続・トコモカリス無法地帯

うんざりするほど長文です。

怪獣ソフビのトラウマと克服

2022-05-19 05:21:43 | 収集物

怪獣ソフビを買い集めて20年くらい経ちました。古いビンテージやレア物の類には関心無く、その時期ごとに普通に店頭で売っていた怪獣ソフビをちまちま買い続けて、有名所はだいたい手元に揃いました。安価で頑丈、子供玩具の代表だと思いますが、自分の幼少時は欲しくても買えなかった商品でした。値段の問題じゃなく、バカな子供だったので売り場がわからなかったためです。親に「玩具買ってやるから欲しいの選びなさい」と言われたものの、たまたま別コーナーに紛れていた怪獣ソフビを見つけ、そのまま違うコーナーを探し続け、結局同シリーズの他怪獣を見つけられず、別玩具で妥協した後で怪獣ソフビ売り場を発見し大変な後悔したものの、親相手に泣いてゴネることもなく自分の視野狭窄を強く反省しただけでした。親の出した条件に落ち度はありません。自分がもう2コーナー隣を探していれば望みは叶っただろうに。以降の私は狙ったモノを探す時には執拗に調査探索を重ねるようになりました。物欲児童は痛い目を見て学びました。

生まれる前から既に怪獣映画や特撮TV番組があった世代のため、本来なら物心付く前から派手な絵面で暴れる怪獣デザインを見ながら育つはずでした。しかし、そうはならなかったんだよ。実はそうした映像作品に慣れ親しんだ幼少時ではなく、むしろ遠くから怪獣の姿を眺める機会にすら恵まれない貧しい環境でした。ビデオ普及前だったし。
怪獣映画はどれもとうにシリーズ終了しており、そもそも映画を観に行く習慣など無い家庭に育ち、TVのチャンネル選びは親が決め、手元に怪獣本1冊すら無く、幼少時の自分には「見えないほど遠くにある格好いい姿」として好奇心を強くそそられながらも、アクセスしようのない漠然とした憧れでした。自分よりも年上の世代が熱狂したらしき遠くの最先端ジャンルだと思っていました。要は特撮やSFXといった派手な映像に強い飢餓感を覚えながら過ごしていたわけです。どうせ見るなら、そこらにいる人間の顔ばかりのドラマよりも、架空の異形がありえない大暴れをする映像を見たいというシンプルな欲求です。

そんな文化的素養の貧しい幼少期のある日、友人宅へ遊びに行った時のこと。その家の庭の一角に砂場があり、そこには無造作に怪獣ソフビがいくつも放り出してありました。いやいくつもどころじゃなく、大量にありました。今の知識だとわかるのですが、当時「キングザウルス」という怪獣ソフビ商品が展開中でした。当時の最先端。それがわんさかと屋外砂場にある。幼少時の私は怪獣成分に飢えていました。めったにお目にかかれない貴重品感覚でした。それが大量に砂場で屋外遊び用に置いてある。いわば天然ジオラマ環境で遊び放題なわけで。それを見た当時の私が受けた衝撃の大きさたるや、子供が絶句して動けなくなった程です。しかも、その友人はどちらかといえば活発なスポーツ少年で、怪獣TV番組になど普段はほとんど言及しないタイプでした。

自分が強く憧れ欲しがっていた対象が、相手にとってはスポーツの片手間で嗜む程度の物だった、そんなふうに感じて、なんだか敗北感を受けました。当時の自分には数個の小さな怪獣消しゴムすら貴重な怪獣グッズで、ソフビなど遥か彼方の天上アイテムな感覚でした。それは育った家庭が際立って貧困だったわけではなく、単に子供に厳しかっただけで、特に子供が強く望む物ほどあえて遠ざけ与えない傾向がありました。私の親世代は何かと「ハングリーさを持て」と謎の精神論を掲げ、無意味に子供へ抑圧的な養育したがる傾向がありましたが、自分の家庭内ではそれが特に強く、子供に夢中になる物を与えると耽溺して他が疎かになるから禁ずる、というのが理由でした。おかげでこちらは飢餓感と執着を一生引きずる羽目になったのだから、親の養育方針は大失敗だったと言えます。

それはともかく、その時に自称怪獣大好き貧困児童が片手間怪獣コレクターへ謎の対抗心を燃やしたことは事実で、自分は早速口先マウント取りに行きました。
「すごいねー、何体くらいあるの?」
「数えたことないなー」
「レッドキングはある?」様子見開始
「あるよ」
「じゃあゴモラは?」軽くジャブ


