日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

日本物理学会 神戸大学

2012-03-22 00:42:02 | 日記
日本物理学会 神戸大学
●3月25日午後「エネルギー・環境材料の機能と格子欠陥」シンポジウム
●25日午後 25pXA16:45企画講演「福島原発放射性物質の測定」
●26日13:00-16:55GD会場「福島原発事故と物理学者の社会的責任」シンポジウム

●John Harte 教授セミナー・集中講義
Consider a Spherical Cow の著者である米国カリフォルニア大学バークレー校の John Harte 教授が,この3月下旬に,学術振興会の短期招へいで来日され,その機会に,神戸大学でいくつかセミナー等を行います.
3月27日の集中講義は,物理学会の最終日と重なっています.これは,以下の本の内容に基づくものです.
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Maximum Entropy and Ecology: A Theory of Abundance, Distribution, and
Energetics, by John Harte
Oxford Series in Ecology and Evolution
978-0-19-959342-2 | Paperback | 23 June 2011
http://ukcatalogue.oup.com/product/9780199593422.do
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会場は,すべて神戸大学発達科学部です.
http://www.h.kobe-u.ac.jp/4874
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2012.03.27 9:00-11:00
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Special Lecture on Ecology Part 1
Date: Tuesday, March 27, 2012
Place: B210 Seminar Room, Faculty of Human Development Building B 2F
Time: 9:00-11:00
Theme: Toward a Unified Theory of Ecology (1)
Outline: This talk will focus on the Maximum Entropy concept and its
application to ecological theory. Ecologists and physicists would be
particularly interested.
Hosted by Graduate School of Human Development and Environment
Supported by Japan Society for the Promotion of Science (JSPS)
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2012.03.27 14:00-17:00
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Special Lecture on Ecology Part 2
Date: Tuesday, March 27, 2012
Place: B210 Seminar Room, Faculty of Human Development Building B 2F
Time: 14:00-16:00
Theme: Toward a Unified Theory of Ecology (2)
Outline: This talk will focus on the Maximum Entropy concept and its
application to ecological theory. Ecologists and physicists would be
particularly interested.
Hosted by Graduate School of Human Development and Environment
Supported by Japan Society for the Promotion of Science (JSPS)


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2012.03.28 9:00-18:00
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Workshop on Environmental Science and Public Understanding, A Session in
Academic Exchange Weeks 2011, Graduate School of Human Development and
Environment
Date: Wednesday, March 28, 2012
Place: Conference Room, Faculty of Human Development Building A, 2F
Time: 9:00-18:00
Hosted by Graduate School of Human Development and Environment, and
Kobe University Science Shop
Supported by Japan Society for the Promotion of Science (JSPS)

Program will be announced separately.

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2012.03.29 10:00-11:30
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The 229th Natural Environmental Science Seminar
Date: Thursday, March 29, 2012
Place: B210, Faculty of Human Development Building B, 2F
Time: 10:00-11:30
Title: Climate-Ecosystem Feedback
Speaker: John Harte, UC Berkeley
Outline: This talk will focus on how ecosystem responses to climate
change are likely to generate feedback effects that will make the
problem of global warming even worse than generally believed.
Hosted by Unit of Natural Environmental Science, Graduate School of
Human Development and Environment, Kobe University
Supported by Japan Society for the Promotion of Science (JSPS)

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日本ユーラシア協会第53回全国総会 金沢 2012年3月17日18日

