大事に抱え込むようなものではないので、過去を知る人間とは縁を切り、恥だの未練だのは捨ててもあまり困らない。昔の知り合いなどどうでもいいし、おそらく向こうにとってもこちらなんぞどうでもいい。
過去にいろいろ人に言えない事をやってきた私ですが、それを今どうこうしようとかちっとも考えてないし、そういうのはとっくに関係整理して処分したし、服薬で一度システムダウンしたところから復旧した今現在の私は自分の脳みそにいかに快感を多く与えるかしか興味ありません。とことん分解してしまえば、脳というタンパク質の塊に神経を通じて「楽しい」という信号を送る作業を延々続けているだけなのです。こいつは結構グルメで贅沢だから同じ信号を続けて送っていると飽きて反応しなくなるので、多種多様な手段で手を変え品をかえ楽しませてやらないとダメなのです。そんな作業に追い立てられているのだから、トラウマとか悩みとかめんどくせえわ。自前のパーツがボロボロ壊れていってるのに「自分は愛されているのか?自分は何になりたいのだろうか?」とかのんびり悩んでる暇無いからな。このどんどん弱っていく頭のタンパク質の塊の微弱な電気信号が消えるまでにどれだけ遊べるかという問題で、他人の顔色伺ってる余裕ないわ。自分の部屋に未知の楽しさを埋没させたまま消えたくないじゃない。だからとりあえずは漫画読んで、プラモ組んで、力尽きて寝るのです。

なので、この漫画は主人公達にまったく共感できずに終わりました。お前らの悩みなんてどうでもいいわ。虐められてる?それがどうした。親に愛されない?だからなんだ。成人するまであと数年の我慢だ。虐めてくる奴はやり返せ。そんなわかりやすい攻撃、正当防衛の良い口実じゃないか。殴るという行為は単純なだけに効果は大きい。体格差は武器でカバー出来る。棒の一本あるだけでかなり違うから手始めに一人メッタ打ちにしてみればいい。各個撃破で根気よく全部やれば世界は変わる。未成年の間なら十分通用する。成人してからでもいいけどやるときは徹底的に。徹底的に。世間じゃまずオススメされないけれども、愛してくれない親を恨んで悩むくらいなら、親もボコっちゃっていいのよ。歴史を調べてみると親族同士で殺し合いなんて珍しくないから身内にコイツ殺してぇとか感じるのも割と普通のこと。ウチの親族も仲悪いしな。

他人とどう関わろうが、仕組みの中に収まって暮らしていれば生きていけるから今は良い時代です。多分親の世代では社会が不便すぎて共同作業が避けられなかったと思うので、私のような奴は生きていけなかったのでしょうけど。


もういいかい

2012-10-16 23:31:43 | 好き嫌い趣味
数年前に身体がシステムダウンして意識が薄くなっていた頃、あまりに具合が悪いので普段から割と死を覚悟しながら生活してて、実際色々な執着や関心が消えて、なにもかもどうでもいいやとか思っていました。やり残したこと、心残りなこと、まとめて気持ちが離れていって、ただ苦しまないで消えたいと思っていました。当時は「エヴァンゲリオンの新作観るまでは死ねない」とかくだらない事も言ってましたが、もうじきその新作が公開されるというのに私はあまり興味がありません。別に物語はどうでもいいから初号機大暴れ大破壊大殺戮が観たいだけのようです。いまだにダラダラ続いてる漫画版、そちらでも初号機は量産機軍団に負けたらしく20年も引っ張っておいて、未だに客の期待をはぐらかす展開にもううんざりです。とっくに単行本など売っぱらっていてもう読む気も無いけどな。

思い返すと2012年は私の「もうこれで気が済んだ」にリーチがかかった年でした。これがしたら思い残すことないという課題がいきなり半分位消化されてしまって、気持ちの整理が大分進んだので、棺桶に片足突っ込んでいた状態から両足揃えるスタンバイに入りました。

HGUC。ガンプラの話です。ティターンズのモビルスーツ、数年前から、あとハンブラビとメッサーラがキット化したら満足だな、もう買うの無いやーとか思ってたら今年ハンブラビがキット化されてしまいました。あとはメッサーラだけだ。あれが出たら買って組んでそれで終わりにしようと思います。ジムスナイパーⅡとかバイアランまでキット化されたのは嬉しい予想外でしたが。正直なところバイアランて変な形してて数ヶ月前までブサイクMSだと思ってました。買う気もありませんでした。でもチラリと見たサンプル写真で予定変更。バイアランの何が変てあの腋のバーニアのせいでおかしな体型になってるのですが、その写真は組み替えて胴体のすぐ横に腕が付いてる。それだけのことなのにすごいイケメンに見えます。この子は素材は悪くないのに組み方がまずかったのね。
この調子でバウンドドックとか出るといいな。ボリノーク・サマーンまでは頑張らなくてもいいけど。あとバーザムは元絵忠実にしてもカトキアレンジしても文句言われるだろうから商品化は無理だと思います。

ウルトラ怪獣シリーズ。今月ラインナップにアーストロンが入りました。前の劇場版ウルトラマンに登場したそうで、グビラ、ゼットンはすぐに商品化されましたがアーストロンは何も無し。当時はせっかくの新作出演なのにとがっかりしたのですが今になって新規造形で正規ナンバー入り。Exじゃなかったのね。このアーストロンという怪獣はデザインとしては大変シンプル。直立トカゲ型の旧恐竜タイプで頭頂部に一本角。見るからに怪獣らしいストロングスタイルの正統派です。似たような頭に一本角怪獣のブラックキングとかは上位互換のように一見思えるのですがあれは装飾過多でちょっと美しくない。アーストロンの現物も手に取るとちょっと目が大きい気がしたけど、新マンの資料で確認したらコイツは元々目がデカかった。初代の頃のゴモラやレッドキングの小さくて怖い目とは若干造りが違う、印象も違う。なによりボリュームが結構ある。最近のウルトラ怪獣は材料費をケチるせいか、たまにサイズのちっこい奴がいて、アーストロンも角で身長稼いでる分、全体が縮められてはいないかと多少不安があったのですが今回はそんなことはありませんでした。Exレッドキングなんて酷かった、腕が大きくなってるデザインのせいで相対的にボディ全体が小型化。通常レッドキングと並べられない程サイズが違いました。強化型のはずなのに全然強そうに見えません。悲しくなりました。
さて、アーストロンが片付いたので怪獣集めもほぼ満足。あとはムルチが出たら本当にもう心残りが消えます。
私の希望は、初代はゴモラとレッドキングで満足。セブンも恐竜戦車が出たので気が済みました。エースはベロクロンとバキシムが揃ったので十分。タロウ以降はどうでもいいや。だからあと欲しいのはムルチだけなんだよ。

でもバンダイのウルトラ怪獣事業部に、私の残り少ない命と引き換えに一つだけ商品化できる権利をもらえるとなったら「カイテイガガンを作ってください」と迷わずお願いするけどな。これが命の無駄遣いか奇跡の大快挙に見えるかは人によって違うだろうけど。