【平岡 敬 先生】
京城中学校・京城帝大予科・旧制広島高校・早稲田大学卒業、中国新聞記者、中国放送社長
1991年 広島市長(2期)
1998年 ヒロセミ会員・世話人代表・現在名誉会長
「脱原発」の社会を
―フクシマの悲劇の教訓―
平岡 敬
市民ボランティアの力でプノンペンに建設した「ひろしまハウス」の運営について協議するため訪れたカンボジアから福岡空港に帰ってきた途端、東日本大震災のニュースに接した。二〇一一年三月十一日午後八時過ぎであった。
巨大地震と津波によって壊滅した地域の惨状は、戦後直後の焼け野原の光景と二重写しになって、私に迫った。かてて加えて、福島第一原子力発電所の放射能汚染は、核兵器廃絶を訴えてきた私には、大変衝撃であった。
放射線被害の深刻さについては、私の場合、広島だけではなく例えばカザフスタンの核実験被害者の現状を見て、一定の認識を持っている。彼らは、核実験場の爆心地から数十キロメートル離れていた広大な地域へのフォールアウト(放射線降下物=死の灰)にさらされた。地上や空中爆発の際に放出される莫大な量の放射性物質から出る放射線によって外部被爆したり、汚染した土地でつくられた農作物やその草を食べた牛のミルクを飲食することで内部被曝した。
原発の水素爆発のテレビ映像を見た瞬間に思ったことは、福島の人たちもカザフの被曝者と同じ運命をたどるのではないか、ということであった。
被曝線量が発表されるが、数値の多寡よりも広島・長崎と想起することによって、その真の意味が理解できる。この目に見えない放射線の脅威に対して、政府や東京電力の対応はあまりにも無責任すぎる。巨大地震による津波について「想定外」という弁明が繰り返された。想定内であろうと想定外であろうと、放射線事故の重大さに対する危機感、切迫感が伝わってこない。
おそらくは「パニックを起こさないため」という言い訳が用意されているのだろうが、放射能汚染分布を示すSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の数値を公表しなかったような情報隠しをはじめ「いま直ちに健康に影響はない」といった類の言い逃れに終始して真実を語らず、対策を怠る罪深さに慄然とする。土地は放射能に覆われ、着の身着のまま避難した人たちの絶望にこたえることのできない政治に、私は激しい怒りを抑えることができない。これは核戦争なのだ。
これまで原子力発電を必要とする理由については、主として二つのことが挙げられていた。
①地球温暖化対策=CO2を出さないため環境への影響が少ない。
②エネルギーの安全保障対策=中国、インドなどの需要急増による石油資源争奪戦に備える。
それは、日本の経済成長をさらに発展させるためであった。
日本の原子力政策を進めてきた政府や電力会社は、広島・長崎からもチェルノブイリからも、何も学ばなかった。学者やマスメディアを使って「原発は絶対安全だ」と言い続けてきた。さらに水力発電、火力発電に比べて原子力発電のコストは安いと宣伝してきた。
しかし、福島原発の事故によって、政・官・産・学・メディアの馴れ合いが安全対策をおろそかにした原因だという批判が起きている。また、原発の寿命が尽きて廃炉にした場合、その解体には建設費以上の費用を要し、高レベルの核廃棄物の処理方法も確立していない以上、原発のコストは安いと言うことはできない。
スリーマイル原発事故(一九七九年)、チェルノブイリ原発事故(一九八六年)、東海村JOC臨界事故(一九九九年)に次いで福島の原発事故が起きたいま、原発の抱えている致命的な危険性が誰の目にも明らかになった。
天災や人災によつ原発暴走の危険性は、これまで原発に批判的な人々によって散三指摘されてきたことだが、原発推進論者や原発利権に群がる人々が耳を貸すことはなかった。経済成長至上主義、効率最優先主義という価値観の下では、費用のかさむ安全性確保は二の次になってしまう。
こういう社会に生きてきた私もまた、生活者として原発を必要悪と考え、容認してきた。
私は核兵器廃絶をめざす立場から、核の軍事利用の危険性にのみ、目を向けていた。したがって原子力発電については、核兵器の原料となるプルトニウムを無くすことが重要だと考え、プルトニウムを生み出すウラン系原発方式を止めて、トリウム溶融塩炉の研究を進めるべきだと主張してきた。
