日本ユーラシア協会広島支部ニュース 2014年3月20日
【日本ユーラシア協会第54回全国総会が開催されます。】
日程:4月12日(土)13日(日)
場所:横浜市健康福祉総合センター・横浜平和と労働会館(JR桜木町駅前)
4月12日(土)横浜平和と労働会館
理事会・常任理事会
分科会 13:00~17:00 *分科会により、時間帯と会場が異なります。
①日ロ平和条約(13:00~17:00 平労3階)
②学術・経済(13:00~17:00 健福 904)
③文化・芸術(13:00~14:50 健福901.902)
④平和・脱原発(13:00~17:00 平労4階)
⑤ロシア語(13:00~14:50 健福 903)
⑥組織・次世代(15:10~17:00 健福 903)
⑦国別交流・姉妹都市(15:10~17:00 健福 901.902)
レセプション 18:30~20:30ナビオス横浜
4月13日(日)健康福祉センター4階
本会議 10:00 ~15:30
理事会・常任理事会
【ロシア語能力検定試験】
第63回ロシア語能力検定は2014年5月25日(日)に3、4級の試験が実施されます。
詳細は決まり次第次のホームページでお知らせします。お申し込みも本部宛が便利です。
http://www.tokyorus.ac.jp/kentei/#
広島会場:広島まちづくり市民交流プラザ南棟会議室C(予定)
【ひろしまフラワーフェスティバル】5月3日~5月5日
今年はМатрёша マトリョー社マリーナさん( Marina Golovenkoさん)が講師でマトリョーシカ絵付け教室が開催されます。
[関連記事と写真Facebookより]
● 『マトリョーシカとの出会い』東京 (写真71枚)2014年1月東京でのマトリョーシカ絵付け体験イベントです。マトリョーシカを作る時、大人も子どもの頃へ戻ってしまう!それぞれ完成したマトリョーシカを見ると非常に面白いです。その人の性格や特徴がそのままマトリョーシカに現れています:)自分の服の色までマトリョーシカの格好を同じくする人って結構いるんですよ:) ― 場所: 東京駅 (Tokyo Station)
●広島ホームテレビ 『あした記念日 』2月28日放送~動画は
http://www.youtube.com/watch?v=xdf1GncWiPk
【科学者が語り合う 戦争と平和憲法】
主催 第九条の会ヒロシマ
http://9-hiroshima.org/ ノーベル物理学賞を受賞された益川さんと同じ物理学者で教育者でもある松田さんをお呼びします。お誘いあわせの上、どうぞご参加ください。
日時 3月29日(土)13:30~15:30 会場 広島平和祈念資料館メモリアルホール
【日本ベトナム国交樹立40周年記念 ベトナム民族歌舞団 『黄色い竹』 広島公演】
日時:2014年4月5日(土)14:00(開場13:30)
会場:アステールプラザ中ホール(広島市中区加古町4-17)
鑑賞料: 一般 2000円(当日2500円)
中・高校 1000円(当日1200円)
小学生以下 無料
主催:NPO法人広島ベトナム協会
後援:駐日ベトナム大使館 協力:日本ベトナム友好協会広島支部
問い合わせ:tel 082-511-8152(NPO法人広島ベトナム協会) fax 082-511-8153
730-0013 広島市中区八丁堀15-10 セントラルビル9階不二ビルサービス内
【呉支部関連記事】
1ヶ月に1回のペースでロシア語学習会を開催しています。昨年11月には、旅行、ロシア語、料理室、オペラなど非常に多才な一杉次郎さん、エルビラさんご夫妻の歓迎会を開催しました。 今年2月には一杉次郎さん、エルビラさんが講師のウズベキスタン/ロシア料理教室を開催しました。 ラグマン、クステヴィ、ズダロビエサラダ、みかんのゼリー菓子を作りました。 次に旅行を2つお知らせします。
① 2015年6月?7月「シベリア鉄道で行く白夜のサンクトペテルブルク」 ② 2016年「ウズベキスタン旅行」
旅行メニューとしてホームステー、ダーチャ訪問、オペラ観賞など。タシケントとサンクトペテルブルクでの暮らしが長かった一杉さんご夫妻の計らいで、 ユニークな旅行を格安の値段で実現できそうです。2つともまだ企画の段階です。
もし興味がありましたらご一報ください。
ロシア語学習会の予定をお知らせします。場所はいずれもビューポートくれ小会議室です。4月6日(日) 5月11日(日) 6月1日(日) 7月6日(日) 8月3日(日) 9月7日(日)
呉支部総会(3月30日) 日本ユーラシア協会呉支部 藤井孝志記
【広島一カザフスタン友好訪問団(仮称)】」今夏、広島空港からチャーター便で実施されます。
行程2014年8月28日(木)~9月1日(月)
日時、行程、宿泊場所は次の通り。