2012-03-22 00:15:24 | 日記
日本ユーラシア協会第53回全国総会 金沢 2012年3月17日18日

【日本ユーラシア協会第53回全国総会宣言】
今年は、日本ユーラシア協会創立55周年、日ソ協会から改称して20周年という記念すべき年です。
私たちは、東日本大震災と、人災ともいうべき原発事故の苦難を経た1年後、2012年3月17,18日、
ここ石川県金沢市で第53回全国総会を開催し、新しい2012年度から2013年度の活動方針を決定しま
した。総会には、各界の来賓、代議員、評議員、役員など、155名が参加し、全体会や分科会での熱
心な討議と盛大な祝賀会が行われました。
 2011年3月11目に東北を襲った東目本大震災が、多くの「人命」と「財産」を奪い、未曽有の大被害をもたらしました。亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたしますとともに、被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
 被災地では、不自由な仮設住宅での生活、失業保険切れ、雇用と産業再建の遅れ、医療・福祉・教
育の課題など生活再建や震災復旧・復興の胃途が立たず、不安が高まり、震災による自殺着、孤独死
が増えてきています。
 さらに、地震と津波による東京電力福島第一原子力発電所の事故で、チェルノブイリの原発事故に
匹敵する放射能汚染に曝され、多くの被災者をだしました。今なお、その影響は変化しながら多岐にわたり被害を拡大しています。放射能汚染の徹底した測定と除染の取り組み、放射能被害の全面的な賠償、子どもたちを放射能から守ることが急がれます。今後とも、被災者、被災地の想いに寄り添いながら支援活動を進めることが求められています。
 私たちを取り巻く世界の情勢は、決して楽観できる状況にはありません。アメリカによる経済、政治、軍事にわたる一国覇権主義支配は崩壊しつつあり、中東、アフリカ、アジア、ラテン・アメリカ地域等世界の各地で民主化運動の高揚が見られます。一方ではパレスチナ・イスラエル間題、イランや北朝鮮の核開発を巡っての軋櫟など局地的な戦争に転化する危険性は否定できない状況にあります。ユーラシア諸国の関係も、自立と連帯と対立、経済発展上の格差などをめぐり複雑です。
 近く、日口間の領土間題解決に熱意を示すロシア新政権の発足にあたり、日口両国の政府が真剣で
踏み込んだ交渉に臨み、この歴史的懸案の解決にあたるよう強く期待するものです。協会としては、
日ロ平和条約締結を促進するため、国民世論をもりあげていくことに力を尽くします。
 日本国内の清勢は、経済不況の深刻化、震災復興の遅延、TPPへの参加、沖縄の普天間基地の固
定化、消費税大幅引き上げ、原発再稼働の動きなど、国民生活の苦しみは一層深刻さを増しています。
 協会は、「原発からの撤退」、「被災地への救援活動の継続」、「憲法9条を守る運動での共同」、「原水爆禁止・核廃絶」、「TPP参加反対」などにも連帯して活動します。
 協会は引き続き全国各地でユーラシア諸国民との相互理解、文化・芸術分野の紹介と交流、友好親
善のための多彩な取り組みを行い、今年9月6,7日、札幌で開催される第10回日ロフォーラムの成功
を目指します。
 全国的に協会の会員の高齢者比率が高まっており、次の世代への運動の継承を早急に図らなくては
なりません。国際友好運動を発展させる上でも、若い世代への組織拡大が極めて重要です。
広範な人々と連帯し、絆を強め、全力をあげて新しい方針を実践しましょう!
                   2012年3月18日日本ユーラシア協会第53回総会 金沢


【⑧平和間題 核兵器のない世界へ 日本ユーラシア協会の平和活動 広島県連理事長伊原敏子 】
[非核の国際連帯のうねり]
 日本ユーラシア協会は、2010年5月3日~28日にニューヨークで開催された核拡散防止
条約(NPT)再検討会議の成功をめざし「核兵器のない世界」の国際署名をロシア語に
訳し、広島平和文化センターの協カによる広島・長崎の被爆写真ポスター(1組38枚)と
共に、ロシアの平和市長会議加盟15の都市及び姉妹都市と3月全国総会に出席のキルギス
代表宛に送り、連帯の行動を呼びかけました。皆様は各県連・支部の署名行動に積極的に
参加されたことと思います。また、協会本部からは平和担当の坪井副会長を代表派遣し、
日本ユーラシア協会の平和の取組をアピールしました。
 ロシアの諸都市に呼びかけた署名は、札幌と姉妹都市のノボシビルスクをはじめ、オー
レンブルグ、ボルゴグラード、ハバロフスク、ウラジオストーク、キルギス国から計269
送られてきました。被爆国の日本全国で取り組まれた691万余の署名は、ニューヨーク国
連本部で、日本代表がカバクチュランNPT会議議長に直接手渡し、その広場に高く積
み上げられました。議長は翌日会議の冒頭で、この700万にのぼる日本国民の心からの叫
びである署名の感動と政府代表に向かって核兵器廃絶の努力を呼びかけました。藩基文国
連事務総長も「核兵器廃絶がいま、地平線の先に見えている。行動すれぱ世界は変わりま
す。」と発言。私たち一人ひとりの草の根の力が、まさに国際政治を動かしており、協会の
皆様の運動がこの一翼を担ったのです。引き続き、次のステップ2015年のNPT再検討会
議にむけて、昨年2月からの「核兵器禁止を求めるアピーノレ」新署名の取組に力を注ごう
ではありませんか。平和への取組をおろそかにすること、手をゆるめることは情勢が許さ
ないでしょう。
 さて、毎年広島と長崎で行われている原水爆禁止世界大会に出席のユーラシア諸国から
ロシア、カザフスタン、リトアニアの各代表を招いて広島と東京で歓迎・交流会を行って
います。ロシア・チェリャビンスクの核製造工場での3回の大事故、カザフスタン・セミ
パラチンスクでの40年間、450回以上の核実験の結果、環境・人体に及ぼす重大な被害
は二世、三世と今なお劣悪なる医療環境の中で、多くの癌・先天性奇形児の出産、健康破
壊のため苦しみ続けている現状を世界に訴えています。広島は13回目というロシア・チェ
リャビンスクの核被害者のミーリャさんは、「毎年、日本ユーラシア協会の皆さんが温かく
迎え激励してくださるので、元気が出るし心から感謝しています。」と語っておられまず。
 私自身も毎年この世界大会国際会議に出席し、分科会で当協会の核兵器廃絶・日本国憲法
9条の普及取組等について発言していますが、何と言っても最大核保有国はロシアです。
世界で核爆弾2万3,360発の中、13,000発がロシアで、第2位のアメリカが9,400発です。
 そのロシアに対して民衆同士の運動を直接取り組んでいるのが日本ユーラシア協会であり、
私たちの役割の重要性を痛感しています。

