新古今和歌集の部屋

新古今増抄 巻第一 通具 誰袖梅香 蔵書

により匂はあるとあれば、それより誰が袖ふれ

し匂ひぞともよみ、袖の香にまがふとはよむ

事なれば、后のもてあそびし花なる程

に、その昔をとへばとなり。下句は涙の

心となり。

一 右衛門督通具。   于時參議正三位。内大臣

通親ノ二男也。 千五百番哥合とは、人数三

十人にて、十五番也。一人して百首づゝなれ

ば、三千首なり。左右となしたれば、千五百番

なり。住人にして百五十番づゝ判をせられ

し也。後鳥羽院ノ勅判と、慈鎮は哥一首づゝ

にて判し給ふなり。摂政どのは詩にてし給也。

俊成卿定家卿の判を見てその心をがてん

したるが稽古になるとのよしなり。

一 梅のはな誰袖ふれし匂ひぞと春やむかしの月にとはゞや

増抄に云。梅がゝの尋常にあらぬゆへに、これ

故誰袖ふれしぞ。むかしよりかはらずある

月にとはゞやとなり。下句は業平の月や

あらぬ春やむかしの春ならぬわがみひとつは

もとのみにしてといえへるを本哥にしてなり。

 

※業平の

読癖入清濁付伊勢物語 四段 我身一つ 蔵書 - 新古今和歌集の部屋

読癖入清濁付伊勢物語 四段 我身一つ 蔵書 - 新古今和歌集の部屋

月やあらぬ春やむもとのかしの身はるにしならぬて我身ひとつは 四昔、ひんがしの五条に、おほきさいのみや、おはしましける。西のたいにすむ人有け...

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コメント一覧

jikan314
@kunorikunori 賀茂氏の歌人群(保坂 都 著)には、
八 賀茂氏久の伝記
 1 氏久の系図
 2 氏久の生涯
と言うのが、検索されました。父後鳥羽院譲りの歌人だったのでしょうか。
賀茂氏と言う事で、上賀茂神社の禰宜ですね😃
お住まいの所は、荒れた天気で、初雪もあったとか。体調には十分ご注意下さい。
kunorikunori
Jikan様

後鳥羽院の八男が賀茂の氏久のようです。
能久が養父となって、育てたそうです。(能久の姉の子になります)
丁度、賀茂氏の本を読んでいて、記載がありました。
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