8月28日(木) 10:30広島空港集合 11:30出国手続き 13:00約広島空港発(約7時間) 17:00アスタナ着 19:00夕食 アスタナ泊
8月29日(金) (グループに分かれて行動、セメイ市訪問団は別途) セミパラチンスク核実験場閉鎖25周年式典 アスタナ泊 (セメイ市訪問団は、29日30日別途。セメイ泊)
8月30日(土) AM:アルマティヘ移動 PM:市内見学等 アルマティ泊(セメイ市訪問団は、別途。)
8月31日(日) 終日:アルマティ市近郊 (企業訪問、シベリア抑留者墓地、世界遺産等) (別途セメイ市内 セメイ医科大学等)22:00 アルマティ空港発(約7時間) 機内泊
9月1日(月) 08:00 広島空港着 09:00 現地解散
チャーター機トランサヴィア航空(KLMオランダ航空)を予定。
参加対象は
①経済ミッション関係②ヒロセミ関係③県議会関係(連合広島関係含む)④一般参加者募集(どなたでも参加できます。)
【文集 宙(おおぞら)第29号】中村さんの作品を紹介します。(第3回)
「ホオズキ」と「一本の指」と 中村康治
妻美佐子を胃がんでなくして3年余りになります。生前の妻は高血圧(200超)。ぜんそく発作にも悩んでいました。
被爆当時、妻は国民学校(現小学校)2年生でした。建物疎開のための動員を受けた母親と一緒に土橋に向かう途中でした。、父親は出征して、6月、沖縄で戦死しました。東観音で観船橋(観音橋の一つ上流にかかる橋。被爆当時は現在の位置より若干上流よりにかかっていた)を渡る直前でした。気がっくと板塀の下敷きで、 その板塀を除いて外に身体を出したものの、既に母親と2人の妹達の姿はなく、 お気に入りの日傘も吹っ飛んでいました。母親は乳飲み子を乳母車に乗せ、3歳になる妹の手を引いていました。それにしても、板塀と日傘でピカの光熱線が遮られたのが幸いでした。ひとりぼっちになり、あるいは?と、西観音の自宅まで戻ったものの、誰も居ない。呆然としていました。その時、近所の顔見知りのお姉さん(20歳くらい)から声をかけられ、万一のときには己斐の知人宅に集まろうと家族間で話し合われていたことを思い出し、お姉さんと一緒に己斐に向かって歩き始めました。己斐駅が近くなった頃、お姉さんから「この様子では己斐の山手の方もやられているに違いない。無理して行くよりは、私の知っている草津病院に行きましょう」と案内していただきました。 それから草津病院の防空壕で一週間余り過ごしました。毎日僅かばかりのお小遣いもいただきました、それでホオズキを買い、ふくらませ、音色を聞いて寂しさを紛らわせていました。また、まわりの人たちに倣って、天花粉(てんかふ)を買ったりもしました。一週間が過ぎようとした頃、各地の警防団のおじさんたちがトラックで避難所を見て回り、草津病院にも訪ねて来られました。ひとりのおじさんから「あんたは○○さんの孫ではないう?」と聞かれ、「そうです」と答えると、「連れて行ってあげよう」とトラックに乗せられ、最後には長い道のりを背負ってもらって、母親の実家まで運んでいただきました。そうしてやっとの思いで全員無事であった家族との再会を果たすことができたのでした。たいへんな夏休みでしたが、夏休みが終わっても元の小学校は2学期どころではなく、しばらくの間、地元の小学校に転入することになりました。
一方の私ですが、その頃は滋賀県大津市の旧制中学校の生徒で、軍需工場に動員されていました。なにかしら聞き取りにくい、例の「玉音放送」があった後、まもなくして父親から親類の多い広島の様子を見に行くように言われ、超満員の列車に乗り込みました。最初に向かったのは可部でした。横川駅から可部線に乗ったときの異様な情景に先ず驚きました。吊り手という吊り手には真っ黒になるほどにハエが群がっており、気持ちの悪いことこの上ない。目の前の座席に座っておられた老人が言われるには「この度の爆弾は毒ガス弾に違いない」と。可部の親類の無事を確認し、次に草津に向かいました。横川駅から己斐駅まで、見渡す限り一面の焼け野原でした。どこをどう歩いたのか記憶は定かではありませんが、できるだけ最短距離を進もうと、焼けあとの区画を斜めに歩いたりもしたように思います。その途中、人の手の指とおぼしきものが焼け跡に無造作に転がっていました。偶然に私の目に留まったのでしたが、あるいは一本だけ残された指が私に何かを訴えたかったのでしょうか。己斐駅まで何とかたどり着き、宮島線で草津駅に到着。親類の無事を確認することができました。
一本の指の訴えは「どのような理由があろうと、再びこのような非人道的な兵器が使用されないように」というものです。 そのためには戦争があってはなりません。軍拡ではなく、軍縮でなければなりません。北東アジアに非核地帯を設けましょう。「核の傘」は不要です。子や孫のために、核の恐怖のない平和な21世紀を一日も早く共に築きましょう。