去年の読書その2
「冷たい檻」
また伊岡瞬の作品。
北陸地方にある村の駐在所から警官が失踪した。から始まる、地方社会を舞台に医療問題をエッセンスに加えた今風な警察小説でした。現代の社会問題に誇張された凄惨さを足して、特別捜査官が謎を追う小説が読みたかったので。
内容や事件の真相などは正統派サスペンスだけど、主人公の描かれ方が少々おかしい。よくある警察サスペンスだけど、現代の事件に挑むはずの主人公が纏う80年代臭がすげえ濃い。作者のセンスが古いんじゃなくて、わざと狙って80年代マッチョ主人公を書いてるフシがすげえ高い。そして作者は80年代アクション主人公を少しバカにしてる様子もある。
というのも、表の主人公である秘密調査官・樋口透吾という人物の出番どれもが「ケンカが強くて女にモテる口の悪い一匹狼」型キャラクターの典型的な発言と行動ばかりです。そしてその全てが滑ってる。昔は通用したかもだけど今じゃイタいサムい馴染めない20世紀のカッコよさを、全身から溢れ出させてるものの、彼はあまり劇中で活躍しません。
だって、冒頭から秘密機関から司令を受ける主人公は人妻とベッドイン中で、仕事が入ったと切り上げて女性から不満を買う、古き良きハードボイルド小説主人公のごとき登場をします。野獣死すべし、伊達邦彦かよ。大藪春彦かよ。
そいで、赤い外車に乗ってとある村の駐在所にやってくるのさ。しかも女に運転させて遅刻して。赤い外車からサングラスした樋口さんが降りてくるのさ。もちろん車内の女もサングラス。あまりに露骨な狙い過ぎ感に笑っちゃった。絵面にしたらすげー80年代臭い場面しか思い浮かばないんだ。ハートカクテルかよ。いまだにバブル引き摺ってんのかよ、おめでてーな。そんな時代錯誤なハードボイルド主人公樋口透吾さんは年齢設定48歳で、20世紀の青春をいまだに忘れられずに、当時そのままライフスタイルを続けている、生きた化石のようなキャラクターでした。作者は絶対にわかって書いてると思うのよ、現代に80年代感覚のカッコよさをそのまま置くと滑稽な姿になることを自覚してるとおもうのよ。でないと、この出で立ちからのミスマッチを起こす描写までしっかり書けないからさ。
この古臭い旧時代ヒーローが遅れて現れたところを出迎えるのは現地の警察官・島崎智久29歳。バブルの幻影を纏いし樋口さんの妖しさに対して、新婚子持ち住宅ローンを抱えた地方公務員と、現代社会家庭人ロールモデルの如き地に足の付いた地味さ。そして当然この2人の会話は噛み合いません。主に樋口さんが原因で。樋口さん頭が古いんで会話スタイルが皮肉や挑発主体の昭和刑事口調なんだ。全体的に言葉足らずで説明不足なうえに、目下年下には煽るような物言いだから、余程察しの良い気配りさん以外では会話が難しいです。当然ながら島崎さんとはギクシャクした関係からスタートです。当たり前だよ、こんな80年代俺様主人公は周囲がすげーすげーと盛り上げてくれるから成立するわけで、初対面の人間へぶっきら棒に単語で話し、通じなければ皮肉や煽りで相手を貶す、そんな古い会話スタイルが通じる時代ではありません。劇中でも容姿の描写では格好良さげなんだけど、周囲との会話シーンで少々浮いて見えるんだよ樋口さん。ただでさえ口数少ないうえに主語を省いたぞんざいな物言いをするため、相手が意図を理解できずに困惑する場面が実際にあります。会って間もない相手でもお構いなしの察しろとばかりのデカい態度、しかも戸惑う相手を見下す様子さえ隠そうともしません。なにこのモラハラ捜査官。読んでて私も当惑しました。平成末期か令和初頭かの時期に、昭和の軽井沢シンドロームみたいな会話されても困るじゃない。
