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■■■■■■■■■■■江戸天領の余情■■■■■■■■■■■
■「天領のあけぼの」
●先日タイ人の知人から日本の伝統美の研究のために、倉敷を訪ねたいと
の問い合わせがあった。そこで久方に倉敷を下見する事にした。
大阪から新幹線で、わずか40分ばかり。
倉敷は、地元の人たちの努力で昔の面影を大事に残しながら、整然とした
佇まいが極めて印象的だった。
(●知人の故人写真家、中村昭夫氏の写真集倉敷の表紙)
●終戦後から5年、今を去る70年前の1950年11月のことだった。
いまだ戦禍癒えぬ日本にあって、いち早く文化による平和復興を願って
戦後の地方都市では稀有な「文化討論と国際音楽の会」が、受胎告知など
泰西名画が並ぶ大原美術館のメインギャラリーで開催された。
これは,日本におけるギャラリーコンサートの草分け的な催事だったと聞く。
●当日のパネリストは、日本を代表するいわゆる白樺派の作家や芸術家の、
志賀直哉、武者小路実篤、梅原隆三郎、棟方志功、柳 宗悦の人達、
そしてフランス文化使節として来日したピアニストのラザール・レビンさ
んと安川加寿子さん
司会は大原総一郎さん(倉敷紡績クラレ社長、中国銀行)の創始者だった。
●本館ギャラリーには、泰西絵画の名作が、常時展示してある。
その主な作品は
・エル・グレコの「受胎告知」、
・ゴーギャンの「かぐわしき大地」
・クロードモネの「睡蓮」
など、(詳しくは http://www.ohara.or.jp/()
●当日のメインギャラリーには、特別に招待された市長はじめ地元の識者
60人ばかりの人達、実は その中に好運にも17歳の少年の私がこの場に
いた事は、いまだ何故だか判っていない。確か当時、高校新聞の編集部員
だった私が代表取材という事で,運よく参加できたのではないのか。
言葉に言い尽くせない感動に陶酔したことを、いまも鮮明に覚えている。
私にとって、生涯忘れ得ない至福の出来事だった。
(●大原美術館分館前庭から倉敷国際ホテルを望む)
(棟方志功室から見た東洋館)
(美術館に隣接するエルグレコに因んだお洒落な喫茶店)
(●大原美術館前の瀟洒な大原邸の佇まい)
■「天領を往く」
●倉敷の歴史文化に詳しい神野力 氏は「倉敷を今日有らしめた遠因には、
倉敷が天領であり、徳川幕府の権力と庇護のもとに周辺の物資をこの地に
集め、ここに冨商を生んだ事を忘れてはなるまい.
これらの文化を倉敷にもたらし定着させた。
そうした彼らの自負から生まれた」と述べている。
●大原美術館を核にして、倉敷川の両岸にたたずむ白壁の民家や土蔵群を
「美観地区」と言うが、いかにも表層的な呼称で私にはどうもなじまない。
伝統的な美しい情景の真髄に触れる、いい呼称はないものか。
(●倉敷民芸館)
(●倉敷段通や銘酒萬年雪や酒津焼の陶器など伝統的なお土産のかずかず)
●大原孫三郎、総一郎親子二代により明治以降、紡績などの先進工業地帯
を倉敷に構築し、同時に旧市街地をそのまま残して近代的な伝統文化都市
に昇華させたその功績は、まさに見事と言うしかない。
因みに現在の倉敷の人口は約50万人、岡山県第2の都市である。
JR新幹線で大阪から僅か40分ばかり、日帰り観光も可能な近場と言える。
聞くところでは、倉敷の三菱自動車水島製作所の工場からは、次世代の
電気自動車が続々と生産されつつあると言う。
詳しくは http://www.city.kurashiki.okayama.jp/
(●西欧風の壮観を誇るホテル倉敷アイビースクエア)
●かって江戸幕府の代官所跡だった市街地の一角、明治22年に創立され
