続・トコモカリス無法地帯

うんざりするほど長文です。

読書感想 「冷たい檻」

2022-07-10 05:18:34 | 読書感想

去年の読書その2
「冷たい檻」
また伊岡瞬の作品。

北陸地方にある村の駐在所から警官が失踪した。から始まる、地方社会を舞台に医療問題をエッセンスに加えた今風な警察小説でした。現代の社会問題に誇張された凄惨さを足して、特別捜査官が謎を追う小説が読みたかったので。

内容や事件の真相などは正統派サスペンスだけど、主人公の描かれ方が少々おかしい。よくある警察サスペンスだけど、現代の事件に挑むはずの主人公が纏う80年代臭がすげえ濃い。作者のセンスが古いんじゃなくて、わざと狙って80年代マッチョ主人公を書いてるフシがすげえ高い。そして作者は80年代アクション主人公を少しバカにしてる様子もある。

というのも、表の主人公である秘密調査官・樋口透吾という人物の出番どれもが「ケンカが強くて女にモテる口の悪い一匹狼」型キャラクターの典型的な発言と行動ばかりです。そしてその全てが滑ってる。昔は通用したかもだけど今じゃイタいサムい馴染めない20世紀のカッコよさを、全身から溢れ出させてるものの、彼はあまり劇中で活躍しません。

だって、冒頭から秘密機関から司令を受ける主人公は人妻とベッドイン中で、仕事が入ったと切り上げて女性から不満を買う、古き良きハードボイルド小説主人公のごとき登場をします。野獣死すべし、伊達邦彦かよ。大藪春彦かよ。
そいで、赤い外車に乗ってとある村の駐在所にやってくるのさ。しかも女に運転させて遅刻して。赤い外車からサングラスした樋口さんが降りてくるのさ。もちろん車内の女もサングラス。あまりに露骨な狙い過ぎ感に笑っちゃった。絵面にしたらすげー80年代臭い場面しか思い浮かばないんだ。ハートカクテルかよ。いまだにバブル引き摺ってんのかよ、おめでてーな。そんな時代錯誤なハードボイルド主人公樋口透吾さんは年齢設定48歳で、20世紀の青春をいまだに忘れられずに、当時そのままライフスタイルを続けている、生きた化石のようなキャラクターでした。作者は絶対にわかって書いてると思うのよ、現代に80年代感覚のカッコよさをそのまま置くと滑稽な姿になることを自覚してるとおもうのよ。でないと、この出で立ちからのミスマッチを起こす描写までしっかり書けないからさ。

この古臭い旧時代ヒーローが遅れて現れたところを出迎えるのは現地の警察官・島崎智久29歳。バブルの幻影を纏いし樋口さんの妖しさに対して、新婚子持ち住宅ローンを抱えた地方公務員と、現代社会家庭人ロールモデルの如き地に足の付いた地味さ。そして当然この2人の会話は噛み合いません。主に樋口さんが原因で。樋口さん頭が古いんで会話スタイルが皮肉や挑発主体の昭和刑事口調なんだ。全体的に言葉足らずで説明不足なうえに、目下年下には煽るような物言いだから、余程察しの良い気配りさん以外では会話が難しいです。当然ながら島崎さんとはギクシャクした関係からスタートです。当たり前だよ、こんな80年代俺様主人公は周囲がすげーすげーと盛り上げてくれるから成立するわけで、初対面の人間へぶっきら棒に単語で話し、通じなければ皮肉や煽りで相手を貶す、そんな古い会話スタイルが通じる時代ではありません。劇中でも容姿の描写では格好良さげなんだけど、周囲との会話シーンで少々浮いて見えるんだよ樋口さん。ただでさえ口数少ないうえに主語を省いたぞんざいな物言いをするため、相手が意図を理解できずに困惑する場面が実際にあります。会って間もない相手でもお構いなしの察しろとばかりのデカい態度、しかも戸惑う相手を見下す様子さえ隠そうともしません。なにこのモラハラ捜査官。読んでて私も当惑しました。平成末期か令和初頭かの時期に、昭和の軽井沢シンドロームみたいな会話されても困るじゃない。

