日本ユーラシア協会広島支部ニュース2023年5月29日
【2023年度ロシア語能力検定試験】
第81回ロシア語能力検定試験(3・4級)は5月28日(日)終了しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/a7/52560740927c95e8fb244d32081a2ce2.jpg)
【2023ひろしまフラワーフェスティバル】 2023ひろしまフラワーフェスティバルは、日程が6月10日(度)・11日(日)で開催に参加予定です。
【広島・セミパラチンスク合唱交流の旅】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/a7/52560740927c95e8fb244d32081a2ce2.jpg)
【2023ひろしまフラワーフェスティバル】 2023ひろしまフラワーフェスティバルは、日程が6月10日(度)・11日(日)で開催に参加予定です。
【広島・セミパラチンスク合唱交流の旅】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/1d/d1837b7e40a238f957c027f01a1b66e7.jpg)
2023年9月15日(金)~9月20日(水)6日間 成田、関空、福岡発着可
2023年9月15日・~9月20日・6日間[旅へのいざない]
作詞家のなかにし礼さんは、「リメンバー」の発表記者会見の席上で、この曲の楽譜はマドンナにも、レディー・ガガにも、ポールマッカートニーにも送って、母国語で歌つてほしいと・・・、そして、作詞を依頼した佐藤しのぶさんは、手話をしながら歌って誰にでも意味が分かるように歌いました・・・そのお二人は病に倒れました。私はお二人の言葉と歌を人類への遺言と捉え、世界の平和を愛する人へのメッセージとして伝えたくなりました。
そして、広島や長崎と同じ苦しみを持つ旧ソビエト連邦共和国時代に456回の核実験が行われたカザフスタンのセミパラチンスク(現セメイ)で「リメンバー」を歌って、世界に核兵器廃絶を訴えるさきがけの合唱交流を行う準備を整えました。この度はその試みに、広島からいつも力強い発信を続けていらっしゃる高田龍治先生のご賛同をいただき、音楽監督として、ご同行をいただくことになりました。
つきましては、全国からご参加していただきやすいように、成田、関空、そして、福岡の三か所から発着していただき、ご参加いただきやすくいたしました。何卒、今回の主旨にご賛同いただき、カザフスタンで第一回目の反核合唱交流にご参加くださいますようお願い申し上げます。
米詳細は同封のリーフレットをご覧ください。
後援:日本のうたごえ全国協議会、日本ユーラシア協会広島支部
【ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトのとりくみ紹介】
セミパラチンスク訪問 8月25日~9月2日の日程で行われます。
【第51回 全国ロシア語コンクール】
開催日時 2023年7月9日 場所 東京ロシア語学院
申し込み期間 6月1日~19日 http://jp-euras.org/ja/
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/30/baf7e0dcfa42666a021f1a47e4e166d6.jpg)
【初めて地球を一回りした日本人~石巻若宮丸物語:第12話 阿部和夫】
四人の漂流民 長崎へ
ナジェージダ号が、日本に向かう前に最後に寄港するのは、ロシア領カムチャッカ半島にあるペトロパブロフスクでした。レザーノフは、ここで善六を下船させることにしました。キリスト教を禁ずる日本に、ロシア正教徒となった善六を同行することで問題が生ずることを恐れたのです。
明日はナジェージダ号が日本に向けて出港するとなったその夜、善六は別れがつらく、帰国する四人の船室に泊まり込み、朝を迎えるまで語り合いました。それでも名残は尽きず、出港の時は、船を雇い港の出口のはるか遠くまでナジェージダ号を追いかけました。
文化元年(一八〇四)九月六日、ナジェージダ号は、長崎港入り口に碇泊しました。やがて役人を乗せた舟が近づき、何処の船であるか尋ねられました。津太夫はかねての打ち合わせ通り、船べりから「私ども日本人四人をお国に届けるために参上したおろしやの船でございます。」と大声で叫びました。
三時間程経つと、大きな船に乗ってきた長崎奉行所の役人と通詞等が、オランダ人を伴いナジェージダ号に乗り込んできました。来航の目的を尋ねられたレザーノフは、日露の友好関係を証明するため、ロシアに漂着した日本人を返還し、永遠の友好関係を結ぶための公式手続きをし、お互いの利益のために通商関係を確立する事を、皇帝陛下から委任されてきたことを述べました。
役人は、四人の漂流民から生国は何処か、ロシアに漂着した経緯、十六人いた乗組員の内、四人しか戻らなかった理由等が聞かれました。現地で亡くなった者が三人でしたと事実のまま話しますが、残りの九人が改宗したことは隠して、出発の時までに間に合わなかったと誤魔化しています。
