日本ユーラシア協会広島支部ニュース 2011年11月23日
【ロシア少年少女民族舞踊団「カリンカ」西日本公演終了しました。】
2月12日に日本ユーラシア協会西日本ブロック会議開催の折、事務局長代行より文化交流の一環として「カリンカ」の紹介がありました。3・11の福島原発事故による、ロシア政府の日本への渡航「禁止」措置などで来日が心配されました。在日ロシア大使館、東京ロシア語学院のご尽力で6月7月上旬段階で来日実現の運びとなりました。廿日市公演、広島公演実現に向けては、そのために協力することが広島県支部連合会、広島支部総会で討議しました。公益財団法人広島市平和文化センター、日本赤十字社広島赤十字・原爆病院、広島市、広島市教育委員会の御後援に感謝いたします。あわせて舞踊団一行、関係の方々、ご来場の方々などすべての方々にお礼申し上げます。
[カリンカ広島公演]11月9日広島アステールプラザ中ホール、観客数320名、主催:日本ユーラシア協会広島支部、共催:ロシア少年少女舞踊団「カリンカ」広島公演実行委員会。広島の高校生・中学生ダンスグループ「マグナカルタ」の友情出演がありました。市民交流・平和学習として11月10日は午前中平和公園見学、慰霊碑に献花、参拝しました。午後、広島赤十字・原爆病院「慰問公演」、病院ホール150名、入院病室500名はテレビ中継で視聴。舞踊団一行は11日に東京着、12日のイベントを経て13日空路帰国の途に着きました。再会を祈念して!!
[毎日新聞福岡都市圏版より]
少年少女舞踊団:ロシアの「カリンカ」、日本初公演5日、宗像/福岡
ロシアの少年少女舞踊団「カリンカ」の日本初公演が5日、宗像市の宗像ユリックス・イベントホールである。共演が決まった地元のダンス教室と合唱団の子どもたちも本番に向けて練習に励んでいる。宗像滞在3日間のうち1泊はダンス教室の生徒宅にホームステイして民間交流を深める。入場無料だが、整理券が必要。カリンカは70年、モスクワ市で設立されたアマチュア舞踊団。団員は4~18歳の約400人。ロシアの民族舞踊を子ども向けにアレンジした踊りが中心。
これまでの公演はフランスやアメリカなど42カ国で180回を超える。ベールイ駐日ロシア大使の妻ナタリヤさんは日本公演と子どもたちとの交流を前々から望んでいたが、機会がなかった。
公演の実現は、文豪トルストイの研究家としてロシアでも有名なデイヴィス・ふみ子さんの姉が宗像市に在住していたことがきっかけ。デイヴィスさんとナタリヤさんは旧知の間柄で、姉がナタリヤさんの思いを国際交流に理解が深い谷井博美宗像市長に相談。ベールイ大使からの正式な依頼を受け、市と宗像ユリックスが主催することになった。開演は午後2時。来日するのは、8~15歳の18人と指導者4人。1、3部はカリンカの単独で「コサックの踊り」「夕べの集い」「ロシアのマトリョーシカ」「ウクライナの踊り」など19演目。2部は7演目。リズミックダンス教室生が「カリンカ」、シンフォニージュニア合唱団が「ピースフル」の演目で共演する。入場整理券は市役所総合案内と宗像ユリックスで配布している。問い合わせは宗像ユリックス事業部094037・1483。【中原剛】(観客数1300名。)
[写真は宗像公演(左)と原爆病院慰問公演(右)]

[愛媛新聞より抜粋:松山市立勝山中学校公演] ロシア少年少女舞踊団が松山・勝山中訪問