「あるよ」
そのへんからひょいと取り出して見せてくれます。
では少し変化球を入れて牽制だ。
「ギャンゴやケムラーは?」
「あるよ」
「アーストロン、サドラー、ノコギリンは」別作品に切り替えて


「あるよ」
「ベロクロン、バキシム」さらに別作品で


「あるよ」
またも砂場のあちこちから拾い上げて見せてくれました。
これは手ごわい。TV番組出身だけじゃダメだな。だが映画作品ならどうだ。
「ゴジラはある?」


「あるよ」
「ガイガンやメカゴジラは?」さらに捻ります


「あるよ」
ウルトラだけじゃなくゴジラも抑えてるのか。ならば
「ガメラはあるの?」こいつは制作会社が違う映画だ、円谷系列じゃないはずだからさすがに無いだろう。


「あるよ」
なんであるの……もうだめだ。私の小さな意地張りマウント取りは何一つ通じず、木端微塵に砕かれました。持てる者と持たない者の圧倒的かつ絶望的格差を思い知りました。

そして思い知ったのは敗北感だけではなく、自分の作りたい箱庭の具体的な理想像でした。そこで私は先ほどまでの意地張りなどすっぱり捨てて、普段遊ぶ機会のない怪獣玩具ブンドド遊びを満喫させてもらいました。

でもその後に友人宅に行く事はほとんどありませんでした。あの楽しい庭は友人の物であって、自分の庭じゃないから。自分にとっての、さらにもっとこうしたいああしたいという欲求をかなえる場所じゃないから。その頃に、自分が大人になったら自分だけの庭を作って、好きな物を好きなだけ揃えて並べて存分に遊ぶという目的が出来ました。小学校低学年だった当時の強烈な敗北感、口先だけで名前を並べる行為が、現れる実物に尽く跳ね返される圧倒的な存在感。当時の私は確かに全力で立ち向かったのです。それらの映像文化に触れる機会の乏しい子供が、必死に知識を貯め続けてきたけど、元資本が違い過ぎてまったく対抗できませんでした。そして自分が井戸の中の蛙どころかおたまじゃくしですらなく、隣にいた蛙はすでに大海を泳いでいたことを思い知りましたが、そこで生まれたものは敗北や屈辱よりも、さらなる大海への憧れと期待でした。
おかげで現在に至るまで私は完全にインドア人間で、相変わらず怪獣玩具を買い漁っては部屋に並べ続けているのですが、仕方ないだろう。まだ10歳にもならないうちに圧倒的な敗北と目指す希望を同時を得てしまったら、ショックで性癖が多少ひん曲がる執着が生まれるのはむしろ当然のことだと思います。

それで今の自室には幼少時の自分が見たら驚愕するようなメンバーが並んでいます。ウルトラ怪獣と東宝・大映怪獣が競演状態です。怪獣ソフビに関心が無い人達にはピンと来ないでしょうが、初期のウルトラ怪獣と映画怪獣は商品サイズが違いました。値段も旧ウルトラ怪獣シリーズが700円統一サイズだったのに対し旧映画怪獣は2~3千円ほどの大型サイズでした。そして現在ではウルトラ怪獣が13cm程に縮小し、映画怪獣は16~7cm程で、やはり大きさが違います。しかし2000年頃から2012年頃まで両者サイズが一致していた時期があり、ほぼ同寸で揃えることが出来ました。つまり所属作品を超えたクロスオーバーが10年ほどの時期限定ながら可能で、自室の棚に並べながら
ゴジラ対ゴモラ、だの
ガメラ対レッドキング、だの
キングジョー対キングギドラ、だの
メカゴジラ対恐竜戦車、だの
と実現しようもない対戦カードを考えて遊べます。自室で映画の一場面を再現したいわけではありません。どうせなら再現しようのない場面を考えたほうが楽しいです。べつにアイテム無しに想像して楽しむのもかまわないけど、手元に現物あるほうがイメージ膨らませるの捗るじゃない。それで自分の遊び方は、頭のなかに一定ルールを設けて、それに応じたメンバーを収納ケースから取り出し、棚にぞろぞろと並べます。そこでソフビを手に取り怪獣になりきってブンドド遊びをする――なんてことはまったく無く、並べたメンツを眺めながら何分も、長い時には数時間に渡ってひたすら思考の展開と掘り下げを続けます。黙したままほとんど身動きせず延々思考を続ける様子は、傍目に見れば瞑想のように映るかもしれません。つまり目の前に並べた怪獣メンバーを動員して、脚本:自分、監督:自分、観客も自分な物語を作って楽しんでいるわけです。それの何が楽しいのか、何もかもが楽しいですけど。脳内で展開される光景はただの殴り合いではありません。格闘漫画に「競うな!持ち味を生かせ」という格言がありますが、その金言に従いそれぞれの持ち味を生かし、格下でも特技を生かして有利な戦況に持ち込んだり、強者は自身の武器を最大限に使い、互いに持てる能力を全て出し切って激突したならひょっとしてもしかすると意外な結果が起こり得るかもしれません。そうした性能検証も加えた脳内シミュレートを楽しんでいます。

