続・トコモカリス無法地帯

うんざりするほど長文です。

7年後の振り返り・続きと終わり

2024-05-15 20:34:57 | D&D4版 キャンペーン回想

D&Dは筋は通っているが、血が通ってないゲームシステムなんで、業務的に戦闘して、時間あたりの平均ダメージ量や命中精度から、何時間後に戦闘終了するか概算すれば良いんじゃねとは常に思う。
所詮、手動ウィザードリィだし、シナリオにもサプライズ無く先の展開が決まってるし。勝利か敗北だけ。


D&Dでも物語性を出せるとは思うが、他にもっと容易に演出できるシステムがあるのでは?と常に疑問がある。
少なくとも、D&Dで映画「ゾンビ」「ジョーズ」「トレマーズ」「ドラキュラ」は再現できなかった。
おそらく「指輪物語」「ドラゴンスレイヤー」しか再現できない。
そういやD&Dルールだと「ベルセルク」も再現が出来ないんだよな。狭義の「剣と魔法のファンタジー」に特化し過ぎて汎用性がまるで無い。

D&D4thについては、誰が何を言おうと私自身がロールプレイ皆無、能力値判定だけで8年間のキャンペーンシナリオを乗り切った実績があるので、あのシステムにキャラ設定は不要だよ、能力値と装備のダイスと修正値を正確に書いたパワーカードだけ用意しとけ、としか。あとはNPCを全員倒すだけだ。

 

自分にとってD&D4thへの悪感情は、怨念みたいなもので、キャンペーン中ずっと小さな抑圧と無関心と屈辱が8年続いて、内面に鬱屈が蓄積していった結果なので、思い返して原因をほどかないと精神を蝕む毒が消えない。
当時は自覚できなかった、というよりメンタル不調から感情に自信がなかった。

自分のメンタルは弱っている、だから自分の判断は信用できない、そうして常に自分を疑っていた。そこに付け込まれ屈辱的な扱いを受けても、自分がおかしい、相手が正しい、と認知が歪んだまま耐えてしまった。苦しいや嫌だと意思表示する自信が持てなかった。
周囲に見える表情を真似て合わせた。

今はわかるんだよ。D&D4thキャンペーンでは、私の地位は最底辺で、卓に参加させてもらっている身分だから、楽しくなくても黙って耐えて、嫌な場面でも笑って迎合した。それで、こいつは文句言わない地蔵だから、意思を汲み取る必要が無い、と判断された。ようは侮られ舐められていた。

最終的に自キャラを殺しながら参加したのは意地だったのだろう。あの世界を壊してやりたかった。だから最後は巨大ロボになった。これまで何も主張せず最後に出番をもらえたのはお情けだろうが、その1回でファンタジー世界を壊すのには十分だった。あれは私の爪痕だ。

今ははっきり理解できる。私はD&D4thが大嫌いで、キャンペーン終了翌日にルールブックを全て売り払った。こんなゲームの本など1日も長く自室に置くのはまっぴら御免だった。D&D4thなど嫌な記憶の象徴でしかない。

あまりに反社会性の強い言動ロールプレイに、おフザケ混じりにやんわり指摘したらブチ切れられた思い出。あれはつまり、私相手ならブチ切れても大丈夫な相手と侮られていたわけだ。
GMは「卓で一人だけ盛り上がっている状態はまずい」と言う。だが私だけ地蔵状態が8年続くのはOKなのだ。

度が過ぎたひきこもりだった自分にも大きな責任がある。何年も被差別感の毒を消化出来ずに引きずるくらいなら、場所に固執せずD&D4th以外の現代モノを楽しめる環境へ移るべきだった。どれほど精神的に弱り活力がなくても、自分の呼吸する場所は自分で探さないといけなかった。反省と後悔ばかりだ。

つまり、何が言いたいかといえば、TRPGで相性の悪い卓に参加し続けると心身を病む、てこと。
楽しいセッションは心身をリフレッシュ効果があると思うけど、逆もまた然りなのだ。
世間で評判だから、皆が褒めているから、と迂闊に参加したTRPGで後遺症が残るくらい嫌な思い出作りもあり得る。