原発に対して「絶対反対」と言ってこなかったのは、エネルギーを消費する文明を享受しながら、つまり原発が生み出す電気を使いながら「反原発」を叫ぶことの矛盾が、「核の傘」の下で「核兵器廃絶」を訴える欺瞞と通じているような気がしていたからである。さらに「原子力利用は人類の夢」といった科学技術に対する私のオプティミズム(楽観論)が、原子力の“平和利用”への幻想をふくらませていた。
しかし、資本主義システムのなかでは、特に政治や企業に無責任体質がはびこり、利潤追求を第一とする風土のなかでは、学術研究の成果も科学技術も歪められてしまうことをフクシマは教えている。
これから先、表面化するはずの福島の放射能被曝者の苦悩を考えるとき、経済よりも生命が大切だ、という当たり前のことを、これからの日本社会のあり方を変える思想の根底に据えなければならない。それは、脱原発社会であり、集中から分散へ、さらには地方主権の確立へとつながるものである。
いまこそ大量生産→大量輸送→大量消費→大量廃棄というエネルギー消費型社会から自然共生型社会への転換を図るときである。エネルギー政策を見直し、太陽光、水力、風力、地熱、バイオマス、潮力などあらゆる再生可能エネルギーの開発、実用化に向けて、原発建設にかける以上の資金を投入しなければならない。
原発事故による損害や補償金の総額を考えると、もはや原発に固執すべきではない。原発立地で入ってくる金や生まれる雇用に頼ってきた地方自治体の悩みは深い。しかし、原発の「安全神話」が崩れたいま、地域住民の命と健康と守ることが、何ものにもまして優先されるべきであろう。
同時に、私たちの価値観、生活スタイルも変わらなければ、原子力依存のくらしから抜けることはできない。
「原発がなければ日本の経済は衰退する」と原発推進論者はいう。その勢力と生存権を守ろうとする人々とのせめぎ合いが、これから始まる。
日本はいま深い悲しみと不安のなかにいる。地震と津波によって多くの命が失われた。フクシマの危機はいまも進行中である。収束の見通しは立っていない。毎日、毎日、放射性物質が放出されている。大気や大地は汚染され続け、人々は被曝の恐怖におののいている。劣悪な環境のなかで放射線を浴びつつ作業している現場労働者の健康も心配である。
私はテレビに写る福島の被曝者の姿を見るとき、一九九九年夏、セミパラチンスクで聞いた歌声を思い出す。それは核実験場閉鎖を求めて立ち上がったネバダ・セミパラチンスク運動で歌われた「ザマナイー時代よ!」である。放射能によってふるさとを失ったカザフの人たちの悲しみを、フクシマは共有してゆく。
健やかなる子らは なぜ消えた
風になびく髪は なぜ消えた
心ない仕打ちよ ザマナイ
ザマナイ ザマナイ
清き故郷は なぜ消えた
哀れなるわが大地
数え切れぬ 爆発 閃光に
引き裂かれたわが心よ
(作詞:Ulugbek. Esdauletov
、原語訳:アケルケ・スルタノワ、日本語詞:高橋朋子 )
私たちは広島・長崎で人類初めて放射能の脅威を体験したにもかかわらず、環境対策やエネルギー源枯渇対策を理由に、原発導入を選択した。それは、「絶対安全」という前提があってこそ認められるものであった。しかし、機械は故障し、人間は誤りをおかす。子どもたちの未来に対し、原発への道を選んだ私たちの責任は重い。
近代化の歴史には、自然を科学の力で支配できると考える人間の驕りが潜んでいる。ところが、目に見えない放射線を発する原子力の利用は、神ならぬ人間の手に負えるものではない。放射能の寿命はあまりにも長い。その半減期が万年単位で語られるとき、これはもう人間のスケール、人間の能力を超えている。人間の無力を痛感するだけである。
放射性物質の人類に対する脅威に関して、軍事、平和利用の区別は意味がない。そして放射性物質を管理することはきわめてむずかしい。一歩間違えば取り返しのつかない破局をもたらす。核兵器をコントロールできるとする戦略にもとづく核抑止論の思想と、原発の制御は可能だとする思想とは、根本的に自然に逆らう人間の驕りが生み出したという点で、根はつながっている。
核兵器廃絶は戦争を否定し、人間の尊厳を守ることであり、原発脱却もまた自然と生命への畏敬を取り戻すことである。
(お断り)この文章は、近く出版される拙著の「あとがき」から転用したものである。
