日本ユーラシア協会広島支部ニュース2022年8月26日
【2022年度ロシア語能力検定試験】
第80回が10月29日30日実施されます。会場は広島市東区民文化センター(3階)です。https://www.tokyorus.ac.jp/kentei/
【国際フェスタ2022】
「国際フェスタ2022」の公募三事業のうち、国際協力バザー(民芸品)、ひろしま国際村〜世界の屋台の出店に参加します。国際フェスタの開催は、今年23回目で、11月20日(日)に開催されます。
【全国女性集会】日本ユーラシア協会 全国の女性会員および女性会員連絡担当の皆様
暑中お見舞い申し上げます。
10月1日~2日開催予定の全国女性集会は、7月31日の第一次集約時点で、25名から参加申込をいただきました。ご協力ありがとうございます。内訳は、札幌支部4名、釧路支部1名、愛知県連1名、京都府連4名、大阪府連6名、広島支部2名、呉支部2名、本部5名となっています。参加ご希望の方は、とりあえずお申し込み下さることをお勧めします。*参加の最終確認は9月15日に行います。未来へつなぐ、平和への思い」今回の参加者には若い女性達も入っています。第18回全国女性集会 in 舞鶴の成功をめざして、どうぞよろしくお願い申し上げます。
【夏~秋の企画】
①「元カザフスタン留学生と広島の若者による平和シンポジウム」・日時:2022年8月29日(月)18:00~20:00(日本時間)・会場:広島国際会議場 地下1F議会運営室及びオンライン併用「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト主催のシンポジウム」のZOOM会議オンライン参加(視聴も)希望の方は黒川(qyu01527kuro@nifty.com)にご連絡を願います。定員は特にないですが、できれば前日までの登録をお願いします。当日の発言はチャットも使ってください。
②《日本軍「慰安婦」被害女性たちの願いを未来に活かす》◆日時:9月4日(日)14:00~16:30◆場所:広島弁護士会館3F大ホール問い合わせ:E-mail:ianfnet.hiroshima@gmail.com<mailto:ianfnet.hiroshima@gmail.com>
■会場参加・オンライン参加(zoomウェビナ―)※録画配信あります。■参加費:1000円 (学生・障がい者無料)■申し込み:https://forms.gle/orUW3nL1FjZoU1RP7 締め切りは8月30日
【夏の企画報告】① ヒロシマ平和の灯の集い(平和記念公園)[写真右]
・日時7月31日・小倉桂子さん「被爆者の証言を聞く会」
【初めて地球を一回りした日本人~石巻若宮丸物語:第4話 阿部和夫】
吉郎次の死
一行の中での最年長者は、七十三歳になる水主頭の吉郎次でした。彼は、遭難と漂流、寒さの地での生活も、故郷に帰りたい一心で一行についてきました。しかし、彼は、寝床から起き上がれない程に弱っていました。
一七九九年三月のある日、彼は、「話しておきたいことがあるので、仲間全員を集めて欲しい」と津太夫に頼みました。そこで、これまで疎遠になっていた二つのグループ全員が吉郎次の枕元に集まりました。自分の死期を悟った吉郎次が語ったのは、両者の和解を勧める言葉でした。自分達は様々な困難を乗り越えて生き延びてきた仲間だ。ロシア人になって楽をしている人がいてもいいではないか。大事なのは、自分達は仲間だったことだ。その仲間の協力無しには日本に帰ることも出来ない。俺たちは仲間だということを忘れないでくれという吉郎次の言葉に、全員が涙をながし、かつて苦楽を共にしてきた仲間意識を取り戻し、手を握り合い肩を抱き合って、互いに詫び謝りました。佐平が代表して、心配をかけたことを詫び、仲直りした姿を吉郎次に見せました。安心した吉郎次は、最後の力を振り絞って語りました。「何とか故郷に帰りたい一心で、このたびの道中も、歯をくいしばって皆の衆についてきました。思えば口惜しいことですが、この地で果てるのも私の運命だったのでございましょう。私の魂は一足先にお国に帰りますが、皆の衆も体をいとい、必ず達者で故郷に帰って下さい。そして、私が死ぬまで故郷の小竹浜を夢みていたことを、家族や浜の衆に伝えて下さい。仲間衆にもお世話になりました。御恩は決して忘れません。本当に有難うございました。」彼は、望郷の念と帰れぬ無念さ、故郷の家族に伝えて欲しい心情を吐露した後は、言葉にならず只々泣くばかりでした。寒さが一段と骨身にこたえる日の夕方、吉郎次は、ひっそりと息を引きとりました。その夜、残った仲間は米で一膳飯を炊き小麦の粉で団子を作り、枯れた蓬で香らしいものをつくるなど、出来るだけ故郷のしきたりのようにして、枕元に供えたのでした。
【ウクライナ状況】
[1991年12月25日ソ連解体後のウクライナとカザフスタンの歩み]
ソ連解体に先立ち1991年ロシア、ウクライナ、カザフスタン指導部は三国の独立について合意しました。ウクライナ独立は1991年8月24日、カザフスタン独立は1991年12月16日でソ連解体に先立ち、ロシア独立は1991年12月25日のソ連解体と同日です。ソ連解体後3国はそれぞれ別の歩みを続けました。ウクライナ、カザフスタンも別々な歩みを続けました。共通の歩みとして、2国の「非核化」があります。核兵器保有数はロシア、アメリカにつづいてウクライナが世界第3位、カザフスタンが第4位でした。非核化の保障はブダペスト覚書として、1994年12月5日にハンガリーの首都ブダペストで開催されたOSCE(欧州安全保障協力機構)会議において、アメリカ・イギリス・ロシアの核保ヶ国が署名しました。内容としては、ウクライナ・ベラルーシ・カザフスタンが核不拡散条約に加盟したことに関連して、協定署名国(つまりアメリカ・イギリス・ロシア)がこの3ヶ国の安全を保障する、という内容のものです。カザフスタンは、1989年のセミパラチンスク核実験場の閉鎖宣言、1991年8月29日の閉鎖も行われました。核兵器禁止条約については2018年3月2日署名、2019年8月29日に批准しましたが、ウクライナは2017年7月7日には核兵器禁止条約の採決に欠席しました。
[カザフスタンの安全保障]
2022年1月2日からカザフスタン国内各地で、「エネルギー価格高騰」に対する抗議行動がおこりました。1月5日は「相当数の外国人を含む」武装勢力と政府との銃撃戦に発展しました。カザフスタン2代目大統領は1月5日、集団安全保障条約機構(CSTO)にロシア軍に派遣を要請しました。集団安全保障条約機構(CSTO)は、ロシアが主導する旧ソ連圏の軍事同盟で、現在の加盟国はアルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、ロシア、タジキスタン。加盟国が攻撃を受けた際に集団的自衛権を行使し、平和維持部隊も持つ。米ソ冷戦期の東側諸国による軍事同盟、ワルシャワ条約機構は冷戦終結後に解体しています。今年1月6日からは2500人のロシア軍がカザフスタン旧首都のアルマトイなどを制圧しました。トカエフ大統領はプーチン大統領に対して「プーチン大統領に特に感謝したい。私の訴えに迅速に、温かく対応してくれた」と述べました。1月10日を国民慰霊の日としました。
1月7日付け中国新聞に関連記事があります。[写真は1月7日カザフスタンに向かうロシア軍部隊の隊列]
[書籍紹介]
「黒い雨」訴訟~なぜ、被爆者たちは切り捨てられたのか~ 小山美砂著(著者は毎日新聞記者。)集英社新書 2022年7月20日発行(写真右)
【映画「氷雪の門」、炭本さんのボルゴグラード紀行(12回目)】
