(写真:2012年撮影 記事:2012年のものに加筆・修正/ホームページ過去記事を復刻しました。)
2012年3月引退。札幌市営地下鉄最後の生き残りであった、レトロな幕式行き先表示にも注目。
1978年(昭和53年)より、札幌市営地下鉄南北線で34年間活躍してきた「緑色の地下鉄」3000形。くすんだようなカラーリングが何ともレトロで、個人的に札幌市営地下鉄の中で一番好きな車両だったが、惜しくも2012年3月に引退してしまった。これらの写真は、3000形が引退する半年ほど前に撮影していたものである。
この3000形という車両、あらゆる面から見て極めて特殊な電車であった。もともと、初代車両2000形の補完目的で製造された車両であったため、南北線に導入されたのがわずか5編成のみ。そのため、ファンの間では登場した当時から「乗れたらラッキー」的な存在であったと思われる。
また、3000形は、現役の北海道の鉄道車両では恐らく唯一の「連接車」でもあった。つまり、台車を車両どうしの連結部に設置し、1つの台車を2両の車両で共用するという珍しい構造(下の写真参照)。そのため1両の長さが普通の鉄道車両よりも短く、ドアの数も南北線主力車両の5000形4扉に対し、2扉と少ない。そしてそのドアの少なさ故に、ラッシュ時は乗車位置が違うし、ドア付近に人が混雑するしでかなり不便であった(経験済み)。…しかし、それでも嫌いになれない、むしろ愛着のわく車両であった。
自分は生まれた頃からずっと南北線沿線に住んでいたので、普段からこの路線にはお世話になっていた。3000形もそれなりに乗る機会が多く、小さいころから今にも爆発しそうなモーター音も含め、古臭い雰囲気が大好きであった。時が経ち、高校の通学にも南北線を利用するようになると、3000形に遭遇することも多くなり、好感度はさらに上がっていったものである(←いつまで経っても子供)。…3000形引退が実に惜しまれる。
(左)これが3000形の一番の特徴であろう、連接部分である。電車のくせにタイヤハウスが存在するというのも珍しく、ホームからはゴムタイヤを覗くこともでき、バスのような雰囲気でもある。
(右)運転席の壁を隔てたすぐ後ろに座席があるのも特徴。妙に落ち着く場所であり、たいていは先客が座っている人気の場所であった。
乗車位置が主力車両5000形と違うため、次の列車が3000形の場合には「緑色の乗車位置でお待ち下さい」というアナウンスが流れ、それまで青色の乗車位置に並んでいた人は面倒くさそうに移動する。このような多少の不便さが混乱を招くため、中島公園のお祭り等、南北線が混雑する時には3000形は運行されていなかった。
ちなみに地下鉄南北線、平成24年度から全駅にホームドアが設置される事となり、当然ながら乗車位置は5000形に合わせられたため、3000形引退はその影響もある。
~3000形ラストラン ドキュメント!~
2012年3月25日。ついにこの時が来てしまった。3000形ラストランの日である。
この時期はダイヤ改正の影響で、全国的にも「300系新幹線」「日本海(ブルートレイン)」など名車の引退が相次ぎ、そっちの方がニュースなどで話題になっていたので、3000形というローカルな地下鉄車両の引退はいささか地味な話題となってしまったのが残念だ(泣)。
この日は通常運行された後、真駒内駅で引退セレモニーを行うらしい。幸いにも、特に用事などは無かったので、この思い入れの強い車両の乗り収めをしてくることにした。何といってもラストなので、通常運行のすべてに乗車し、乗り心地を思う存分堪能してくるつもりだ。
前日、札幌市営交通のサイトに出ていた当日の運行時間をメモし、準備万端。まずは朝9時半の麻生行きに乗るつもりだった。
しかし当日、諸事情により外出が遅れてしまい、このままでは間に合わない!ダッシュで某駅へ。
…努力の結果もむなしく、駅に着いたのは発車してから2分後。悔しい気持ちで後続の列車を待つ。なんとも幸先が悪い。
そして数分後、やってきた後続列車で、3000形を追いかける。とりあえず北34条で下車して、折り返してくるのを待ち伏せることにした。
で、駅に着くと、ホームにはすでにデカイカメラを構えた先客が。
ふっふっふ。なんかワクワクしてきたぞ。
10時00分、真駒内行き3000形登場!!