最近のお気に入り大戦カードは「空の大怪獣因縁対決 ラドンVSメガギラス」です。

どちらも東宝怪獣ですけど出演時期が大きく離れており共演したことないので。そもそもデビュー作からすでにラドンはメガヌロンという古代トンボの幼虫を食っており、食物連鎖に歴然とした序列がありますが、その後40年程経ってからメガヌロン側に種族決戦用大型個体メガギラスの設定が出来ました。そのメガギラスは映画内でもゴジラ相手になかなかの健闘を見せたのですが、本来こいつが決戦を挑むべき相手は生まれるヤゴをかたっぱしからパクパクパクパク食ってしまう、天敵捕食者のラドンであるはずで、これは超音速で衝撃波ぶち撒けながら飛び回る巨大翼竜と、生物界最高性能を持つトンボの飛行能力で、前進後退滞空あらゆる立体機動可能な巨大捕食者昆虫との天空大決戦になるのは間違いないでしょう。それなら、同じく高速で飛行するうえに高周波ブレードを吐く、飛び道具持ちのギャオスのほうがさらに強いんじゃないですかね。そういうのもまた後で考えるから。今はラドンとメガギラスの話だから。まずは食物連鎖の因縁と被捕食者の反撃の話を片付けてからです。でも結局は飛行怪獣全体ならモスラが一番強くなるんじゃないの。鎧モスラとかでたらめに強いと聞いてますが。しかしうちにモスラはいません。私は蛾が大嫌いだし、あいつ格闘戦できないし、殴り合いできない怪獣に用はありません。じゃあバトラはどうなのさ。バトラは陸戦型で格闘戦も得意だろうが。バトラはいいんだよ。でもうちにはバトラもいないけどな。

しかし現状ではウルトラ怪獣はサイズダウンされ、映画怪獣もムービーモンスターとして続いているものの、両者はまたサイズ違いのシリーズに別れ、あまりそそられる商品展開はありません。それで3年前くらいに怪獣ソフビ収集趣味も終了したつもりでした。出ている欲しい物は一通り押さえているし、これ以上増えないと思っていました。

プレミアムバンダイでたまーにマイナーな怪獣をウルトラ怪獣5000といったシリーズで出してくれることもありますが、あれ少しサイズが大きいんだよね。もともと特撮怪獣は着ぐるみで中に演者が入って動かすものだから、私は中に入ってる人のサイズ感を重視します。強キャラはデカくても良いし、尻尾の無い人型はその分の材料が背丈にまわり、やや大型化するので、現行の600円シリーズくらいでも良いとも思いますが、旧型直立恐竜タイプのゴジラ体型怪獣に関しては頑なに旧型での同サイズに拘っています。具体的には中の人の肩の高さや腰膝の位置が重要です。そしてプレバンでたまに出る豪華版の怪獣ソフビは、この位置が従来シリーズと微妙に合いません。平均サイズ16cmのところに18~20cmが出てくるのよ。等身大に直したら約30cm差ですから、これは女性と長身男性くらい体格差があるわけで。並べると結構な違和感があります。そんなわけで私にとって怪獣ソフビはもう増やす理由の無い終わったジャンルのつもりでした。幼少時の憧れもここでゴールを迎えたはずでした。

ところが、最近になって怪獣ソフビの供給先が増えました。
「さくらトイズ、Y・MSF」というソフビ製作販売を手掛けている会社があります。去年まで存在を知りませんでしたが、どうやら小ロットで怪獣ソフビを製作しイベント等で販売している様子です。とあるネットの書き込みに「メガロとエビラのソフビはY・MSFので満足した」とあるのを見て、メガロとエビラのソフビ?そんなのあったかな(バンダイのムビモン・メガロの発売告知前です)ブルマァクの復刻じゃなくて?と画像検索したら、ものすげーかっこいいメガロと、ものすげーかっこいいエビラが出てきました。なんじゃこりゃあ、と我が目を疑いましたがこれはまだ序盤の前振りに過ぎません。さらに検索を続けると他にもマイナーな東宝怪獣、初期ラドンに、バラン、サンダとガイラ、メカニコングなど次々出てくる。そしてどうやらサイズが16cm前後と、自分の収集しているシリーズとほぼ一致する様子。マジか、存在したのか、ありえない物を見てしまった衝撃。これらが並んだ自室を見せたら、幼少時どころか3年前の自分でも驚愕すると思います。是非とも欲しくなったので流通方法を調べましたが通販サイト等は無いらしく、たまに中古ショップに出るも現在品切れで、しかも結構お高い。困ったわ―とさらに検索を続けるとどうやら当事者らしきツイッター・アカウントを発見しました。説明欄を読むとフォロー後に直接DMをやり取りして商品購入する方法を取っているのがわかりました。ならば早速フォローしましょう。その後しばらく経ってツイッター上に告知が出ました。
「メガロ販売します」

ついに来た。これを待っていた。初めての申し込みでしたが、購入手続き案内に従いスムーズに進めることが出来ました。メガロ入手。
手元に届いたメガロは想像以上の素晴しい出来栄えでした。プロポーション完璧、表情は精悍、成型色と塗装も文句なしの色調、特に背面の羽根模様が鮮やかです。さらにサイズもちょうど良く、肩や腰位置が他怪獣と並べてもほぼ一致します。だいたい同じくらいの体格の人が中に入っている状態です。そしてやや肩を落としながら低く構えた前傾姿勢は、相方のガイガンが反り気味のポーズなのと対照的で、それぞれの魅力を引き立て合う形状です。さらにつや消しのざらついた質感と、リアル過ぎずチープ過ぎずの絶妙な玩具感は他怪獣ソフビと並べてもまったく違和感が無く、数ヵ月前まで存在すら知らなかったはずなのに、怪獣ソフビ棚に並べた瞬間からまるでずっと昔からそこに居たかのように即馴染んでしまいました。昭和ゴジラ終盤敵怪獣のガイガンとメカゴジラの間にすとんと納まり、両脇の2体が「よう、戻ったのか」と挨拶かわしていそうなくらいに馴染んでいます。
これは良い物だ。買って良かった。

現在の私も喜んでいますが、私の中に残っていた幼い自分も喜んでいます。幼い日に強烈な印象を受けた友人宅の砂場にもたぶんメガロは無かったからな。もう敗北感も消えました。

もちろん、その後も気に入った品物の販売告知が出る度に購入し、初期ラドン、うつ伏せバラン、サンダとガイラ、キングコングとメカニコング、エビラ等を続々と購入。たちまち怪獣ソフビ棚の昭和東宝エリアが充実しました。ここにバンダイ新作のゴロザウルスとヘドラも加わり、もう満足しました。いやまだバラゴンがいないな。首から下はネロンガだからそれで我慢しろ、とは考えません。ゴジラの後を務めるべく新怪獣として作られながら微妙にぞんざいな扱いをされ、しかしながら後にパゴスやネロンガやマグラーなど多くの怪獣の下地として活躍した貴重な存在です。あの特徴的な大きい耳や光る角、やや哺乳類ぽくも見える口元や大きな目など、独自個性を多く持つ良デザインです。私は16cmサイズのバラゴンが欲しいんだ。旧ソフビは造形完璧だが若干ながら大きいんだ。だからムービーモンスターで新商品化されるためにも話題作りのため、今こそ映画「シン・フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」を撮るべきではないでしょうか。そしてもちろん大ダコもソフビ化するべきです。商品名は大ダコでもスダールでもかまいません。バラゴンを倒した後に脈絡なく登場し、最終戦を飾る大ダコは他映画やウルトラQにも登場しますが、出番が多い割にただデカいタコという見た目の地味さから商品化の機会が少なく、16cmソフビと絡めるサイズの商品も自分の知る限りはありません。

