基本的な問題点を絞った方が良いように感じます。
下手にアピールする点を間違えて伝わると
>さらに接種に消極的な人も多く、大量に余ってしまったといいます。
みたいに本来の原因とは別の話で廃棄処分になっています。
それなのにテドロス事務局長のような話をして先進国の所為にしています。
では古着はどうでしょうか?
>カビや破損、気候や生活習慣に合わないといった理由から捨てられる服も多い
メーカーなら有る品質と言う概念がありません。
そしてニーズと言う概念も無いのです。
では何故欠如するのか、そこなんです。
コミュニケーション不足が多いのかと思います。
現地の要望を正しく伝える努力は災害時の救援物資でも言われていましたよね。
そしてそれを送る方法などの品質についても難しい話なんです。
また、問題が違うのも思い出しました。
それは寄付の筈が現地で転売されていた事があった件です。
伊藤忠商事にすれば問題提起でもSDGsに貢献しているのでしょうね。
厳密な話をすればおかしな点があるのです。
何がかと言うとガーナは
>世銀の分類で中所得国となった。
寄付をしなければならないような最貧国とは違いませんか?
ガーナは2,220米ドル(世銀:2019年)です。
ソマリアは332.0ドル(2018年:IMF)です。
一桁下です。
アフガニスタンでは530ドルです。
こう考えると送る先を間違えたくらいのニュアンスです。
それにキリスト教の国にして、中国との貿易が一番多い国なんて日本が相手にしなくても良いのでしょうね。
日本人は優しいから現地の伝統的な生産技法とか言っていますが、中国人にそれが通用するのか疑わしいです。
もう一つの違いがキリスト教の国で、周囲のイスラム教の国とは違うのかと思います。
価値判断が欧米型だとすれば合理的です。
イスラム教徒のような部族、宗教上の上下関係とかなく恩義とかが優先しません。
せめて伊藤忠商事のように海外でも活躍している企業がSDGsの高級概念を展開するに相応しい相手が有るのかと思います。
何がこうなるのかと言ってしまうと安全性の問題や当然の如く外務省の指導です。
本当に寄付が必要な地域は行ける筈もなく、そして危険です。
大事なのはSDGsはファッションでもないし、ましてやボランティアのような話でもありません。
どうして渾然一体となってしまうのかそこに一つの限界を感じます。
誤解を招くのはやはり持続可能な社会を目指すと言うと日本人はどうも日本的な持続社会は一先ず置いてしまうのです。
不思議なんですけど、日本人が日本的な持続社会を守ればかなりの確率で世界もついてきます。
それを傍らに置いて何故か持続可能な開発として渾然一体になるような話をしたがるんですよね。
日本的な社会は既に何千年に及ぶような伝統文化や歴史的な遺産に恵まれています。
こんな事を言っては失礼だと思いますが200年やそこらの国とは違うのです。
それが何故か欧米の考えや世界的な話に被せて持続可能な社会を考えようと構えるからちょっと待ってよとなるのです。
環境で温暖化対策すると言うのにしてもいきなりカーボンニュートラルにしようと言い出すのですが、根拠も薄いのです。
普通なら節電などから入るのが当然です。
それに省エネ機器の活用です。
ところが出来もしないカーボンニュートラルを話すから中国みたいな事になります。
だけど日本だとほぼコロナ禍で経済停滞でエネルギー消費も減っています。
電力は危機的なんだそうですけど。
あと、原油高で嫌でもガソリンの浪費に繋がるような旅行は控えます。
これで十分と言うか、SDGsの前にコロナ禍を生き残らないとなりませんから。
仮に世界的な持続可能な開発を支援するなら、それは寄付とかでなく中国がやるようなインフラ整備ではなく日本的な規格、品質のインフラ輸出です。
リスクの少ないインフラこそ永年使える資産だからです。
それと生活を向上させられるような治安や生活環境の向上なのですが、国によって歓迎されない事もあります。
それでどうしても万博やオリンピックのイベントのような概念になって現実味を失います。
最後に思うのは支援されている国家にSDGsはどうなんでしょうか?
自立が断然に優先です。
そして現実的にワクチン接種率でそれなりの数値に出来る方が良いのです。
隣のトーゴやリベリアは高いようです。
不思議なものでアフリカでも高い国は高い値なんです。
産油国や欧州に近い国は高かったりします。
問題提起は分かるのですが、本当に必要な話をしていただけるとと嬉しいです。