早速乗り込むと…、うほっ、同業者(マニア)ばっかり(笑)。乗客の8割くらいがカメラ構えた人ばっかりで、とても異様な雰囲気なのです。たまたま乗り合わせた一般の乗客は肩身が狭いですな~。
車内は写真とか動画とか撮ってる人がほとんどだったので、自分も気兼ねなく撮影する。いや~、それにしても地下鉄ファンってこんなに多かったのか~。
10時20分、真駒内駅到着。お別れセレモニーの会場である。ホームには、すでに待ち構えていたファン、各社テレビカメラでごった返していた。セレモニーまでの数分間、しばし撮影タイムだ。
ホームにいたお客さんも、思い思いに写真を撮っている。DSカメラで撮影する小学生、スマホで写メする若いギャル、デジカメで撮影するおばさん…。一見電車には興味のなさそうな人の姿も数多く、この年齢層の幅広さには驚いた。
ありがとう 3000形
泣かせるぜ…。
…いつの間にかセレモニーが始まっていたようだ。先頭車両付近では、運転手さんと車掌さんに花束が贈呈されているようで、結構な盛り上がりだが、残念ながら人が多すぎて接近不可能。そのため全く見えず…。
まぁいいや。カメラ映りたくないし。
ということで最後尾に。こちらは撮影目当てのマニア密度が高い(笑)。こちらもかなり混んでいたので、市営交通の旗を付けてお召かしした3000形の顔はとうとう撮れなかった。思いっきり手を伸ばして撮影した努力の結果がコレである。
…ふぅ。札幌モーターショーを思い出すぜ。
10時30分、大勢の観客に見守られながら、ついに最後の運行が始まった。ここから麻生駅まで走り、折り返しの11時3分発自衛隊前行きが本当の最終運行となるわけだ。
車内は先ほど以上にマニアでごったがえしており、若干ラッシュ並み。そして車内では、「皆さんがお乗りになっている車両は~」と、3000形の解説が何回かされていた。
↑ちなみに言うまでもないが、3000形の引退により、この電光掲示板の表示も見納めとなってしまう。
11時00分、麻生駅到着。短い時間だが、再び撮影タイムが行われる。
…補足だが、この時、中学時代の友人であり、ずいぶんと会っていなかったN氏(熱狂的な鉄道ヲタである)を見つけたのだが、ものすごい血眼で撮影に没頭しており、何とも近寄りがたいオーラを漂わせていたので、話しかけるのはやめておいた(笑)。まぁ撮影の邪魔もしたくなかったしね。
そして11時03分、ついに本当の最終運行である自衛隊前行きとなり、相変わらず多くの乗客を乗せて発車。お別れの時間がだんだんと近づいてくる。
「このやけに座面の深い座席も、いかにも燃費の悪そうな加速の感じも、味わえるのは今日で最後か~…」とぼんやり考えているうちに、いつの間にか澄川駅。
あと1駅で終わってしまう。車内にもしんみりした空気が漂う。
「今までのご利用、ご愛好ありがとうございました。」のアナウンスとともに、最後の生き残りであった3000形は、自衛隊前駅にゆっくりと滑りこむ。ホームに降り立った大勢の乗客に見守られながら、すべての仕事を終えた「緑色の地下鉄」は、車庫に向かって再び動き出した。
最後の3000形の勇士!(肝心な場面で手ブレ!!)
この時、電車引退のニュースでよく見るような「○○系ありがとぉ~!お疲れ様ぁ~!」などというベタなセリフを言う人は意外にもおらず、若干の拍手で包まれただけであった。
う~ん、北海道のマニアはクールだな!!