冷静になって思い返すと自分の参加してるゲームサークルはなかなかに排他的でメンバーの入れ替わりが極端に少ない。皆が馴染みで気安い反面、いちいち注意を向けないので、1人がダウンしてても気づかないズボラさがある。

私にとってD&D4thキャンペーンシナリオが苦悩の記憶なのは事実だが、一方で「異物」の在り方を掘り下げる稀有な機会だったとも思える。
凡人が強迫観念に駆られ、おぞましい異形へ変貌していく物語の中の人として参加した。自分を疑い、自分を削ぎ、自分を捻り続けた8年間は無駄ではない。

D&D4th のデザイナーから「クラス:レンジャー」は疎まれていたんだろうな。
大ダメージで戦闘が早く終わると、魔術師同士の戦場操作に魔法の応酬を繰り広げる、MTG的戦闘の見せ場が消えちゃうもんな。
1回の戦闘が長引くように、HPの高い「ソロ敵」ルールまで設計されてるし。
邪魔して悪かったよ。


ウチの卓GMはティアマトのフィギュア持ってるから、ちょくちょくキャンペーンのラスボスにティアマトが来るらしいのだが、私はティアマトと戦ったことないし、他所だと頻繁にティアマトさんを倒したり組んだりとお世話になるので、できれば敵対したくないティアマトさんと地上戦艦ティアマット。

 


D&D3.5版から4thへ移った時、卓メンバーごとに見える世界がまったく違っていたと判明。
前衛職PL:攻撃役と防御役に分割されて能力半減
魔術師PL:儀式魔法が簡単になり自由度拡大
クレリックPL:リソース管理するのは今までと同じ
そりゃ見解も感想も一致するわけがない。


D&Dはボス敵を倒せばOKなので、地下に突っ込み大型モンスターを倒す繰り返しで作戦は不要派だったが「赤い手」シナリオは作戦が超重要で、その後の「恐怖の墓所」はやはり作戦不要だったので、振れ幅が極端なんだよ。頭使って肩透かし、無策突撃で大怪我、とタイミングが悪い。

D&Dでこれまで遊んだシナリオを振り返ると、低レベル向け公式シナリオは自分に地雷らしい。誰が遊んでもダイス目意外は同じ展開になる単純戦闘なので、誰か私の代わりに遊んどいて。そしてレベル上がったキャラをコピーさせてと思っちゃうんだな。レベル上げ作業大嫌い人間なので。

私は調査・謎解き・戦闘準備大好き人種なので、解くべき謎も由来も因縁も無く、偵察も索敵もなく、対応策を取る時間も予算も資材も得られず、頭空っぽにして相手かまわず無差別に突撃を繰り返すの、退屈で飽きるんだ。それPLが手動でやらなくてもよくね?

つまり、D&Dの公式低レベル向けシナリオは50年間まるで進歩が無く、ファミコン前の感覚のまま現代でも時代錯誤シナリオを作ってる。
ダンジョン探険!
モンスター出現!
・コマンド
  戦う
  逃げる
勝利!宝箱発見!20GP手に入れた!
これを手動でやってる。
最近はポリコレを取り入れたらしい。

おそらく自分はTRPGが好きだけど、手作業ファンタジーのルールでは意思決定が結果に反映しないので、進行を他人任せにして思考放棄する習慣が出来てる。勝手に進めといて、出番来たら呼んで。って態度。
逆に現代モノだと周囲に驚かれるもん。普段の鈍重ぶりが嘘のようにアクティブだから。

自分がD&Dを苦手と公言して憚らないのは、単純にゲームシステムが重くて処理が面倒だから。そして面倒な割に効果が薄い。覚える努力に対して実入りが少ないし、ルールが複雑で難しい。魔法の種類が多すぎて覚えきれないし、使う場面を予想して準備するのも理不尽難易度。

昔に追加ルールの「武勇の書」を購入したが、参照したのはハードカバー本内の1ページだけだった。買って損した。値段分の価値は無かった。その金を別の趣味に当てたほうが有意義だった。売却時にそこそこの値が付いたのが救い。
頭の悪い私ではD&Dルールを理解出来ず、持て余します。

Q:ダンジョンズ&ドラゴンズに物語を求めるのは間違っているだろうか。
A:間違っています。素直にCoCでも遊びましょう。

Q:ダンジョンズ&ドラゴンズにロールプレイを求めるのは間違っているだろうか。 
A:間違っています。素直にCoCでも遊びましょう。
ロールプレイは時間ロスになり、時間内にゲームが終わらない弊害があります。戦闘処理が重く時間がかかるため、無駄な雑談はお勧めできません。

以上は悪意を込めた冗談だが半分は真実で、判定能力値さえあれば、ロールプレイだのキャラ描写だの一切せずにクリアできるからな。要は敵を倒せる能力数値さえあれば、ダイス判定を続けるだけで、どんなシナリオでも勝利クリアできる。私はやり遂げた。能力値が本体、ロールプレイはノイズ。


TRPGプレイ配信動画で、地蔵PLだけでクリアするキャンペーンシナリオ動画が成立するなら興味が湧く。私は出来るほうに賭ける。毎回ダンジョンに潜りモンスター退治を20レベル分続ける。私は30レベル分やった実績がある。
大抵のTRPG配信なんてクソ寒い内輪ノリで、即ブラウザバックすんだけど。

以前にTRPGを広めるようないっぱしの格言持ちみたいなアカウントが、TLで講釈たれてたんだけど、その人のプレイ動画を見に行ったら、内輪ノリのグダグダで全然話が進まない未完動画で呆れた覚えがある。
私のような地蔵PLから見ても冗長で退屈なプレイ動画だった。なにあれ?何のアピール?

 


自分がD&D4thへ持つ偏見の一つは3.5版との比較のせいだが、それは単純にクラス役割の視点違いなので当然と納得した。もう一つは「自由度」の低さだ。しかし自分から見て恐ろしく自由度のない窮屈システムが、一方では何でも出来る万能感すらあったとの意見を聞いた。

自分がD&D4thへ真に絶望したのは「恐怖の墓所」だが、あれは敵がアンデッドと判明しているのに、一切のアンデッド対策がルール的に禁止されており、いつも通りに突撃しかできない点が不満だった。レベルに応じて入手可能アイテム制限があるから、無為無策突撃以外の行動が取れない。

実はD&D4thをアイテムで攻略するのは下策で、もっと手っ取り早く解決する手段があった。あのゲームでは魔法が最も低レベルから使える特別な技術であり、困難な場面を魔法で解決するように設計されている。つまりマジックユーザー以外の方法で攻略は実現不可能。魔法以外の実用性を潰してある。

消去法で魔法を使わざるを得ない程に、ルールにあるアイテムは使えない。欲しい時には入手出来ず、入手できた時には弱くて役に立たないからだ。だからD&D4thは魔術師あがりのゲームデザイナーが魔術師キャラに向けて設計したシステムなのだろう。そこで脳筋前衛クラスの不平不満など考慮にない。

当時は対戦カードゲーム隆盛の勢いが凄まじく、D&D4thのシステムは影響されたのかTCG寄りの作りに感じた。特にリソース管理作業。そいで安直に術師と前衛を同じリソース管理へぶっ込んだ。
術師は要所で大技・小技のタイミングを探せばいいが、前衛はそうはいかない。常時、安定した戦力維持が要る。

つまり、D&D4thで魔法レス前衛クラスは実践場面を想定されていない。攻撃なら魔法絡めて斬るヘクスブレード、防御なら魔法絡めて守るソードメイジが強い。魔法に背を向けた時点でD&D4thPCに人権はない。ドワーフだったんだけど。
これに気付かず8年無為に過ごした自分は愚かでした。

以前の自分はD&D4thを「指輪物語」しか再現できないと揶揄した。違うのだ。魔術師キャラなら魔法を使って「ゾンビ」「ジョーズ」「地獄の黙示録」などあらゆるスタイルでシナリオを遊べたのだ。魔法で。
いや、地獄の黙示録に魔法はねえわ。台無しだわ。

D&D4thは魔術師キャラが活躍できるよう、戦場がめまぐるしく変化するタクティカル戦闘ルールが優秀らしい。らしい、と実感が伴わないのは4thの戦闘が非常に「遅い」からだ。処理が重く遅々として進まず、敵が頑丈で倒れず、何時間経っても終わらない。1回の戦闘で空振り・不発からの停滞時間も長い。

ここまでD&D4thで魔法が偏重されてると書いてきたが、真に肩入れされているのは、実は魔術師ではなく僧侶だと考える。後になるほど戦闘難易度が上がり、こちらの攻撃は当たらず敵の攻撃が全弾命中なんて事態が頻発する。ならば勝負を決める要因は、攻撃力でも防御力でもなく回復リソースだ。

プレイヤー本体の耐久力と集中力をジリジリ削るような長時間戦闘を制するのはクレリックの回復力次第。これが高いと、強い敵でも時間をかけた持久戦に持ち込み勝てる。勝てるが、その作業感の連続にプレイヤーが耐えられなかった。私はもう動けません、この戦闘はいつ終わるの?効率化できない?

あとは、たまーにPVPしたくなる場面があったけど、長期キャンペーンに良い影響ないので抑えたことがある。大人なので納得しなくても黙る場面くらいある。
ちなみにD&D4thにこれだけ文句言いながら、キャンペーン終盤では一番シナリオを楽しんだPLの自覚もある。

自分はD&D公式シナリオを全然信用して無くて、整合性ない敵とマップデータの寄せ集め、ダイスを振って減らす数値の羅列だけだと思ってます。いまだ脳内が西部開拓時代で止まってる米国人が、安易に考えた虐殺と略奪しか娯楽のない世界のシナリオです。
ただし「赤い手は滅びのしるし」を除きます。

 


長年のTRPGゲーマーだけど、自分の主食は「現代舞台:謎解き推理系ホラーシナリオ」なので、ハイ・ファンタジーしか摂取できない環境が長いと定期的に吐き戻しが出る。消化できないから許容量超えると拒絶反応が出る。
最近少しアクティブになったから、CoCが遊べる環境を探そうと思う。


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7年後の振り返り

2024-05-04 22:25:18 | D&D4版 キャンペーン回想

もう世間でD&Dといえば5版であり、4thなど過去の遺物となりました。4thキャンペーン時期の遊びにくさに困り果て、キャンペーン終了翌日にルールブックを即売払に行ったのも笑い話です。

ただ、このD&D4thに対して、なぜこれほど強烈な抵抗感を覚えるのか、2017年記事の振り返りでも原因に到達出来ていません。認知が歪んでいたからね。
さらに7年経過して、現在の私は当時からかなり回復しています。


今なら理解できることですが、TRPGは自分にとってはホビーではありません。自分は医者から解離性障害の診断を受けるくらいには壊れメンタルで、この正常に機能しない人格を補助する客観視点の複数思考を内部に何人か作っています。TRPGを遊ぶ時には最初にキャラクター作成を行うが、あんな感じで自分内に役割を持つ思考パターンを作ります。もちろん作っただけでは機能しないので、何処かで実際に動かし行動モデルを作って自分へフィードバックします。大げさに書いているが、要はおフザケの種類を増やして、自分を直撃しそうな対人衝突を軽減したり躱せるようにトレーニングするわけだ。

そして、それまでTRPGを通して社会的な姿勢を擬態するスキルを学んでいたわけ。コミュ障にもほどがある、そんな限定された環境で非生産的な遊びで社会スキルなど身に付くわけがない、との説もあるだろう。
むしろそれが当然だが、自分の養育環境はどうも一般的ではなかったらしく、生来の気質も加わり、成人した頃にはすっかり人格破綻者だったので、後から娯楽を通して真人間に近づけるならやって損はありません。実際それで大分マシになってます。だってこの趣味がなかったら自分はとっくに塀の中、それどころか処分済でもう居なくなってる率が高いです。秋葉原無差別殺傷事件の犯人と生い立ちが非常に似ています。だから私だって何時やるかわからない人間だったし、実際に親族からも「おまえ、今までよく犯罪起こさずにいてくれたな」と感謝されてます。でも、これから起こすかもしれないやん、安心するのまだ早くね?

それはさておき私の場合、TRPGてのは自分の正気を保つ命綱なわけで、他のホビーゲーマーとは深刻度合いが違います。ここでしっかりキャラ育成しておかないと、何かのはずみに本体がホムセンで刃物を買い込み武器を拵えて、いつ人混みへ突撃するのかわかりません。自分に暴力を悔いる発想がない人間の自覚があります。相手が誰であろうが、どれだけ死傷者が出ようが一切気にしない性分です。そういう人達に育てられたので、自分も同タイプに育ちました。あの人達は常に「自分は悪くねえ」と言いながら人をぶん殴っていましたが、私はいつも悪役として殴られていたので、悪役にふさわしい行動をするべきでしょう。先に罰を受けたのでこれから罪を犯さないと割に合わない。また話が逸れた。


D&D4thのキャンペーンシナリオ中、私は鬱病ど真ん中であらゆる機能が低下していました。鬱は心の風邪とも言われ、珍しくもなくなりましたが、症状を軽視されがちです。メンタルがダウンしただけで、身体に不調をきたしているわけではない、は認識不足で精神が病むと身体も腐ります。周囲の情報を感じ取る神経が参っているので、適切な体調管理ができません。体力がどんどん落ちて抵抗力が下がります。不摂生がたたり次々と病状が発生悪化を繰り返します。私もこの期間にいくつも持病を発症し、健康診断の検査数値は目も当てられない酷い記録を毎年更新していました。

だから自分で自分を信用できなくなります。

自分がおかしくなっている自覚があるので、他人と意見が食い違った場合に、まず疑うのは自分です。

D&D4thキャンペーンシナリオ中、楽しい場面がほとんどありませんでした。苦痛を感じるほどネガティブな経験ではないが、ポジティブになれるプラス要因の供給がほぼ皆無。メンタル維持のために習慣的なTRPG体験が必須だけれども、そのTRPG中はずっと息を止めて我慢しているのに近い感覚です。でも周囲は楽しそうにしているので、楽しくない自分は何かおかしく間違っているはずだから、と頑張って楽しいフリを続けました。


D&Dは版ごとにシステム処理が大きく違い、特にそれまで遊んでいたD&D3.5版と4thでは、全く別ルールと言って良いでしょう。特に前衛クラスの運用方法が激変しています。かなり悪い方向に。ぶっちゃけ3.5版の前衛クラスの役割を「攻撃役」「防御役」と2~3分割してしまった4thでは、前衛物理クラスがとんでもなく弱体化しており、同じ働きは見込めませんでした。

結果として、私が使ったクラス「レンジャー」は一日一回の大攻撃を撃ったら、あとは小パンチでちまちま凌ぐしかありません。その間に他の術師キャラ達が状態異常範囲攻撃の応酬を繰り広げるのですが、これの処理が激重でした。1ターン6秒の処理に約1時間かかります。夕方7時前に始まった戦闘が、10時になっても終わらない事態がザラでした。その間、私は約1時間待機して、小パンチ打ち、また1時間待機の繰り返しです。そして、これを楽しいと思わない自分を責めていました。自分は頭がおかしいから皆が楽しいモノを楽しめないんだ。だから早く治せ。

んなわけないだろ。1時間やることない退屈を楽しめる人間なんて存在しません。退屈が苦痛となるからこそ、何も出来ない「禁固」て刑罰が存在するのです。つまり私にとってD&D4thキャンペーンシナリオは一種の刑罰効果がありました。人格の保全セラピーを目的にTRPGに参加して、逆に蝕まれて帰宅する期間が約8年続きました。後半になるとD&Dには期待せず、単純に人とコミュニケーションを持つ機会維持のために参加してました。

当時の自分はコミュニケーション鎖国状態で、他人と話す機会がゼロでした。好き好んで鎖国化したわけじゃないけど、あるトラブルから周囲の人間関係がすべて破壊されてしまったので、それ以前の人間関係のツテを頼って古巣のゲームサークルへ出戻りして、コミュニケーション確保しました。

ここまでが、使用クラスの性能低下と、自分の生活環境が悪かった話。
後の問題が参加シナリオ内容、そして参加メンバーとの相性です。

キャンペーン初期にはシナリオ「雷鳴山の迷宮」を使用しました。これに関しては個人の好みの問題ですけど、私はこのシナリオがまったく楽しくありませんでした。でかいダンジョンに潜ってモンスターと戦うだけのシナリオなので、21世紀になってまで、どうして休日にわざわざ手動のウィザードリィをしてるんだろう?と思ってました。そんなの携帯ゲーム機のダンジョンRPGやってるほうが処理早いし正確だしテンポ良く進むし、何一つ勝る要素が無いだろう、とも思っていました。皆が楽しそうだから仕方なく混じってるけど、単調なぶっ殺し作業の繰り返しに飽き飽きしてました。物語性が皆無だよね、誰がやっても同じ内容だよね、退屈だから先にダイス数値あげとくんで、待ち時間中はDSでメタルマックスしてて良いスか。そんな腐った態度で友人関係壊したくないので、黙って参加してましたけど。

でも、あまりに何時までも果てしなく続く遭遇&皆殺し作業にうんざりしてきた時に、一人くらい生かして返しても良いのではと発言しました。PCパーティーはここまで出てきたNPCを全員殺してきたので、シナリオ内の人間関係が皆無でした。誰も彼も故人になっちまうので人物相関図に線を引けません。じゃあ見逃すか、と死なずに済んだNPCはハーフリングの「レンディル」でした。彼は後のシナリオ内で商人として登場します。私が助けなかったら死体の1つになってました。
ただし、これは非アクティブな私が稀に動いたレアケースの結果であり、その後も一行は皆殺し行脚を続行し、NPCを存命させても物語が変化しない無駄行為だと私が学習したので、雷鳴山は名無しモンスターを駆逐して終了しました。自宅でウィザードリィのほうが楽しかったんじゃないでしょうか?私はウィザードリィも単調で面倒なゲームだと思うので遊びませんけど。

次に迎えたシナリオは「シルバークロークス戦記・巨人族の逆襲」です。こいつが個人的に大問題シナリオ。敵が強くて歯が立たない。敵の巨人族は「プライモーディアル」という荒れ狂う自然の権化であり、全員デカくて重くてタフで頑丈。つまり1発2発殴ったところでぜんぜん倒れない。ただでさえ硬くて攻撃がヒットしないのに、HPもやけに多いから、どうしても戦闘が長引き時間がかかります。この硬くて頑丈な敵とD&D4thシステムの相性が最悪です。
D&D4thのアタッカーには
・大攻撃:1日1回
・中攻撃:1遭遇1回
・小攻撃:回数制限なし
の3種類の攻撃方法があり、大・中パンチを使い切った後はしょぼい小攻撃を続けるしかありません。ただし巨人族は硬くて防御が高いため、常に大パンチが命中するとも限りません。むしろ数値的に外れる確率が高いので、一瞬だけ命中が上がる修正を足して、当てられる瞬間に目一杯の火力を叩き込まないといけません。でないとずっと微々たるダメージの小パンチを繰り返し、時間切れまで待つだけです。もう無理。この戦闘はつらいだけで楽しくありません。
何か打開策は無いのか。ありません。
強力なアイテムは入手できません。高価だし、入手手段もない。
レベル上げて物理で殴れば。レベルを上げるために目の前の巨人を倒しましょう。
これは修行です。心を無にするのです。無になれば苦しみは消え去るでしょう。
TRPGは娯楽でホビーなんですけど。

ここで苦しいのは私だけですか?私だけのようです。他メンバーは全員楽しそうに笑っています。
ああ、やっぱり自分はおかしいんだ。楽しいと感じるべき場面に楽しさを感じない、メンタルの摩耗を早急に治すべきなんだ。楽しめなくてごめんなさい。

