1月18日、午後3時過ぎ。
数分ほど坂道を登ると、高台のてっぺんに「旧・増毛小学校」の木造校舎が見えてきた。



…予想以上に大きな校舎だ。そして言うまでもなく、その年季の入り具合も相当なものである。
黒ずんだ壁を見上げてみると恐ろしいほどの迫力があり、思わず顔が強張る。
建物を見てこれほどの恐怖を覚えたのは初めてだ。


旧・増毛小学校は昭和11(1936)年に建てられたというから、かれこれ80年も前の建築物だという事になる。これほどまでの大きな校舎は住民からの多額の寄付のおかげであり、1000人もの生徒が収容可能であったという。
こちらも増毛町の繁栄を物語る貴重な遺産であると言えるだろう。
ひとり眺めていると、賑やかなニシン漁の掛け声がどこからか聞こえてくる気がする。

驚くべきことに、こちらの校舎は平成24(2012)年まで現役であったという。
古い校舎は危険だという事で、現役時には建物の保存か建て替えで大きく議論されていたが、最終的には近くにある旧・増毛高校の校舎に移転するということで決着がついた。
現在は立ち入りもできず完全に閉鎖されているが、保存か解体かはまだ決まっていない。
いずれ内部も見学できるよう開放してもらいたいものだ。

グラウンドの向こうに海が見える。
増毛の活気の源であった日本海を見下ろしながら、子供たちは日々ここで学んでいたのだ。

そして海とは反対側の内陸部を望むと、白く雪をかぶった暑寒別岳がそびえ立っていた。
雄大な景色である。
増毛の名物である國稀酒造の地酒は暑寒別岳の伏流水を使用しているというから、この山も町に恵みをもたらす「母なる存在」に違いない。

…さて、列車の発車時刻が近づいてきたので、駅まで戻ってきた。
記念撮影の定番であるこの駅名看板も、あと1年ほどで見納めである。


待合室には、少しくたびれた何冊もの「駅ノート」があり、増毛駅の人気を物語る。
わずかな時間の中でページをめくっていくと「もうすぐ見られなくなると聞き、訪問した」「廃止が残念!」などの記述が目立つ。
いくつかのページには、留萌本線の廃止に関する新聞記事が綺麗に切り抜かれ、貼られていた。

ご存知の方も多いかと思うが、増毛駅はその珍妙な駅名のおかげで全国からマニアがやってくるパワースポット(?)となっている。
ノートの記述の中には、JR四国の「半家(はげ)」駅から阪急電鉄の「桂(かつら)」駅を経由して増毛駅に来たという物好きな旅人の記述もあり、「ハゲからぞうもうへ」の黄金プランに思わず笑ってしまった。
証拠として整理券をきちんと貼りつけてあるのがマニアの鑑である。

ホームで乗客を待つ15時41分発の普通列車に乗り込む。
車内には、自分と同じ列車で降り立った何人かの旅人が既に乗りこんでいた。
皆、静寂に包まれた真冬の増毛町を見て何を思ったのだろうか。
残念ながら、増毛町はつい先日、留萌~増毛間の2016年度の廃止についてを完全に同意。留萌市もこれを認める動きにあることから、この区間の16年度中の廃止は確実となってしまった。
雪崩と土砂崩れの危険により運行を休止していた区間であったが、4月28日より再開する予定であるため、これからは廃止を惜しむファンで更に賑わう事となるだろう。
帰宅後、あの雑貨屋さんで購入した置物を開けてみた。

何とも可愛らしい、いくつもの貝殻で出来た亀の置物。
首をつつくと赤べこよろしくユラユラ上下に揺れるのが素敵だ。
貝、亀ともに金銭に関する縁起物であるためなのか、これを購入してからというもの金運に恵まれている気がする。実際この旅の帰り道、旭川のショッピングモールで1000円札を拾ったほどである。
今回も良い一人旅だったな…、と部屋でひとり満足していると、亀さんの首が「うんうん」とばかりに微かに揺れたような気がした。
「増毛を歩く ~留萌本線終着駅の旅~」
完。
数分ほど坂道を登ると、高台のてっぺんに「旧・増毛小学校」の木造校舎が見えてきた。