…ということで、なんだかあっけなく終わってしまった。
3000形という車両、なんとも個性的で、独特の雰囲気を醸し出すステキな電車であった。南北線からは完全に消えてしまったが、自分はいつまでもこの車両のファンである。
完。
2012年3月引退。札幌市営地下鉄最後の生き残りであった、レトロな幕式行き先表示にも注目。
1978年(昭和53年)より、札幌市営地下鉄南北線で34年間活躍してきた「緑色の地下鉄」3000形。くすんだようなカラーリングが何ともレトロで、個人的に札幌市営地下鉄の中で一番好きな車両だったが、惜しくも2012年3月に引退してしまった。これらの写真は、3000形が引退する半年ほど前に撮影していたものである。
この3000形という車両、あらゆる面から見て極めて特殊な電車であった。もともと、初代車両2000形の補完目的で製造された車両であったため、南北線に導入されたのがわずか5編成のみ。そのため、ファンの間では登場した当時から「乗れたらラッキー」的な存在であったと思われる。
また、3000形は、現役の北海道の鉄道車両では恐らく唯一の「連接車」でもあった。つまり、台車を車両どうしの連結部に設置し、1つの台車を2両の車両で共用するという珍しい構造(下の写真参照)。そのため1両の長さが普通の鉄道車両よりも短く、ドアの数も南北線主力車両の5000形4扉に対し、2扉と少ない。そしてそのドアの少なさ故に、ラッシュ時は乗車位置が違うし、ドア付近に人が混雑するしでかなり不便であった(経験済み)。…しかし、それでも嫌いになれない、むしろ愛着のわく車両であった。
自分は生まれた頃からずっと南北線沿線に住んでいたので、普段からこの路線にはお世話になっていた。3000形もそれなりに乗る機会が多く、小さいころから今にも爆発しそうなモーター音も含め、古臭い雰囲気が大好きであった。時が経ち、高校の通学にも南北線を利用するようになると、3000形に遭遇することも多くなり、好感度はさらに上がっていったものである(←いつまで経っても子供)。…3000形引退が実に惜しまれる。
(左)これが3000形の一番の特徴であろう、連接部分である。電車のくせにタイヤハウスが存在するというのも珍しく、ホームからはゴムタイヤを覗くこともでき、バスのような雰囲気でもある。
(右)運転席の壁を隔てたすぐ後ろに座席があるのも特徴。妙に落ち着く場所であり、たいていは先客が座っている人気の場所であった。
乗車位置が主力車両5000形と違うため、次の列車が3000形の場合には「緑色の乗車位置でお待ち下さい」というアナウンスが流れ、それまで青色の乗車位置に並んでいた人は面倒くさそうに移動する。このような多少の不便さが混乱を招くため、中島公園のお祭り等、南北線が混雑する時には3000形は運行されていなかった。
ちなみに地下鉄南北線、平成24年度から全駅にホームドアが設置される事となり、当然ながら乗車位置は5000形に合わせられたため、3000形引退はその影響もある。
~3000形ラストラン ドキュメント!~
2012年3月25日。ついにこの時が来てしまった。3000形ラストランの日である。
この時期はダイヤ改正の影響で、全国的にも「300系新幹線」「日本海(ブルートレイン)」など名車の引退が相次ぎ、そっちの方がニュースなどで話題になっていたので、3000形というローカルな地下鉄車両の引退はいささか地味な話題となってしまったのが残念だ(泣)。
この日は通常運行された後、真駒内駅で引退セレモニーを行うらしい。幸いにも、特に用事などは無かったので、この思い入れの強い車両の乗り収めをしてくることにした。何といってもラストなので、通常運行のすべてに乗車し、乗り心地を思う存分堪能してくるつもりだ。
前日、札幌市営交通のサイトに出ていた当日の運行時間をメモし、準備万端。まずは朝9時半の麻生行きに乗るつもりだった。
しかし当日、諸事情により外出が遅れてしまい、このままでは間に合わない!ダッシュで某駅へ。
…努力の結果もむなしく、駅に着いたのは発車してから2分後。悔しい気持ちで後続の列車を待つ。なんとも幸先が悪い。
そして数分後、やってきた後続列車で、3000形を追いかける。とりあえず北34条で下車して、折り返してくるのを待ち伏せることにした。
で、駅に着くと、ホームにはすでにデカイカメラを構えた先客が。
ふっふっふ。なんかワクワクしてきたぞ。
10時00分、真駒内行き3000形登場!!
