新古今集美濃の家づと三の巻
賀歌
文治六年女御入内屏風に 俊成卿
山人のをる袖にほふ菊の露うちはらふにも千世は經ぬべし
いとめでたし。詞もめでたし。 本哥のぬれてほす
間は、なほしばしの程もあるべきを、打ちはらふにもとは、
又そのうへをいへるなり。
千五百番歌合に 摂政
ぬれてほす玉ぐしのはの露霜ににあまてる光いくよへぬらむ
玉ぐしの葉は、祭りの時の榊葉なり。 ぬれてほすと
は、古今集の起句の歌を心得あやまりて、よみ玉へるか、
此哥にては心得がたし。しひてたすけていはゞ、いくよ
經ぬらむといへるにあはせて、ぬれてはかわき、ぬれては
かわきする意か猶いかゞ。
俊成卿
君が代は千代ともさゝじ天の戸や出る月日のかぎりなければ
さゝじ出る、戸の緣なり。 三の句や°もじ少しおだや
かならず。を°といはんかたやまさるべき。
千五百番哥合に 定家朝臣
我道をまもらば君をまもるらむよはひはゆづれ住よしの松
めでたし。 上句、歌の道さかゆる君が代なれば、此
道をまもり玉ふ住吉神は、sだめて君をまもり
給ふにてあるべしとなり。 四の句、松のよはひを君
にゆづれなり。
八月十五夜和歌所歌合に月多秋友
寂蓮
高砂の松もむかしに成ぬべしなほ行末は秋のよの月
√高砂の松もむかしの友ならなくに、といふ哥をとりて、
此哥にては、その松を友として、さて友といふことをば、いはで
しらせたり。又待つもむかしの友云々とある、本歌の詞を、
松もむかしになりぬべしととりなしたる、おもしろし。
一首の意は、先年經む松も、つひに枯て、むかしに
なりぬべし。其後もなほ友とすべきものは、秋の
夜の月ぞとなり。
家の哥合に春祝 摂政
春日山みやこのみなみしかぞ思ふ水のみなかみ春にあへとは
此御哥、㐂撰が歌をとりて、しかぞ思ふといひ、北にむか
へて南といへる。たくみなれど、都の南といへることも、何の
用なく、しがぞおもふといふことも。たゞ思ふにてにてこそあるべ
けれ。しかぞいいふこと、あまりて聞ゆ。其うへ結びのとは
も、は°もじ何の意ぞや。
※本哥のぬれてほす ※古今集の菊の歌
古今集秋歌下
仙宮に菊をわけて人のいたれるかたをよめる
素性法師
ぬれてほす山ぢの菊のつゆのまにいつかちとせを我はへにけむ
※高砂の松もむかしの友ならなくに
古今集雑歌上
題しらず
藤原おきかせ
誰をかもしる人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに
※㐂撰が歌
古今集雑歌下
題知らず
喜撰法師
わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり