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私大の5割強が定員割れでも日本社会に根付く「学歴至上主義」…もはや「4大卒」はブランドでもなんでもない

2025年01月16日 00時03分23秒 | 教育のこと








私大の5割強が定員割れでも日本社会に根付く「学歴至上主義」…もはや「4大卒」はブランドでもなんでもない
1/5(日) 9:10配信




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みんかぶマガジン
(c) Adobe Stock


 大学の新設と少子高齢化が進み、日本は「大学全入時代」に突入した。新進気鋭の学歴研究家・じゅそうけん氏は、「四年制大学を卒業したというだけでは全く価値を見出せない時代になった」と話す。大学受験の現状と、そんないまだからこそ考えたい大学進学の意義について、じゅそうけん氏が語る。全4回中の2回目。


※本記事はじゅそうけん著「受験天才列伝――日本の受験はどこから来てどこへ行くのか」(星海社新書)から抜粋、再構成しています。


学生に「きていただく」ための入試
 私大バブル期は、受験生人口に対して大学の募集枠が少なく、「入りたい大学より入れる大学」とすら言われていましたが、平成・令和の時代になると状況が一変します。


 少子化で受験生人口が頭打ちになるのは目に見えているにもかかわらず、大学の新設が相次ぎ、受験者数を大学定員が上回る「大学全入時代」が到来したのです。


 今や学力選抜(一般入試)で一定以上の学力を持つ学生を確保できるのは、国立大学と一部の私大のみではないでしょうか。偏差値がある程度下がってしまうと、「学生に来ていただく」ための入試となり、事実上形骸化しているというのが現状でしょう。


 文部科学省はこの30年、大学の新設を次々と認可してきました。第二次ベビーブーム(1971年~1974年)以降、日本の出生数は減少の一途を辿り、少子化が進んでいくのは目に見えていたのに、そんな流れに逆行するかのように大学の数は増えていきました。2024年現在では約800の四年制大学が存在しています。


 1989年(平成元年)の大学数は499校でしたが、2023年には810校となっているので、平成から令和の30年あまりで約300校が新たに開校したことになります(年間10校ペース)。


 こうした大学乱立の主因として、「大卒資格」の需要が急激に増加したことが挙げられるでしょう。


 給料が高く、安定した会社に勤めるためには、「大卒であること」が必要であるという共通認識が生まれ、平成以降に大学入学の同調圧力が一気に高まったと言われています。


 企業側も積極的に大卒者を求めるようになり、大学の本来の目的から乖離した「就職予備校」としての機能が大学に求められるようになっていきます。実際、私が以前勤めていたM銀行もそうでしたが、大企業のエントリー欄は四年制大学卒業見込み者でないと入れないところがほとんどです。


 こうした民間企業側の動きもあって、大学であればどこでも良いと考える層も一定数発生してしまい、名前を書けば入れると言われる「Fランク大学」*の乱立を招きました。大学によっては、入学後に分数や漢字の書き取りのおさらいテストを20歳前後の学生にさせるところもあるようです。これでは一体なんのための大学なのかわからないですし、こうした「とりあえず四大」派の人は専門学校などで手に職をつけた方が良いと感じるのは私だけでしょうか。


*大手予備校が作成する偏差値表において、偏差値35未満に位置する「ボーダーフリー大学」のこと

「高卒・短大→寿退社→専業主婦」ルートの崩壊
 とはいえ、「大学進学者数」に目を向けてみると、ここ数十年で減っているどころか徐々に増えていることがわかります。


 子供の数が減っているのにしばらく大学進学者数が伸び続けていた理由は、ズバリ「女子進学率の大幅上昇」です。


 男女共同参画社会に向けて男女雇用機会均等法が施行され、1990年代半ば以降、女性も学歴をつけて男性と対等に働こうという流れが加速しだしたのです。


 こうした流れを受けて、短大で家政学や文学などを学んでいた学生が、四年制大学に進むケースが増え始めました。短大はそこから約25年で250校以上減少し、その分だけ女子の四年制大学進学者が増加しました。以前は男子学生がメインであった社会科学系、理工系などの分野においても、女子学生数の上昇が目立ち始めました。


 つまり、ここ数十年は同世代人口の減少を女子の大学進学率の増加によって補い、「見かけの大学進学者数」を保ってきたという実情があります。


 ただ、現在では男女で大学進学率にほとんど差がなくなってきており、大学進学率はこのまま頭打ちとなり、受験者数は同世代人口の減少に対応して減っていくはずです。今後、定員割れとなる大学はみるみる増えていくことが予想されます。


 実際、近年ではボーダーフリーで名前を書けば入れるとも言われる「Fランク大学」の増加が問題視されるようになってきています。大学に入ること自体は誰でも可能となり、昭和の時代に重宝されていた「四大ブランド」はすっかり威光をなくしてしまったのです。


 その結果、現在はなんと私立大学の5割強が定員割れという由々しき事態が起こっています。


「四大卒」だけではもはや価値はない
 いまだに日本人の学歴信仰は根強いですが、昭和の時代と比較するといくらか弱まっているように見受けられます。その理由として、日本社会が必ずしも学歴があれば報われる社会とは言えなくなってきているという背景があります。


 1960年代の高度経済成長期には、一度大企業に入社さえしてしまえば、終身雇用制のもとで事実上一生安泰という状況になっていました。そのため、良い企業に「就社」するための切符としての「学歴」が重要視されることになっていたのです。


 しかし、1990年代以降にバブル崩壊、リーマンショックなどを経験したことで、高学歴になって大企業に入れば将来安泰とは言っていられなくなりました。欧米のような成果主義・能力主義型の企業も増え、学歴にあぐらを掻いて窓際社員を謳歌していれば、年収1000万円が確約されていた時代は過去のものになろうとしています。


 それこそ、以前は「四大卒」というだけでブランドになったところが、現在ではボーダーフリーの「Fランク大学」が乱立する事態となり、四年制大学を卒業したというだけでは全く価値を見出せない時代になってしまいました。むしろ、一定のライン以下の四大に行くくらいなら、高校卒業後そのまま社会に出たり、専門学校などで簿記やプログラミング等を学んで手に職をつけたりした方が良いのではないかと感じます。



それでも根強い“学歴至上主義”
じゅそうけん著「受験天才列伝――日本の受験はどこから来てどこへ行くのか」(星海社新書)


 実際、難関大学と言われる大学を出ても、特に文系などは就職活動に失敗し、ニートやフリーターといったワーキングプアに陥ってしまう人も少なくなくなりました。私が以前副店長を務めていたイベントバーでは、高学歴フリーターのような人たちの憩いの場と化しており、そうした人たちの苦境を数多く目にしてきました。


 特に文系においては、コミュニケーション能力や社会性などが伴っていないとたとえ高学歴であっても民間就職は厳しく、そうしたところからこぼれ落ちてしまって浮上できなくなってしまっている人たちはかなり多いのです。


 ただ、学歴があれば必ずしも報われるとは言えなくなってきているものの、依然として学歴至上主義的な価値観は蔓延しています。Xなどを見ていると、「偏差値が高い大学の方が偉い」「一般入試受験者が偉い」といった主張が今でも多く見られます。


 学歴がキャリアに関係なくなってきているとはいえ、学歴というのは人生における大一番の結果であり、個々人の思い入れが最も大きいものの一つになっています。学歴至上主義的な価値観は、当面消えることはないでしょう。





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