他PCはどうして楽しいんだろう?
理由を考えました。NPC殺せるから?他PCには宿敵NPCがいて、たまに襲ってくるのだけど、他所の家庭事情なので率先して潰しに行く気にもなれず、ドラウなので普通に殴っても変な魔法で防がれそうなので、やはり関わりたくありませんでした。
パーティーが世界を救うシナリオ展開にも強い違和感がありました。だってこのチーム全員、連続大量殺人犯だよ。今まで虐殺と略奪しかしてないのに、どういう展開で役目に選ばれたの?ぜんぜん納得いかないし、物語として破綻してますよ。

この頃、ゲームマスターから「キミはパーティー内の人間関係を疎かにし過ぎだ」と指摘されています。当然ですよね、チーム内に個人的な誼を結びたい人物が一人もいませんでした。全員が自覚なき快楽犯罪者で一人も好感を持てません。なかでも特にウィザードPCがすげー凶悪・残忍・獰猛。闇ドワーフの武器屋に押し入り、因縁つけてぶち殺し売り物を持ち去る。ただの強盗殺人なんだけど、そういうロールプレイを好んでやる。出会ったNPCには居丈高な態度で罵倒し、反抗的ならば襲いかかり殺害、穏当な態度ならさらにカサにきて罵り挑発し、やっぱり最後は殺害。味方ポジションに居るけれど好意的に見るには厳しいDQNキャラ。このPCのせいで拗れた交渉が無くもない。
そういうクレイジー行動による面白キチガイ系ギャグなのかなと思っていたのだが、後の食事時にそこを笑いネタに取り上げたところ、ガチ切れされました。もうマジで唇震わせながら本気で怒ってるの。いや、怒らせる目的じゃなかったんで、すいませんでした。あれギャグやネタじゃなく素だったのね。なんかいろいろごめんなさい。

あと、今にして思うとこのキャラのPLさん、ややパワハラ気質があって、私にアタリがきつかった。言葉でぶん殴っても良い相手だと考えられていたフシがある。当時の私は精神が摩耗していたので、悪意や嫌味に鈍感でよほど直接的な物言いされないと気づかない状態だったが、それでもカチンとくるような発言をいくつか受けている。
「は?ふざけんな」
「一人で勝手にやれや」
わかりました。一人で勝手にやります。
当時はあれが正しくて、言われる自分が悪いと考えていました。そんなわけないだろ。今は違います。あのPLさんがチンピラ過ぎたのです。

このPLさん、私とあまり相性が良くないうえ、無意識に舐めてるところがあるので、後のキャンペーンでも私のPCへ殴る罵るを繰り返しました。私のPCに対してだけ執拗に苛烈な罵倒を繰り返した場面がこれまでにも3度あり、ロールプレイにしても不愉快でした。私の行動で負けや失敗が起きた落ち度場面ではないのに、罵りチャンスがきたのでこれ幸いとばかりに目いっぱい罵倒してきました。本人的に面白ギャグのつもりだったらしいけれど、女性にセクハラ、男性にパワハラと不快行動ばかりが目についたんで、はっきり拒絶しました。そういうのいらないです。もう関わりたくありません。
現在は、そのPLさんも私生活が忙しいようでゲームに参加しなくなっていますが、このまま戻ってこないと助かります。

それはさておき、シナリオ後半にさしかかり、そのPCが私に言いました。
「ホロブン(私のPC)はわりと(言動が穏便で)まともだよね」
そりゃあ弱い者イジメ好きな貴方とは違いますけど、コイツの周囲に喧嘩売りまくるチンピラロールプレイの後始末を、私が殺して片付けるのが虚しくなってしまい、そこからシナリオ参加意欲が消えました。

