■■■■■■■■「チェンマイゆがみの構造」■■■■■■■■
阪南大学大学院 企業情報研究科兼経済学部 教授 石井雄二
特定非営利活動法人日タイ国際交流推進機構 理事
■「首都への一極集中化」
🔵2006年9月19日の夜に、今日なお迷走・混乱の続くタイの政変を 主導
するタクシン派(赤シャツ)VS反タクシン派(黄シャツ)の対立の発端
となった軍事クーデタが発生した。
ちょうどその日、私はバンコクのスクンヴィット通り ソイ24界隈にある
行きつけの居酒屋におり,そこでクーデタ発生の一報を聞くことになった。
それから8年の年月が経っても、深い対立の溝は容易には埋まらない模様
で、2014年5月22日に、1932年の立憲革命から数えて19回目のクーデタ
による反タクシン派の政権奪還で 表面上は落ち着きを取り戻したが、根
本的な事態収束には至らない状況である。
🔵1990年代以降、タイの高度経済成長路線のもとで、さらに首都バ
ンコクへの経済的機能の一極集中が進み,外国企業の進出ラッシュがそれ
に拍車をかけ、世界都市レベルの巨大都市にランクインするまでに膨張・
拡大を遂げるようになった。
バンコクは、あらゆるタイの都市の中で群を抜く突出した地位占め、都
市人口規模でみても、第2位以下の人口規模が20万足らずなのに 対し
て、600万人をはるかに超えるメガシティとなり、各地方から人口を
吸引する坩堝と化した。
🔵「バンコクでなければ、タイではあらず」 というほどに タイ経済にお
けるバンコクの卓越した突出ぶりがうかがえる。 そのバンコクの急成長
による 雇用と所得の好循環の累積的拡大の波及効果は、地方経済・地方
都市にも及び当然チェンマイ市にもその恩恵は行きわたることになった。
その結果,チェンマイ市も北タイの地方中核都市として、その周辺地域に
影響力を及ぼす中心地機能を強めることになった。
首都バンコクがタイ全土から仕事・雇用を求める人々を吸収する 中心地
機能をいっそう強めるなかで、そのミニチュア版として バンコク都市圏
との相互依存関係のつながりのもとで、チェンマイ市が 北タイ地方から
人口を吸引する中心地としての役割を果たすようになった。
■「チェンマイの歪の構造」
🔵いわゆるタイの繁栄と富を生み出す活力源ともいえる首都 バンコクへ
の極端な一極集中の歪んだ地域構造を反映して, 同じ相似形の歪んだ構造
を北タイ地方にも作り出すことになった。こうした構造のもとで、チェン
マイ市もその波及で 経済的繁栄を謳歌することができるようになったが、
同時に高度成長の影の部分としての貧困化も進行した。 その貧困化は, 豊
かな社会がもたらした繁栄の中での新たな貧困化である。
🔵とくに1990年代以降チェンマイ市の近郊農村では、タマネギ、ニ
ンニク、大豆(枝豆)などの換金作物が栽培されるなど,農業の商業化に
よる競争が進展した結果、農家層の両極分解が起こり, 上層の富裕農家へ
の土地の集中化、その一方で土地無し層が増加することになった。
そのため土地無し層の多くは、チェンマイ市に仕事・職を得て 移住ある
いは通勤を余儀なくされるような変化が生じた。また遠隔農村でも、商
品経済化の波が押し寄せて、お金のかかる生活がごく普通となり,チェン
マイ市へ通勤が困難な土地無しの貧困農民は、チェンマイ市に 向かわず
に、直接バンコクを目指して移住するようになった。
🔵こうした農村から押し出された 貧困農民の多くは、チェンマイや他の
地方都市、首都バンコクにおいて, 低賃金で不安定雇用のインフォーマル
部門の様々な都市雑業的サービス業に従事した。それさえ実現できなかっ
た者は、都会で失業者や根無し草的貧困生活者として漂流することになり、
タイ=バンコクの低賃金労働力の予備軍のプールの役割を果たした。
タイの国際競争力の向上による経済成長は、こうした 農村からプッシュ
された人々に支えられて実現してきた側面が強く、低賃金労働で生産性
を高め、その生産増強にマッチする消費拡大をも補完してきた。
彼らは、タイの経済成長に貢献しながら、その恩恵に与らなかった地方
の農民層と都市の貧困層である。
🔵以上の経済的な観点らみた「チェンマイの歪みの構造」に象徴される
タイの貧困化の側面は、それが常態化して、タイの貧困農民層が 解決不
能の苛立ちを感じていたときに、タクシンが弱者救済政策を掲げて颯爽
と登場する土壌となった。
それは,2006年以降から続くタイの政争の温床ともなったタイの雲散
霧消的に解決できない構造的問題として理解される必要があろう。
続くーーー
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