■■■■■■■■■■■■タイ王国雑記■■■■■■■■■■■■
(ワンちゃんと蛇)
北條俊彦
経営コンサルタント・前 住友電工タイ社長
■■「ワンちゃんの心」
⚫️ 我が家にはコーギー犬二匹が同居している. 名前はそれぞれ“お初”
に“お江”で,下の子“お江”が我家のコーギー三代目になる。
因みに初代は“茶々”で既にこの世にはない。浅井三姉妹に因んで命名
したものだが,不思議なもので名前の通り性格も何となく歴史上の人物
と近いものがあると勝手に思い込んでいる。
お茶々は大変美人で気位も高く,自分は犬だと思っておらず,大変な犬嫌
いであった。お初は犬そのもので, 誰にもなつくおっとりとした性格で
気配りのできる控えめな子である。
お江は我儘いっぱい臆病で犬嫌い,そして人も選別する。兎に角,虎の威
を借る狐の如くご主人様(私)の権威の下にワンチャン姫君としての地位
を確立してしまったようだ.(笑)
⚫️犬と猫の共通の先祖は約6,500万年~4,800万年前にヨーロッ
パから北米の森林に生息したミアキスと言われている。そして諸説ある
が,人が犬と暮らすようになったのが, 約1万5千年前で日本では縄文時
代と考えられている。
犬はそもそも野生動物であったが,人が飼い慣らし家畜化してきたといわ
れているが、現在,縄文遺跡からは縄文人と犬が共生してきた証拠が多数
発見されている。また,中国や朝鮮半島及び東南アジアに残る食文化とし
ての食犬の習慣は、日本人の先祖である 縄文人には無かったというのが
通説である。
話が飛ぶが,日本でもあったが飢饉や戦争など飢餓の極限状態に陥った時
は例外に,カニバリズム(食人俗)も日本には無かった。しかし,中国では
孔子が人肉の塩漬けを好んで食したと伝えられているように, 古代春秋か
ら明代までの正史において食人の嗜好(喫人)の事実が多く記録されている。
春秋時代,中国料理の基礎を作ったともいわれる。斉の桓公の料理人易牙は
我が子を煮殺して主君に人肉料理を振る舞ったとも伝えられている。清の
時代から文革の時代、或いは香港でも現代中国まで多くの喫人の記録が残
っているようだ。
因みに喫人の最も多い理由は,憎悪や復讐の代替行為と云われている。孔子
を少し弁護しておくと,後に弟子の子路の屍が塩付け(醢)にされ届けられて
からは、一切口にしなくなったと云われている。
以上、孔子の話も含めた中国での喫人の話は、あくまで書籍から得た知識
であるので事実かどうかは不明である。ご容赦頂きたい。
⚫️“わんちゃんホンポ”の「犬から見た世界」についての記事で読んだ
ことがあるが,少し紹介してみたい。犬から見た世界と人間から見た世界の
違いは4つあるらしい。
1つは,人間よりも少し視野が広いそうだ。
犬の視野角は左右の目を動かして見える範囲は250〜290度で 両目
を使って見える範囲は 80〜110度らしい。
2つは通常視力は0.2〜0.3程度で,昼間犬の見えている世界は殆ど ぼや
けているらしい。
3つは暗闇での識別能力が高い。
本来, 犬は夜行性動物であることにより,暗闇での識別能力は人間の約5倍
も高くなるらしい。犬の網膜の奥にある「タペタム層」という組織が働く
ことに起因するとのこと。
4つは色彩感覚が違っており犬は「青」「黄」の2種類しか識別できない。
赤はグレーなどに見えており、黄色と緑は同じ色として認識していると
考えられるらしい。
犬から見た世界と人間から見た世界では,視覚が人間より劣る部分が多いが、
聴覚や臭覚で補助しているのが実態らしい。
⚫️人類の歴史において,犬はなくてはならない存在であった.