指定外来種対決 ミドリガメVSアメリカザリガニ

サンダとガイラ

宇宙ギャオスと昭和ラドン

包丁怪獣ギロンとムササビ怪獣バラン

それはともかく、この1年で私のソフビ欲は急激に解消され、幼少時に感じた心の傷も埋まりつつあります。5年程前まではわりと自暴自棄を起こしており毎日やさぐれて暮らしていましたが、その頃の自分に「2021年まで生きてたら良いことあるよ」と教えてやりたいです。そしたら今頃は来る時に備えて前もって用意した予算をじゃんじゃんY・MSFソフビに投入してばかすか買いまくっていたのに。いや5年前だと2017年、あの当時は既に2015年から始まった1/35ボトムズプラモ企画があちこちから出て、それらを大喜びで追い始めた頃だな。もう自暴自棄になってないや。ならば子供の頃の自分に教えてやりたいです。嫌なことたくさんあっても2020年代まで生きていたら、おめーの消費型生活に大当たりする品物が続々出てきて嬉しい悲鳴上げる事態になるから、それまで耐えな。メジャーどころが一周り二周りして飽きられてくる頃にマイナーアイテムがぞろぞろ来るぞ。好きだろうマイナーキャラ。決して物語に中心にはなれない脇役達にばかり目が向く性質だろう。そんな脇役達の出番がまた来るよ。今後もホビー界隈は楽しみだね。


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「ペギタン」に関するヘイト二次創作の話

2022-05-19 05:03:04 | 好き嫌い趣味

一昨年のニチ朝番組のマスコットキャラがネット上の某所で虐められています。ネット上で匿名掲示板なり、R18Gも扱う画像SNSなどでは、こうした架空キャラを虐待するネタが定期的に発生します。古くは2ちゃんの「しぃ」ふたばの「実装石」ピクシブの「ゆっくり」など枚挙に暇がありません。近くでよく見ればそれぞれが持つ雰囲気が微妙に異なるのがわかりますが、遠くから眺める分には残酷で悪趣味なネタに変わりなく、大抵の人からは眉を顰めて敬遠されるジャンルです。しかし同じように見えても細かな傾向は違います。自分の専門は実装石ですが、ゆっくり等の他キャラにはまったく興味が湧きませんでした。
ところで、それら古い虐待ネタに代わって現在進行形の被虐キャラ化しているのは「ペギタン」です。実はこれも盛り上がっていたのは2020後半~21年までの話で、現在は残り火が燻っているだけなのですが、そろそろ流れも鎮火しつつあるので、私見を交えた概要を書いておこうかと思います。

ペギタンというのは2020~2021年にかけて放送された「ひーりんぐっどプリキュア」に登場するマスコットキャラの1匹で、小さなペンギンの姿をしています。性格は気弱らしいです。らしい、と伝聞のような書き方なのは、私がプリキュアという作品をシリーズ通してただの一度も視聴した事がなく、まったく本編内容を知らず、ふたばやピクシブでのペギタンの描写から窺い知れるキャラ概要がそのくらいだからです。本編なんか見なくてもキャラ虐待に支障ないのは実装石でよく分かってるんだよ。私はローゼンメイデンも未読未視聴だけど、翠星石の劣化コピーらしい実装石をギタギタにするのは得意でした。それでペギタンも本編中では気弱なのが災いして、どうも戦力増強にあまり貢献できなかったらしく、視聴者からのヘイトを稼いでしまったようで、本編でさらっと流された失態への応報な扱いを、二次創作的に消化しようとする流れが生まれた様子です。

私がこのジャンルを最初に知った時には、既に「ペギタニスト」という言葉が存在していました。ペギタニストとは文字通り、ペギタンをギタギタに痛めつける嗜好を持つファンの事を指します。しかし彼らはペギタンを嫌っている様子ではありませんでした。作中で迂闊な行動を取るペギタンに何の報いも無く進んでいく本編物語に対し、作品世界とキャラクターの行動を納得消化するためのファン心理が働いていたフシが窺えます。視聴者視点では過剰な高待遇を受けているかに見えるキャラへ、相応の苦痛と受難を与え、視聴者それぞれが解釈のバランスをとるために虐待パロディを作っている様子でした。なぜなら、それらペギタニストと呼ばれるジャンルで描かれるペギタンは、たいへん可愛らしく、また性格や言動も愚かしい程にパートナーを一途に慕うものであり、その小さく愛らしいペギタンが理不尽に翻弄され、不条理に蹂躙され、ボロボロに傷つけられながら泣き叫ぶ姿は、残酷描写で可愛らしさがより一層際立つ内容でした。つまりペギタニストと呼ばれる人々はペギタンを嫌うどころか、大変可愛いと考えており、そのペギタンを過酷な環境へ追い込むことで、必死に苦しみもがくペギタンの可愛らしさがさらに輝くという感性を持っています。大変よく理解できます。私も同意します。小さく儚く可愛らしい者が悲鳴を上げ絶叫し死に物狂いで悶え苦しむ姿は大変可愛らしく、他に代えようもなく尊い価値があるものです。