ロシア少年少女舞踊団「カリンカ」のメンバーら26人が7日、松山市清水町3丁目の勝山中学校を訪れ、給食をともにするなどして生徒と交流を深めた。松山国際交流協会主催。在日ロシア大使を通じ、ロシア人墓地(御幸1丁目)の清掃を続ける同校への訪問の申し入れが実現した。ダンスや日本の茶道などを通して、中学生と交流を深めました。 今回の交流会は、「カリンカ」からの申し入れを受けた松山国際交流協会が、市内御幸のロシア人墓地の清掃活動を続けている勝山中学校に要請して実現しました。 生徒数700名。
[廿日市公演]11月8日さくらぴあ小ホール(観客数300名、主催:日本ユーラシア協会広島支部、(財)廿日市文化スポーツ振興事業団)、9日宮島学園(宮島小中学校)生徒数100名。生徒と交流し、今後も文通等によって交流を続けることが約束されました。公演後厳島神社参拝。
【ペアセロベ】10月30日に参加しました。
【国際交流・協力の日】11月20日に参加しました。
【ダマー映画祭 in ヒロシマ】
11月25日26日27日NTTクレドホールを会場として開催されます。
【問題提起:「日ロ領土問題解決・平和条約締結促進を目指して 事態打開の方途をさぐる」】
日本ユーラシア協会西目本ブロック会議(2011,2.12、於キャンパスプラザ京都)で日ユ協会常任理事・京都府連会長長砂實さんより提案されたものを順次掲載いたします。
I.日ユ協会における問題との取り組み
1.2010年以前
2.2010年3月以降①2010総会活動方針、②『平和条約特別委員会」設置、③『日本とユーラシア紙上でのシリーズ「ともに考えよう!日口平和条約への道」連載、④各都道府県連・支部での学習、⑤2010ブロック会議(2~5月)での共通討議、⑥シンポジウムの調催(2011.5.21、於東京。和岡奉樹、K・サルキソフ、堀江則雄、池岡均の諸氏)
Ⅱ.問題を巡る最近の情勢
1.ロシアの態度硬化M大統領の国後島訪問(2010.11.11)、副首相の続訪、M大統領の「4島はロシアの領土」発言(2010.12.25)日ソ共同宣言(1956)などは反古?!
(態度硬化の原因:日本側の無反応への苛立ち、「特措法」改正(「我が国固有の領土」)・「不法占拠」(麻生)発言への反発、国内事情<経済回復、愛国主義高揚、「強い大統領」〉)
2.日本・民主党政権の前原外相の「遠吠」・「北方領土視察」、駐口大使召還(無為無策の原因 自民党政権の硬直姿勢、チェインジ志向なし・混迷の民主政権)
3.今年に首脳会談?解決意志が双方にあるなら、抜本的な発想転換・「仕切り直し」・リセットが必要。遅延は双方に不利益だが、日本は圧倒的に不利になる。早期解決を!
Ⅲ.問題の淵源
1.第二次世界大戦後の戦後処理
①「大西洋憲章」(「英米共同宣言、1941.8.14、後にソ連も参加宣言」)・「カイロ宣言」(1943.11.27)で領土不拡大の原則」を確認、②「モスクワ会談」(米英ソ外相会議、1943,10.19~30)・「テヘラン会談」(米英ソ首脳会談、1943.11.28~12.1)を経て、「ヤルタ協定」(1945.2,11)で『千島列島がソ連邦に引き渡される」という条件でソ連の対日参戦の密約(1946年2月に公表)が成立、③「ポツダム宣言」(1945.7.26、日本の受諾8.15)、ソ連の対日参戦(8.8)、全千島およぴ歯舞・色丹占領(8.18~9.5)スターリンの北海道一部占領提案をトルーマンが拒否(8.18)〉、日本の正式降伏(9.2、ミズリー号)、ソ連が千島、歯舞・色丹をロシア共和国領に編入(1946.2.3)、④「サンフランシスコ平和条約」(1951.9.8)第2条C項で日本は『千島列島」を放棄(単独講和、ソ連調印せず、日本国会の批准(1951.10~11)、⑤「日ソ共同宣言」(1956.10、国交回復にとどまる)
