コロナ感染を抑えるために外出控える習慣は、友人と集まりゲームを楽しむ機会を減らしました。というか、無くなりました。会場を借りられないからです。
そこでネット環境を使い、オンラインでD&D4版シナリオを遊ぼうという企画に移ったのが6月頃、もうじき半年が経つのに私の参加は未だ1回だけです。
どうせ月イチでしか使わないからと安いヘッドセットを買ってきたら、最初に繋いだテスト時は普通だったのに、いざ本番ではマイクに酷いノイズが入って使い物になりませんでした。システムに不慣れなせいで、ゲームに使う能力値データを入力するそばからキャラクターシートの文体が崩れ、ゲーム中にもかかわらずバラバラに壊れてしまいました。何もかも上手く行かなくてどうにも苦手意識が根付いてしまいました。一つも成功体験無く、やることなすこと尽くが失敗したら抵抗感でるのは当然だと思います。
ここまでが環境の不備理由。
D&Dを遊ぶにはまず自分が使うキャラクターを作らねばなりません。なにその義務と役目みたいな言い草。TRPGはしたいけど、D&D世界にあまり魅力を感じません。シナリオ参加はしたいけど、動かしたいクラスがありません。
D&Dには昔からアライメントというルールがあります。性格傾向をルールに従って定義しないといけません。秩序/善だの、混沌/悪だの性格を決めつけられる窮屈ルールです。その善・悪は誰が決めるの?基準は何?背景世界の神様勢力に依って決まります。善の神様はどれだけ暴虐を働いても正義です。邪悪に危害を加えるのが正義だそうで。その絶対的な正義は誰が保証すんの?正義に疑問を持つなだって。自己申告のくせに。
私は曖昧な正義の善人達によって、常に悪役を負わされた経験があります。奴らはまずこちらをぶん殴り、その後から理由を付けました。理由付けに苦しい時にはより激しく殴り、より遠くから理由を探して来ました。それでも成り立たない時には私に理由を考えさせました。曰く「貴様の罪を数えろ」ですが、そんなものに心当たりがないので答えられないと、そこは己の不始末に自覚が無い罪悪とされ、さらにぶん殴られる刑罰を受けました。つまり善で正義を自称する奴らの獰猛残忍冷酷凶暴性を散々ぶつけられたせいで、私はそうした肩書を忌み嫌います。それが私の味方したことないし。善の正義は攻撃標的になる生贄を常時必要とします。周囲に悪役がいなくなれば、次は内部の立場が低い者から順次サンドバッグ役が移り変わるだけです。そんな共食いの価値観を臆面もなく標榜する善のアライメントなんぞ、関わりたくない、使いたくもない。ここでクラス選択はパラディンとクレリックが消えます。こいつらのパワーには神への信仰が条件ですが、そんな条件まっぴらごめんです。神様なんて拝まねえよ。どこの神様の救済枠にも私は含まれないしな。ましてやフィクションの神様でご利益はルールブック数行分しかなく、それも長いキャンペーンを耐えた先に僅かに起こるだけで、普段のホイミ屋やるのに窮屈な信仰ロールプレイまで要求されたくありません。
それで善属性は避けました。だからといって中立属性はいままで多数使っているため、欠点が見えています。中立は主張が無いせいで対立構図に乗せづらく、シティアドベンチャー系謎解きシナリオと相性が良くありません。敵勢力の目的が判明しても自分に危険が及ばなければ、わざわざ戦うメリットが無く、展開に依ってはストーリーから離脱しかねません。今回のシナリオは「とある街での宗教対立」を巡って通りすがりの冒険者が問題解決に奔走する内容なので、中立過ぎると介入根拠が薄くなります。誰かの利害関係に乗る必要があります。
ここまで書いたけど疲れたので今日は終わり。新キャラ作るのに大変難儀しているという趣旨だが、本筋に入れないままです。能力値もイメージもすげえ作りにくい。準備しないといけない素材が多過ぎ、ルールシステムが重過ぎ、そして歴史が長くサプリメントが多い割にはイメージが凡庸で貧しく、少し変化球なデータを作成するには不自由します。そこらに履いて捨てるほどありふれたファンタジーを遊ぶためのゲームで、凝ったことやるのに向いてないけど、そういや他のシステムはもっとありふれたファンタジーだったわ。相対的にまだマシだったわ。HFOはネタを過ぎてもはや蔑称です。また、エルフ・ドワーフ・人間・ホビット・オーク・ゴブリンの世界かよ。