京城中学校・京城帝大予科・旧制広島高校・早稲田大学卒業、中国新聞記者、中国放送社長
1991年 広島市長(2期)
1998年 ヒロセミ会員・世話人代表・現在名誉会長
「脱原発」の社会を
―フクシマの悲劇の教訓―
平岡 敬
市民ボランティアの力でプノンペンに建設した「ひろしまハウス」の運営について協議するため訪れたカンボジアから福岡空港に帰ってきた途端、東日本大震災のニュースに接した。二〇一一年三月十一日午後八時過ぎであった。
巨大地震と津波によって壊滅した地域の惨状は、戦後直後の焼け野原の光景と二重写しになって、私に迫った。かてて加えて、福島第一原子力発電所の放射能汚染は、核兵器廃絶を訴えてきた私には、大変衝撃であった。
放射線被害の深刻さについては、私の場合、広島だけではなく例えばカザフスタンの核実験被害者の現状を見て、一定の認識を持っている。彼らは、核実験場の爆心地から数十キロメートル離れていた広大な地域へのフォールアウト(放射線降下物=死の灰)にさらされた。地上や空中爆発の際に放出される莫大な量の放射性物質から出る放射線によって外部被爆したり、汚染した土地でつくられた農作物やその草を食べた牛のミルクを飲食することで内部被曝した。
原発の水素爆発のテレビ映像を見た瞬間に思ったことは、福島の人たちもカザフの被曝者と同じ運命をたどるのではないか、ということであった。
被曝線量が発表されるが、数値の多寡よりも広島・長崎と想起することによって、その真の意味が理解できる。この目に見えない放射線の脅威に対して、政府や東京電力の対応はあまりにも無責任すぎる。巨大地震による津波について「想定外」という弁明が繰り返された。想定内であろうと想定外であろうと、放射線事故の重大さに対する危機感、切迫感が伝わってこない。
おそらくは「パニックを起こさないため」という言い訳が用意されているのだろうが、放射能汚染分布を示すSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の数値を公表しなかったような情報隠しをはじめ「いま直ちに健康に影響はない」といった類の言い逃れに終始して真実を語らず、対策を怠る罪深さに慄然とする。土地は放射能に覆われ、着の身着のまま避難した人たちの絶望にこたえることのできない政治に、私は激しい怒りを抑えることができない。これは核戦争なのだ。
これまで原子力発電を必要とする理由については、主として二つのことが挙げられていた。
①地球温暖化対策=CO2を出さないため環境への影響が少ない。
②エネルギーの安全保障対策=中国、インドなどの需要急増による石油資源争奪戦に備える。
それは、日本の経済成長をさらに発展させるためであった。
日本の原子力政策を進めてきた政府や電力会社は、広島・長崎からもチェルノブイリからも、何も学ばなかった。学者やマスメディアを使って「原発は絶対安全だ」と言い続けてきた。さらに水力発電、火力発電に比べて原子力発電のコストは安いと宣伝してきた。
しかし、福島原発の事故によって、政・官・産・学・メディアの馴れ合いが安全対策をおろそかにした原因だという批判が起きている。また、原発の寿命が尽きて廃炉にした場合、その解体には建設費以上の費用を要し、高レベルの核廃棄物の処理方法も確立していない以上、原発のコストは安いと言うことはできない。
スリーマイル原発事故(一九七九年)、チェルノブイリ原発事故(一九八六年)、東海村JOC臨界事故(一九九九年)に次いで福島の原発事故が起きたいま、原発の抱えている致命的な危険性が誰の目にも明らかになった。
天災や人災によつ原発暴走の危険性は、これまで原発に批判的な人々によって散三指摘されてきたことだが、原発推進論者や原発利権に群がる人々が耳を貸すことはなかった。経済成長至上主義、効率最優先主義という価値観の下では、費用のかさむ安全性確保は二の次になってしまう。
こういう社会に生きてきた私もまた、生活者として原発を必要悪と考え、容認してきた。
私は核兵器廃絶をめざす立場から、核の軍事利用の危険性にのみ、目を向けていた。したがって原子力発電については、核兵器の原料となるプルトニウムを無くすことが重要だと考え、プルトニウムを生み出すウラン系原発方式を止めて、トリウム溶融塩炉の研究を進めるべきだと主張してきた。
原発に対して「絶対反対」と言ってこなかったのは、エネルギーを消費する文明を享受しながら、つまり原発が生み出す電気を使いながら「反原発」を叫ぶことの矛盾が、「核の傘」の下で「核兵器廃絶」を訴える欺瞞と通じているような気がしていたからである。さらに「原子力利用は人類の夢」といった科学技術に対する私のオプティミズム(楽観論)が、原子力の“平和利用”への幻想をふくらませていた。
しかし、資本主義システムのなかでは、特に政治や企業に無責任体質がはびこり、利潤追求を第一とする風土のなかでは、学術研究の成果も科学技術も歪められてしまうことをフクシマは教えている。
これから先、表面化するはずの福島の放射能被曝者の苦悩を考えるとき、経済よりも生命が大切だ、という当たり前のことを、これからの日本社会のあり方を変える思想の根底に据えなければならない。それは、脱原発社会であり、集中から分散へ、さらには地方主権の確立へとつながるものである。
いまこそ大量生産→大量輸送→大量消費→大量廃棄というエネルギー消費型社会から自然共生型社会への転換を図るときである。エネルギー政策を見直し、太陽光、水力、風力、地熱、バイオマス、潮力などあらゆる再生可能エネルギーの開発、実用化に向けて、原発建設にかける以上の資金を投入しなければならない。
原発事故による損害や補償金の総額を考えると、もはや原発に固執すべきではない。原発立地で入ってくる金や生まれる雇用に頼ってきた地方自治体の悩みは深い。しかし、原発の「安全神話」が崩れたいま、地域住民の命と健康と守ることが、何ものにもまして優先されるべきであろう。
同時に、私たちの価値観、生活スタイルも変わらなければ、原子力依存のくらしから抜けることはできない。
「原発がなければ日本の経済は衰退する」と原発推進論者はいう。その勢力と生存権を守ろうとする人々とのせめぎ合いが、これから始まる。
日本はいま深い悲しみと不安のなかにいる。地震と津波によって多くの命が失われた。フクシマの危機はいまも進行中である。収束の見通しは立っていない。毎日、毎日、放射性物質が放出されている。大気や大地は汚染され続け、人々は被曝の恐怖におののいている。劣悪な環境のなかで放射線を浴びつつ作業している現場労働者の健康も心配である。
私はテレビに写る福島の被曝者の姿を見るとき、一九九九年夏、セミパラチンスクで聞いた歌声を思い出す。それは核実験場閉鎖を求めて立ち上がったネバダ・セミパラチンスク運動で歌われた「ザマナイー時代よ!」である。放射能によってふるさとを失ったカザフの人たちの悲しみを、フクシマは共有してゆく。
健やかなる子らは なぜ消えた
風になびく髪は なぜ消えた
心ない仕打ちよ ザマナイ
ザマナイ ザマナイ
清き故郷は なぜ消えた
哀れなるわが大地
数え切れぬ 爆発 閃光に
引き裂かれたわが心よ
(作詞:Ulugbek. Esdauletov
、原語訳:アケルケ・スルタノワ、日本語詞:高橋朋子 )
私たちは広島・長崎で人類初めて放射能の脅威を体験したにもかかわらず、環境対策やエネルギー源枯渇対策を理由に、原発導入を選択した。それは、「絶対安全」という前提があってこそ認められるものであった。しかし、機械は故障し、人間は誤りをおかす。子どもたちの未来に対し、原発への道を選んだ私たちの責任は重い。
近代化の歴史には、自然を科学の力で支配できると考える人間の驕りが潜んでいる。ところが、目に見えない放射線を発する原子力の利用は、神ならぬ人間の手に負えるものではない。放射能の寿命はあまりにも長い。その半減期が万年単位で語られるとき、これはもう人間のスケール、人間の能力を超えている。人間の無力を痛感するだけである。
放射性物質の人類に対する脅威に関して、軍事、平和利用の区別は意味がない。そして放射性物質を管理することはきわめてむずかしい。一歩間違えば取り返しのつかない破局をもたらす。核兵器をコントロールできるとする戦略にもとづく核抑止論の思想と、原発の制御は可能だとする思想とは、根本的に自然に逆らう人間の驕りが生み出したという点で、根はつながっている。
核兵器廃絶は戦争を否定し、人間の尊厳を守ることであり、原発脱却もまた自然と生命への畏敬を取り戻すことである。
(お断り)この文章は、近く出版される拙著の「あとがき」から転用したものである。