日本ユーラシア協会広島支部ニュース2022年6月30日
【国際フェスタ2022】「国際交流ネットワークひろしま」加入団体のみなさま
日頃は当センターの事業に御協力いただきありがとうございます。
さて、標記件名のとおり「国際フェスタ2022」の公募三事業(市民団体等活動紹介コーナー、国際協力バザー(民芸品)、ひろしま国際村〜世界の屋台)の出展・出店団体を募集します。
国際フェスタの開催は、今年で23回目で、本年は11月20日(日)に開催します。
募集要項及び申込書については、次の当課ホームページからダウンロードしてください。
"><https://h-ircd.jp/news/%e3%80%8c%e5%9b%bd%e9%9a%9b%e3%83%95%e3%82%a7%e3%82%b9%e3%82%bf%ef%bc%92%ef%bc%90%ef%bc%92%ef%bc%92%e3%80%8d%e5%85%ac%e5%8b%9f%e4%b8%89%e4%ba%8b%e6%a5%ad%ef%bc%88%e3%80%8c%e5%b8%82%e6%b0%91%e5%9b%a3.html> 「国際フェスタ2022」公募三事業(「市民団体等活動紹介コーナー」「国際協力バザー(民芸品)」「ひろしま国際村~世界の屋台」)出展・出店団体募集要項をご覧いただき、趣旨に賛同いただける団体におかれましては、必要事項をご記入の上
応募してください。
ご検討よろしくお願いいたします。
【夏の企画】
①「せこへい美術館」・期間:2022年7月26日(火)~7月31日(日)9時~17時・場所:広島県立美術館地下展示室5/広島市中区上幟町2-22
②「カザフスタン元留学生と広島の若者による平和シンポジウム」の開催・日時:2022年8月29日(月)18:30~20:30本番・会場:広島国際会議場 地下1F議会運営室及びオンライン
③2022年度「ひろしま国際交流サミット」及び「ひろしま国際交流・貢献 親睦の集い」・日時:2022年8月3日(水)国際交流サミット総会・講演会15:30 ~ 17:00 講演は、広島フィルム・コミッションの西崎智子・国際交流・貢献 親睦の集い17:10 ~ 18:30・会場:TKPガーデンシティ広島 広島市中区中町8-18 広島クリスタルプラザ
④ヒロシマ平和の灯の集い・日時7月31日・場所平和記念公園など
⑤ジョージア映画祭2022 ・期間6月22日~7月10日・場所 広島市映像ライブラリー
【ウクライナ情勢】 [ソ連とウクライナの原発]
3月4日、ウクライナ大統領の宣戦布告下のザポリージャ原発がロシア軍により占拠された。原発は、推進側が安全面で故障や過酷事故への対応策に言及するものの、さすがに、戦時下での原発の利用運転は想定していないこと、またプルトニウムなど核物質製造施設であることの課題を突きつけた。3月16日、原子力規制員会更田委員長は記者会見での質問に対して、ウクライナの原子力関連施設がロシア軍から攻撃されることに関連し、規制委として、国内の原発に対する武力攻撃への対応を議論する考えがあるかを問われ、「武力攻撃に対する備えを検討しようと思ったら、武力攻撃の強度…を知らなきゃならないですけど、私たちは軍事情報にアクセスする立場にはない」と述べ、「直接的な武力攻撃に対して堅牢性を持つ施設というような議論というのは…計画もしていないし、事実上無理だと思いますし、…武力攻撃の威力を一定程度以上のものを考えたら、それこそ守りようがない」と述べました。「私たちは軍事情報にアクセスする立場にはない」「守りようがない」原発の冷厳な事実です。先日5月27日、再稼働議論の進む島根原発2号機、建設中の3号機の現場、松江市鹿島地区を訪れた。島根半島沿岸に侵入を防ぐ監視船の配備、事故時住民46万人の避難計画を聞くにつけ、原発の脆弱性に思いはめぐる。
