日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

日本ユーラシア協会広島支部ニュース2022年9月29日

2022-09-29 19:57:12 | 日記
日本ユーラシア協会広島支部ニュース2022年9月29日
【2022年度ロシア語能力検定試験】
第80回が10月29日30日実施されます。会場は広島市東区民文化センター(3階美術工芸室)です。https://www.tokyorus.ac.jp/kentei/ 

【国際フェスタ2022】
「国際フェスタ2022」で国際協力バザー(民芸品)、ひろしま国際村〜世界の屋台の出店に参加します。国際フェスタの開催は、今年23回目で、11月20日(日)に広島国際会議場で開催されます。

【初めて地球を一回りした日本人~石巻若宮丸物語:第5話 阿部和夫】
吉郎次の墓建立
 吉郎次を手作りの棺に入れて葬ることになりましたが、教会から洗礼を受けていない異教徒なので葬儀を執り行うことは出来ないと断られ、郊外にある外国人墓地に埋葬することにしました。極寒の時期であり、土が鍬を受け付けず三㍍程の穴を掘るのは、かなり難儀なことでした。それでも形通りに土饅頭をつくり木の墓標を建てました。
 その時、彼等は外国人墓地で日本風の墓石に似た石塔があるのに気づきました。それは、この地で亡くなった日本人漂流民の墓石だったのです。それを見て吉郎次の墓を建てようと相談がまとまります。これまで蓄えてきたお金を出し合い、石屋に墓石の図面を書いて渡し、その様に石を切り取ってもらうよう頼みました。
 出来上がった吉郎次の墓は、高さがおよそ一㍍で正面中央に「卍」が掘られ、「南無阿彌陀佛」とあり、その下に蓮華が刻まれています。右側に「未寛政十一年日本奥州仙臺」とあり、左側には、「十二月廿八日 牡鹿郡小竹濱 阿部屋吉郎祐作 七十三歳」としました。この文字を書いたのも、石に刻んだのも太十郎でした。どうせ帰国出来る当てもないので、供養の意味を込めて、屋号の外に、侍のように「祐作」と言う名前を書き加えたのでした。
 吉郎次の死にあたり、漂流民たちは日本の風習に従って永遠の別れをしました。以前に亡くなった平兵衛や市五郎が、まるで捨てられるように葬られたのに比べ、吉郎次を丁重に葬ったことは、残された仲間にとってせめてもの慰めとなりました。
 吉郎次の墓については後日談があります。彼の死後、およそ百年後の明治三十四年(一九〇一)に、日本人の手によってその墓が発見されました。大審院検事小宮三保松が、ドイツで司法制度を学びシベリア経由で帰国する時、イルクーツクに立ち寄りました。彼は、その地で時計商を営んでいるドイツ人ムルカの世話になっていました。小宮はムルカからの情報で、外国人墓地に行ってみて、苔むして草むらに埋もれた三尺近い墓石を発見しました。帰国後の明治三十四年二月十九日の「報知新聞」に『バイカル湖畔の墓地』の見出しで記事がでることで、日本人にも知られるようになりました。

【講座・公演・映画のご案内】
①「97歳が語るシベリア抑留ー末広一郎さんのお話しを聞く会」2022年9月24日10時30分~12時30分、エソール広島(折り鶴タワー10階)(終了しました。)
②日本リトアニア友好100周年記念ヴィリニュス市合唱団ヤウナ・ムジカJAUNA MUZIKA公演10月4日 開演18:30 広島文化学園HBGホール(公演問い合わせ082-567-0585)
③ソクーロフ特集2022 10月23日~30日 広島市映像文化ライブラリー