この小説は本編587ページもある長編で、登場人物も多い群像劇なんだけど、初っ端の時代錯誤主人公のインパクトが大き過ぎてなかなか内容が頭に入ってきませんでした。そして一般人目線代表のような現地警官の島崎さんとのぎこちないやり取りを読みながら、案の定滑ってるのを見て当初とは別の期待が湧いてきました。はじめは田舎舞台の現代病理による医療サスペンスを期待していましたが、今では登場舞台を40年間違えた骨董ハードボイルド男が現代犯罪に通用するのか、という興味です。

結果から言えば通用しませんでした。この小説は群像劇なので、事件究明に係わる複数の物語が同時進行しており、樋口さんは親子愛・人情パート担当です。樋口さんには、幼い息子を誘拐されてしまい、捜索するも手がかり無く家庭も失ったという苦い過去がありますが、うん、まー、子供の消えた家庭でこんな口も態度も悪い男と暮らせないだろ、離婚も当然だわ。そいであまり事件の核心にも迫れませんが、事故発生を防ぐことは出来ました。

この小説を要約すると田舎にある大型医療施設の児童・老人養護施設内で、違法薬剤の研究と人体実験が行われてました、という内容。群像劇らしく複数の主人公視点で話が進みます。

しかし群像劇にする必要あったか疑問です。本は厚いしボリューム多いけれど、各視点で話の進みが遅く、組織や施設構造を複雑にした設定が物語の深みに寄与してるとも感じません。先述した古い主人公の樋口さんは事件の解決に届かず、周辺で家族ドラマを演ずるだけでした。施設内部の視点になる小学生の主人公・小久保貴くんは事件を間近で見るほぼ当事者ですが、無力な子供なのでやはり解決には繋がりませんでした。思わせぶりに何度も登場する青年・レイイチは、秘められた過去と中二的多重人格キャラですが、やはり事件とは関係なく、樋口さんの誘拐された息子の成長した姿で、家族ドラマ要員でしかありません。

そもそも、この小説では「どんな問題と事件が起こっているか」描写が淡白で、警官失踪・老人転落死・不良青年惨殺、とあれこれ異常事態発生しながらほとんど報道されず、主人公も外側から調査するためなかなか核心が見えてきません。その間に島崎さんが謎の襲撃を受けて拳銃を奪われたり、地元の有力者達がゴルフをしながら癒着会話を長々を続けたり、内容が事件捜査から逸れまくります。
田舎で何か起こってるらしいけど、視点が外野か、内部でも情報の少ない子供視点なので、概要を把握するには常時情報不足な小説です。なにせ悪役の姿は見えず、被害者の存在も伝聞でしかないのだから、あとは田舎風景描写が淡々と続き、物語への掴みと引き込む力が極めて弱い。読んでて真相を知りたくなる謎や陰謀が出てこない。実は謎も陰謀もあるけれど、それはまた別の登場人物が解決します。ハニートラップで。内通者から情報を得て。つまり調査と推理に依るサスペンス的面白さに著しく欠けています。田舎の医療施設で起きた事件の謎を解き明かしていく楽しさはまったくありません。

真相は医療施設がアルツハイマー治療の新薬を開発しており、施設内の児童養護施設の子供に投与して人体実験していた、というもの。その新薬を投与された子は興奮状態になり、徒党を組んで気に入らない者を襲うことがありました、というのが起きた殺人事件の概要。

でもどちらも設定でしかなく、劇中描写では殆ど描かれません。じゃあこれなんの話なの?家族の再生の話です。昔に誘拐された子供と父親が再会する話が主題です。なんだそれ。そういうの期待してなかったんだよな。
でも樋口さんは同性には当たりのキツい不遜な性格で、しかも目下にはモラハラ気味に接するから、誘拐された挙げ句に養親から虐待され、更生施設で陰鬱に暮らすレイイチ君と上手くやってく姿が想像出来ないんだ。父と息子とはいえ、20年間離れて互いの性格は知らないし、父は子育て経験ほぼ無し、なおかつ口の悪いハードボイルド、かたや息子は危険なもう一人の人格を抱えており、すぐキレる真性中二病。巨悪と戦うバトルファンタジーなら協力もできそうだけど、日本のホームドラマやるのは無理でしょ。どっちも家族のふれあいスキル皆無だし、今から覚えるにはどちらも歳を取り過ぎてます。
最後は、ぶっちゃけ家族が再会したよ、ハートフルな心暖まるラストに仕上げましたよ、のつもりかもしれませんが、絵空事綺麗事の家族ネタで誤魔化された雑で陳腐な終わり方だと思いました。

せっかく薬で凶暴化した児童集団が出てきたのだから、小久保貴くん視点で子供バーサーカー達が暴れ狂う現場を描いて、これは早く解決しないと不味いくらいの状況理解を読者に促す文章が必要だったと思うのですが、誰が犯人かわかりきってるのに事件の発見情報を事後報告的に出すだけだから、そちらの事件も終始影が薄いままです。

先にも書いたけど、複雑な設定と多数の登場人物が互いに干渉せず別個に動くため、物語としてまとまりに欠けています。同じ舞台のオムニバス話を細切れにして時系列に沿って並べただけでした。その時系列順記述が刻一刻と状況変化する臨場感演出等にまったく繋がっておらず、頻繁な視点変更のせいで感情移入できる人物もおらず、事件概要が見えないまま停滞した物語が最後にホームドラマの前フリで終わってしまいました。それだけの話でした。

表主人公の樋口さんは、最終場面で凶暴化した子供達を追って拳銃で撃たれてしまい、結局は事件の解決に繋がる活躍はしませんでした。いつも嫌味なくらい格好つけてるけど、決定力に欠ける終わった旧世代ヒーローなのは相変わらずでした。というか、こんな古臭いキャラでは現代の事件に通用しないと描く裏テーマがあったのではないかと勘ぐっています。なぜなら中盤からやたら優秀な裏主人公が登場するからです。

裏主人公の深見梗平という人物は、職業はブローカー、施設の女性職員を篭絡し情報を引き出す等、やってることはどうにもしょぼい悪党ぽいのですが、外見はゴリラ、しかも目には知的な光があり、常に落ち着き紳士的に振る舞うなど、外見や言動にギャップのある面白い人物に描かれています。そしてブローカー職も女性篭絡も強い目的のために割り切って使う手段であり、どうも本職はまた別にありそうです。樋口さん曰く、同業な別組織の調査員らしいようで。しかし樋口さんのように人を食ったような態度ではなく、普段から礼儀正しく本人も可能な限り誠実であろうと努めているフシも見えます。調査終了後、利用した女性に対し謝罪の手紙と事件概要を報告しています。協力してくれたことへの礼と、伏せていた情報の開示と、最後に公表する判断を委ねます。汚れ仕事でもしっかり働き関係者への敬意も欠かさず、自分の行動への自覚と潔さも備えています。外見の残念さに対して中身がキレイ、とくに周囲を下げないのが気配りの要求される現代のヒーロー像を体現してる様子です。

つまり、この物語を深見梗平視点ならば、施設で進められる陰謀と周辺で起こる事件の概要を順当に追っていく、わかりやすくも複雑で濃厚な犯罪サスペンス小説になったと思います。なんでまとまりないオムニバスもどき群像劇にしちゃうかな。最後の終章で種明かしされても、それ主人公と関係ない話ですよね?としか感じませんでした。

主人公交代でも構わないんだけど、読了後は消化不良感が強く残りました。作者の中に「深見梗平物語」本編が存在するけど、それは別に取っておき今回はスピンオフ周辺外伝を1本にまとめてお出しされたような、中心の情報を伏せられたまま関連設定だけを読まされたような、作者の作品を網羅してる読者向けの内輪作品を間違えて手に取ってしまったような、そんな場違い拒絶感が読書中ずっと消えませんでした。

自分の好みに合わなかったんだよ。


読書感想 「乙霧村の七人」

2022-07-10 05:17:07 | 読書感想

去年の読書
「乙霧村の七人」
作者は伊岡瞬て人。

戦慄のホラー・サスペンス、とあらすじにありますけど既にここからトリックが始まっています。
まずは、都市伝説風に昔とある村で起きた惨殺事件を紹介し、現場となった村をへ大学生の男女7人が訪ねて調査に向かうところから話が始まります。ただ、それだけだと昔の2ちゃんオカ板洒落怖スレの肝試しテンプレ話と変わるところがありません。もちろんプロの作家がサスペンスを書く以上、ありがちなスタートからいかに物語をひっくり返せるかが主題であり、これもその変化球を狙った小説です。叙述トリックが仕込まれています。