しかし、それでもやはりこれらはヘイト創作です。ヘイト創作とは、ある作品やキャラクターに不満を感じた時にそれらを改変し、貶める意図で作られる二次創作を指します。先のペギタンを虐待する一連の流れに、ペギタンを貶める意図が皆無とは言えません。これらのペギタン二次創作では本編中に一切なかった糞尿を漏らす場面が頻発します。また設定上オスなのに卵を産み、ベビーペギタン(略してベビタン)という赤子を育てる場面もよく出てくるようになりました。実はこれらの「過剰な排泄」と「子供を産み増える」設定は虐待ネタでは普遍的な描写で、これまでも余所で虐待ネタに使われたキャラクターには、もれなく追加されていました。そしてこの設定が大っぴらに取り込まれていくと、キャラクターが必ず陥る既定路線があります。有害野生動物化して駆除対象となる方向性です。すると描かれるキャラの容貌に変化が起こります。容姿はより醜悪に、言動はより傲慢で強欲に、憎むべき邪悪な存在へと書き換えられていきます。そしてこれらの架空キャラ虐待ネタを好むファン層にも系統分化が起こります。

元々の、可愛いけど少々ウザいキャラが酷い目に逢うのを好む層。
新解釈で、醜悪な汚く卑しいキャラを苛烈に処罰するのを好む層。

どういうわけか、この手のジャンルではある程度まで参加人数が増えると、被虐対象を過剰に蔑み貶め、悪として糾弾処罰したがる傾向が出てきます。それでペギタンについて話すスレッドでも日々が経つほどに雰囲気と流れが変化していきました。より過激で即物的な方向へです。いや過激なのは元からか。ペギタンで検索するとサジェストで「はんだごて」と出てきます。これは2020年中頃からペギタニスト達が執拗にペギタンの尻にはんだごてを突っ込み焼き続けた結果です。最初期からやってることは酷いのですが、当時のスレッドの流れはなかなかに技巧的でした。ペギタン画像となりきり台詞の書き込みに対し、当意即妙なレスを返しつつ場面に応じた画像を貼り、小さなエピソードを繋げていくのです。例えば、
ペギタンが温泉に入りたいと言えば、ゆっくり暖まってね、と「熱湯で煮られる」画像が貼られ、
いくらおにぎりが好きだと言えば、いくらをプレゼント、と「足にマチ針を大量に刺す」画像が貼られ、
僕のアナルさんに忠誠を誓えと言えば、即「はんだごてで腹腔内を焼かれる」画像が貼られ、
もっと舌を使えと生意気を言えば、その舌を用意するために「ペギタンの舌を切り落す」画像が貼られ、
何をどうしてもペギタンがドギツイしっぺ返しを受ける即興劇の様相を呈していました。それでいて会話口調は穏やかに進み、つまり「口頭では柔らかな態度を崩さないのに、行動は苛烈で容赦ない暴力を加え、ペギタンの望まない方向に要求をかなえる」悪意と皮肉に多少のウィットを交えた大人の悪趣味な雰囲気がありました。例えるならば大昔の連歌遊びのような上の句に下の句を繋げるように、なりきりペギタンの言動へ逆手に取るような一捻りした返答と、内容に応じた画像を即時貼り付けていく、少々知恵と発想の妙意が要る、なかなかに高度で雅な楽しみ方でした。実際、書き込みに対し瞬時に論点ずらしと混ぜっ返しを考え、最適な画像を選び数秒のうちにレスを返すのは、瞬発的発想力と豊富なネタ画像を網羅する記憶力の両方が必要で、くだらないことに無駄な力を発揮する「としあき」さん達の高いスペックが窺えました。あの人たちは基本的に頭は良いんだよ、性癖が歪んでるから理解されにくいだけで。

しかし、どんなジャンルも時間が経てば変化します。ペギタンがギタギタにされる絵を描く人も変わり、ネタ傾向も変わり、ピクシブの感想欄の雰囲気も変わり、ふたばのペギタンスレッドの流れも変わっていきました。可愛らしいペギタンの容姿を醜悪にアレンジした絵が増え始め、ペギタンなりきりの台詞は元の気弱キャラとはかけ離れた図々しくふてぶてしい物言いに占められ、それらへの返答レスも直接的な罵倒と殴打画像の割合が増え、架空キャラを悪意と嫌味で面白おかしく弄るよりも、直球の憎悪で叩きのめす傾向に流れて行った様子でした。つまり、ペギタンを扱うヘイト創作に違いはありませんが、主人公が交代したのです。

前半では、理不尽と不条理な受難に翻弄されるペギタンが悲劇の主人公でした。
後半では、理不尽で不条理な言動で周囲に迷惑をかけるペギタンを罰するスレ民が主人公になっています。

