身内が入院しました。
母が15年間人口透析で通院した病院です。
増改築はしたものの、勝手知ったる場所です。
初めてこの病院を訪れた時、母の病状は芳しくなく、病院の先生から助からないかも
知れないとの宣告をうけていました。
病院の玄関から母の病室までのみちのりがやけに長く感じられ、エレベーターの中では
母の病状の変化が気がかりで、一刻も早く母の顔が見たいのに、その動きが
あまりにも遅く感じられ、いらだったものでした。
皆一応に自分の母親の存在は偉大で、その思いは言葉では言い表せないものでしょう。
私の場合も例外ではなく、というより少々マザコンの私にとって母は、まさに私の全て
でした。
自分の命と引き換えに母が助かるのなら、そうして欲しいと真剣に考えました。
母が死んでしまうのなら、生きていたくないとも思いました。
そう考えると母の人生は、幸せだったのだと思います。
だって、こんなふうに考える”わたし”を産んで育てたのですから...。
身内は検査入院のため、まだ入院期間ははっきりしていません。
早く元気になって元どおりの生活に戻れることを、心から願っています。
母が入院していた時に、じれったいほど遅く感じられたエレベーターが、
まだ残っていました。
実際のスピードも実は、かなり遅いようでした。
母が15年間人口透析で通院した病院です。
増改築はしたものの、勝手知ったる場所です。
初めてこの病院を訪れた時、母の病状は芳しくなく、病院の先生から助からないかも
知れないとの宣告をうけていました。
病院の玄関から母の病室までのみちのりがやけに長く感じられ、エレベーターの中では
母の病状の変化が気がかりで、一刻も早く母の顔が見たいのに、その動きが
あまりにも遅く感じられ、いらだったものでした。
皆一応に自分の母親の存在は偉大で、その思いは言葉では言い表せないものでしょう。
私の場合も例外ではなく、というより少々マザコンの私にとって母は、まさに私の全て
でした。
自分の命と引き換えに母が助かるのなら、そうして欲しいと真剣に考えました。
母が死んでしまうのなら、生きていたくないとも思いました。
そう考えると母の人生は、幸せだったのだと思います。
だって、こんなふうに考える”わたし”を産んで育てたのですから...。
身内は検査入院のため、まだ入院期間ははっきりしていません。
早く元気になって元どおりの生活に戻れることを、心から願っています。
母が入院していた時に、じれったいほど遅く感じられたエレベーターが、
まだ残っていました。
実際のスピードも実は、かなり遅いようでした。