【⑦核廃絶・脱原発 2012・3・18 核廃絶と脱原発(第7分科会基調報告) 福島 真木實彦】

I)核軍拡競争の激化の中での核軍事技術の民間移転一原子力発電の成り立ち一
①戦後の核軍拡競争の展開
 米マンハッタン計画(1942)に始まる核開発、原爆実験成功、広島・長崎での実戦使用
(45)。ソ連核実験成功(49)により米の核独占崩壊。冷戦下における核軍拡競争へ。そ
の後、英核実験成功(52)、ビキニ水爆実験(54・3)、中国核実験成功(64)などと続き、
60年代には核拡散防止が戦略的主要テーマとなる。

②核軍事技術の民間移転と目本の原発受容
 一方「原子力の平和利用」の提唱('53・12アイゼンハワーの国連総会演説)を起点とす
る原子力発電の実用化政策はアメリカにとってはソ連との核軍拡競争が熾烈を極める中
で、原子力発電で先行されたソ連に対抗し、同盟国への濃縮ウランの提供と核の国際管
理機関設置(IAEAの発足57・7)による核態勢の主導権奪還が差し迫った課題となる状
況の下で打ち出されたものである。
原爆実験反対の世論を打ち消すべく日本への実験用原子炉提供の申し出(54・3・22〕が
 「第五福竜丸」被爆事件(54・3・1)直後(「事件」の発表は3・16)であったという慌し
さの中で原発の日本移出が決定された。冷戦体制下の「逆コース」のもとで反動化しつ
つあった日本政府はアメリカのこの変化にいち早く対応する。原発導入のこの間の事情
がその後の安全性無視の原発体制の起点となったという事実は確認されておいてよい、
一方、核の平和利用のための国際管理が強められる中で、原発は、ソ連で初の原発運転
開始(54・6)、英商業用発電開始(56・5)、米商業用発電開始(57・12)と続き、日本では、
研究用原子炉(原研)初の臨界成功(57・8)から商業用原発(原電)での発電に成功(63・
10)、へと続く。

Ⅱ)日本における原発受容の特殊性

①核アレルギー下の日本における原発受容
 人類最初の被爆国日本が原発を受容するにあたっては、ビキニでの日本人の被爆とも重
なって、原子力の「平和利用」という観点がことのほか厳しく論議された。アメリカヘの
全面依存と技術的蓄積を無視した拙速性が当初から内在していたにもかかわらず、「安全
性」を神話にするほどに固執せざるを得なかったこの出発点での特異性が、国内的にも際
立った対抗関係を生み出した。原発を直接受け持った「電力産業」と関連原発メーカー(東
芝、日立、三菱重工業など)、さらに、原子力関連学会、原発を国策と位置付けた「政府」
との間に独占的でかつ閉鎖的な癒着構造が形成され、今目まで頑強に原発を守り抜くと言
う特殊な構造(「原子力村」)が作り出された。

