谷村新司さんが今月8日に亡くなりました。74歳でした。謹んで哀悼の意を表します。
私の大学生の頃、アリスは全盛期でグループとしてのヒット曲は勿論、チンペイさん、ベーヤンのソロもヒットしました。
アリスの数々の曲の中で思い出に残る一曲をあげるとしたらやはり「チャンピオン」です。
もう30年近く前になりますが、以前お世話になっていた会社の社長から「私が社長を辞める時にこの曲を歌って送り出してくれ」と言われたことがあります。その約束を果たすことができず、その社長も既にお亡くなりです。そういう思い出と不義理の悔いを残した楽曲がチンペイさん作詞作曲の「チャンピオン」なのです。
この曲のモデルとなったプロボクサーが元東洋ミドル級チャンピオンで「和製クレイ」と呼ばれたカシアス内藤氏です。神戸市生まれの彼は当時の世相を考えると黒人との「混血児」と差別を受け続けてきたことが容易に想像できます。私の子供のころでもハーフの子供は「混血児」と差別され、日本人ではない異形の存在として生きていかなければならない宿命を背負っていました。ましてや黒人のアメリカ兵との間に生まれた混血児であれば、その人生の過酷さは筆舌に尽くしがたいものだったと思います。
そのカシアス内藤をモデルにして作られたのが、アリス最大のヒット曲となった「チャンピオン」でした。
【カシアス内藤】(本名は内藤純一)
黒人のアメリカ兵と日本人女性との子として神戸で生まれ、横浜で育った。父は1951年に朝鮮戦争で戦死している。神奈川県の武相高校でボクシング部に入部し、インターハイに出場、ミドル級の高校チャンピオンとなる。プロとしてのリングネームはカシアス・クレイ(のちのモハメド・アリ)から取った。内藤自身は「カシアス」のリングネームに気が重かったが、デビュー翌年から名トレーナーとして知られるエディ・タウンゼントの指導を受けると連勝街道を邁進し、無敗のまま1970年2月に日本ミドル級チャンピオン、翌1971年1月には東洋ミドル級チャンピオンとなり、周囲は重量級の世界チャンピオンの誕生を期待するようになる。
しかし、恵まれた才能を持ちながら、元来の気が優しく精神的に脆い面が災いして、後に輪島功一を倒して世界チャンピオンとなる韓国の柳済斗に敵地で敗れ、東洋ミドル級タイトルを失うとともに初黒星を喫すると、以降は精彩を欠いた試合を続けるようになった。一足先に重量級の世界チャンピオンとなった輪島とは、ノン・タイトル戦ながら1972年2月に試合を行っており、ダウン応酬の壮絶な打撃戦の末に7回KO負けしている。戦績が下降線を辿るようになってくると、勢いのある選手の「かませ犬」のような存在となり、1974年にやはり後の世界王者である工藤政志に判定負けし、一旦表舞台から姿を消した。
4年後の1978年10月に突然復帰して2連勝し、その余勢を駆って1979年8月に韓国のソウルに乗り込み、朴鍾八との東洋・太平洋ミドル級王座決定戦に挑むものの、2回KO負けを喫し、その年の末に現役を引退した。
通算成績は39戦27勝(13KO)10敗2分。
(Wikipediaより)
作詞、作曲:谷村新司
つかみかけた 熱い腕を 振りほどいて 君は出てゆく
わずかに震える 白いガウンに君の 年老いた 悲しみを見た
リングに向かう 長い廊下で 何故だか急に 君は立ち止まり
ふりむきざまに 俺にこぶしを見せて 寂しそうに 笑った
やがてリングと拍手の渦が 一人の男をのみこんで行った
(You're King of Kings)
立ち上がれ もう一度その足で
立ち上がれ 命の炎を燃やせ
君はついに立ち上がった 血に染まった赤いマットに
わずかに開いた君の両目に光る 涙が 何かを語った
獣のように 挑戦者は おそいかかる 若い力で
やがて君は 静かに倒れて落ちた 疲れて眠るように
わずかばかりの意識の中で 君は何を考えたのか
(You're King of Kings)
立たないで もうそれで十分だ
おお神よ 彼を救いたまえ