次号以降に。
【2022年度ロシア語能力検定試験】
第80回が10月29日30日実施されます。会場は広島市東区民文化センター(3階)です。https://www.tokyorus.ac.jp/kentei/
【国際フェスタ2022】
「国際フェスタ2022」の公募三事業のうち、国際協力バザー(民芸品)、ひろしま国際村〜世界の屋台の出店に参加します。国際フェスタの開催は、今年23回目で、11月20日(日)に開催されます。
【全国女性集会】日本ユーラシア協会 全国の女性会員および女性会員連絡担当の皆様
暑中お見舞い申し上げます。
10月1日~2日開催予定の全国女性集会は、7月31日の第一次集約時点で、25名から参加申込をいただきました。ご協力ありがとうございます。内訳は、札幌支部4名、釧路支部1名、愛知県連1名、京都府連4名、大阪府連6名、広島支部2名、呉支部2名、本部5名となっています。参加ご希望の方は、とりあえずお申し込み下さることをお勧めします。*参加の最終確認は9月15日に行います。未来へつなぐ、平和への思い」今回の参加者には若い女性達も入っています。第18回全国女性集会 in 舞鶴の成功をめざして、どうぞよろしくお願い申し上げます。
【夏~秋の企画】
①「元カザフスタン留学生と広島の若者による平和シンポジウム」・日時:2022年8月29日(月)18:00~20:00(日本時間)・会場:広島国際会議場 地下1F議会運営室及びオンライン併用「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト主催のシンポジウム」のZOOM会議オンライン参加(視聴も)希望の方は黒川(qyu01527kuro@nifty.com)にご連絡を願います。定員は特にないですが、できれば前日までの登録をお願いします。当日の発言はチャットも使ってください。
②《日本軍「慰安婦」被害女性たちの願いを未来に活かす》◆日時:9月4日(日)14:00~16:30◆場所:広島弁護士会館3F大ホール問い合わせ:E-mail:ianfnet.hiroshima@gmail.com<mailto:ianfnet.hiroshima@gmail.com>
■会場参加・オンライン参加(zoomウェビナ―)※録画配信あります。■参加費:1000円 (学生・障がい者無料)■申し込み:https://forms.gle/orUW3nL1FjZoU1RP7 締め切りは8月30日
【夏の企画報告】① ヒロシマ平和の灯の集い(平和記念公園)[写真右]
・日時7月31日・小倉桂子さん「被爆者の証言を聞く会」
【初めて地球を一回りした日本人~石巻若宮丸物語:第4話 阿部和夫】
吉郎次の死
一行の中での最年長者は、七十三歳になる水主頭の吉郎次でした。彼は、遭難と漂流、寒さの地での生活も、故郷に帰りたい一心で一行についてきました。しかし、彼は、寝床から起き上がれない程に弱っていました。
一七九九年三月のある日、彼は、「話しておきたいことがあるので、仲間全員を集めて欲しい」と津太夫に頼みました。そこで、これまで疎遠になっていた二つのグループ全員が吉郎次の枕元に集まりました。自分の死期を悟った吉郎次が語ったのは、両者の和解を勧める言葉でした。自分達は様々な困難を乗り越えて生き延びてきた仲間だ。ロシア人になって楽をしている人がいてもいいではないか。大事なのは、自分達は仲間だったことだ。その仲間の協力無しには日本に帰ることも出来ない。俺たちは仲間だということを忘れないでくれという吉郎次の言葉に、全員が涙をながし、かつて苦楽を共にしてきた仲間意識を取り戻し、手を握り合い肩を抱き合って、互いに詫び謝りました。佐平が代表して、心配をかけたことを詫び、仲直りした姿を吉郎次に見せました。