この小説は本編587ページもある長編で、登場人物も多い群像劇なんだけど、初っ端の時代錯誤主人公のインパクトが大き過ぎてなかなか内容が頭に入ってきませんでした。そして一般人目線代表のような現地警官の島崎さんとのぎこちないやり取りを読みながら、案の定滑ってるのを見て当初とは別の期待が湧いてきました。はじめは田舎舞台の現代病理による医療サスペンスを期待していましたが、今では登場舞台を40年間違えた骨董ハードボイルド男が現代犯罪に通用するのか、という興味です。
結果から言えば通用しませんでした。この小説は群像劇なので、事件究明に係わる複数の物語が同時進行しており、樋口さんは親子愛・人情パート担当です。樋口さんには、幼い息子を誘拐されてしまい、捜索するも手がかり無く家庭も失ったという苦い過去がありますが、うん、まー、子供の消えた家庭でこんな口も態度も悪い男と暮らせないだろ、離婚も当然だわ。そいであまり事件の核心にも迫れませんが、事故発生を防ぐことは出来ました。
この小説を要約すると田舎にある大型医療施設の児童・老人養護施設内で、違法薬剤の研究と人体実験が行われてました、という内容。群像劇らしく複数の主人公視点で話が進みます。
しかし群像劇にする必要あったか疑問です。本は厚いしボリューム多いけれど、各視点で話の進みが遅く、組織や施設構造を複雑にした設定が物語の深みに寄与してるとも感じません。先述した古い主人公の樋口さんは事件の解決に届かず、周辺で家族ドラマを演ずるだけでした。施設内部の視点になる小学生の主人公・小久保貴くんは事件を間近で見るほぼ当事者ですが、無力な子供なのでやはり解決には繋がりませんでした。思わせぶりに何度も登場する青年・レイイチは、秘められた過去と中二的多重人格キャラですが、やはり事件とは関係なく、樋口さんの誘拐された息子の成長した姿で、家族ドラマ要員でしかありません。
そもそも、この小説では「どんな問題と事件が起こっているか」描写が淡白で、警官失踪・老人転落死・不良青年惨殺、とあれこれ異常事態発生しながらほとんど報道されず、主人公も外側から調査するためなかなか核心が見えてきません。その間に島崎さんが謎の襲撃を受けて拳銃を奪われたり、地元の有力者達がゴルフをしながら癒着会話を長々を続けたり、内容が事件捜査から逸れまくります。
田舎で何か起こってるらしいけど、視点が外野か、内部でも情報の少ない子供視点なので、概要を把握するには常時情報不足な小説です。なにせ悪役の姿は見えず、被害者の存在も伝聞でしかないのだから、あとは田舎風景描写が淡々と続き、物語への掴みと引き込む力が極めて弱い。読んでて真相を知りたくなる謎や陰謀が出てこない。実は謎も陰謀もあるけれど、それはまた別の登場人物が解決します。ハニートラップで。内通者から情報を得て。つまり調査と推理に依るサスペンス的面白さに著しく欠けています。田舎の医療施設で起きた事件の謎を解き明かしていく楽しさはまったくありません。
真相は医療施設がアルツハイマー治療の新薬を開発しており、施設内の児童養護施設の子供に投与して人体実験していた、というもの。その新薬を投与された子は興奮状態になり、徒党を組んで気に入らない者を襲うことがありました、というのが起きた殺人事件の概要。
でもどちらも設定でしかなく、劇中描写では殆ど描かれません。じゃあこれなんの話なの?家族の再生の話です。昔に誘拐された子供と父親が再会する話が主題です。なんだそれ。そういうの期待してなかったんだよな。
でも樋口さんは同性には当たりのキツい不遜な性格で、しかも目下にはモラハラ気味に接するから、誘拐された挙げ句に養親から虐待され、更生施設で陰鬱に暮らすレイイチ君と上手くやってく姿が想像出来ないんだ。父と息子とはいえ、20年間離れて互いの性格は知らないし、父は子育て経験ほぼ無し、なおかつ口の悪いハードボイルド、かたや息子は危険なもう一人の人格を抱えており、すぐキレる真性中二病。巨悪と戦うバトルファンタジーなら協力もできそうだけど、日本のホームドラマやるのは無理でしょ。どっちも家族のふれあいスキル皆無だし、今から覚えるにはどちらも歳を取り過ぎてます。