【ロシア少年少女民族舞踊団「カリンカ」西日本公演終了しました。】
2月12日に日本ユーラシア協会西日本ブロック会議開催の折、事務局長代行より文化交流の一環として「カリンカ」の紹介がありました。3・11の福島原発事故による、ロシア政府の日本への渡航「禁止」措置などで来日が心配されました。在日ロシア大使館、東京ロシア語学院のご尽力で6月7月上旬段階で来日実現の運びとなりました。廿日市公演、広島公演実現に向けては、そのために協力することが広島県支部連合会、広島支部総会で討議しました。公益財団法人広島市平和文化センター、日本赤十字社広島赤十字・原爆病院、広島市、広島市教育委員会の御後援に感謝いたします。あわせて舞踊団一行、関係の方々、ご来場の方々などすべての方々にお礼申し上げます。
[カリンカ広島公演]11月9日広島アステールプラザ中ホール、観客数320名、主催:日本ユーラシア協会広島支部、共催:ロシア少年少女舞踊団「カリンカ」広島公演実行委員会。広島の高校生・中学生ダンスグループ「マグナカルタ」の友情出演がありました。市民交流・平和学習として11月10日は午前中平和公園見学、慰霊碑に献花、参拝しました。午後、広島赤十字・原爆病院「慰問公演」、病院ホール150名、入院病室500名はテレビ中継で視聴。舞踊団一行は11日に東京着、12日のイベントを経て13日空路帰国の途に着きました。再会を祈念して!!
[毎日新聞福岡都市圏版より]
少年少女舞踊団:ロシアの「カリンカ」、日本初公演5日、宗像/福岡
ロシアの少年少女舞踊団「カリンカ」の日本初公演が5日、宗像市の宗像ユリックス・イベントホールである。共演が決まった地元のダンス教室と合唱団の子どもたちも本番に向けて練習に励んでいる。宗像滞在3日間のうち1泊はダンス教室の生徒宅にホームステイして民間交流を深める。入場無料だが、整理券が必要。カリンカは70年、モスクワ市で設立されたアマチュア舞踊団。団員は4~18歳の約400人。ロシアの民族舞踊を子ども向けにアレンジした踊りが中心。
これまでの公演はフランスやアメリカなど42カ国で180回を超える。ベールイ駐日ロシア大使の妻ナタリヤさんは日本公演と子どもたちとの交流を前々から望んでいたが、機会がなかった。
公演の実現は、文豪トルストイの研究家としてロシアでも有名なデイヴィス・ふみ子さんの姉が宗像市に在住していたことがきっかけ。デイヴィスさんとナタリヤさんは旧知の間柄で、姉がナタリヤさんの思いを国際交流に理解が深い谷井博美宗像市長に相談。ベールイ大使からの正式な依頼を受け、市と宗像ユリックスが主催することになった。開演は午後2時。来日するのは、8~15歳の18人と指導者4人。1、3部はカリンカの単独で「コサックの踊り」「夕べの集い」「ロシアのマトリョーシカ」「ウクライナの踊り」など19演目。2部は7演目。リズミックダンス教室生が「カリンカ」、シンフォニージュニア合唱団が「ピースフル」の演目で共演する。入場整理券は市役所総合案内と宗像ユリックスで配布している。問い合わせは宗像ユリックス事業部094037・1483。【中原剛】(観客数1300名。)
[写真は宗像公演(左)と原爆病院慰問公演(右)]

[愛媛新聞より抜粋:松山市立勝山中学校公演] ロシア少年少女舞踊団が松山・勝山中訪問