現在もそうである。人と犬の良き共生関係がどうしてここまで深く紡がれ
てきたかは謎である。歴史上の人物にも犬とのつながりが深い人物が多い。
西郷隆盛は常に犬を連れていたが愛犬「寅」をはじめ多くの犬を愛した。
上野駅の西郷さんには愛犬が常に寄り添っている。
聖徳太子も犬好きであったようで, 雪のような真っ白な毛並みから「雪丸」
と名付けた犬を大変可愛がったと伝えられる。聖徳太子は、雪丸について
「雪丸は言葉を話せるし,お経まで唱えることができる」と述べておられる。
また,雪丸は亡くなる前に「達磨寺の北東に葬ってほしい」と遺言したと伝
えられる。実際,その後,達磨寺に葬られたようだが, 年代不詳, 作者不明の雪
丸をかたどった像が寺内に実在している。
蛇足だが,現在, 雪丸は奈良県王寺町の 公式マスコットキャラクターとして
復活し, 王寺町民に親しまれているようだ。
■■「優しい関係」
⚫️タイ王国に“奇跡の名犬”といわれる犬が存在した。
プミポン前国王ご自身の著書でも紹介されているが、昔,プミポン前国王が
バンコクの病院を訪れた時,近隣の住民が世話をしていた野良犬4匹が当局
に殺処分されるとお聞きおよびになり,国王命令で中止された。
殺処分直前の4匹の野良犬は救われ,その後助けた犬が出産し,その子犬を1
匹引き取り国王犬として飼われたのである。
●救われたトーンデーンの母親犬
子犬は国王の犬として“トーンデーン”と 名付けられたが, 忠誠心,我慢強さ,
覚えの良さ, 子犬の躾, 礼儀マナーと素晴らしく “国王が救った野良犬の子
は世界一賢い犬“とタイ国民から愛され続けた。 因みに “トーンデーン“と
はタイ語で赤銅色を意味する。
●プミポン前国王とトーンデーン
⚫️タイの犬は、私の知る限り非常に特徴的である。
一般的に良く見かけるタイの犬は赤犬系が多く,細長で間延びした表情で器
量は良くない。また野良犬なのか、飼い犬なのか判別はつけにくく,殆ど放
し飼い状態で,道端で日がな一日,だらしない格好で眠りこけているのである。
熱さのせいだと思うが…見ている我々もついつい気が緩んでしまうのだ。
そんなボーッとした犬でありながら交通信号を守り,信号のない道路では混
雑する車の間をスイスイとひかれることなく横断して行くのである。
私はタイで犬が交通事故に会った光景を見たこともなく,そのような話もつ
いぞ聞いた事がない。
ただ、タイでは狂犬病(タイ語ではローク・ピット・スナック・バー)の
注意が必要である。昔,タイのある王女が狂犬病でお亡くなりになったそう
で,その後,タイ王室の主導で「2020年までに狂犬病のない国を目指す」
活動が進められていた。2022年の今はどうなっているか確認出来てい
ないが・・・
⚫️私事であるが,二度目のタイ駐在は、愛犬お初のみ帯同の単身赴任であっ
た。或る日,休暇を取りお初を連れての散歩に出た。途中,お初が路地で寝て
いた野犬に襲われそうになった。慌ててお初を抱え上げたが,野犬が諦めて
退散しようとしたものと思いきや,その犬は振り返りざま、なんと私の左足
の脹ら脛をひと噛みして逃走して行ったのである。
そう,私がタイの犬に噛まれてしまったのだ。その後、それは大変であった。
実は、私はタイ赴任前に狂犬病の予防接種を受けておらず、慌ててサミテ
イベー病院に駆け込んだ。約二ヶ月程度病院に通うことになったが,お陰で
狂犬病を発症せず済んだ。(💦)
感染した場合、直ちにワクチン接種と免疫血清の投与で発病を防ぐことが
できるが,発病すると治療法は無いのが狂犬病らしい。最近、タイを訪ずれ
る外国人に野良犬に噛まれて病院に駆け込むケースが多いようだ。
そういえば,第13回アジア競技大会(1998年)がタイで開催された時
は政府も野良犬対策に苦労したようだ。
大会に合わせて道端で見る野良犬の姿が極端に減ったような記憶がある。
それについて,色々とデマや噂話が流されたが、プミポン前国王の動物愛護
の精神が浸透しており,優しいタイの人々は野良犬を大切に保護していた。
⚫️“郷に入れば郷に従え“殆どが,愛嬌のある利口な野良犬達だが,不必要に
彼らとのトラブルを起こさないよう,自分で自分を律する必要がある。人と
犬の幸せな共生生活を守ためにもワンちゃんとの間にルールを設け,彼らの
生活スタイル・空間を遵守することが肝要である(笑)
例えば、
①野良犬には近寄らない(放任)、
②予防接種は必ず受けておく、
③夜、活動が活発化するので夜はあまり暗い場所には行かない、
④吠えられてもリアクショせず無視して通り過ぎる、
⑤餌を求めた野良犬が屯しているため、屋台での食事には注意、
などを心がけて頂ければと思う。
●グリーンスネーク
■■「異国の教訓」
⚫️また,タイでは毒蛇への注意も必要である。
最近, コブラの生息数が減ってきたと聞くが, タイ人はコブラよりも猛毒の
グリーンスネークを恐れるらしい。
タイには色々な毒蛇が存在(56種類)する。そして,タイには信仰の対象
となっている蛇神様が存在するのである。
“パヤナーク”(インド神話のナーガが起源)と呼ばれる仏教の神話に登場
する蛇神で母なる大河メコンに住むと云われる。ナーガは複数の頭を持って
おり、日本の神話に出てくる八幡の大蛇と違い頭の数は奇数だそうだ。龍の
ように見えるパヤナーク像は街のあちこちに見ることができる
⚫️またタイ東北部ノンカーイ県付近のメコン川では旧暦11月の満月の日
に天に向かって多数の火の玉が水面から放たれるという超常現象がある。
火の玉は蛇神の放つものと人々からの信仰の対象となり,毎年蛇神の祭りとし
てバンフアイ・パヤナークが催され大いに賑わうそうだ。
機会があれば,是非,みなさまも不思議の世界へ(笑)。
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