※内定先の研修等があり、更新がままならず失礼いたしました。m(__)m
また、コメントを頂いたにもかかわらず返事が遅くなってしまった事をお詫び申し上げます。
(多少の余裕が出て来たので、これからは再び通常の更新ペースに戻っていくと思われます(^-^))
元・客室フロアの一画に「喫茶・軽食コーナー」が。
窓からは船の先端部分と函館のベイエリアを望むことができます。
残念ながら、この時は喫茶コーナーは営業していませんでした。
船内から函館山を望む
コーナーの一角には「洞爺丸台風」のパネル展示が。
青函連絡船の歴史を語る上で避けて通れないのが、「洞爺丸台風」による悲劇的な事故です。
1954(昭和29)年9月26日、北海道に接近中であった台風15号の影響により青函連絡船「洞爺丸」が函館港内で転覆。悪天候で運行を見合わせたのち、4時間遅れで函館桟橋を出た後に起こった事故でした。
乗船していたうちの1155人が死者、行方不明者となり、日本海難史上最悪の事故と言われています。
洞爺丸の他にも、「第十一青函丸」「北見丸」「日高丸」「十勝丸」の貨物船4隻が函館港内で転覆し、犠牲者は総数1430人。
この事故により、連絡船は最新鋭のものに設計の見直しがなされ、また計画段階であった青函トンネルの建設が具体化されたとも言われています。
3階「船のしくみ」コーナー
歴代の連絡船で使われていた設備、部品、救命用具、また各種模型などが展示されています(*^_^*)。
港に敷かれた線路とをつなぐ可動橋は、様々に変化する港の潮位、船体の揺れ、気象条件などに対応できる構造をしており、導入当初は他に例を見ないものであったそうです。
右の写真の器具は、船内で貨車を固定するために使われた「緊締具」と呼ばれるもの。
貨車を積み込む「車両甲板」は非公開エリアのため立ち入りは出来ませんが、ご覧のようにライブカメラでリアルタイムの様子を見る事が出来ます。モニター下のマウスを使って遠隔操作も可能ですよ(*^_^*)。
階段を上り、いよいよ4階「操舵室」へ。
…こりゃスゴイ!
おぉ~!ほぼ原形のまま♪
ここまで自由に見学できるとは思っていなかったので、とてもワクワクしています!(*^_^*)
複雑に配置されたスイッチやボタン類、時代を感じる受話器…。自由に触れるのがまた嬉しいですね♪
これが操舵輪ですか♪大きなのりものを操縦するのは男の子の永遠の夢(笑)。こんな所に立てるなんて嬉しいですね!
僕も思う存分グルグル回して船員気分に浸らせて頂きました(笑)。
…なお、赤いボタンの上には「汽笛を鳴らせます」の表示が。恐る恐る押してみると…。
ドゥーーーーーーーーーーーッ
…すげぇ!!
お腹に響き渡るような重低音が港じゅうに響き渡ります。
もはやこれを鳴らせただけでも函館に来た甲斐が…(*^_^*)笑
操舵室には…やはり神棚が。
一歩間違えば重大な海難事故につながる船の仕事。乗組員だけでなく、数多くの乗客の命を海上の機嫌にゆだねなくてはならない連絡船ですから、神を祭るのも重要な儀式だったのでしょう。
操舵室隣の「無線通信室」。こちらも当時のまま。
うはぁ~、こっちもイイ感じ!(*^_^*)
部屋の真ん中に存在するのは、もちろん通信士の作業席ですね♪
こちらも数多くのスイッチがズラリと並んでおり、目が回りそうです。
机の上にはモールス信号を送っていた機器(すみません名前わかりません)もちゃんとありました。押すとしっかり音も鳴りますよ。
そして机上には、ご親切にモールス信号の種類を解説した表が(笑)。
通信室内にはタモリが来館した時の写真が♪
昨年放送されていた『ブラタモリ』(NHK)の函館回の時ですね(*^_^*)。僕もきちんと見ましたよ!
