日本ユーラシア協会広島支部ニュース2024年6月24日
【ぺあせろべ2024】
8月25日開催予定でしたが、10月6日開催となりました。予定プログラム①ステージ(楽器演奏、舞踊、歌、ゲームなど)②ブース(世界の国や地域の文化紹介、参加者・来場者間の交流)③その他、アウトドアゲ-ムなど、です。会場は広島城内広場。広島支部も参加予定です。
【ロシア語検定】
2024年5月実施の結果は、7月10日(水)受験者全員に合否結果と解答例及び講評付問題を郵送で発表されます。またHP上にて合格者の受検番号が発表されます。次回10月末の日程は決まり次第発表されます。[写真2024年5月26日]
【ピースコンサート2024】
PeaceConcert2024~愛と平和と音楽と~
日時 2024年7月27日(土) 13:00~(開場 12:15)
会場 カワイ広島コンサートサロン「パーチェ」紙屋町2-2-6 全席自由4,000円
出演 Rico(ピアノ) 杉江 慶子(ピアノ) 平原 雅啓(バイオリン)
内容 ※コンサートのテーマカラーは黄色です。色言葉は「光」「希望」です。音楽を通して皆様の心に希望の光があふれ、満ち溢れますように。コンサート当日は「黄色」のものを何か一つ身に着ける、又はご持参ください。入場チケットのご購入・お問い合わせは下記まで!info@seed-of-peace.com お問い合わせ NPO法人シードオブピース
【「虎に翼」の原爆裁判】
連続テレビ小説「虎に翼」が話題になっています。日本史上初めて女性の法曹となった故三淵嘉子さん(作品中では佐田寅子)の実話に基づくオリジナルストーリーです。ドラマは戦前の家父長制の中での女性の自立や仕事、また司法の在り方についてもいろいろな素材を提供しています。戦後「闇米を拒否して餓死した山口良忠東京地裁判事」も主人公の友人として描かれています。
題名に使われている 「虎に翼」は、中国の法家・韓非子の言葉で「毋為虎傅翼」「虎の為に翼を傅(つ)くる毋(なか)れ」で、「元々勢いのある強者に、さらに力が加わること」の意味があり、日本書紀の中では「虎に翼を着けて放った(虎着翼放之)」との戒めのことばとして引用されています。「鬼に金棒」と同意。
ドラマの女主人公猪爪(結婚して佐田)寅子のモデル故三淵嘉子さんが、東京地裁裁判長の故古関敏正さん、裁判官高桑昭さんとの3人で書いた判決があります(1963年12月7日判決)。これが世界で初めて原爆投下を国際法違反と認定した「原爆裁判」でした。その「原爆裁判」は55年、広島と長崎の被爆者たち5人が、サンフランシスコ講和条約で米国への賠償請求権を放棄した日本政府を相手に起こした訴えです。 原告の一人下田隆一さんの名から「シモダ・ケース」とも呼ばれています。 連合国の東京裁判で被告弁護を担当した故岡本尚一弁護士が主導しました。 審理は8年以上に及びました。63年12月7日の判決は、原告の賠償請求を棄却したものの、原爆投下は、「戦闘員非戦闘員を問わず無差別に殺傷、人体にあたえる苦痛や残虐性は毒ガス兵器の使用よりはなはだしい」などと指摘し次の結論。①広島・長崎での原爆投下は国際法違反である。②日本国民は個人としてその被害に対し裁判所に賠償を求める道はない。
判決3日後の、63年12月10日衆議院本会議で日本社会党和田博雄代議士の判決文を引用しての「広島、長崎に対する原爆投下は、無防備都市に対する無差別爆撃であり、不必要なる苦痛を与える武器の使用として、国際法に違反する」との見解に対して、池田勇人首相は「原子爆弾投下によります国際法上の違法問題、これにつきましては国際間でいろいろ議論のあるところでございます。私は、わが国の裁判所の判決に対しましてここで批判を加えたくはございません。」と答弁しています。
【書籍の紹介】
茶番選挙 仁義なき候補者選考 著者・編者:楾(はんどう)大樹 あけび書房 2024年3月11日発行 実録 報道されない選挙の裏側を描く。国会議員は本当に[私たちが選挙で]選んでいるのだろうか?