②日本における原発維持の特異な体質
 何よりも先ず指摘されるのは、不安を慰撫するための「原発安全宣伝」の徹底的な展開
である。行き着く先は「多重防護装置に守られた原発」という「安全神話」の一人歩きで
あり、それは自らの安全に対する努力をも麻痒させるほどの深刻さであった。そもそも、「放
射性廃棄物」の最終処理方法も未確立のままの商業用原発の見切り発車(「トイレのないマ
ンション」)という根本間題は現在に至るもまったく解決されていない。核処理技術のこの
本質的な未熟性は「安全神話」の陰に隠されて先送りされたまま現在にまで至っている。
 さらに、「事故は想定外」とする判断の欺瞞性が指摘される。今回の事故でば津波の大き
さの予測という問題に象徴的に現れた。「想定の限度」を決めたのは「安全性」の視点から
ではなく、もっぱら「経済性」の視点からであった事が明らかとなった。はじめにコスト
判断からする限度としての「想定」が設定されており、それを超えるのが「想定外」であ
ったといえる。

③原発維持技術の不完全性
 その上、わが国が採用した軽水炉型原発の事故対策として従来から言われてきた「止め
る」、「冷す」、「閉じ込める」の三行程のうち、今回の福島原発で機能したのは「止める」
のみで、炉心のメルトダウンは停止中であった4号炉を除いて1,2,3号炉すべてに及んで
いる。つまり、「巨大な熱エネルギー」と「放射性物質の飛散」を十分コントロールする事
すらできなかったことが露呈した。米・仏の技術を借りて「冷す」ことに狂奔した実態も
暴露され、これまで有効な事故対策の技術的蓄積すら十分なされてこなかったわが国の事
故対応の貧しさが露呈されることになった。
 これらの点からみても、現在の原発維持技術がいまだ本質的に未完成であり、危険を完
全にはコントロールしえない段階にあるという事実が証明されたと言わざるをえない。

皿)原爆は危険で、原発は安全か一核廃絶と脱原発の狭間に

①原発の安全神話の実相
 1953年のアイゼンハワー大統領の「原子力の平和利用」の提唱以来、とくに核アレルギ
ーの強い日本に原発を持ち込むためには「安全」を神話にまで高めて、「原子力村」といわ
れる排他的で頑強な支配構造を作って原発を守り通してこざるを得なかった歴史を持って
いる。そこでは、原爆の「核」と原発の「原子力」は異なるといいう信仰まで動員されて
きたのであった。

②原爆と原発は通底している
 昨年夏、自民党政権時代のさる防衛大臣が「原発は潜在的な抑止力である」と発言し'
たことを作家の大江健三郎氏が『朝日』の「定義集」で紹介している。核燃料サイクル
の確立とプルトニュームの生産能力を日本が持つ事が実は原爆を生産する能力を持つこ
とに通じると言ったものであり、原発は豊かな生活を保障する「経済問題」であるより
は、優れて「安全保障問題」であることを直言したのである。原発の存在が原爆の保持
につながる事が見事に言い表されているものだと言えるだろう。

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ドイツZDF「フクシマのうそ」2012年3月19日 http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-546.html

2012-03-22 00:00:51 | 日記
ドイツZDF「フクシマのうそ」2012年3月19日
http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-546.html