ありがちな導入から始めて、惨劇のあった村で大学生達がトラブルに遭遇するのが前半の第1部。そのトラブル中に読者に違和感を与えるのが目的のパートです。惨劇の起きた村で、今夜また新たな惨劇が……と思わせて、あれ?これ惨劇じゃないなといくつも引っかかる伏線を撒いています。

本編は参加した大学生7人の側面を掘り下げていき、事件の真相を明らかにする第2部のほうです。ここで見えてくる参加者7名の人物像がなかなかに癖があり、基本的に好ましくない嫌な人物が揃っています。ただし単純に悪人ではなく、それぞれに嫌味具合が違い、傲慢や卑劣、狡猾や貪欲、しかしそれぞれ性格が多少曲がるのも理解できそうな苦労も抱えており、唾棄すべき極悪人ではなく、長所短所が同居する少々情けない小悪人のように書かれています。これらを調査していく探偵役が実は……のトリックもありますが、それは勘が良い読者なら1部で気づいてるネタ。

この小説のひっくり返す範囲はもっと大きいです。しかしそれが物語を大化けさせるどんでん返しとまでは機能しておらず、むしろ狙ったのは物語ではなく読者への疑問提示効果ではないかと思います。
つまり「噂の証言や資料にも恣意が含まれる」そもそも前提の噂は正しいの?という疑問です。よくある典型的な都市伝説の原典にも最初から錯誤が含まれているかもよ。


読書感想 「終わりなき戦い」

2022-07-03 05:36:08 | 読書感想

今週の読書。
「終りなき戦い」ジョー・ホールドマン著。

50年くらい昔のSF。有名な「宇宙の戦士」と同様に、パワードスーツを着て異星人と戦う物語なのだが、作者がベトナム戦争に参加した経験をもとに書いてるそうで、実際ハイテク兵器の設定や、SF戦術の描写はあるものの、全体的に個人の判断と行動だけではどうにもならない状況に巻き込まれて悩む、スケールの割に等身大な個人の苦しみの物語に収まってます。戦況は目まぐるしく変わり、劇中時間は2千年もかかる大規模星間戦争なのに、その中で周囲の変化に戸惑い、孤独に悩み、それでもやれる努力は尽くし、若干の諦観を漂わせ、どこまでも主人公の内面をしっかり描いており、視点のブレない長さのわりに読みやすい物語でした。

最初こそ、パワードスーツを着た戦闘技術訓練や、初の敵宇宙人と遭遇し接近戦に入ったり、SFバトルアクション要素がありますが、戦争規模が拡大するにつれ一介の歩兵である主人公の意図を超えた戦況に巻き込まれ、中盤からは輸送機内で敵ミサイル回避中には結果を待つだけの手持ち無沙汰感や、帰還後にも仕事に就けず生活が難しい現状など、状況に対して受け身にならざるを得ない主人公の悩みが続きます。それが退屈かといえば、まったくそんなことはなく、主張の少ない主人公ながら目先の状況にできるかぎり最善を尽くそうと努力します。それは敵を倒して戦争に勝つぞ、という戦意高揚の努力ではなく自分の生活や正気を維持したいという、ごく個人的な小さい努力ですけど十分共感できるもので、逆に50年前冷戦バリバリの時代に戦争と兵士の物語でありながら、こんなに肩の力が抜けた主人公が成立してたことに驚きました。