【夏のイベント紹介】
- 7月15日 あのころ、呉で戦争があったー呉空襲の巡回展示会―10時~17時・7月15日16日 警固屋まちづくりセンター1階会議室・7月20日21日 広まちづくりセンター501・7月27日28日 つばき会館506 ②7月31日 ヒロシマ平和の灯のつどい 19時~20時 平和公園慰霊碑前 17時30分~18時30分 被爆者の証言を聞く会 原爆資料館地下1階③8月5日 核兵器とジェンダーを語り合うイベント(国会議員参加) ハチドリ舎 19時~ ④8月6日 8・6ヒロシマー平和の夕べー 13時30分~16時30分 広島RCC文化センター7階大会議室 ⑥伊藤孝司写真展 在朝被爆者と平壌の人々 7月3日~7日 10時~17時 旧日銀広島支店
【炭本遵さんのボルゴグラード訪問記】(1978年の訪問を1998年に執筆されたものの12回目。2021年9月30日号の続き。)25名党員教師、授業は8:30~14:30クラブ、活動は21:00まで行われる。土いじりして花を植える生徒、体育館でスポーツや工作室で労働に慣れるため、科目により教師室が分けているので、各教室を回って見て頂きたい。『向こう5年間修理しないよう』スローガンができて、4. 5年優秀校であり、教員室はなく、職場が職員の部屋となっている。鍵子はない、寮生200名給食制度あり、家で朝食、学校の朝食・昼食もあり、体の弱い子には1日2回牛乳が支給される。給食室で女生徒が作った作品をごちそうになった。学校へ日本地図を贈る。学校の近くのグルジア食堂へ、子供からの花束を受け取り、この地区のフィンランド人議長はで労働と教育に力を注いでいると挨拶で述べた。広島からの絵はがきをみて『日本に残された家族のため乾杯』『平和のため乾杯』挨拶上手な人達で『広島ボルゴ友好の成功を』と乾杯が何べんも繰り返された。ウクライナ人学校の書記(婦人)は遠い広島と近い心での近づきをしましょう、また、すべての人によろしく伝えて下さい。この頃荒木市長は文書のみで、行動しない態度に、広島とのきずな切れる事を心配していた。その後1984-09市長一行3名ボルゴ市訪問。食事の内容のメモには次のものがあった。赤キャビヤ、鶏肉ガラスープ、素麺鳥肉入り、ミカン、レモン、等。10-24(日)9:30朝食は3人スラーバ・阿部・炭本で家庭料理を頂くことになった。福井・安藤氏は朝早くチョウザメ釣りに出かけた。その間に、隣の百貨店へショッピングに出かける。カラーフルで綺麗な商品が並んでいる。スリーブが8.9ルーブルであった。ママエフの丘(ドイツ軍とのスターリングラード最大の激戦地)の頂上へ行く途中にある、戦没戦士広場へ広島からの花輪を供えた。これは図らずもテレビ出演となった。14:00医科大学をたずねた。大学には黒人留学生も見かけられる。学長がソ日協会の会長であり、会員が集まっていた。州立第3病院、県立病院、菓子工場の人達である。会食では多く食べない人は女性に嫌われると言われ、勧められた。革命記念日にはどのように、行事をしていますかと尋ねられた。日本からの新聞配布・ロシア語教室(広島中級13名初級21名)講演会や映画会等で啓蒙活動を実施してきた。広島市児童画を贈呈した。建物に入るとオーバーコートを預ける所あり、長時間の歓迎ぜめにあう。