安心した吉郎次は、最後の力を振り絞って語りました。「何とか故郷に帰りたい一心で、このたびの道中も、歯をくいしばって皆の衆についてきました。思えば口惜しいことですが、この地で果てるのも私の運命だったのでございましょう。私の魂は一足先にお国に帰りますが、皆の衆も体をいとい、必ず達者で故郷に帰って下さい。そして、私が死ぬまで故郷の小竹浜を夢みていたことを、家族や浜の衆に伝えて下さい。仲間衆にもお世話になりました。御恩は決して忘れません。本当に有難うございました。」彼は、望郷の念と帰れぬ無念さ、故郷の家族に伝えて欲しい心情を吐露した後は、言葉にならず只々泣くばかりでした。寒さが一段と骨身にこたえる日の夕方、吉郎次は、ひっそりと息を引きとりました。その夜、残った仲間は米で一膳飯を炊き小麦の粉で団子を作り、枯れた蓬で香らしいものをつくるなど、出来るだけ故郷のしきたりのようにして、枕元に供えたのでした。
【ウクライナ状況】
[1991年12月25日ソ連解体後のウクライナとカザフスタンの歩み]
ソ連解体に先立ち1991年ロシア、ウクライナ、カザフスタン指導部は三国の独立について合意しました。ウクライナ独立は1991年8月24日、カザフスタン独立は1991年12月16日でソ連解体に先立ち、ロシア独立は1991年12月25日のソ連解体と同日です。ソ連解体後3国はそれぞれ別の歩みを続けました。ウクライナ、カザフスタンも別々な歩みを続けました。共通の歩みとして、2国の「非核化」があります。核兵器保有数はロシア、アメリカにつづいてウクライナが世界第3位、カザフスタンが第4位でした。非核化の保障はブダペスト覚書として、1994年12月5日にハンガリーの首都ブダペストで開催されたOSCE(欧州安全保障協力機構)会議において、アメリカ・イギリス・ロシアの核保ヶ国が署名しました。内容としては、ウクライナ・ベラルーシ・カザフスタンが核不拡散条約に加盟したことに関連して、協定署名国(つまりアメリカ・イギリス・ロシア)がこの3ヶ国の安全を保障する、という内容のものです。カザフスタンは、1989年のセミパラチンスク核実験場の閉鎖宣言、1991年8月29日の閉鎖も行われました。核兵器禁止条約については2018年3月2日署名、2019年8月29日に批准しましたが、ウクライナは2017年7月7日には核兵器禁止条約の採決に欠席しました。
[カザフスタンの安全保障]
2022年1月2日からカザフスタン国内各地で、「エネルギー価格高騰」に対する抗議行動がおこりました。1月5日は「相当数の外国人を含む」武装勢力と政府との銃撃戦に発展しました。カザフスタン2代目大統領は1月5日、集団安全保障条約機構(CSTO)にロシア軍に派遣を要請しました。集団安全保障条約機構(CSTO)は、ロシアが主導する旧ソ連圏の軍事同盟で、現在の加盟国はアルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、ロシア、タジキスタン。加盟国が攻撃を受けた際に集団的自衛権を行使し、平和維持部隊も持つ。米ソ冷戦期の東側諸国による軍事同盟、ワルシャワ条約機構は冷戦終結後に解体しています。今年1月6日からは2500人のロシア軍がカザフスタン旧首都のアルマトイなどを制圧しました。トカエフ大統領はプーチン大統領に対して「プーチン大統領に特に感謝したい。私の訴えに迅速に、温かく対応してくれた」と述べました。1月10日を国民慰霊の日としました。
1月7日付け中国新聞に関連記事があります。[写真は1月7日カザフスタンに向かうロシア軍部隊の隊列]
[書籍紹介]
「黒い雨」訴訟~なぜ、被爆者たちは切り捨てられたのか~ 小山美砂著(著者は毎日新聞記者。)集英社新書 2022年7月20日発行(写真右)
【映画「氷雪の門」、炭本さんのボルゴグラード紀行(12回目)】
次号以降に。