ウクライナの原発はサポリージャ原発(ザポロージェ原発)6百万kW、VVER1000、6基、南ウクライナ原発3百万kW、VVER1000、3基、フメルニツキー原発2百万kW、VVER1000、2基、リウネ原発(ロヴノ原発)283万5千kW、VVER440、2基、VVER1000、2基がある。チェルノブイリ原発RBMK、4基は、1986年の4号機事故により、廃止措置中です。型式VVERは、Voda Voda Energo Reactorロシア型加圧水型原子炉、ロシア語でВВЭР (Водо-водяной энергетический реактор)はソ連で開発された商業発電用の原子炉を示す。数字の1000は出力100万kWを示す。RBMK はРеактор большой мощности канальный、РБМК、高出力圧力管原子炉です。施設運営のロシア離れが進み、核燃料は既に2016年で米国ウェスチングハウス社から30パーセント供給、70%はロシア供給。21年7月21日、ウェスチングハウス社製の核燃料カートリッジ42個が、リウネ原子力発電所に到着。25年以降、同原発は同社製燃料使用に完全に切り替えられる予定。
4月16日広島大学で「“原子力国家”ソ連とウクライナ」と題する市川浩教授(本会会員)講演がされた。その内容は『現代思想』22年6月臨時増刊号に掲載(ショーウインドウの中の原子力“平和”利用、聞き届けられなかった警告ー黒鉛チャンネル炉、原子力発電“第二の波”、ソ連原子力“約束の地”ウクライナ)されている。
【新連載:「初めて地球を一回りした日本人~石巻若宮丸物語」(著者阿部和夫さん)を掲載します。全16話 ①~⑯】[著者 阿部和夫さんプロフィル]1938年宮城県石巻市生。石巻小学校校長1999年退職。石巻教育委員会教育長(1999年~2008年)。近刊阿部和夫著「戊辰戦争と仙台藩ーその時、石巻では」(三陸河北新報社)好評(SHIEN 支縁(社)神戸国際支縁機構季刊誌より)
[第2話] 初めて地球を一回りした日本人 ~石巻若宮丸物語 ②~阿部 和夫
イルクーツクで日本人との出会い
オホーツクに滞在していた漂流民の一行は、望郷の念止み難いものがありました。帰国を具体化するためには、この地に居るより、シベリア第一の都市イルクーツクに移動するのがよいことを土地の役人から勧められます。折よくその地の役人がイルクーツクにもどることになり、先ず3人だけを同行することになりました。ロシア側は善六を指定し、外の2名は日本側で人選してよいことになり、儀兵衛と辰蔵に決まりました。善六は、ロシア語を理解するようになっていたのです。
1795年8月にオホーツクを出発しますが、橇(そり)で180日程かかる道のりで翌年1月イルクーツクに着きます。第2のグループは、5月に左太夫をリーダーに5人が出発、そして2か月遅れて津太夫等7人が出発しました。その中にいた市五郎は、ヤクーツクを前にして腫物が出て高熱に苦しめられました。ヤクーツクに着くと病院に入院して治療をしますが、その甲斐なく32才の若さで亡くなってしまいます。仲間から2人目の死者が出てしまいました。
最後のグループがイルクーツクに着いたのは、善六の第一陣が着いてからほぼ1年も経過した後のことでした。
イルクーツクに着いた一行にとって、嬉しい出来事がありました。思いがけなくも、2人の日本人と出会いました。信藏と庄蔵です。2人は伊勢国白子浦の神昌丸の水主(かこ)でした。神昌丸は、大黒屋幸太夫等17名を乗せ江戸に向けて出帆しますが、遭難しロシアに漂着しました。その漂流民は、ロシアの対日政策のおかげでラクスマンに連れられ大黒屋幸太夫外2名が帰国できました。しかし信藏と庄蔵は、ロシア正教に改宗して、信藏はニコライ・ペトロヴィチ・コロトゥイギン、庄蔵はフイヨドール・ステパノヴィッチ・シトニコフと言う名のロシア人になって日本語学校の教師をしていました。そのため帰国は出来ずロシアに留まっていたのです。
若宮丸の漂流民にとって、日本語を話すニコライ信藏、フイヨドール庄蔵と出会えたことは、大きな喜びでした。自分達の話す内容が確実にロシア側に伝えて貰えたのです。
しかし、2人との出会いは、決していいことだけではありませんでした。
【・「映画『氷雪の門』への考察・炭本さんのボルゴグラード紀行1978年訪問1998-06-09記述】次号以降に掲載。