自分もタモリのような品のあるオタクになりたいものです(笑)。
普通座席(カーペット敷き)再現コーナー
…なぜか上階の多目的ホールにポツンとありました。こちらはレプリカだそうです。
やはり定期船の客室というと、座席よりもこちらのカーペットのイメージが強いですね(^-^)。
壁に飾られていた当時の国鉄案内
急行「せたな」、特急「おおとり」って…(;O;)ブワッ
古き良き昭和の鉄道…。
さて、これにて「摩周丸」の観光は終了です。
冬期間なので甲板などへは出られなく、見物できるエリアは限られていましたが、それでも大満足でした!(^O^)
新幹線の開業をきっかけに、こちらの「摩周丸」や青函連絡船の歴史にも再び注目が集まると良いですね…。
次回!第2章ラストです。
函館市内プチ観光&消えゆく特急電車。
続く。
また、コメントを頂いたにもかかわらず返事が遅くなってしまった事をお詫び申し上げます。
(多少の余裕が出て来たので、これからは再び通常の更新ペースに戻っていくと思われます(^-^))
元・客室フロアの一画に「喫茶・軽食コーナー」が。
窓からは船の先端部分と函館のベイエリアを望むことができます。
残念ながら、この時は喫茶コーナーは営業していませんでした。
船内から函館山を望む
コーナーの一角には「洞爺丸台風」のパネル展示が。
青函連絡船の歴史を語る上で避けて通れないのが、「洞爺丸台風」による悲劇的な事故です。
1954(昭和29)年9月26日、北海道に接近中であった台風15号の影響により青函連絡船「洞爺丸」が函館港内で転覆。悪天候で運行を見合わせたのち、4時間遅れで函館桟橋を出た後に起こった事故でした。
乗船していたうちの1155人が死者、行方不明者となり、日本海難史上最悪の事故と言われています。
洞爺丸の他にも、「第十一青函丸」「北見丸」「日高丸」「十勝丸」の貨物船4隻が函館港内で転覆し、犠牲者は総数1430人。
この事故により、連絡船は最新鋭のものに設計の見直しがなされ、また計画段階であった青函トンネルの建設が具体化されたとも言われています。
3階「船のしくみ」コーナー
歴代の連絡船で使われていた設備、部品、救命用具、また各種模型などが展示されています(*^_^*)。
港に敷かれた線路とをつなぐ可動橋は、様々に変化する港の潮位、船体の揺れ、気象条件などに対応できる構造をしており、導入当初は他に例を見ないものであったそうです。
右の写真の器具は、船内で貨車を固定するために使われた「緊締具」と呼ばれるもの。
貨車を積み込む「車両甲板」は非公開エリアのため立ち入りは出来ませんが、ご覧のようにライブカメラでリアルタイムの様子を見る事が出来ます。モニター下のマウスを使って遠隔操作も可能ですよ(*^_^*)。
階段を上り、いよいよ4階「操舵室」へ。
…こりゃスゴイ!
おぉ~!ほぼ原形のまま♪
ここまで自由に見学できるとは思っていなかったので、とてもワクワクしています!(*^_^*)
複雑に配置されたスイッチやボタン類、時代を感じる受話器…。自由に触れるのがまた嬉しいですね♪
これが操舵輪ですか♪大きなのりものを操縦するのは男の子の永遠の夢(笑)。こんな所に立てるなんて嬉しいですね!
僕も思う存分グルグル回して船員気分に浸らせて頂きました(笑)。
…なお、赤いボタンの上には「汽笛を鳴らせます」の表示が。恐る恐る押してみると…。
ドゥーーーーーーーーーーーッ
…すげぇ!!
お腹に響き渡るような重低音が港じゅうに響き渡ります。
もはやこれを鳴らせただけでも函館に来た甲斐が…(*^_^*)笑
操舵室には…やはり神棚が。
一歩間違えば重大な海難事故につながる船の仕事。乗組員だけでなく、数多くの乗客の命を海上の機嫌にゆだねなくてはならない連絡船ですから、神を祭るのも重要な儀式だったのでしょう。
操舵室隣の「無線通信室」。こちらも当時のまま。
うはぁ~、こっちもイイ感じ!(*^_^*)
部屋の真ん中に存在するのは、もちろん通信士の作業席ですね♪
こちらも数多くのスイッチがズラリと並んでおり、目が回りそうです。
机の上にはモールス信号を送っていた機器(すみません名前わかりません)もちゃんとありました。押すとしっかり音も鳴りますよ。
そして机上には、ご親切にモールス信号の種類を解説した表が(笑)。
通信室内にはタモリが来館した時の写真が♪
昨年放送されていた『ブラタモリ』(NHK)の函館回の時ですね(*^_^*)。僕もきちんと見ましたよ!
自分もタモリのような品のあるオタクになりたいものです(笑)。
普通座席(カーペット敷き)再現コーナー
…なぜか上階の多目的ホールにポツンとありました。こちらはレプリカだそうです。
やはり定期船の客室というと、座席よりもこちらのカーペットのイメージが強いですね(^-^)。
壁に飾られていた当時の国鉄案内
急行「せたな」、特急「おおとり」って…(;O;)ブワッ
古き良き昭和の鉄道…。
さて、これにて「摩周丸」の観光は終了です。
冬期間なので甲板などへは出られなく、見物できるエリアは限られていましたが、それでも大満足でした!(^O^)
新幹線の開業をきっかけに、こちらの「摩周丸」や青函連絡船の歴史にも再び注目が集まると良いですね…。
次回!第2章ラストです。
函館市内プチ観光&消えゆく特急電車。
続く。