■河野太郎氏「そこにやっぱり甘えちゃだめ」
■米軍統治下時代は中絶は犯罪だった
■「嫌われたくない」という思いで避妊できず…
■「子どもを産めば彼が戻ってきてくれるかもしれない」
■子どもが生まれてから消息不明になったケースも
■「父親がいない」自分の出自に負い目を感じる
■狭いコミュニティで出産と結婚を繰り返す構造
他県の自分が聞いたら、どこの不良?となるのかと思ってしまいそうです。
都会だと若年で妊娠して出産するのは稀です。
そう言う家庭に生まれて多産家系ならまだ理解します。
が、沖縄の問題は都会や地方都市の不良の上をいくから難しいのかと思います。
またそもそも沖縄に残る時点でどうなのかと苦労して他県で成功する方がいいのかと思います。
それにそれなりの仕事に就いていれば無さそうな話がかなりの割合で起きているのも何か価値観の相違でしょう。
甘えられるのも文化ではあります。
決して一人で生きていくとか理想論で最終的には何処かに頼ります。
また、悲惨な結果になるのもあるのかと思います。
誤解して欲しくないのは子ども庁を作ったとしてもそう言う人の為に働かせるものではありませんよね。
ただ、ある虐待事件が頭をよぎってあ〜なるなら、この際別れても面倒見た方がいいとはなります。
と言う事で理論的にはもう少し沖縄県ごとどうにかしてでも経済を良くしないと都会の一般とは違い過ぎます。
情で喋ると救うしかないかとなるのでしょうね。
だから、情に訴えるような話は甘いと言うか頑張って抜け出すしかないのでしょう。
公的支援にも二通りあるのです。
一つは金銭的支援のような優しいものです。
もう一つは親として不適なのでそこから厳しく管理するようなのかと思います。
おそらく、この記事を書いた人は前者しか思いつかないから助けてあげてくださいと言う話をするのです。
しかし、後者のようなのが実情なのを理解していませんよね。
子供の虐待が疑われたその子供ですらまともな施設もない現状です。
つまりは親の虐待以前に児童相談所のレベルが対応できるような状態にないのかと推測されます。
それなのに行政を頼れば、一時的には支援されてどうにかなると思っていても仮に何かあればそう言う待遇になるんです。
あと、33歳にもなって本来なら戒める側に回るような人が下手したら誤解され兼ねない話をしているのに残念な印象があります。
個々に大変なのは理解しますが、それを括って何かの権利の如く書いても政治は動きません。
その上、これだと見離されるのは仕方ないのかとなります。
たまたま河野氏が挙げられていますが、他の政治家でもそうそう変わりません。
本質的な問題を抱えない為の状況にさせられるような人がいれば良いのですが、それすら難しい気がします。
せめてこのくらいの人なら、他に同情して貰える仲間を募って政治的な行動も起こしてその上で個々に救えるような人だけでも頼れる地方組織にする努力かと思いました。