日本ユーラシア協会広島支部ニュース 2014年2月25日
【県連理事会を開催されました】
日時 2014年1月31日(金)午前10時
場所 広島市留学生会館 1階
【西日本ブロック会議が開催されました】
2014年2月15日(土)/京都市内
県連伊原さん、呉支部桝井さん出席。
【呉支部関連】
日時 2月2日(土) ビューポートくれ小会議室
・呉支部理事会・ウズベキスタン/ロシア料理教室実行委員会・ロシア語学習会
[2月15日(土)ウズベキスタン/ロシア料理教室(呉市阿賀公民館)が開催されました]
講師の一杉エルビラさん、次郎さんありがとうございました。
【本年度ヒロシマ・メッセンジャーを岩木さん、アンドレイさんに。】
「メッセンジャー」2人依頼
未定のボルゴグラード担当 広島市の姉妹・友好都市交流
広島市は27日、海外六つの姉妹・友好都市との市民交流イベントを企画する「ヒロシマ・メッセンジャー」のうち、未定だったロシア・ホルゴグラード市を担当する男女2人を決め、依頼書を交付した。任期はことし12月末まで。
佐伯区の岩木絵里奈さんと東広島市(*現在は広島市在住)のアンドレイ・カルーギンさん。市役所での交付式には岩木さんが出席し、及川亨市民局長から依頼書を受け取った。ボルゴグラード市は第2次大戦の激戦地で、岩木さんは「悲惨な戦争を経験し、復興を果たした点は広島と同じ。二つの市の歴史を伝え合う活動をしたい」と話していた。
米国ホノルル市など他の5市を担当する10人は2013年12月に決定。ホルゴグラード市には締め切りまでに応募者がなく、追加募集していた。及川局長(手前)に意気込みを語る岩木さん(桑田勇樹)中国新聞2014年1月28日夕刊
【カザフスタン留学生送別会】
マディナさんの送別を兼ねた食事会
時 :3月8日(土) 18:00~
会場 : 「とみや」 中区袋町2-6 ゆぶたビル1F 会費 : 3,500円/
【催し物案内】
[日本ベトナム国交樹立40周年記念ベトナム民族歌舞団 『黄色い竹』 広島公演]
日時:2014年4月5日(土)14:00(開場13:30)
会場:アステールプラザ中ホール(広島市中区加古町4-17)
鑑賞料: 一般 2000円(当日2500円)
中・高校 1000円(当日1200円)
小学生以下 無料
主催:NPO法人広島ベトナム協会
後援:駐日ベトナム大使館
協力:日本ベトナム友好協会広島支部
問い合わせ:tel 082-511-8152(NPO法人広島ベトナム協会)
fax 082-511-8153
730-0013 広島市中区八丁堀15-10 セントラルビル9階不二ビルサービス内
[マーシャル諸島核実験によるマグロ漁船の被曝]
期日 2014年2月28日(金)14:00開会
会場 広仁会館中会議室(1階)
主催 広島大学原爆放射線医科学研究所
共催 科研費基盤研究(C) 「冷戦初期における米国核政策と被爆者・ヒバクシャ情報」
オーガナイザー 星 正治、 大瀧 慈
連絡先:広島大学 原爆放射線医科学研究所 計量生物分野 〒734-8553 広島市南区霞1-2-3
TEL: 082-257-5852 FAX: 082-257-5854
[広島・長崎原爆における残留放射線の影響]
日時 3月3日(月)13:20
会場 広島大学原爆放射線医科学研究所 セミナー室433
[3月8日(土)上関原発を建てさせない山口県民大集会]
日時 2014年3月8日(土)10時~ 場所:山口市 維新公園ちょるる広場
http://kaminoseki.blogspot.jp/
[フクシマを忘れない!さようなら原発 ヒロシマ集会]
日時 2014年3月11日(火) 午後6時から
午後6時半 デモ出発
場所 広島市 原爆ドーム前
内容 開会あいさつ 呼びかけ人のあいさつ 福島からの訴え 中路良一さん(福島県教組、福島原発告訴団)
3・11ヒロシマ・アピール文採択 デモ行進~中国電力本社前へ
主催 「フクシマを忘れない!さようなら原発 ヒロシマ集会」実行委員会
連絡先 (藤本)082-503-5855 090-5708-0117
[劇団銅鑼公演No.45 女三人のシベリア鉄道(東京)]
シベリア鉄道に乗った三人の女性作家。与謝野晶子、中條百合子、林芙美子。それぞれの愛と理想を求めて・・・。
脚本/森まゆみ 演出/野崎美子 原作/森まゆみ「女三人のシベリア鉄道」(集英社)
日時/2014年3月12日(水)~18日(火)
場所/六本木・俳優座劇場
チケット料金 一般5000円 25歳以下と学生3500円 3月12日17日割引デー 4000円
問い合わせ/劇団銅鑼 03-3937-1101(平日10~18時) http://www.gekidandora.com/
【文集 宙(おおぞら)第29号】中村さんの作品を紹介します。(第2回)
追憶 中村康治
戦後、大津での転宅先も又小高い所にあった。左手はどこまでも続くかに見える比叡の連峰を仰ぎ、足元に浮舟漂う琵琶湖を望むその姿は、万葉人達も賞でたであろう姿そのままに、とくに、春先の少し霞がかったような時季は、なんとも穏やか で平和そのものであった。
その住まいから坂道を下りきった角に、女学校があった。木立に囲まれた講堂からは、鼓笛クラブの奏でる旋律が木立を抜けてよく聞こえた。一つは『青葉の笛』だったが、一つは不明のままだった。それが半世紀も経って最近判った。サントリーウーロン茶のCMで中国の女性歌手が歌う『太鼓船』(中国民謡)だったのだ。げに人生は短く芸術は長しとかや。
私の子供がまだ幼い頃であった。憲法記念講演のため、末川先生が広島に来られたことがある。私は、幼児の手を携えてYMCA迄出向いた。民放テレビ局のカメラが子供にも向けられた。先生の背中は、痛々しいほど曲がり、小さくなつておられた。が、あの格調高い朗々とした名調子は、昔と寸分変わっていなかった。かつては『未来を信じ、未来に生きる』これが先生の口癖であった。ここでは、『山中の賊を破るは易(やす)く、心中の賊を破るは難(かた)し』と結ばれた。
老いと明日とを思うとき、昔、古老が山中で黙々と苗木を植え続けたように、次世代につながる何かを持ち、念じて花を咲かせたいものである。