1974年のSF戦争描写ってもっとこう「戦え!負けるな!勝利を掴め!今だ必殺ウルトラスーパーミサイル光線!」みたいのを想像してました。ところが、この主人公は劇中終始一貫してずっとセックスのことばかり考えています。では頭の中が性欲でいっぱいのスケベ野郎なのかというと、むしろ逆で淡白なくらい普段の言動も思考も落ち着いてます。セックスの悩みなのは違いないけれど女性と性交したくてモテたい悩みとは違いました。2020年も過ぎた現代では性別だのジェンダー論だのが紛糾した挙げ句に混乱して、もう異性との駆け引きとか無駄なコストなので、避けれるならば避けたい事象になりました。でもこの小説内では社会における男女の役割と立ち位置は重要で、劇中でも古代人に入る20世紀生まれの主人公は、社会における男性のポジションを果たすことで所属意識を保つ考え方をしています。もちろん男女で立場も役割も違う頃に生まれ育った人間なので、意識の根本ルールとして「自分は男性であり女性と向かい合って対になって生活する」のを念頭に置いている様子です。しかし長大な物語時間の中で社会は変質し、男女差は両者を隔絶し、性愛は生殖と切り離され、出生は社会システムによって管理され、男女のあり方などまったく意味を成さない世界に取り残されてしまった主人公は、終始セックスによる社会への向き合い方を捨てられずに悩みます。つまり自分は男である、と当然の認識を持ち、男として生きるつもりだったのに、男女性差が消えてしまいアイデンティティが保てなくなってしまいました。肩の力抜いて紳士的な振る舞いしようにも「そういうのいいから」と払いのけられる状態です。彼の場合はセックスに代表される性差が社会の根本にあったので、セックスの悩みとして描かれているのだけど、これは帰属意識とアイデンティティの問題です。自分も人格形成を支えている文化基盤を全部取っ払われて、ゼロから知らない社会に馴染むしかない状況に置かれたら相当に苦しむだろうことは想像出来ます。

だからSFや戦争のモチーフを通して、なんとも頼りない自己のあり方に悩む姿は普遍的な物語として、50年近く時間が経った今でもすんなり共感理解のできる作品に仕上がっています。最初にあらすじから期待した内容は、パワードスーツ+ベトナム戦争の泥臭く血生臭いメカバトル要素だったのだけど、実際読んでみると想像したものとは大きくズレた内容でした。中盤からはよくわからない戦況をよくわからないまま生還し、自分の働きなどまるで戦果に寄与しない末端兵士が翻弄される話でしかないのですが、それでも彼は最後まで生きて帰ることを諦めないし、社会の男であることも止めないし、ラストはハッピーエンドで終わるのでキレイな読後感で終わりました。


それはさておき、この物語は壮大な異星間戦争が舞台ですが、敵異星人「トーラン」の記述があまりに少なく敵の姿が見えないため、パワードスーツを着込んだメカニカルバトルアクションを期待すると肩透かしに遭います。SF戦争に必須成分「戦闘メカVS宇宙モンスター」要素が全然足りません。読んでもさっぱり摂取出来ません。しかし作者の筆力が高いので、主人公が陥る普遍的な悩みに引き込まれてしまいます。

ちなみに戦争相手の異星文明種族「トーラン」という呼称は、地球の移民船が牡牛座アルデバラン星の近くで何者かに破壊される事件が起こり、どうやらその辺りに敵対的な異星文明がいるらしいことから牡牛座「(トーラス)のアルデバラン」星人を略してトーランと名付けられた、はるか遠くに居る、姿はさっぱり見えないけれど事件痕跡から推定される曖昧模糊とした存在で、物語序盤ではまるでイメージできないぼんやりとした敵です。ぶっちゃけ対戦相手としてのキャラクター像がまったく出来ていません。そりゃあ戦意も盛り上がらないよ。そもそもいるの?そんな奴と疑うほどに漠然としています。

そのトーランとの第一次接近遭遇と初戦闘では、何もかもが初遭遇のためトーランについての解説がほとんどありません。容姿としては、大きく膨れた胴体と大きな骨盤が細い腰で繋がっており、腕も足も細長く、頭は首がなく胴体から直接盛り上がってる形状で、目は魚の卵塊のよう、鼻の位置には房状の塊、口は喉より低いところに穴が空いてるだけで、衣服を着ている様子はなく性別もわからない。シャボン玉のような透明な球体で身体を覆い、乗り物や防護服のように使います。しかし負傷すると赤い血のような液体が流れて死にます。身体構造や科学技術体系に違いはあれど、人間と撃ち合い斬り合いが成り立つほぼ同サイズの種族でした。劇中描写を読む分には容姿や行動に共存不可能な凶暴生物としての記述が薄く、初遭遇では生態や主義主張がまったく不明なまま戦闘に突入し、一方的に殲滅して人間側が勝利しました。そして本編でのトーランの生態に関する記述もここでほぼ終わります。

