れもん&みるく

徒然日記

長崎県・軍艦島へ

2014年03月23日 17時38分00秒 | おでかけ・仏像・ 美味しいもの
20歳で中型二輪免許を取得
それからはGW、盆休み、秋の連休・・・
休みはほとんどツーリング

バイクショップのツーリングチームで知り合った
Nちゃんと そのお友達(今では旦那さん)と
一緒に走るときは
ペンションや国民宿舎などを予約して
計画的に走っていましたが

れみパパと二人の時は
小さいテントとシュラフを積んで
行きあたりばったりの
放浪旅がほとんど・・・

そんな貧乏旅行が染みついていて
今回も新聞広告で
2泊3日「昔日の面影を求めて軍艦島へ」
15000円ってのに飛びついてしまった



藤城清治先生の影絵「軍艦島」

先生が晩年いろいろな所へ出向かれ
残しておきたいと思った景色を影絵にされている

その軍艦島をこの目で見たかった

そのツアーが15000円って~

金曜日16:50大阪南港フェリーターミナル発



久しぶりの船旅ってことでウキウキ

タラップがはずされ
停留用のロープがはずされるところから
出航の瞬間を楽しみます

夕陽に染まる六甲



明石海峡大橋と夕陽





そして本日の寝具
シングル布団2分の1
富士山の山小屋状態



そうだよな~15000円だもんなぁ~

土曜日 5:30 新門司港着
5:50~3時間バス移動

9:00 長崎フェリーターミナル発
軍艦島クルーズ船




長崎港から19キロ
端島(はしま)は軍艦「土佐」に似ていると言うことで
軍艦島と呼ばれています。

世界遺産の候補リストにも入っている

海底炭鉱の島で
炭鉱で働く人々のために
大正時代から次々と
鉄筋コンクリートのアパートが立てられ
病院・学校・神社・寺・娯楽施設・プール・・・
東京ドーム1.5倍くらいの大きさの島に
最盛期5300人の方が住まれていたそうです。

炭鉱の仕事は重労働、危険を伴う仕事の為
高収入を得ることができ
島で暮らす方々は裕福な暮らしをされて
いたということです。

石炭が石油へとエネルギー需要が変化していき
昭和49年閉山その後無人島となります。

長崎港を出てしばらくすると
三菱重工長崎造船所 立神ドッグ



大型客船を製造中でした

伊王島・高島の横を通り
いよいよ端島が見えてきます。

伊王島や高島のような島とはまったく別物



軍艦島クルーズの3分の1は波や天候で
上陸できないそうですが

波も穏やかで晴天
上陸して説明を聞きます



真ん中に白く見えるのは灯台です。
無人島になってから建てられたそうです。
炭鉱は24時間3交代勤務だったので
島は夜も明るく灯台は必要なかったそうです



奥の建物は小中学校
左手は島内で一番大きい社宅
その屋上は幼稚園
社宅の家賃は10円(昭和40年代)だったそうです。

少し飛び出ている三角屋根は神社



この角度から見る島の全貌が
軍艦「土佐」とよく似ているそうです。



今の日本があるのも
こうやって支えてくださる方々がいたから
ねぎらいの気持ちで見学してくださいと・・・

いいくにつくろう鎌倉幕府
縄文弥生時代からの歴史の年号は
学校で習いますが
息子たちは昭和史が苦手
平成生まれの息子たちにとっては
昭和も歴史の勉強をしないと
わからないことばっかりですからね

世界遺産になって
日本を支えてきた産業を
アピールできることも大切かもしれないですね。

コメント (4)
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