早速乗り込むと…、うほっ、同業者(マニア)ばっかり(笑)。乗客の8割くらいがカメラ構えた人ばっかりで、とても異様な雰囲気なのです。たまたま乗り合わせた一般の乗客は肩身が狭いですな~。
車内は写真とか動画とか撮ってる人がほとんどだったので、自分も気兼ねなく撮影する。いや~、それにしても地下鉄ファンってこんなに多かったのか~。
10時20分、真駒内駅到着。お別れセレモニーの会場である。ホームには、すでに待ち構えていたファン、各社テレビカメラでごった返していた。セレモニーまでの数分間、しばし撮影タイムだ。
ホームにいたお客さんも、思い思いに写真を撮っている。DSカメラで撮影する小学生、スマホで写メする若いギャル、デジカメで撮影するおばさん…。一見電車には興味のなさそうな人の姿も数多く、この年齢層の幅広さには驚いた。
ありがとう 3000形
泣かせるぜ…。
…いつの間にかセレモニーが始まっていたようだ。先頭車両付近では、運転手さんと車掌さんに花束が贈呈されているようで、結構な盛り上がりだが、残念ながら人が多すぎて接近不可能。そのため全く見えず…。
まぁいいや。カメラ映りたくないし。
ということで最後尾に。こちらは撮影目当てのマニア密度が高い(笑)。こちらもかなり混んでいたので、市営交通の旗を付けてお召かしした3000形の顔はとうとう撮れなかった。思いっきり手を伸ばして撮影した努力の結果がコレである。
…ふぅ。札幌モーターショーを思い出すぜ。
10時30分、大勢の観客に見守られながら、ついに最後の運行が始まった。ここから麻生駅まで走り、折り返しの11時3分発自衛隊前行きが本当の最終運行となるわけだ。
車内は先ほど以上にマニアでごったがえしており、若干ラッシュ並み。そして車内では、「皆さんがお乗りになっている車両は~」と、3000形の解説が何回かされていた。
↑ちなみに言うまでもないが、3000形の引退により、この電光掲示板の表示も見納めとなってしまう。
11時00分、麻生駅到着。短い時間だが、再び撮影タイムが行われる。
…補足だが、この時、中学時代の友人であり、ずいぶんと会っていなかったN氏(熱狂的な鉄道ヲタである)を見つけたのだが、ものすごい血眼で撮影に没頭しており、何とも近寄りがたいオーラを漂わせていたので、話しかけるのはやめておいた(笑)。まぁ撮影の邪魔もしたくなかったしね。
そして11時03分、ついに本当の最終運行である自衛隊前行きとなり、相変わらず多くの乗客を乗せて発車。お別れの時間がだんだんと近づいてくる。
「このやけに座面の深い座席も、いかにも燃費の悪そうな加速の感じも、味わえるのは今日で最後か~…」とぼんやり考えているうちに、いつの間にか澄川駅。
あと1駅で終わってしまう。車内にもしんみりした空気が漂う。
「今までのご利用、ご愛好ありがとうございました。」のアナウンスとともに、最後の生き残りであった3000形は、自衛隊前駅にゆっくりと滑りこむ。ホームに降り立った大勢の乗客に見守られながら、すべての仕事を終えた「緑色の地下鉄」は、車庫に向かって再び動き出した。
最後の3000形の勇士!(肝心な場面で手ブレ!!)
この時、電車引退のニュースでよく見るような「○○系ありがとぉ~!お疲れ様ぁ~!」などというベタなセリフを言う人は意外にもおらず、若干の拍手で包まれただけであった。
う~ん、北海道のマニアはクールだな!!
…ということで、なんだかあっけなく終わってしまった。
3000形という車両、なんとも個性的で、独特の雰囲気を醸し出すステキな電車であった。南北線からは完全に消えてしまったが、自分はいつまでもこの車両のファンである。
完。