た倉敷紡績旧工場跡地に 昭和48年にホテル倉敷アイビースクエアが誕生
した。旧い紡績工場外壁の赤煉瓦を生かして、プラザと言う発想概念によ
る中世風の大広場が実現した。
●当時の若者のトレンドだったアイビールックに因んで,アイビースクエア
と命名された。そして赤煉瓦の外壁は、緑なすアイビーの蔦で覆い這わさ
れた。若々しく新鮮な感覚は、伝統的な古都倉敷の人たちを驚かせたもの
だ。因みにアイビールックの生みの親、石津謙介さんも岡山県人である。
実は38年前の当時、先端的な文化人として著名な俳人の楠本憲吉さんと
私は、外部アドバイザーとしてこの革新的なプロジェクトに参画した。
赤煉瓦の広場「プラザ」のネーミングは、楠本憲吉さんと私の提案だった
と記憶している。
●事業開発を担当したのが、本社が大阪にある名門企業倉敷紡績の総務部
だった。当時の倉紡は台頭する日本のファッション市場をリードする先端
企業として活気にあふれていた。
開発担当は京大出身で当時、総務課長の狩野輝夫さん、次長で東大出身の
寺地さんだった。いずれも30台40台の品格ある大変素晴らしい方たち
だった。
●今回も、私どもは想い出多いアイビースクエアに泊った。相変らずこの
ホテルは、多くのシニアや若い人びとで賑わっていた。
その革新的な建築発想の斬新さは今もって、いささかも衰えを見せていない。
(●天領倉敷の氏神さま阿智神社)
●倉敷の鎮守の神さま阿智神社の秋祭りは、全市街挙げての五穀豊潤の祭り
である。幕府天領時代からの伝統の彩合いが濃く、海外からの観光客も多い。
祭りの期間中、愛くるしい表情の爺婆の「素隠居」が、渋団扇をかざして街
中を闊歩する。その時、天領の倉敷は、街を挙げて代官天領時代に回帰する。
(●日本の伝統文化や芸術研究のために、ロングスティする外国人のための有隣庵)
●天領代官の伝統に育まれた倉敷には、古くから美酒が多い。
地酒醸造の森田酒造の「萬年雪」は、倉敷を代表する銘酒である。この夜も、
地元の友人を誘って, 旧知の民芸茶屋「新粋」を訪ねた。酒よし、肴よし、
米よし、相変らず盛況を極めていた。
■「置酒歓語」
●置酒歓語、これは俳人楠本憲吉さんの言葉だが,うまい地酒を傾けながらの
歓談は尽きない。古い天領代官の街の夜は、静かに更けていった。
待望の町屋ゲストハウスが、地元倉敷の中村さんの努力によって、築百年の旧い
民家を活用して実現した。
国の内外を問わず、日本の暮らしや、文化や芸術に関心ある人たちのための
町屋ゲストハウスである。
因みに倉敷まちなかドミトリーの和室居住料金は、驚くほど手軽らしい。
(詳しくはhttp://www.u-rin.com/)
●春と秋の祭りの頃に、毎年、最低1週間程,この町家にロングスティして、
気ままに江戸の町屋文化や習慣を体験しながら, 泰西の名画や,日本の伝統
民芸を嗜むという試みは,いかがなものだろう。考え様では、いま最高の贅
沢と言えるかもしれない。
垂涎の作と呼び声高い具体美術協会創始者の吉原治郎画伯の世界的な具象
作品も大原美術館に常設展示されている。
エルグレコや,モネや,ゴーギャンの泰西の名画や、日本の代表的な白樺派の
民芸作品を、毎日身近に鑑賞するだけでも,その収穫の素晴らしさは十分予
測できる。タイの人達にも、ぜひ勧めようと思っている。
アフターコロナの新しい国際交流の試みとして、地方創生と日本の伝統文化
の訴求をぜひ実現させたいと思っている。 (Yama)
(●街中にある名刹、誓願寺のたたずまい)
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