りやうゑん
梁苑
りやうゑんしうちくこしのゑん
梁園秋竹古時烟
しやうくはいかせかなしんてほつする
城外風悲欲
くれんとてんはんせうの
暮天萬乗
せいきいつれのところにかある
旌旗何處在
へいたいのひんかく
平䑓賓客
あつてかたれあわれまむ
有誰憐
りやうゑんの竹は古時孝王
のことくあいかわらすしけつて
あるばかりて古時のけいしよく
のとほりじや。こうおうの時
けつこうなことてありつらふか
城ぐはいを見れはくれがたにあき
のものすごい風がふいて
あれはてゝものかなしいていじや。
孝王のさかんなるときは天子
どうせんてあつたゆへばんしてん
しのまねをなされてござ
つたが今はあとかたもない。其
しふんは相如鄙陽をき
のぶんじんさいしを
むかへあいせられたと
いふが孝王のことき
ひとあらばわれも
相如なとことく
もちひられやうにと
なり。くはしくは
掌故又は講釈木を
見るへし。
梁苑
王昌齢
梁園の秋竹、古時の烟、
城外風悲し、暮れんと欲する天。
万乗旌旗、何処(いずく)にか在る。
平台の賓客、誰有って憐(いとお)しまん。
意訳
梁苑を造った孝王の時代と同じ様に、秋の竹林は、当時のまま霧に包まれている。
城外の風は悲しく鳴っている、暮れようとしている空の中で。
天子の礼と同じ万乗旌旗を許可された梁の孝王の旗は今何処に行ってしまったのであろうか?
孝王の死後、不遇となった苑内に設けた天台の楼閣にいた鄒陽、司馬相如ら賓客を誰が憐れむのであろうか?もうそんな者はいない。
※梁苑
※秋竹 梁苑は脩竹園と呼ばれる程竹が多かった。
※万乗旌旗 天子の乗り物と旗指物。孝王は、呉楚七国の乱の平定に功績が有り、同母兄の景帝は、天子と同じ乗り物に乗り、天子と同じ旗指を掲げる事を許した。
横浜中華街関帝廟
唐詩選畫本 七言絶句 巻三