D&Dはキャラビルドのゲームだと思います。前にも言ったような気がするけど。
キャラを組み立て、実戦で能力を試し、報酬を得て、さらに強化し、いつか到達する理想の領域に着いたとき、晴れの舞台としてのラスボス戦が存在する、キャンペーン前提ですが私のD&Dへ求める遊び方はこんな感じです。
ぶっちゃけメタルマックスと基本的に変わらないのでは。
んで、今回はそのキャンペーンで最も怖い「キャラの死」について思うところをつらつらと。死ぬこと自体はそう大きな問題ではないです。元々死にやすいシステムだし、復活の手段もいくつかあるし。では、なにが問題かというと「成長が確実に遅れる」ことです。
成長=強化なので、成長の遅れはそのまま、平均からの弱体化になります。
死ぬ>レベル下がる・報酬が入らない・経験値が減る>他のメンバーより弱くなる
敵さんはだいたいPT全体の戦力を見て投入されますから、他のメンバーには良くても、弱体化した自分には大問題ということが有り得ます。それでまた死んだりして。
本当に恐ろしいのはこの弱体化ルート、落ちていくことはあっても、上に登ることは絶対に有り得ません。弱体化スパイラルに嵌まったら、ひたすら落ちるだけの一方通行です。
昔のシューティングゲームが後半面で死ぬと、パワーアップが全部剥げて初期状態から復活し、実質そこで終了となっていたのによく似ています。
絶対に挽回できない差が偶発的に発生し、それの回避方法は運しか無い。それが怖い。そりゃー死なないように最善の手は尽くしてますけど、それでも最後に決めるのはサイコロ様ですから、死ぬ時は死ぬ。あとは死んだことで発生した弱体化の幅を、許容できるかどうかの問題になりますが、私は心が非常に狭いのでほんの些細な幅でも我慢できません。
最強厨だし。マンチキンだし。
だいたい強くするために休日出かけてるんだ、逆に弱くなってきてどーする。家で寝てたほうが有意義ではないか。
じゃあ、リセットして新キャラで…という場合も弱体化ルールがあるらしい。振り分ける能力値ポイントが減るとか、経験値が他メンバーより低くスタートとか。やってらんねぇ。
これじゃ何がどうあっても、最初のキャラクターを絶対に死なさずにキャンペーン進めていく他ありません。もしくは、自分が死んだら他のキャラにも全滅してもらって差をチャラにする。その場合、持ってる財産が敵に奪われる?知ったことか、新キャラで別キャンペーンだ。
このルールのせいでPT内の差が大きくなりやすいシステムだと思うのね、D&Dって。そーゆーものだと言えばそうなんだけど、強いPCはますます強く、弱いPCはますます弱くなる問題点を後押ししてる側面もあると思います。もちろん毎回シナリオ対策済みPC使い捨てプレイ防止の意味があるのはわかるんだけどー。
D&Dは基本的に後から入る人間に厳しくてさ、途中参加は経験値低めからスタートとかハンデを背負っての参入になる。「俺らのキャンペーンに参加したけりゃ、このくらい我慢できるだろ」という足元見られるような条件。そんな時代錯誤な試練ごっこまでやってまでからでないと、たかが「遊び」に入れないなら要らないとなるわな。私はなる。
老害が幅を効かすとまでは言わんが、途中参加組は低い能力と、経験不足と、死のリスクの近さからずーっと不利さは変わらない気がします。
一時のシューティングゲームが復活方法を見返したように、D&Dキャンペーンもどこかでこのデススパイラルへ対処策を講じるほうが良いとは思います。必要があるとまでは言いきりませんが。「キャラ死んで(殺して)こそD&D!」というドM・ドSな方達の楽しみ方まで否定する権利は私にありません。
ちなみに私は1度自分のPCが死亡しています。あの死亡がなければ己の機動力への過信・増長は止まらなかったと思うので、PLの学習効果の大きさと復活コストを見合わせ、結果的に得が多かったと判断し納得しました。
現在のペルガは死亡前のペルガより、はるかにシタタカだぜ。乗騎のブタも頑丈になったし。