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■■■■■■介護ロングステイ3ヶ月■■■■■■
中西英樹
タイ王国チェンライ市在住、ロングスティヤー
■■「介護ロングスティ、ケアーその後」
🔵タイで介護ロングステイを始めて約3ヶ月がたった。
母の病状であるが、環境が変わって精神的に落ち着かなくなるかと思
ったが、日本にいた時と比べて、かなり病状はよくなってきたように
思う。
ただ、日によって波がある。静かに昔話をして時折,笑ったりして我々
をちょっと幸せな気分にしてくれることもあるが、一晩中、興奮して
甲高い声を上げ、我々をてこずらせる日もある。
🔵食事は良く食べるようになった。日本にいた頃の倍は食べる。
朝は卵豆腐入りのおかゆとオムレツ、それに野菜スープ、ココアなど。
女中さんが入れ歯無しても食べられるものを我々の食事とはとは別
に用意してくれる。
食事は朝7時、女中は5時半に起きて朝食の用意を始め、7時には熱く
もなく冷えてもいない料理を出してくれる。
いつも食事は親子一緒だ。食後にはマンゴー パパイヤ,バナナなど
の果物。一口大に切ったものがお皿に盛られてくる。
マンゴーやパパイヤなど日本では高級果実で、このようにふんだん
には食べられないことを思うと、やっぱりタイにきてよかったかな,
と嬉しくなる。
マンゴーは1キロ20バーツ(55円)ウルシ科の植物であるので,食過
ぎるとおなかを壊すことがある。半個分も食べればその甘さに堪能
する。パパイヤは女中のブアが時折、村から運んでくる。一個3,4キ
ロもある大きなものだ。
バナナも買って食べるものではないようで,これも 村から持ってくる。
母はゆっくり1時間ほどかけて、出されたものを食べる。おかゆの中
に入っている卵豆腐を箸で器用につまんで口にする。それをみるとま
だ大丈夫だなあと思う。
■■[思い起こす日本のケアーの日々]
🔵もし日本で施設や病院に入っていたら、もう死んでいたかもしれ
ないなと思う。というのは施設では食事時間が決まっていて、1時間
も悠長に食べ続けるということは許されない。
せいぜい30分だ。食器が片付けられると投薬、歯磨きとてきぱきと
マニュアルにしたがってコトが進んでいく。
介護するほうも決まった時間内に決まったことを済まさないと,何十
人もの入所者の面倒をみることはできない。
母のように食事に時間がかかる患者は「はい,余り食欲がないですね、
下げますよ」と目の前からゴハンが消える。
特に母は「ハイ、もういらないです」などど介護者に迎合する傾向が
あったし。
🔵食慾がないとなると病院では点滴を行う。点滴を嫌がって抜こうと
すれば、ベッドに拘禁される。点滴は1週間も続ければ自分から食事
を取ろうとする気力がなくなってくる。やがて点滴の針が腕に刺さら
なくなるので、鎖骨や大腿部を切開して点滴の静脈注入が始まる。
これで完全に寝たきりとなる。点滴では完全な栄養が取れるわけでは
なく、次第に衰弱して死にいたる。
🔵昨年11月に母が検査入院していた病院の医師はこの期間を3ヶ月く
らいと言い、「覚悟して下さい」と兄弟に宣告したものだ。
体力的には相当の進歩がある。部屋の中ばかりでなく、手をとれば家
の周りを散歩できるまでになった。
車の乗り降りも介助なしできる。来た当初には考えられない回復振り
だ。余りトコトコ歩かれると、転ぶのではとか、徘徊老人になるので
はと心配であるが、それでも一人で歩けるようになったことは嬉しい。
た人が、パタヤの海で泳ぎ、タイマッサージを3年にわたって受けてい
たら、自力で歩けるようになったという。
いう話をいくつも聞いた。もっともこういった話は、治った人の話ば
かりが聞こえてくる傾向がある。
治らずにひどくなったという人はそういうことを余り人に話さない。
聞ける,死んだふりをしてみたが、そのまま熊に食われてしまった,とい
う人の話は聞くことができない、というのによく似ている。
🔵病院へは月一度の通院であるが,ソンクラン期間中、担当のプルーム
医師からブアの携帯に連絡があった。母の病状はどうか、何かあったら
すぐ病院に来なさい、といった簡単なものであったが,異国で医師からこ
ういった心遣いをされると本当に嬉しいものだ。
プルーム医師は今のところ睡眠薬を処方していない。それでも夜静かに
寝ていることが多いのは、やはり病状がいい方向に向かっているのだろ
うと思う。 (続)
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