我々は放射能から身を守り、警察から外人と見破られないよう
防護服を着こんだ。
汚染され、破壊した原発が立っているのは立ち入り禁止区域だ。
そこに連れて行ってくれることになっている男性と落ち合った。
なにが本当にそこで起きているか、彼に見せてもらうためだ。
ナカ・ユキテル氏は原子力分野のエンジニア会社の社長で
もう何十年間も原発サイトに出向いて働いてきた。
フクシマでも、だ。
私たちは見破られず、無事チェックポイントを通過した。
作業員たちが作業を終え、原発から戻ってきたところだった。
3月11日に起こったことは、これから日本が遭遇するかもしれぬことの
前兆に過ぎないのかもしれないことが次第にわかってきた。
そしてその危険を理解するには、過去を理解することが必要だ。
(タイトル) フクシマの嘘
(監督) ヨハネス・ハノ
私たちは立ち入り禁止区域の中、事故の起きた原発から約7キロ離れたところにいる。
ナカ氏はここで生活をし
福島第一とフクシマノ第二の間を股にかけて仕事をしてきた。
ナカ氏と彼の部下は、何年も前から原発の安全性における重大な欠陥について注意を喚起してきた。
しかし、誰も耳を貸そうとしなかった。
私の話を聞いてくれた人はほんのわずかな有識者だけで
その人たちの言うことなど誰も本気にしません。
日本ではその影響力の強いグループを呼ぶ名前があります。
原子力ムラ、というのです。
彼らの哲学は、経済性優先です。
この原子力ムラは東電、政府、そして
大学の学者たちでできています。
彼らが重要な決定をすべて下すのです。
私たちは東京で菅直人と独占インタビューした。
彼は事故当時首相で、第二次世界大戦以来
初の危機に遭遇した日本をリードしなければならなかった。
彼は唖然とするような内容を次々に語った、たとえば
首相の彼にさえ事実を知らせなかったネットワークが存在することを。
マスメディアでは彼に対する嘘がばらまかれ
彼は辞任に追い込まれた。
彼が原子力ムラに対抗しようとしたからである。
最大の問題点は、3月11日が起こるずっと前にしておかなければ
いけないものがあったのに、何もしなかったことです。
原発事故を起こした引き金は津波だったかもしれないが
当然しておくべき対策をしなかったことが問題なのです。
この過失は責任者にあります。
つまり、必要であったことをしなかった、という責任です。
では原発事故の原因は地震と津波ではなかったのか?
原子力ムラの足跡を辿っていくと、
嘘、仲間意識と犯罪的エネルギーの網の目に遭遇する。
調査は2つの大陸にまたがった。
まずカリフォルニアに飛んだ。
目的地はサン・フランシスコである。
私たちはある男性と話を聞く約束をしていた。
彼は長年原子炉のメンテナンスの仕事で
フクシマにも何度も来ており
かなり深刻なミスや事故を東電が隠蔽するのに遭遇した。
フクシマの第1号原子炉は70年代初めに
アメリカのジェネラルエレクトリック社が建設し
それ以来アメリカのエンジニアが点検を行ってきた。
そしてフクシマでは何度も問題があった。
東電は、点検後、なにをあなたに求めたのですか?
亀裂を発見した後、彼らが私に言いたかったことは簡単です。
つまり、黙れ、ですよ。
何も話すな、黙ってろ、というわけです。
問題があるなど許されない
日本の原発に問題など想定されていない
アメリカのエンジニア、ケイ・スガオカ氏も
それを変えようとすることは許されなかった。
1989年のことです、蒸気乾燥機でビデオ点検をしていて
そこで今まで見たこともないほど大きい亀裂を発見しました
スガオカ氏と同僚が発見したのは、それだけではない。
原子炉を点検している同僚の目がみるみる大きくなったと思うと
彼がこう言いました
蒸気乾燥機の向きが反対に取り付けられているぞ、と。
もともとこの原発の中心部材には重大な欠陥があったのだ。
スガオカ氏は点検の主任だったので
正しく点検を行い処理をする責任があったのだが
彼の報告は、東電の気に入らなかった。
私たちは点検で亀裂を発見しましたが、東電は
私たちにビデオでその部分を消すよう注文しました。
報告書も書くな、と言うのです。
私はサインしかさせてもらえませんでした。
私が報告書を書けば、180度反対に付けられている蒸気乾燥機のことも
報告するに決まっていると知っていたからです。
では、嘘の文書を書くよう求めたわけですか?
そうです、彼らは我々に文書の改竄を要求しました。
スガオカ氏は仕事を失うのを怖れて、10年間黙秘した。
GE社に解雇されて初めて彼は沈黙を破り
日本の担当官庁に告発した。
ところが不思議なことに、告発後何年間もなにも起こらなかった。
日本の原発監督官庁はそれをもみ消そうとしたのだ。
2001年になってやっと、スガオカ氏は「同士」を見つけた。
それも日本のフクシマで、である。
18年間福島県知事を務めた佐藤栄佐久氏は
当時の日本の与党、保守的な自民党所属だ。
佐藤氏は古典的政治家で
皇太子夫妻の旅に随行したこともある。