以降、トーランと主人公が互いに視認できる状況での戦闘は長期間にわたり発生しません。光速で飛ぶ宇宙船で移動する間に数十年、数百年、主人公が冷凍睡眠している間に戦線はどんどん拡大し、移動中にミサイルを撃って撃たれて回避と撃沈が宇宙のそこかしこで起こり、歩兵の主人公が出る幕はありません。敵のミサイル回避は宇宙船操縦士とコンピュータに任せて、命中しないことを祈りながら加速シェルに潜り眠ることしか出来ません。宇宙戦争バトルシップアクションなどまったく期待できません。そして初遭遇時はシャボン玉に入った全裸宇宙人でしかなかったトーランは、宇宙空間での撃ち合いならば恐るべき強敵です。何せ姿はまったく見えず、広域に展開した観測機からこっちに向けて撃たれたミサイルの数と到達時間が知られされるだけで、戦ってどうにか出来る状況でもありません。ただ祈り耐えて待つだけの時間。これキッツいわ。

そして冷凍睡眠から起きれば、また時間が数百年も経っており、社会の仕組みも技術も大きく変わり、主人公はさらに悩み始めます。退役軍人の社会復帰もままならず、主人公は不本意ながら軍隊に戻りました。もう周囲に同期の友人知人は1人しか残っていませんが、その友人とは別部隊に配属されました。そしてまたもや冷凍睡眠に入り、互いに別の遥か遠くの星へ飛ばされて行きます。ウラシマ効果で寝ている間の数日が、実時間では数百年の時差になります。再会は絶望的です。

最後の戦闘場面は、サード138という縮潰星からさらに数ヶ月かかる惑星での基地建設中に起こります。縮潰星(コラプサー)ジャンプというブラックホールを利用した宇宙航行技術で数値的に意味不明なほど遠くの星へ行き、そこでトーランの襲撃を警戒しながら基地をこそこそ建てる作戦ですが、やはりここでも怖いのは宇宙船からの爆撃であり、トーランの顔など見えません。主人公はパワードスーツを着込んで基地建設と上空警戒の指揮を執ってます。書類上の従軍期間がとんでもない長さなので、戦争初期から生き残ってるだけでも昇進してしまいました。戦場で活躍してる場面は全然無いのだけど同期はとっくに戦死か寿命で誰も残っていません。そして周囲の新兵達は全員が同性愛者です。冷凍睡眠で眠っている間に人間の社会は激変しており、出生は管理され異性愛は不安定な要素として排斥されています。20世紀生まれのノーマルでヘテロな主人公は大変に悩みます。自分の学んできた社会での男性の立ち振舞作法が一切通用しません。変わらないのはトーランだけだよ。奴等はこの時代でも相変わらず恒星間長距離ミサイルを撃ち込んで来ます。

しかし、この時代の戦闘は科学技術が進みすぎて意味不明です。停滞フィールドという爆弾もレーザーも止まる空間を作り、それに入ると人間もトーランも死ぬので、停滞フィールド防御服を着た兵士が刃物で殴るという末期的状況です。それでも近接白兵戦は停滞フィールドを持ち出す前に、まず惑星破壊爆弾や防御レーザーやタキオンロケットを撃ち合って、おおよその物体がなにもかも消し飛んだ後の残存兵力が最後に使う戦術らしいです。大抵の人員は星々の向こうから飛んでくる惑星破壊ミサイルで、宇宙船や基地ごと一瞬で吹き飛ぶ戦争です。個人の才覚でどうこう出来る規模じゃないのよ。

しかし最終戦は基地占拠を狙ったトーランの歩兵部隊が殺到してくる泥沼の白兵戦です。防衛システムは焼き尽くされ、基地もミサイルの爆発エネルギーによる地震で崩壊しました。主人公は残存した兵士を停滞フィールドのドーム内に避難させました。この中には外からの砲撃爆撃の一切が止まるけど防御服無しでは生きられず、外への視界も効かないため状況も把握できません。しかし刃物は通るんだよ。外部の見えない灰色のドームに上からダーツを投げ落とす攻撃が2度、そしてドームを囲むように並んだトーランが、盾と武器を手に構えて一斉に雪崩込んできました。あとはもう乱戦乱戦また乱戦。50人いた生き残りも20人ほどまで減ったけど、その数倍のトーランの死体の山が出来たころに敵部隊は撤退していきました。そして散発的なダーツ投下攻撃はあるものの、トーラン側に大きな動きがありません。周囲の状況がわからないので停滞フィールド外へ鉄の棒を出してみると、手元に戻した棒の先は溶けて無くなっていました。つまり停滞フィールドの外は爆弾で焼かれた灼熱地獄になっています。トーラン側は周囲を焼きながら持久戦の構えです。どうしようこれ。

