2016年1月中旬、僕は再び旅に出た。
目的は、留萌本線に乗って終点の「増毛(ましけ)」駅まで行くこと。
昨年夏、留萌~増毛間(16.7キロ)の2016年度中の廃止が正式に発表され、留萌本線自体の将来もそう長くはないという噂を耳にするようになった。
新幹線開業の裏で厳しい現実を伝える記事を読むうち、北国ならではの旅情が漂う留萌本線と、以前から訪問したかった増毛の町を見てみたくなった。
真冬の鉄道旅・最終章の舞台は、昭和期のニシン漁繁栄の歴史が残る、日本海沿岸の小さな港町だ。
1月18日、月曜日。
函館の旅から一旦帰宅し、週末を挟んで再び朝の札幌駅にやってきた。
まずは留萌本線の起点である深川駅を目指すため、9時41分発の特急「オホーツク」3号に乗車する。
指定席券を握りしめて7番ホームへと上ると、少しレトロな鋼鉄製の車両が既に入線していた。
国鉄時代から活躍する「オホーツク」の車両、個人的にJR北海道内の車両では最も好きなデザインで、一度乗車したいと思っていた。
しかも先頭車両は「白ボウズ」の愛称で鉄道ファンに親しまれている希少な車両である。これは幸先が良い。
深川駅までの1時間弱、短い間ではあるが旅を楽しませてもらおう。
特急「オホーツク」は札幌~網走間を5時間半かけて結ぶという中々タフな列車であるが、この日の乗客はそれほど多くはなく、空席が目立っていた。
落ち着いた色合いの内装はこれまたレトロ。車両が重たいためか主力選手の特急車両と比べると加速が鈍く、エンジン音を唸らせながら一生懸命にスピードを上げている感じが愛おしくもある。
車掌さんが国鉄末期から従事しているかのような風格ある年配の方であったのが、これまた嬉しい限りである。
心地の良い速さで流れてゆく車窓の風景を眺めていると、雪原の向こうに美しい山々が見えてきた。
あれはピンネシリだろうか。
10時54分、定刻通りで深川駅へと到着。
名残惜しくはあるが列車を降りる。
かつては名寄とを結んでいた「深名線」の起点でもあった深川駅であるが、平成の頭に路線が廃止され、現在は札幌~旭川に存在する中継駅のひとつでしかない印象を受ける。
そんな深川駅から、全長66.8キロの留萌本線は延びている。
すぐ向かいのホームに、11時8分発の増毛行き普通列車がポツンと停車していた。
予想に反して2両編成で、しかもその2両目は立ち入りが禁止されている。
車庫への回送車両だろうか、留萌方面に車庫なんてあるのだろうか、などと疑問を感じつつも乗りこんだ。
遅れている特急列車の接続待ちで15分ほど待たされ、ようやく出発する。
留萌~増毛間の廃止報道がされて以来、各地から鉄道好きが訪問するようになったために留萌本線の利用客は増えているという。
この日もそれなりに乗客の姿があったが、乗車目的、撮影目的のお客さんが半分以上である印象を受けた。
地元住民の利用はやはり少ないのであろうか。
駅を出て函館本線から遠ざかると、列車はしばらく広大な農村地帯を走る。前方を望むと雪原に真っ直ぐな線路が続き、なんとも気持ちの良い光景だ。
そんな中に「北一已(きたいちやん)」「秩父別(ちっぷべつ)」「北秩父別(きたちっぷべつ)」などの秘境駅ファンに人気の駅たちが続く。秘境駅だけあって、いずれの駅も利用客は居ない。
1972(昭和47)年まで札沼線が繋がっていたという「石狩沼田」駅では地元住民らしきおじいさんが一人乗車したが、隣の「真布(まっぷ)」駅ですぐ下車してしまった。
その後はNHK連続テレビ小説『すずらん』のロケで使用された「恵比島」駅、有人駅時代の立派な駅舎が残る「峠下」駅など個性的な駅が続くが、やはり乗下車客は一人も居ない。
12時15分、路線内で最も大きな駅である「留萌」駅に到着した。
15分の停車時間があり、その間で後ろの回送車両を切り離す作業が行われるのだが、ここで時刻表を見てようやく納得した。
こちらの回送列車は、このあと運行される留萌発・深川行き普通列車の車両だったのだ。
起点の駅までカラの車両を運んでいたというわけだ。
2年前に札幌からママチャリでやってきた事のある留萌駅。列車だとまた違った到達感がある。
跨線橋から駅構内を眺めると、小さなワンマン列車の停車駅には不釣り合いなほどの広大な駅構内が広がっているのが分かるが、これは国鉄時代に巨大ターミナルであった名残である。
現在でこそ盲腸路線の中間駅である留萌駅だが、かつては日本海側を北上し、宗谷本線へと繋がる「羽幌線」(141.1キロ)の起点として栄えていた。
駅には羽幌からの石炭を積んだ長大な貨物列車がひっきりなしに停車し、加えて増毛からのニシン輸送の列車も多くあったことから、昭和期の留萌駅がどれほど重要な拠点であったかがお分かりいただけるだろう。
当時の留萌本線は、北海道の経済を支える幹線のひとつともいえる路線であった。
1987(昭和62年)の国鉄民営化に伴い羽幌線は廃止され、留萌本線は完全なる盲腸線となる。
現在は1日10数本のワンマン列車が運行されるだけの細々とした路線へと成り下がり、「本線」とは名ばかりとなってしまった。
しばらくして留萌駅を発車すると、列車はすぐに日本海へと出る。
海岸線に沿って続く線路からは、寒々しい真冬の海と、古びた海沿いの住宅がポツリポツリと見えるだけだ。
1月の日本海には色が無い。
「瀬越(せごし)」「礼受(れうけ)」「信砂(のぶしゃ)」「舎熊(しゃぐま)」といった独特な名前の駅が短間隔で続くこの区間こそが、2016年度の廃止が決定している区間である。
この辺の利用者は1日で数人にも満たないというのが現状で、それに加えて海岸段丘に沿って敷かれたこの区間では雪崩や土砂崩れの被害が多い。数年前にも土砂が線路上に流出したために運行が休止となった時期があった。維持費などの問題を受けての廃止決定だったようである。
これらの個性的な駅名がもうすぐ消えてしまう事を考えると、残念なものである。
(注:2016年3月現在、留萌~増毛区間は気温上昇による雪崩が危惧されているため、終日運行見合わせが続いており、再開時期は未定とのこと。)
礼受駅は北海道内ではおなじみの「貨車駅」であった。潮風を受けているせいなのか傷みが目立つが、数日前に宗谷本線の「安牛」駅を利用した身なので、もはや驚きもしない。
意外な事に、この駅ではおじさんがひとり下車した。服装では地元の人かどうかは判別できなかったが、乗客の視線が一斉に注がれていた。
「朱紋別(しゅもんべつ)」「箸別(はしべつ)」と小さな駅が続き、列車は10数人の乗客を乗せて、いよいよ終点の「増毛」駅へと辿り着いた。
続く。