ロシア少年少女舞踊団「カリンカ」のメンバーら26人が7日、松山市清水町3丁目の勝山中学校を訪れ、給食をともにするなどして生徒と交流を深めた。松山国際交流協会主催。在日ロシア大使を通じ、ロシア人墓地(御幸1丁目)の清掃を続ける同校への訪問の申し入れが実現した。ダンスや日本の茶道などを通して、中学生と交流を深めました。 今回の交流会は、「カリンカ」からの申し入れを受けた松山国際交流協会が、市内御幸のロシア人墓地の清掃活動を続けている勝山中学校に要請して実現しました。 生徒数700名。
[廿日市公演]11月8日さくらぴあ小ホール(観客数300名、主催:日本ユーラシア協会広島支部、(財)廿日市文化スポーツ振興事業団)、9日宮島学園(宮島小中学校)生徒数100名。生徒と交流し、今後も文通等によって交流を続けることが約束されました。公演後厳島神社参拝。
【ペアセロベ】10月30日に参加しました。
【国際交流・協力の日】11月20日に参加しました。
【ダマー映画祭 in ヒロシマ】
11月25日26日27日NTTクレドホールを会場として開催されます。
【問題提起:「日ロ領土問題解決・平和条約締結促進を目指して 事態打開の方途をさぐる」】
日本ユーラシア協会西目本ブロック会議(2011,2.12、於キャンパスプラザ京都)で日ユ協会常任理事・京都府連会長長砂實さんより提案されたものを順次掲載いたします。
I.日ユ協会における問題との取り組み
1.2010年以前
2.2010年3月以降①2010総会活動方針、②『平和条約特別委員会」設置、③『日本とユーラシア紙上でのシリーズ「ともに考えよう!日口平和条約への道」連載、④各都道府県連・支部での学習、⑤2010ブロック会議(2~5月)での共通討議、⑥シンポジウムの調催(2011.5.21、於東京。和岡奉樹、K・サルキソフ、堀江則雄、池岡均の諸氏)
Ⅱ.問題を巡る最近の情勢
1.ロシアの態度硬化M大統領の国後島訪問(2010.11.11)、副首相の続訪、M大統領の「4島はロシアの領土」発言(2010.12.25)日ソ共同宣言(1956)などは反古?!
(態度硬化の原因:日本側の無反応への苛立ち、「特措法」改正(「我が国固有の領土」)・「不法占拠」(麻生)発言への反発、国内事情<経済回復、愛国主義高揚、「強い大統領」〉)
2.日本・民主党政権の前原外相の「遠吠」・「北方領土視察」、駐口大使召還(無為無策の原因 自民党政権の硬直姿勢、チェインジ志向なし・混迷の民主政権)
3.今年に首脳会談?解決意志が双方にあるなら、抜本的な発想転換・「仕切り直し」・リセットが必要。遅延は双方に不利益だが、日本は圧倒的に不利になる。早期解決を!
Ⅲ.問題の淵源
1.第二次世界大戦後の戦後処理
①「大西洋憲章」(「英米共同宣言、1941.8.14、後にソ連も参加宣言」)・「カイロ宣言」(1943.11.27)で領土不拡大の原則」を確認、②「モスクワ会談」(米英ソ外相会議、1943,10.19~30)・「テヘラン会談」(米英ソ首脳会談、1943.11.28~12.1)を経て、「ヤルタ協定」(1945.2,11)で『千島列島がソ連邦に引き渡される」という条件でソ連の対日参戦の密約(1946年2月に公表)が成立、③「ポツダム宣言」(1945.7.26、日本の受諾8.15)、ソ連の対日参戦(8.8)、全千島およぴ歯舞・色丹占領(8.18~9.5)スターリンの北海道一部占領提案をトルーマンが拒否(8.18)〉、日本の正式降伏(9.2、ミズリー号)、ソ連が千島、歯舞・色丹をロシア共和国領に編入(1946.2.3)、④「サンフランシスコ平和条約」(1951.9.8)第2条C項で日本は『千島列島」を放棄(単独講和、ソ連調印せず、日本国会の批准(1951.10~11)、⑤「日ソ共同宣言」(1956.10、国交回復にとどまる)