【国際フェスタ2022】「国際交流ネットワークひろしま」加入団体のみなさま
日頃は当センターの事業に御協力いただきありがとうございます。
さて、標記件名のとおり「国際フェスタ2022」の公募三事業(市民団体等活動紹介コーナー、国際協力バザー(民芸品)、ひろしま国際村〜世界の屋台)の出展・出店団体を募集します。
国際フェスタの開催は、今年で23回目で、本年は11月20日(日)に開催します。
募集要項及び申込書については、次の当課ホームページからダウンロードしてください。
"><https://h-ircd.jp/news/%e3%80%8c%e5%9b%bd%e9%9a%9b%e3%83%95%e3%82%a7%e3%82%b9%e3%82%bf%ef%bc%92%ef%bc%90%ef%bc%92%ef%bc%92%e3%80%8d%e5%85%ac%e5%8b%9f%e4%b8%89%e4%ba%8b%e6%a5%ad%ef%bc%88%e3%80%8c%e5%b8%82%e6%b0%91%e5%9b%a3.html> 「国際フェスタ2022」公募三事業(「市民団体等活動紹介コーナー」「国際協力バザー(民芸品)」「ひろしま国際村~世界の屋台」)出展・出店団体募集要項をご覧いただき、趣旨に賛同いただける団体におかれましては、必要事項をご記入の上
応募してください。
ご検討よろしくお願いいたします。
【夏の企画】
①「せこへい美術館」・期間:2022年7月26日(火)~7月31日(日)9時~17時・場所:広島県立美術館地下展示室5/広島市中区上幟町2-22
②「カザフスタン元留学生と広島の若者による平和シンポジウム」の開催・日時:2022年8月29日(月)18:30~20:30本番・会場:広島国際会議場 地下1F議会運営室及びオンライン
③2022年度「ひろしま国際交流サミット」及び「ひろしま国際交流・貢献 親睦の集い」・日時:2022年8月3日(水)国際交流サミット総会・講演会15:30 ~ 17:00 講演は、広島フィルム・コミッションの西崎智子・国際交流・貢献 親睦の集い17:10 ~ 18:30・会場:TKPガーデンシティ広島 広島市中区中町8-18 広島クリスタルプラザ
④ヒロシマ平和の灯の集い・日時7月31日・場所平和記念公園など
⑤ジョージア映画祭2022 ・期間6月22日~7月10日・場所 広島市映像ライブラリー
【ウクライナ情勢】 [ソ連とウクライナの原発]
3月4日、ウクライナ大統領の宣戦布告下のザポリージャ原発がロシア軍により占拠された。原発は、推進側が安全面で故障や過酷事故への対応策に言及するものの、さすがに、戦時下での原発の利用運転は想定していないこと、またプルトニウムなど核物質製造施設であることの課題を突きつけた。3月16日、原子力規制員会更田委員長は記者会見での質問に対して、ウクライナの原子力関連施設がロシア軍から攻撃されることに関連し、規制委として、国内の原発に対する武力攻撃への対応を議論する考えがあるかを問われ、「武力攻撃に対する備えを検討しようと思ったら、武力攻撃の強度…を知らなきゃならないですけど、私たちは軍事情報にアクセスする立場にはない」と述べ、「直接的な武力攻撃に対して堅牢性を持つ施設というような議論というのは…計画もしていないし、事実上無理だと思いますし、…武力攻撃の威力を一定程度以上のものを考えたら、それこそ守りようがない」と述べました。「私たちは軍事情報にアクセスする立場にはない」「守りようがない」原発の冷厳な事実です。先日5月27日、再稼働議論の進む島根原発2号機、建設中の3号機の現場、松江市鹿島地区を訪れた。島根半島沿岸に侵入を防ぐ監視船の配備、事故時住民46万人の避難計画を聞くにつけ、原発の脆弱性に思いはめぐる。