始めは彼も、原発は住民になんの危険ももたらさないと確信していた。
それから、その信頼をどんどん失っていった。
福島県の原発で働く情報提供者から約20通ファックスが届き
その中にはスガオカ氏の告発も入っていました。
経産省は、その内部告発の内容を確かめずに
これら密告者の名を東電に明かしました。
それからわかったことは、私も初めは信じられませんでした。
東電は、報告書を改ざんしていたというのです。
それで私は新聞に記事を書きました。
そんなことをしていると、この先必ず大事故が起きる、と。
それでやっと官僚たちもなにもしないわけにはいかなくなり
17基の原発が一時停止に追い込まれた。
調査委員会は、東電が何十年も前から重大な事故を隠蔽し
安全点検報告でデータを改竄してきたことを明らかにした。
それどころか、フクシマでは30年も臨界事故を隠してきたという。
社長・幹部は辞任に追い込まれ、社員は懲戒を受けたが
皆新しいポストをもらい、誰も起訴されなかった。
一番の責任者であった勝俣恒久氏は代表取締役に任命された。
彼らは佐藤氏に報告書の改竄に対し謝罪したが
佐藤氏は安心できず、原発がどんどん建設されることを懸念した。
そこで佐藤氏は日本の原発政策という
「暗黙のルール」に違反してしまった。
2004年に復讐が始まった。
12月に不正な土地取引の疑いがあるという記事が新聞に載りました。
この記事を書いたのは本来は原発政策担当の記者でした。
この疑惑は、完全にでっち上げでした。
弟が逮捕され
首相官邸担当の検察官が一時的に福島に送られて検事を務めていた。
彼の名はノリモトという名で
遅かれ早かれ、お前の兄の知事を抹殺してやる、と弟に言ったそうです。
事態は更に進み、県庁で働く200人の職員に
圧力がかかり始めました。
少し私の悪口を言うだけでいいから、と。
中には2、3人、圧力に耐え切れずに
自殺をする者さえ出ました。
私の下で働いていたある部長は、いまだ意識不明のままです。
それで、同僚や友人を守るため、佐藤氏は辞任した。
裁判で彼の無罪は確定されるが
しかし沈黙を破ろうとした「邪魔者」はこうして消された。
これが、日本の社会を牛耳る大きなグループの復讐だった。
そしてこれこそ、日本で原子力ムラと呼ばれるグループである。
ここ10~20年の間、ことに原子力の危険を訴える人間に対する
あらゆる形での圧力が非常に増えています。
大学の研究者が原発には危険が伴うなどとでも言おうものなら
出世のチャンスは絶対に回ってきません。
政治家はあらゆる援助を電力会社などから受けています。
しかし、彼らが原発の危険性などを問題にすれば、
そうした援助はすぐに受けられなくなります。
反対に、原発を推進すれば、多額の献金が入り込みます。
それは文化に関しても同じで
スポーツやマスコミも含みます。
このように網の目が細かく張りめぐらされて
原発に対する批判がまったくなされない環境が作り上げられてしまいました。
ですから原子力ムラというのは決して小さい領域ではなくて
国全体にはびこる問題なのです。
誰もが、この原子力ムラに閉じ込められているのです。
東電から献金を受け取っている
100人以上の議員に菅首相は立ち向かった。
その中には前の首相もいる。やはり彼と同じ政党所属だ。
ネットワークは思う以上に大きい。
多くの官僚は定年退職すると、電事業関連の会社に再就職する。
1962年以来東電の副社長のポストは
原発の監査を行うエネルギー庁のトップ官僚の指定席だ。
これを日本では天下り、と呼んでいる。
しかし反対の例もある。
東電副社長だった加納時男氏は当時与党だった自民党に入党し
12年間、日本のエネルギー政策を担当し
それからまた東電に戻った。
このネットワークについて衆議院議員の河野太郎氏と話した。
河野氏の家族は代々政治家で
彼の父も外相を務めた。
彼は、第二次世界大戦後日本を約60年間に渡り
支配した自民党に所属している。
原発をあれだけ政策として推進してきたのは自民党である。
誰も、日本で原発事故など起こるはずがない、と言い続けてきました。
だから、万が一のことがあったらどうすべきか、という準備も
一切してこなかったのです。
それだけでなく、原発を立地する地方の行政にも
危険に対する情報をなにひとつ与えてこなかった。
いつでも、お前たちはなにも心配しなくていい
万が一のことなど起こるはずがないのだから、と。
彼らはずっとこの幻想をばらまき事実を歪曲してきた
そして今やっと、すべて嘘だったことを認めざるを得なくなったのです。
この雰囲気が2011年3月11日に壊れた。
日本がこれまでに遭遇したことのない大事故が起きてからだ。
14時46分に日本をこれまで最大規模の地震が襲った。
マグニチュード9だった。
しかし、地震は太平洋沖で始まったその後の
ホラーの引き金に過ぎなかった。
時速数百キロという激しい波が津波となって
日本の東部沿岸を襲った。
津波は場所によっては30メートルの高さがあり
町や村をのみこみ消滅させてしまった。
約2万人の人がこの津波で命を失った。
そして福島第一にも津波が押し寄せた。
ここの防波堤は6メートルしかなかった。
津波の警告を本気にせず
処置を取らなかった東電や原発を監査する当局は
警告を無視しただけでなく、立地場所すら変更していたのだ。
もともとは、原発は35mの高さに建てられる予定でした。
しかし標高10mの位置で掘削整地し
そこに原発を建設したのです、低いところの方が
冷却に必要な海水をくみ上げやすいという理由で。
東電がはっきり、この方が経済的に効率が高いと書いています。
巨大な津波が、地震で損傷を受けた福島第一を完全ノックアウトした。
まず電源が切れ、それから
非常用発電機が津波で流されてしまった。
あまりに低い場所に置いてあったからである。
電気がなければ原子炉冷却はできない。
法律ではどの原発も非常用電源センターを用意することが義務付けられています。
福島第一ではその電源センターが原発から5キロ離れたところにあります。
これは津波の後、1分と機能しなかった。
それは職員が地震があったために、そこにすぐたどりつけなかったからです。
それで電源は失われたままでした。
こうして送電に必要な器具はすべて作動しませんでした。
つまり非常用電源センターは、本当の非常時になんの機能も果たさなかったということです。
法律では原発事故と地震が同時に起こるということすら想定していなかったのです。
菅直人はこの時、原発で起こりつつある
非常事態について、ほとんど情報を得ていなかった。
首相である彼は、テレビの報道で初めて、
福島第一で爆発があったことを知ることになる。
東電からは、その事故の報道があって1時間以上経っても
なにが原因でどういう爆発があったのかという説明が一切なかった。
あの状況では確かに詳しく究明することは難しかったのかもしれないが
それでも東電は状況を判断し、それを説明しなければいけなかったはずです。
しかし、それを彼らは充分に努力しませんでした。
2011年3月15日、災害から4日経ってもまだ
東電と保安院は事故の危険を過小評価し続けていた。
しかし東電は菅首相に内密で会い、
職員を福島第一から撤退させてもいいか打診した。
今撤退させなければ、全員死ぬことになる、というのだ。
それで私はまず東電の社長に来てもらい
撤退はぜったい認められない、と伝えた。
誰もいなくなればメルトダウンが起き
そうすれば莫大な量の放射能が大気に出ることになってしまう。
そうなってしまえば広大な土地が住めない状態になってしまいます。
菅は初めから東電を信用できず
自分の目で確かめるためヘリコプターで視察した。
しかし首相である彼にも当時伝えられていなかったことは
フクシマの3つの原子炉ですでにメルトダウンが起きていたということだ。
それも災害の起きた3月11日の夜にすでに。
東電の報告にも、東電を監査していた保安院の報告にも
燃料棒が損傷しているとか
メルトダウンに至ったなどということは一言も書かれていなかった。
3月15日には、そのような状況にはまだ至っていないという報告が私に上がっていました。
事故からほぼ1年が経った東京。
世界中であらゆる専門家が予想していたメルトダウンの事実を
東電が認めるまでなぜ2ヶ月も要したのか、私たちは聞こうと思った。
自然災害が起きてからすぐにこの原発の大事故は起きていたのである。
「原子炉1号機、2号機そして3号機でメルトダウンになったことを、東電はいつ知ったのですか」
「私どもは目で見るわけにはいきませんが
上がってきましたデータをもとに自体を推定し
燃料棒が溶けおそらく圧力容器の底に溜まっているだろう
という認識に達したのは5月の初めでした。」
膨大なデータに身を隠そうとする態度は今日も変わらない。
東電は、毎日行う記者会見でこれらのデータを見せながら、事態はコントロール下にあると言い続けている。
しかしこれらのデータの中には、本当に責任者たちは
なにをしているのかわかっているか、疑いたくなるような情報がある。
たとえばスポークスマンはついでのことのように
放射能で汚染された冷却水が「消えてしまった」と説明した。 
理由は、原発施設ではびこる雑草でホースが穴だらけになっているという。
「放射能で汚染された水を運ぶホースが
雑草で穴が開くような材料でできているというのですか?」
「草地に配管するのは私たちも初めてのことですが
穴があくなどのことについては知見が不十分だったと思っています。」
しかし原発の廃墟をさらに危険にしているのは
雑草だけではない。
私たちは富岡町に向かった。
ゴーストタウンだ。
原発廃墟の福島第一から7キロのところにある。
私たちはナカ氏に便乗した。
彼のような住民は、個人的なものをとりに行くためだけに
短時間だけ帰ることが許されている。
彼は、地震に見舞われた状態のまま放り出された会社を見せてくれた。
今では放射能のため、ここに暮らすことはできない。