ただし、どちらも使用されるのは苛烈なペギタン暴行画像なため傍目には同様に見え、両者ともペギタンがぼろぼろになる点では一致するので、傾向が違えども対立することはありません。ただし両者から見たペギタンの姿は明らかに違うようです。

一方は、気弱で甘ったれなマスコットキャラが、日曜朝の子供向けTV番組から間違ってR18G指定Vシネマ世界に迷い込み、ガチ悪人の残虐さに蹂躙される哀れな姿を好み、この場合のペギタンは惨たらしい仕打ちにより一層可愛らしさを引き立てられた、悲劇の主人公です。
もう一方は、己の分をわきまえず自分のわがままで際限なく周囲に要求を繰り返し、節制なく増殖し周辺環境を汚し迷惑を振りまく害獣の姿です。容姿こそペギタンですが性格も図太く、パートナーに依存せずとも逞しく野生化して暮らしており、それらに迷惑を被った人間が腹に据えかねて報復処罰する対象としての設定が多数つけ加えられており、こちらのペギタンはいわば勧善懲悪ドラマで時間いっぱいに傍若無人を重ね続けて、最後に誅殺される悪役の役目を負っています。周囲に散々ストレスフルに負荷をかけ続け、その応報として有らん限りに罵倒されながら壮絶な死に様を散らすヘイト要員として消費されています。

つまり、両者では暴行を受ける要因が異なります。前者は小さく非力でやや愚かしいマスコットキャラを、可愛いからとギタギタに痛めつける人間側に問題理由があり、後者では有害生物がその迷惑の咎で刑罰を受けるペギタン側に問題原因があります。どちらが歪んでいるかと言えば前者のサディズムだと思いますが、後者の無理矢理な他罰傾向も行き過ぎている気がするので、共に世間からは公序良俗に反したモラルの無い悪趣味ネタと見られることには違いないでしょう。


ここまで書いていれば隠しようもなく、自分は明確に前者の「可愛いから痛めつけたい」側で、いちいち相手の落ち度をあげつらわないとペギタンに暴行を加えられない面倒な縛りを窮屈と感じます。そもそも善だの悪だの気にしてたら楽しめないジャンルです。そして自分が求めるものも、悪を叩き潰す正義と自己肯定感ではなく、可愛らしい者が凄惨な目に遭うギャップの美しさであり、あくまで主人公はペギタンであり、虐待を加える者は添え役でしかありません。そして苦痛と悲哀の表現は肉体損壊と流血量だけで表すものでもなく、むしろ内面的な精神が蝕まれていく過程こそが最も重要と考えています。自分で書かないのかと言えば、ペギタンはあくまで「出来の良い他所の子」なので書きません。老害思考の自覚もあるので他人には指示も表明もせず、自宅の日記で感想を一人で呟くだけに留めています。

しかし昨今の新しい被虐ネタとして、というか一部の二次創作者の描くペギタンは非常に精神的損壊描写に優れており、極めて高レベルな残酷悲哀キャラに仕上がっています。強度の精神的ストレスを受け続けた場合の、心が壊れた姿の描き方がたいへん秀逸です。苦痛と恐怖を受け過ぎると悲鳴すら上げられなくなるのよ。そんな元気は残ってないのよ。そして特筆すべきは、物理的にも精神的にも容赦ない凄惨な拷問を何百回も描きながら、対象のペギタンは終始一貫して素晴しく可愛らしいこと。TV本編だとちょくちょく作画崩れがあったりイマイチ容姿の解釈がこなれていない絵もあるのですが、ペギタニスト系創作者の描くペギタンは本編よりも容姿の愛らしさが大増量されています。もちもちとやわらかそうなほっぺやお腹やペギケツの丸さ、気弱そうに潤んだ目、非力にぺちぺちと振る小さな手足、不安に溢れ出す涙、苦痛に強張る皺、ストレスで禿げる脱毛、助けを求めて「ちゆ~」とかつてのパートナーの名を呼び続けるも、番組放送終了とともにパートナー契約は解消されており、誘拐監禁され終わりの見えない拷問虐待を受け続けるうちに表情が固まり、明らかに精神に失調をきたして怯える姿はあまりに可愛らしく、キュートアグレッションを強くそそられる姿をしています。その怯え続けた先に到達したのは、もはや抵抗も諦め、悲鳴をあげる気力も失い、ただ恐怖に硬直しながら無言で涙を流し続ける適応障害を起こした精神の壊れたペギタン、俗にPTSDタンと呼ばれる状態です。