ウクライナの原発はサポリージャ原発(ザポロージェ原発)6百万kW、VVER1000、6基、南ウクライナ原発3百万kW、VVER1000、3基、フメルニツキー原発2百万kW、VVER1000、2基、リウネ原発(ロヴノ原発)283万5千kW、VVER440、2基、VVER1000、2基がある。チェルノブイリ原発RBMK、4基は、1986年の4号機事故により、廃止措置中です。型式VVERは、Voda Voda Energo Reactorロシア型加圧水型原子炉、ロシア語でВВЭР (Водо-водяной энергетический реактор)はソ連で開発された商業発電用の原子炉を示す。数字の1000は出力100万kWを示す。RBMK はРеактор большой мощности канальный、РБМК、高出力圧力管原子炉です。施設運営のロシア離れが進み、核燃料は既に2016年で米国ウェスチングハウス社から30パーセント供給、70%はロシア供給。21年7月21日、ウェスチングハウス社製の核燃料カートリッジ42個が、リウネ原子力発電所に到着。25年以降、同原発は同社製燃料使用に完全に切り替えられる予定。
4月16日広島大学で「“原子力国家”ソ連とウクライナ」と題する市川浩教授(本会会員)講演がされた。その内容は『現代思想』22年6月臨時増刊号に掲載(ショーウインドウの中の原子力“平和”利用、聞き届けられなかった警告ー黒鉛チャンネル炉、原子力発電“第二の波”、ソ連原子力“約束の地”ウクライナ)されている。
【新連載:「初めて地球を一回りした日本人~石巻若宮丸物語」(著者阿部和夫さん)を掲載します。全16話 ①~⑯】[著者 阿部和夫さんプロフィル]1938年宮城県石巻市生。石巻小学校校長1999年退職。石巻教育委員会教育長(1999年~2008年)。近刊阿部和夫著「戊辰戦争と仙台藩ーその時、石巻では」(三陸河北新報社)好評(SHIEN 支縁(社)神戸国際支縁機構季刊誌より)
[第2話] 初めて地球を一回りした日本人 ~石巻若宮丸物語 ②~阿部 和夫
イルクーツクで日本人との出会い
オホーツクに滞在していた漂流民の一行は、望郷の念止み難いものがありました。帰国を具体化するためには、この地に居るより、シベリア第一の都市イルクーツクに移動するのがよいことを土地の役人から勧められます。折よくその地の役人がイルクーツクにもどることになり、先ず3人だけを同行することになりました。ロシア側は善六を指定し、外の2名は日本側で人選してよいことになり、儀兵衛と辰蔵に決まりました。善六は、ロシア語を理解するようになっていたのです。
1795年8月にオホーツクを出発しますが、橇(そり)で180日程かかる道のりで翌年1月イルクーツクに着きます。第2のグループは、5月に左太夫をリーダーに5人が出発、そして2か月遅れて津太夫等7人が出発しました。その中にいた市五郎は、ヤクーツクを前にして腫物が出て高熱に苦しめられました。ヤクーツクに着くと病院に入院して治療をしますが、その甲斐なく32才の若さで亡くなってしまいます。仲間から2人目の死者が出てしまいました。
最後のグループがイルクーツクに着いたのは、善六の第一陣が着いてからほぼ1年も経過した後のことでした。
イルクーツクに着いた一行にとって、嬉しい出来事がありました。思いがけなくも、2人の日本人と出会いました。信藏と庄蔵です。2人は伊勢国白子浦の神昌丸の水主(かこ)でした。神昌丸は、大黒屋幸太夫等17名を乗せ江戸に向けて出帆しますが、遭難しロシアに漂着しました。その漂流民は、ロシアの対日政策のおかげでラクスマンに連れられ大黒屋幸太夫外2名が帰国できました。しかし信藏と庄蔵は、ロシア正教に改宗して、信藏はニコライ・ペトロヴィチ・コロトゥイギン、庄蔵はフイヨドール・ステパノヴィッチ・シトニコフと言う名のロシア人になって日本語学校の教師をしていました。そのため帰国は出来ずロシアに留まっていたのです。
若宮丸の漂流民にとって、日本語を話すニコライ信藏、フイヨドール庄蔵と出会えたことは、大きな喜びでした。自分達の話す内容が確実にロシア側に伝えて貰えたのです。
しかし、2人との出会いは、決していいことだけではありませんでした。
【・「映画『氷雪の門』への考察・炭本さんのボルゴグラード紀行1978年訪問1998-06-09記述】次号以降に掲載。