この木造の建物はとても快適でした。
とても静かで、夏は涼しく、冬は暖かかった。
私たちは皆ここで幸せに暮らしていました。
80人の原発専門のエンジニアが彼のもとで働いており
原発事故後も、事故をできるだけ早く収束しようと努力している。
ナカ氏と彼の社員は、原発廃墟で今本当になにが起きているのか知っている。
私たちの最大の不安は、近い将来、
廃墟の原発で働いてくれる専門家がいなくなってしまうことです。
あそこで働く者は誰でも、大量の放射能を浴びています。
どこから充分な数の専門家を集めればいいか、わかりません。
しかし、まだ被爆していない原発の専門家を集めなければ
事故を収束するのは不可能だ。
例えこれから40年間、充分な専門家を集められたとしても
日本も世界も変えてしまうことになるかもしれない一つの問題が残る
今原発は安全なのですか?
そう東電と政府は言っていますが
働いている職員はそんなことは思っていません。とても危険な状態です。
私が一番心配しているのは4号機です。
この建物は地震でかなり損傷しているだけでなく
この4階にある使用済み燃料プールには
約1300の使用済み燃料が冷却されています。
その上の階には新しい燃料棒が保管されていて
非常に重い機械類が置いてあります。
なにもかもとても重いのです。もう一度大地震が来れば
建物は崩壊してしまうはずです。
そういうことになれば、また新たな臨界が起こるでしょう。
このような臨界が青空の下で起これば
日本にとって致命的なものとなるだろう。
放射能はすぐに致死量に達し、原発サイトで働くことは不可能となる。
そうすれば高い確率で
第1、2、3、 5、 6号機もすべてが抑制できなくなり
まさにこの世の終わりとなってしまうだろう。
東京で著名な地震学者の島村英紀氏に会った。
2月に東大地震研が地震予知を発表したが
それによれば75%の確率で4年以内に
首都を直下型地震が襲うと予測されている。
このような地震があった場合に原発が壊滅して
確率はどのくらいだとお考えですか?
-はい、とても確率は高いです。 
-どうしてですか?
計測している地震揺れ速度が、これまでの予測よりずっと速まってきています。
私たちはここ数年千以上の特別測定器を配置して調査してきましたが
それで想像以上に地震波が強まり、速度も増していることがわかったのです。
これは日本の建築物にとって大変な意味を持つだけでなく
原発にとっても重大な問題となることを島村氏は説明する。
これが原発の設計計算です。
将来加速度300~450ガルの地震が来ることを想定しています。
そして高確率で発生しないだろう地震として600ガルまでを想定していますが
この大きさに耐えられる設計は原子炉の格納容器だけで
原発のほかの構造はそれだけの耐震設計がされていないのです。
しかし私たちの調査では、最近の地震の加速度がなんと
4000ガルまで達したことがわかっています。
想定されている値よりずっと高いのです。
電気会社は、それを知って増強をしなかったのですか?
今のところ何もしていません、不十分であることは確かです。
これだけの地震に耐えられるだけの設計をしようなどというのは
ほとんど不可能でしょう。
ここは原発廃墟から60キロ離れた場所だ。
フクシマ災害対策本部では東電、保安院、福島県庁が共同で
原発の地獄の炎を鎮火するための闘いの調整をはかっている。
私たちは東電の災害対策部責任者にインタビューした。
ことに彼に訊きたいのはどうやって今後
これだけ損傷している原発を大地震から守るつもりなのか、ということだ。
ことに、危ぶまれている4号機について訊いた。
4号機の使用済み燃料プールには夥しい量の使用済み燃料が入っています。
これをすべて安全に保つためには、燃料プールの増強が必要です
燃料プールのある階の真下に、新しい梁をつけました。
原発はほとんど破壊したといってもいいわけですが
原発が健在だった1年前ですら大地震に耐えられなかった構造で
どうやって次の地震に備えるつもりなのでしょうか?
我々は耐震調査を4号機に限らず全体で行いました。
その結果、問題ないという判断が出ています。
でも地震学者たちは4000ガルまでの地震加速度が測定されていて
これだけの地震に耐えられるだけの原発構造はないと言っています。
半壊状態のフクシマの原発の真下でそのような地震が来ても
全壊することはないと、なぜ確信がもてるのですか?
その4000ガルという計算は別の調査ではないでしょうか
それに関しては、私は何とも言いかねます。
原発を日本で稼動させるだけの心構えが、東電にできているとお考えですか?
それは答えるのが難しいですね。
これがやってきたことの結果です。
この結果を人類はちゃんと知るべきだと思います。
一緒に未来の政策をつくっていくことができるように


コメント
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