…予想以上に大きな校舎だ。そして言うまでもなく、その年季の入り具合も相当なものである。
黒ずんだ壁を見上げてみると恐ろしいほどの迫力があり、思わず顔が強張る。
建物を見てこれほどの恐怖を覚えたのは初めてだ。


旧・増毛小学校は昭和11(1936)年に建てられたというから、かれこれ80年も前の建築物だという事になる。これほどまでの大きな校舎は住民からの多額の寄付のおかげであり、1000人もの生徒が収容可能であったという。
こちらも増毛町の繁栄を物語る貴重な遺産であると言えるだろう。
ひとり眺めていると、賑やかなニシン漁の掛け声がどこからか聞こえてくる気がする。

驚くべきことに、こちらの校舎は平成24(2012)年まで現役であったという。
古い校舎は危険だという事で、現役時には建物の保存か建て替えで大きく議論されていたが、最終的には近くにある旧・増毛高校の校舎に移転するということで決着がついた。
現在は立ち入りもできず完全に閉鎖されているが、保存か解体かはまだ決まっていない。
いずれ内部も見学できるよう開放してもらいたいものだ。

グラウンドの向こうに海が見える。
増毛の活気の源であった日本海を見下ろしながら、子供たちは日々ここで学んでいたのだ。

そして海とは反対側の内陸部を望むと、白く雪をかぶった暑寒別岳がそびえ立っていた。
雄大な景色である。
増毛の名物である國稀酒造の地酒は暑寒別岳の伏流水を使用しているというから、この山も町に恵みをもたらす「母なる存在」に違いない。

…さて、列車の発車時刻が近づいてきたので、駅まで戻ってきた。
記念撮影の定番であるこの駅名看板も、あと1年ほどで見納めである。


待合室には、少しくたびれた何冊もの「駅ノート」があり、増毛駅の人気を物語る。
わずかな時間の中でページをめくっていくと「もうすぐ見られなくなると聞き、訪問した」「廃止が残念!」などの記述が目立つ。
いくつかのページには、留萌本線の廃止に関する新聞記事が綺麗に切り抜かれ、貼られていた。

ご存知の方も多いかと思うが、増毛駅はその珍妙な駅名のおかげで全国からマニアがやってくるパワースポット(?)となっている。
ノートの記述の中には、JR四国の「半家(はげ)」駅から阪急電鉄の「桂(かつら)」駅を経由して増毛駅に来たという物好きな旅人の記述もあり、「ハゲからぞうもうへ」の黄金プランに思わず笑ってしまった。
証拠として整理券をきちんと貼りつけてあるのがマニアの鑑である。

ホームで乗客を待つ15時41分発の普通列車に乗り込む。
車内には、自分と同じ列車で降り立った何人かの旅人が既に乗りこんでいた。
皆、静寂に包まれた真冬の増毛町を見て何を思ったのだろうか。
残念ながら、増毛町はつい先日、留萌~増毛間の2016年度の廃止についてを完全に同意。留萌市もこれを認める動きにあることから、この区間の16年度中の廃止は確実となってしまった。
雪崩と土砂崩れの危険により運行を休止していた区間であったが、4月28日より再開する予定であるため、これからは廃止を惜しむファンで更に賑わう事となるだろう。
帰宅後、あの雑貨屋さんで購入した置物を開けてみた。

何とも可愛らしい、いくつもの貝殻で出来た亀の置物。
首をつつくと赤べこよろしくユラユラ上下に揺れるのが素敵だ。
貝、亀ともに金銭に関する縁起物であるためなのか、これを購入してからというもの金運に恵まれている気がする。実際この旅の帰り道、旭川のショッピングモールで1000円札を拾ったほどである。
今回も良い一人旅だったな…、と部屋でひとり満足していると、亀さんの首が「うんうん」とばかりに微かに揺れたような気がした。
「増毛を歩く ~留萌本線終着駅の旅~」
完。