実は停滞フィールドは持ち運び可能です。防御服を着た人間が4人くらいで担げばフィールド発生機を移動させることが出来ます。そこで主人公は「新型爆弾時間差爆破作戦」を考えました。フィールド内にあった戦闘艇から新型の超強力な爆弾を取り外し、停滞フィールド内で起動状態にして爆弾を置いたまま、自分達は停滞フィールド発生機を抱えて移動する。停滞フィールド外に出た爆弾は爆発し周囲で待ち構えているトーラン達を一掃するだろう。するかもしれない。灰色の停滞フィールド内から外部は見えないので博打戦術ですが、他に使える策はありません。

では作戦決行、フィールド外に出た途端に爆弾は大爆発し停滞フィールド内も一瞬変な色になったけれど、概ね狙い通りに行きました。後は爆発の熱が冷めるのを停滞フィールド内で待つのだが、計算としては6日ほどかかりそう。6日間休み、試しにフィールド外へ出した鉄棒は溶けることなくそのまま戻ってきました。トーランは去ったのか。停滞フィールド発生機のスイッチを切ったところでこの戦闘の記述は終わりでした。

結果から言えばトーランは撤退しており、主人公は仲間を連れて残った戦闘艇に乗り本隊へ帰還します。
確かにSFギミックあるけど、トーランの宇宙人的描写があまりに薄いです。容姿に若干の異形部分がありますが、両手両足等身大と身体構造が人間とかわりません。しかも使う道具は、シャボン玉状の外見差異があれど、防御服に宇宙船にミサイル、近づけば盾と刃物と打撃棒、と人間と同じ動きをします。作者がベトナム戦争従軍経験をもとに書いた小説ですが、トーランてのはそのまま北ベトナム軍とソ連軍がモデルでしょう。劇中では人間とトーランの終戦協定が結ばれた後に主人公達が2百年以上の時差を経て帰還して終わりますが、主人公は最後までトーランという存在の思考を理解できずに終わります。トーランてのは他所の星で生まれた自然発生のクローン生物で、個体差が無い種族らしく、人間側もクローンが社会の維持管理を行うようになってから両者の理解が進み、ようやく戦争が終わったとあります。最初から個人では何も解決できない出来事ばかりの物語です。

では個人なんて無力、洗練された管理社会礼賛の物語かといえば、作品テーマは真逆で主人公が悩んでもがくだけでは足りないけど、そこに他者とつながる気持ちが少し足されると良いことありますよ、とキレイに締めくくられる収まりの良い話です。伊達に賞を3つも取ってません。主人公は作中通してずっとセックスに悩み続けているのに、性欲の生臭さや下卑た下心といった下半身事情はまったく無くて、性別を通して自分が社会と向き合う姿勢を真剣に考え続けてる印象が強いです。決して20世紀的タフガイ・マッチョ型の人物じゃないし、状況に流され続けても自分を見失う場面が一切無かったので、強いカッコいい頼りになるヒーローキャラでもないけど、悩みに押しつぶされる弱さもなく、一見中庸に見えて意外に芯が強く、なんとも捕らえ所のない主人公です。

SFを期待すると薄味、戦争を期待すると流れが見えず、主人公の活躍を期待すると能動的行動が少ない、それなのに全体を通して読むと壮大な宇宙戦争の中で、誠実に強かに懸命に生きる主人公の姿が見えてきます。通して読むと見えてくる主人公は苦境逆境の連続なのに、強く自己主張をするでもなく諦観すら漂わせているのに、どんな激戦の中でも常に理性的でした。
だからこれは凡人の偉大さを書いた物語に思えます。凡人なのかな?理性は凡人の誰でも備えてるものでしょう。それが無い人は粗暴や幼稚と呼ばれる低い枠で凡人には含まれないと思います。