入道前関白右大臣に侍りける時の百首哥に忍恋
ちらすなよしのゝは草のかりにても露かゝるべき袖のうへかは
詞めでたし。 初句は、もらすなよの意なるを露の縁
にて、ちらすなよとはいへる也。しのゝといふに、しのぶといふ
ことをこめたり。 かりにてもは、かりにもなり。 一首の意
は、何となくては、かりにもかやうに袖に露のかゝるべきなら
ねば、かならず戀すと、人にみとがめらるべければ、心して、
此露をちらしもらして、人に見とがめらるまじきぞと
なり。然るをちあっすなよとあるは、人にいひつくる詞なれ
ばいかゞ。これはみづからちらさじとおもふをいふなれば、ちら
さじよとこそあるべけれ。
夕戀 秀能
もしほやくあまの磯屋の夕烟立名もくるし思ひたえなで
題の夕の意はたらかず
海邊戀 定家
須广のあまの袖に吹こす塩かぜのなるとはすれど手にもたまらず
√なれゆけばうき世なればやすまの海士の塩やき衣間遠
なるらむ。といふ哥をとりて、衣を風にかへて、風は袖になれ
ても、手ににとらえずといへるにて、大かたには馴たる人の、逢
がたきをたとへたる也。結句は、いせ物語の哥に、√とりとめぬ
風にはありともとあるがごとし。 二の句、吹こすは、ふくと
のみにてよろしき哥なるを、こすといふことあまりて聞ゆ。
ふるき抄に、二三の句をあだ人によせてよめりといへ
るは、かなはず。
摂政家歌合に 寂蓮
ありとてもあはぬためしの名取川くちだにはてねせゞの埋木
めでたし。 本哥√みちのくにありといふなる名とり川
なき名とりてはくるしかりけり。√名取川瀬々のうもれ
木云々。 初句は、初の本哥の二の句の詞を、いきながらへて
有とてもといふに取りなせる、おもしろし。 二の句は、なき
名とりえてはとあるを、あはぬためしといへる也。 四の句のだ
には、死ぬみとを願ひはせねども、あはでなき名をたてら
れむよりは、死なりともせよといふ意なり。
千五百番歌合に 摂政
なげかずよ今はたおなじ名取川瀬々のうもれ木くちはてぬ共
二三の句は、√今はた同じ難波なる云々と、√瀬々の埋木あら
はれば云々とを、とれい合せ給へり。さて今はた同じとは、
今も既にうき名をたてらえたれば、朽はてたるも同じ
ことぞといふ意なり。然れば此うへたとひくちはつとても、
歎きはせずとなり。