よくぞここまで描き切ったと感心します。肉体損壊のたびに大声で悲鳴と絶叫をあげながら惨殺されてる間はまだまだ元気があるんだよ。少なくとも大声をあげる自由はあり、苦痛を主張する気力もあります。何回ブチ殺されてもすぐに再生復活するネタなので、肉体損壊などダメージのうちに入りません。それで好きなだけ泣き叫ぶの騒音も許されてるなら、心も体もめいっぱい自由を満喫しているのと変わりません。苦しみの質としてはまだまだ序の口だと思います。私は加虐方法手段として派手な肉体破壊より精神を蝕む拘束を好みます。一瞬で終わる肉体の苦痛より、無限に続く終わらない精神抑圧のほうが効果的と考えます。もちろん併用すればなおさら効果的です。

結局のところ、他にも数多くあるヘイト創作キャラ虐待ジャンルで、私が興味をそそられたのが実装石とペギタンだけというのは、効果的なメンタル破壊描写があるかどうかに尽きます。ちなみにこの手のジャンルの多くでは、精神的虐待方法として、親子を捕えて子を殺す展開が多くありますが、ワケあり家庭育ちの自分には親子愛が理解できず、家族殺しのどこが苦しいのかサッパリわかりません。子供をぽんぽん生んでダメージを受ける盾役を増やす防御策は生存戦略として優秀で、実際それで本体がノーダメージで済むのだから、これはもはやサバイバル群像劇の一種で、虐待ネタではないとも思います。
というか、どのジャンルでも虐待ネタが進むとキャラの性格がどんどん改変され、親子の情愛など欠片もないふてぶてしく悪辣な種族へと設定が変化していくのは毎度のことなのに、そこで出てくる精神的苦痛の与え方が親子関係を壊す方向にしか考えられないのは、発想が貧困かつ矛盾してると思います。倫理も道徳もわきまえない卑しいキャラがなぜか親子愛だけは十分に備えている不思議。つまり作者側が家族愛を無条件に信じており、疑問なく前提に置いてしまっている。彼らは幸せな家庭で大事にされて育った人達なのでしょう。私にはそのへんよくわかんねーや。

私は子だの親だの外部オプションへは目を向けません。そんなマトを散らせる作戦には乗りません。そいつ本体を捕まえてから分解できる限り解剖し続けます。自由を奪い可能性を削り希望を一つづつ諦めさせながら、徐々に変化していくであろう泣き声を楽しみます。始めは悲鳴、次に絶叫、続いて嗚咽、やがて慟哭、その先は何でしょうか。断末魔までじっくり付き合いながら眺めていたいと思います。対象を嫌いだからやるんじゃないのよ。可愛いからこそ見たい聞きたい楽しみたいと思うのです。

そんなジャンルの有望株として最近上がってきたキャラがペギタンですが、結局のところ、私にとっては他所の子なので、他所のペギタン飼い主さん達の虐待手腕に関心しつつ、受けた刺激は自分のところに居る子達にフィードバックしたいと考えています。うちの子てのは実装石のことです。うちの実装石達は、主を求めて彷徨う非力な出来そこない人形であり、野生で図々しく逞しく繁殖する害獣ではありません。その小さな儚い生きた人形の心を弄び踏み躙る話が大好きなのですが、全盛期から既に20年近く経っており、もう誰も書いてくれないので自分が書くしかありません。当時からも自分好みの傾向作品は少なく自分で書くしかありませんでした。自給自足です。ちなみにヘイト創作のつもりはありません。元ネタのローゼンメイデンは原作・アニメともに未読・未視聴で、元キャラの翠星石にも興味なく、彼女を貶し蔑む意図もありません。彼女をモデルにいじった劣化コピーキャラがたまたま私の琴線に触れただけです。キュートアグレッションとは対象が可愛くなければ成り立ちません。対象へ過剰な落ち度を求め、咎を負わせ、汚く卑しく醜く貶め蔑み、悪として断罪するのはただの正義他罰中毒で別種の欲求です。私はペギタンがギタギタに傷つけられる姿が大好きですが、その原因の9割は病んでる自分にあります。残り1割は他者への依存心の高いキャラクターの甘えんぼ性格描写に依ります。つまり、危機感の薄い甘えん坊かまってちゃんが恐ろしい人達に捕まり、意図しない方向でかまわれてしまい、一方的にボロクソに壊される様子が大好物です。対象の性格が「かまってちゃん」なのが重要なのさ。私の世界法則ではかまってちゃんは大リスクなので、そのまま愛され肯定しちゃうとバランス悪いのよ。

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