正しい姿勢のポイントとなるのは
バランスと脱力です。
力を抜くとだらけた格好になるのは
バランスが悪い形だからです。
座る際の土台になるのは骨盤ですが
その土台からバランスを崩していれば
体を支えるのに多くの力を費やすことになります。
骨盤のバランスをとり、
そこに体がただ乗る状態にするわけです。
バランスがよければ力は使う必要は無くなります。
それでも力はゼロではない。
よりゼロに近づけられるよう更にバランスを
常に見直す作業をし、
よりバランスが良くなれば更に力を抜けるわけです。
その作業を力が限りなくゼロに近づけていく。
バランス感覚と脱力は互が互を磨き合うように
高められていきます。
以前座禅を行うときに
体を揺らし、次第に揺れを小さくさせてゆく
坐禅のやり方を教わったことがあります。
教わったときは単なる作法的なものと思っていましたが
これも揺れを次第に小さくさせることは
体の中心を求めていくことではないかと思います。
「今の揺れを半分に」「また半分に」「さらに半分に、、、」と
そのうち見た目には静止しているようでも
本人はその揺れを小さくさせることを永遠に行う。
感覚の中、意識の中ではそれは可能なことです。
それだけを意識することで
少なくともそれ以外のことは考えないで済むと思えば
いわゆる雑念をなくすことにつなげられるのかなと思う。
このような訓練をイザ、勉強しようとするときに
やっても当然ダメなのです。
座る訓練は脱力とバランスに集中することになるので
勉強なんてやる暇はありません。
だから日常の中やトレーニングとして
普段から体に覚え込ませておかねばなりません。
体に覚え込ませ、体が勝手に楽な状態に維持できるようにし
いざ、勉強するときは、
頭は勉強に集中させるわけです。
つづく
バランスと脱力です。
力を抜くとだらけた格好になるのは
バランスが悪い形だからです。
座る際の土台になるのは骨盤ですが
その土台からバランスを崩していれば
体を支えるのに多くの力を費やすことになります。
骨盤のバランスをとり、
そこに体がただ乗る状態にするわけです。
バランスがよければ力は使う必要は無くなります。
それでも力はゼロではない。
よりゼロに近づけられるよう更にバランスを
常に見直す作業をし、
よりバランスが良くなれば更に力を抜けるわけです。
その作業を力が限りなくゼロに近づけていく。
バランス感覚と脱力は互が互を磨き合うように
高められていきます。
以前座禅を行うときに
体を揺らし、次第に揺れを小さくさせてゆく
坐禅のやり方を教わったことがあります。
教わったときは単なる作法的なものと思っていましたが
これも揺れを次第に小さくさせることは
体の中心を求めていくことではないかと思います。
「今の揺れを半分に」「また半分に」「さらに半分に、、、」と
そのうち見た目には静止しているようでも
本人はその揺れを小さくさせることを永遠に行う。
感覚の中、意識の中ではそれは可能なことです。
それだけを意識することで
少なくともそれ以外のことは考えないで済むと思えば
いわゆる雑念をなくすことにつなげられるのかなと思う。
このような訓練をイザ、勉強しようとするときに
やっても当然ダメなのです。
座る訓練は脱力とバランスに集中することになるので
勉強なんてやる暇はありません。
だから日常の中やトレーニングとして
普段から体に覚え込ませておかねばなりません。
体に覚え込ませ、体が勝手に楽な状態に維持できるようにし
いざ、勉強するときは、
頭は勉強に集中させるわけです。
つづく