役人は、レザーノフに二つの要求をしました。船に積んである火薬を日本側に引き渡すことと、乗組員の武器を引き渡ことです。レザーノフは火薬の引き渡しは承諾しましたが、武器については拒否しました。役人は、オランダ人に命じて説得させますが、レザーノフは断固として受け入れませんでした。長い間やりとりが続きますが、何処までも平行線で改めて協議することになり、入港した日の交渉は深夜まで続きました。
ナジェージダ号が、日本に向かう前に最後に寄港するのは、ロシア領カムチャッカ半島にあるペトロパブロフスクでした。レザーノフは、ここで善六を下船させることにしました。キリスト教を禁ずる日本に、ロシア正教徒となった善六を同行することで問題が生ずることを恐れたのです。
明日はナジェージダ号が日本に向けて出港するとなったその夜、善六は別れがつらく、帰国する四人の船室に泊まり込み、朝を迎えるまで語り合いました。それでも名残は尽きず、出港の時は、船を雇い港の出口のはるか遠くまでナジェージダ号を追いかけました。
文化元年(一八〇四)九月六日、ナジェージダ号は、長崎港入り口に碇泊しました。やがて役人を乗せた舟が近づき、何処の船であるか尋ねられました。津太夫はかねての打ち合わせ通り、船べりから「私ども日本人四人をお国に届けるために参上したおろしやの船でございます。」と大声で叫びました。
三時間程経つと、大きな船に乗ってきた長崎奉行所の役人と通詞等が、オランダ人を伴いナジェージダ号に乗り込んできました。来航の目的を尋ねられたレザーノフは、日露の友好関係を証明するため、ロシアに漂着した日本人を返還し、永遠の友好関係を結ぶための公式手続きをし、お互いの利益のために通商関係を確立する事を、皇帝陛下から委任されてきたことを述べました。
役人は、四人の漂流民から生国は何処か、ロシアに漂着した経緯、十六人いた乗組員の内、四人しか戻らなかった理由等が聞かれました。現地で亡くなった者が三人でしたと事実のまま話しますが、残りの九人が改宗したことは隠して、出発の時までに間に合わなかったと誤魔化しています。
役人は、レザーノフに二つの要求をしました。船に積んである火薬を日本側に引き渡すことと、乗組員の武器を引き渡ことです。レザーノフは火薬の引き渡しは承諾しましたが、武器については拒否しました。役人は、オランダ人に命じて説得させますが、レザーノフは断固として受け入れませんでした。長い間やりとりが続きますが、何処までも平行線で改めて協議することになり、入港した日の交渉は深夜まで続きました。
【「映画『氷雪の門』への考察(23回目)】[北海道新聞2017年12月30日号1面より(その1)千島列島、南サハリンの占領。]
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/fa/948150b3e77b81963e9a1dfc33ae10af.jpg)
「ソ連四島占領 米が援助」「艦船貸与、兵訓練・・・極秘合同作戦」「45年2~9月」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/fa/948150b3e77b81963e9a1dfc33ae10af.jpg)
「ソ連四島占領 米が援助」「艦船貸与、兵訓練・・・極秘合同作戦」「45年2~9月」
[根室]
1945年8、9に行われた旧ソ連軍による北方四島占領作戦に、米国が艦船10隻を貸与していたことを、根室振興局が米国とロシアの専門家による研究成果などを突き合わせ、あきらかにした。米国はソ連の対日参戦に備え、大量の艦船の提供だけでなく、ソ連兵の訓練も行っており、米国の強力な軍事援助が四島占領の背景にあったことが浮かび上がった。(2面=米国にも責任)「ソ連の独断ではなかった 北方領土問題の経緯に詳しい和田春樹東大名誉教授の話」
北方四島占領を含む旧ソ連軍の対日作戦を米国が軍事援助していたことは、日本内ではほとんど知られておらず、発見と言える。四島占領はソ連が勝手に行ったのではなく、米ソをリーダーとする連合国の作戦として行われたということを示している。
[解説]四島問題米国にも責任 旧ソ連による四島占領において、米国が軍事援助をしていたことが分かり、北方領土問題の責任の一端が米国にあることが示された。(1面参照)米国は、日米開戦から表明していた「領土不拡大」の原則を曲げて、千島列島を取引材料に持ち出し、同じ連合国だったソ連から対戦の確約を取り付けた。さらに今回の根室振興局の調査で明らかになったように、極秘プロジェクトを発動させて大量の艦船を提供し、ソ連兵の訓練を国内で引き受けてまでソ連の対日戦争を支援した。戦後、米ソ関係が悪化し東西冷戦時代に入ると、親米反ソ路線をとった日本は四島返還を強く求め、「領土問題は存在しない」と主張するソ連と鋭く対立。米国は日本の主張を後押しする立場を取ったとはいえ、北方領土問題の発端に深く関与していた責任は、ソ連側に匹敵するほど矢きいと指摘せざるを得ない。旧ソ連を継承するロシアは今、領土問題の解決に当たり、日米安保条約の存在を問題視している。北方領土の元島民と根室市などの隣接地域は、米口の両大国のはざまで翻弄され続けている。