ロッカールームのベンチで君は
切れたくちびるで そっとつぶやいた
(You're King of Kings)
帰れるんだ これでただの男に
帰れるんだ これで帰れるんだ
Oh ライラライラライラライ
ライラライラライラライ
ライラライラライラライララーイ
若いころの私は、ただタイトルを失った老いたチャンピオンの悲哀と燃え尽きた安堵を歌った曲だとしか感じられませんでした。当時は大学生でしたし、これからの未来に夢も希望もありました。何より、学生という自由気ままな境遇の中で耳にした曲だったので、この曲の歌詞の本当の意味を感じることができませんでした。年月を重ねて少しずつ老いを意識するようになると、この曲の悲しさが身に染みてきます。
聞く人によって違った人生にこのチャンピオンの姿を重ね合わせて、様々な悲しみと勇気をもらっていたのだと気づかされました。アリスの最高の楽曲と称えられている「チャンピオン」。この歳になって本当の深い意味を知ることになりました。
谷村さんが人気絶頂の山口百恵さん(私は彼女と同い年です。"花の中三トリオ"と呼ばれていた時、私も中学三年生でした)に提供したのが、彼女の最大のヒット曲になったミリオンセラーの「いい日旅立ち」です。
当時の国鉄の旅行誘致キャンペーンソングとして制作された曲ですが、スポンサーだった日本旅行と日立製作所をまんべんなくにじませながら曲を作ってほしいという要請にも応えたタイトルだったというのは後日談です。「日」と「旅」(日本旅行)、「日」と「立」(日立製作所)をさりげなくタイトルに埋め込んだ作品となっています。曲のタイトルの幸せそうな響きから結婚式などの祝い事で歌われることも多いのですが、歌詞を聞くとそんな祝いの席で歌うような意味ではないと気づかされます。
当時、阿木燿子、宇崎竜童夫妻コンビで作られた曲を歌うことの多かった彼女にとって、この「いい日旅立ち」とさだまさし作の「秋桜」の2曲はイメージが大きく変わることもあって、逆に大ヒットすることに繋がったのではないかと思っています。ちなみに余談ですが、昭和のヒットメーカーだった阿久悠氏は山口百恵さんに1曲の歌詞も書いていません。業界七不思議のように言われることもありますが、阿久悠さんは「山口百恵という歌手が怖くて歌詞が書けなかった」と語っておられました。本当のところはよく分かりませんが・・。
この曲は後にJR西日本のキャンペーンソングとしてリメイクされ、鬼束ちひろさんの歌唱による「いい日旅立ち・西へ」として、リバイバルヒットしました。つい最近まで、東海道・山陽新幹線の車内で流れる停車駅接近メロディは、JR東海が「AMBITIOUS JAPAN !」、JR西日本が「いい日旅立ち・西へ」でした。
数々の名曲を残して旅立ったチンペイさん。
チャンピオンのいい日旅立ちです。いつの日か、私がそちらに行った時、また数々の名曲を聴かせてください。
そう言えば、阿久悠さん作詞、谷村新司さん作曲の「今ありて」。来春の選抜は色々な想いが巡って来そうです。
カシアス内藤さんがモデルというのは何となく知っていました。谷村さんの訃報に際して内藤さんが「順番が違う」と悲しんだという話を聞いて、少しこみ上げるものがありました。
余談ですが、当時は、わが大学は2年生からゼミが始まり、新歓コンパとかあったのですが、その席で先輩がこの曲を歌ってくれたのは今でもよく覚えています。(1999年ですね)
先日のKANさんといい、今年は著名人の訃報が多いですね。
合掌。
「チャンピオン」
この曲には後日談があって、カシアス内藤氏がアリスの面々と対談する機会があり「あの曲は素晴らしいですね」と伝えると谷村さんが「あの詞は君のことを書いています」と述べて、内藤さんはその時初めて自分の歌なのだと知ったそうです。
年老いてかませ犬となったボクサーの悲哀よりもチャンピオンとしてタイトルを失った時に10カウントを聞くような展開の詞は谷村さんのやさしさのように感じました。