最後は、ぶっちゃけ家族が再会したよ、ハートフルな心暖まるラストに仕上げましたよ、のつもりかもしれませんが、絵空事綺麗事の家族ネタで誤魔化された雑で陳腐な終わり方だと思いました。
せっかく薬で凶暴化した児童集団が出てきたのだから、小久保貴くん視点で子供バーサーカー達が暴れ狂う現場を描いて、これは早く解決しないと不味いくらいの状況理解を読者に促す文章が必要だったと思うのですが、誰が犯人かわかりきってるのに事件の発見情報を事後報告的に出すだけだから、そちらの事件も終始影が薄いままです。
先にも書いたけど、複雑な設定と多数の登場人物が互いに干渉せず別個に動くため、物語としてまとまりに欠けています。同じ舞台のオムニバス話を細切れにして時系列に沿って並べただけでした。その時系列順記述が刻一刻と状況変化する臨場感演出等にまったく繋がっておらず、頻繁な視点変更のせいで感情移入できる人物もおらず、事件概要が見えないまま停滞した物語が最後にホームドラマの前フリで終わってしまいました。それだけの話でした。
表主人公の樋口さんは、最終場面で凶暴化した子供達を追って拳銃で撃たれてしまい、結局は事件の解決に繋がる活躍はしませんでした。いつも嫌味なくらい格好つけてるけど、決定力に欠ける終わった旧世代ヒーローなのは相変わらずでした。というか、こんな古臭いキャラでは現代の事件に通用しないと描く裏テーマがあったのではないかと勘ぐっています。なぜなら中盤からやたら優秀な裏主人公が登場するからです。
裏主人公の深見梗平という人物は、職業はブローカー、施設の女性職員を篭絡し情報を引き出す等、やってることはどうにもしょぼい悪党ぽいのですが、外見はゴリラ、しかも目には知的な光があり、常に落ち着き紳士的に振る舞うなど、外見や言動にギャップのある面白い人物に描かれています。そしてブローカー職も女性篭絡も強い目的のために割り切って使う手段であり、どうも本職はまた別にありそうです。樋口さん曰く、同業な別組織の調査員らしいようで。しかし樋口さんのように人を食ったような態度ではなく、普段から礼儀正しく本人も可能な限り誠実であろうと努めているフシも見えます。調査終了後、利用した女性に対し謝罪の手紙と事件概要を報告しています。協力してくれたことへの礼と、伏せていた情報の開示と、最後に公表する判断を委ねます。汚れ仕事でもしっかり働き関係者への敬意も欠かさず、自分の行動への自覚と潔さも備えています。外見の残念さに対して中身がキレイ、とくに周囲を下げないのが気配りの要求される現代のヒーロー像を体現してる様子です。
つまり、この物語を深見梗平視点ならば、施設で進められる陰謀と周辺で起こる事件の概要を順当に追っていく、わかりやすくも複雑で濃厚な犯罪サスペンス小説になったと思います。なんでまとまりないオムニバスもどき群像劇にしちゃうかな。最後の終章で種明かしされても、それ主人公と関係ない話ですよね?としか感じませんでした。
主人公交代でも構わないんだけど、読了後は消化不良感が強く残りました。作者の中に「深見梗平物語」本編が存在するけど、それは別に取っておき今回はスピンオフ周辺外伝を1本にまとめてお出しされたような、中心の情報を伏せられたまま関連設定だけを読まされたような、作者の作品を網羅してる読者向けの内輪作品を間違えて手に取ってしまったような、そんな場違い拒絶感が読書中ずっと消えませんでした。
自分の好みに合わなかったんだよ。