【「映画『氷雪の門』への考察(20回目)】
 予告していた「NHKスペシャル 戦争の真実シリーズ② 樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇(角川書店)」に代わり、「『樺太一九四五年夏 氷雪の門』JMP製作作品 一九七三年 シナリオ」を読んでいきます。
■・1 中近東・及び・日本列島全図 ■・2 稚内・宗谷岬・日本最北端の地 ■・4 聳え立つ『氷雪の門』■・碑文 ■7 メイン・タイトル『樺太一九四五年夏 氷雪の門』 ■8 樺太全図 ■・13電話交換室・内部
●T(タイトル)一九四五(昭和二十年)八月八日 午後五時三十分・綾子「了解(事務日誌を開いて見るが小声で)ね、広島の被害、物凄く大きかったってほんと?」・26 豊原・第88師団司令部・会議室 鈴木「大本営としては、あくまで本土に備え、対米中心の布陣でありますが、樺太現地軍のわが88師団としては、ソ連参戦の場合、直ちにそれに対処出来るよう、準備しなければなりません。ソ連はこの八月以降、いつでも参戦できる準備が整っていると見なければならない。」
●T 「翌八月九日 午前六時五十分」・33 第五方面軍司令部(札幌)・参謀室 田尻「ただ今、大本営からの通報があり、サンフランシスコ放送によりますと、ソ連が八日夕刻、我が国に対し、宣戦を布告したもののようであります!」・36 昭和二十年八月九日 午前七時 八十八師作命第一号 一、大本営ノ通網ニヨレバ、ソ連ハ昨八日夕刻、日本ニ対シ宣戦ヲ布告セリ。一、師団ハ、樺太防衛ノタメ、決起セントス。一、各隊ハ、団隊長会議ニオイテ示サレタル所ニ基ヅキ、即刻作戦行動ヲ開始セヨ。・46 豊原・師団司令部・参謀室 吉崎「(戦闘商法を読み上げる)午前九時、ソ連国境日の丸監視哨、砲撃を受く。敵一小隊と交戦中」・47 第5方面軍司令部・参謀室 ・田尻「第88師団は,諸般の情況に鑑み、積極的攻撃に出て越境すべからず」・53 ソ連国境・日の丸監視哨 
●T「八月十日、午前二時」・55豊原・師団司令部・参謀室 N「この日ソ連軍は全く攻撃を開始しようとしなかった・・・」・56ソ連国境・日の丸監視哨・豪の中
●T「翌八月十一日、午前六時」 新関「(同時に叫ぶ)戦車だ!!」62 真岡郵便局・電話交換室(夜) Rレシーバーの声「本十一日午後八時三十分。恵須取、ソ連機の空襲を受ける」・63 原生林の中(夜明け)
●T「翌八月十ニ日」・73 真岡駅・構内 ●T「翌八月十三日」・75 真岡神社(早朝)
●T「翌八月十四日」・菊雄「(神前㋾見詰詰めたまま)姉さん、僕等も今日戦闘隊に編入されたよ」鈴木「いえ・・・・・・明八月十五日正午(キチッと姿勢を正す)天皇陛下の玉音放送がありますので、全員慎んで承るようにとの内容であります!」・83 八方山陣地 
●T「翌八月十五日」・監視兵の声がする。「敵攻撃開始!国道沿いに戦車五十!!」早苗「真岡の婦女子に、緊急疎開命令が!」早苗「町内ごとに、引き揚げの日にちをきめ・・・。第一陣は・・・・・・明日からよ!」・102豊原・師団司令部・参謀室(夜明け)
●T「翌八月十六日」三橋「第一大隊の伝令であります!第一大隊は、大隊長以下生き残り全員、最後の突撃を敢行します!」・104豊原・師団司令部・参謀室 吉崎「先に停戦、武装解除、軍旗奉焼につき指示したるも、自衛のための戦闘はあくまで継続すべし!以上!」鈴木「なにッ?!自衛のための戦闘?!自衛のための戦闘とはどういうことか!!」・105真岡郵便局・電話交換室 綾子「」はい、汽船大宝丸を初め機帆船、漁船、ハシケまで動員した第一引き揚げ船団は、今朝八時真岡を出港しました・・・そうです。第二船団は明朝八時です。・119 八方山陣地(朝)
●T「翌八月十七日」宇野「(叫ぶ)師団司令部より伝令!!和平に関する詔勅が渙発された!!撃ち方やめ!!戦闘行動停止を知らせれくれ!!」・125 真岡近く・逢坂神社
●T「翌八月十八日」燃える軍旗。・127豊原・師団司令部・参謀室 鈴木「師団司令部よりの伝令も到達し、ソ連軍と、明十九日午前零時を期して停戦し、武装解除の交渉も成立したとのことであります」・128 八方山陣地(朝)
●T「翌八月十九日」・129豊原・師団司令部・参謀室 吉崎「歩125からの報告によれば、ソ連軍は中央軍道にそい、なおも上敷香方面へ!」・147真岡郵便局・電話交換室
●T「翌八月二十日 午前五時四十分」・150 真岡神社近く・広田砲兵分隊 野中「見えた!ソ連艦隊だ!」・155 鉄道・踏切近く 村口「(その銃口を払いのけると将校へ)我々は軍使だ!日本軍は自主的に戦闘 行動を中止した!貴軍はそれを知らないのか!」・181 郵便局の前 局を中央に、左の街角を陣取ったソ連兵と、右に陣取った警察隊を含んだ真岡の人々が、有り合わせの銃や猟銃で市街戦を開始している。・183 泊居局・電話交換室 渡部「待ってくれ!死んじゃいけない!生きるんだ!なにか白いものはないか!手拭いでもいい!白いきれを窓から出して振るんだよ!」・184 真岡郵便局・電話交換室 律子「もう駄目です。みなさんによろしく。これが最後です。さようなら、さようなら」・・・」 ・189 稚内公園・『氷雪の門』 ・190 稚内港・桟橋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする