2019年4月、兵庫、岡山、広島珍スポットラリーで広島市を訪問した際に巡った、市内の被爆建物、平和関連施設などの記録です。
・平和記念公園
本川と元安川に挟まれた中島地区一帯を恒久平和の象徴の場とすべく、「広島平和記念都市建設法(1949年公布)」に基づき整備されました。12万1200平方メートルの敷地内には原爆死没者慰霊碑、広島平和記念資料館をはじめ、平和を願うモニュメントなどが点在。毎年8月6日には平和祈念式典が行われます。
こちらは公園内でも代表的なモニュメント「原爆の子の像」。
まわりには全国から寄せられた千羽鶴や折り紙の作品が納められていました。
・原爆ドーム/旧広島県産業奨励館(爆心地から160メートル)
チェコ人の建築家ヤン・レツルの設計により1915年に完成。緑色のドームが特徴的で、市民に親しまれていました。
原爆は建物の南東約160メートル、上空600メートルで炸裂し、館内にいた全員が即死しました。
1996年、核兵器廃絶と恒久平和を願うシンボルとしてユネスコの世界文化遺産に登録。
・広島平和記念資料館
原爆による被害や、被爆前後の広島の歩みなどを被爆資料、遺品、体験者の証言などで伝え、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴えています。入館料大人200円。
(訪問時はリニューアル工事のため一部閉館中でした)
・被爆したアオギリとハマユウ(それぞれ爆心地から1300m、2200mから移植)
いずれも平和記念公園内。アオギリは市内東白島町の中国郵政局(旧広島逓信局)の中庭で被爆し、幹の半分が熱線と爆風で焼けてえぐられましたが、傷跡を囲むように成長を続けているといいます。
・旧日本銀行広島支店(爆心地から380メートル)
建物は1936年に完成。被爆時は非常に堅牢な構造のため崩壊は免れたものの、爆風で窓枠やシャッター、欄干などはすべて吹き飛ばされ、内部が破壊され職員ら42人の犠牲者が出ました。
現在は内部が公開されるとともに、市民団体の芸術・文化活動の発表の場として活用されています。
支店長室として使われていた一室の木製の壁には、爆風で飛ばされた窓ガラスの破片が突き刺さった跡が残ります。光を当てると奥にめり込んだガラスのかけらが光ります。
市内の金融機関がほとんど壊滅した状況の中、同店は地下金庫の無事が確認されたため、他の銀行と共同で使用することを決め、原爆投下2日後の8月8日から業務を再開しました。
内部に仕切りが設けられ、11の各銀行が窓口を設置。天井のガラス屋根は破損していたため、雨の日は傘をさして業務が続けられたといいます。広島の復興を支えた施設といえましょう。
・被爆したエノキ、ムクノキ、クロガネモチ、クスノキ
(いずれも爆心地から530メートル)
路面電車の通る鯉城通りと、平和大通りが交わる交差点付近、通りに面する白神社前にあります。立派な大木に成長していますね。
後編へ続く。
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