以降、私はキャラへの愛着も消え、そもそもドワーフなんかに興味ないのに今後も続くドワーフ・レンジャー使用の放棄を考え始めました。TRPGは習慣として続けたいが、D&D4thでレンジャーを続けても満足感を得られない気がしていました。
その頃から私のPCの解釈と運用が、自己否定方向へ逸れていきます。具体的にはこの辺で書きました。自分を自分でなくすために、自己のアイデンティティを削ぎ落とす発想が常軌を逸しています。
自分向けではない(not for me)卓だけど、皆の役に立ちたいから
自らの顔を剥ぎ
容姿の特徴を捨て
会話を放棄し
無機質な最高性能を目指してキャラビルドの組み直しです。これは実情的に「キャラクター記号の解剖と組立」という人格個性を潰して役割に固定する、おぞましい過程なんだけど、当時は自覚がありませんでした。作り直した結果には満足してますけど、キャンペーンシナリオ参加姿勢としては褒められたものではないでしょう。チーム内メンバーへ明確に背を向けた意思表示をしています。それも裏切る・敵対するといった行動ではなく、おまえらは会話するに値しないという態度です。
結果的に「精神異常者」のキャラクターRPを8年続ける機会を得られたので、実入りが皆無とは言えません。なかなかにレアよね。

こうして振り返ると、D&D4thにはシステム的に前衛クラスの能力が分割・減少したデメリットと、キャンペーンシナリオ全体が物語性に欠け単調で退屈だった点、加えてパーティー内メンバーとの相性が悪く、最後まで愛着のわかない奴らに囲まれていた、三重苦状態が8年続いたので、すっかり忌避感が定着してしまったのも無理ないと思います。

後のオンラインセッションで、4thルールを遊んだシナリオもあったけれど、そちらも戦況は惨憺たる内容で、戦闘が苦しかったことしか覚えていません。あとやっぱり物語性は皆無で、ルールに制限があり物資や戦術の工夫を取り入れる余地がなく、毎回手持ちの武器を振り回して突撃するだけの繰り返しだったので、私にとってD&D4thは口頭・手動で行うウィザードリィにも劣る、自由度の無い窮屈ゲームシステムの評価が確定しました。
D&DのNPCは遅かれ早かれ殺して経験値とドロップ品に変えるから会話時間がもったいないんだ。情報を聞いたって武器を構えて突撃以外に選択肢ないから無意味です。

D&D4thのルールシステムは、おそらくカードゲーム素養のあるPL向きなんだよ。全ての行動がパワー・カードで管理できるからさ。場面に応じてカードを切っていく遊び方だけど、おそらくシステム設計者が当時に流行ってたTGCに寄せすぎた。魔術師PLの発想で構成されているので、前衛クラスの巡航火力維持という発想が無く、術師による互いのカードで戦況のひっくり返し合いを想定しているフシがある。だから戦闘は長ければ長いほど、カードの差し引きによる見せ場が増えるし、一方で敵を瞬殺してしまう高火力は、魔術の駆け引きが起こる前に戦闘が終わるので忌避される傾向です。単体の敵を囲んで袋叩きにする場合でも「ソロ」敵ルールが適用されて、敵HPが爆増するのでやはり戦闘が長期化します。両手武器がダブルでクリティカルヒットしたのに、敵が平然としてるんだぜ。包囲してる側なのに、戦闘が終わるまで生きていられるのか不安になりました。加えて、後々のエラッタ修正でアタッカーの火力がどんどん低下していくんだよ。ゲームデザイナーの「マジックユーザー以外は客にあらず、物理がやりたきゃ家庭用ゲーム機で無双ゲーしてろ」という思想を感じます。

その後D&D5版にシステムが変わっても、しばらく「しょせんD&Dごとき化石ゲームにウィザードリィ以外の何ができるんだよ」と馬鹿にしていました。今でも毎度毎度、ヒューマン・エルフ・ドワーフ・小人に戦士・魔術師・僧侶・盗賊と、50年経っても同じ面子で進歩がないと半分くらい馬鹿にしてますけど。同じ行為を違うルールでやるだけで目新しい要素何もないからね。
それでも5版はシナリオ中の会話が後に影響する展開があるので、4thのNPCぶっ殺し作業繰り返しよりも、ずいぶん楽しくなりました。


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