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■■■タイの森林事情■■■■■■■■■■■■■■■■■
■「古都の四季」
●雨季が終わると、古都チェンマイにも待望の乾季がやってくる。
タイ北部地方にあるチェンマイには、俗に3つのシーズンがある。
・乾季、11月~3月前半まで (雨はほとんど降らない)
・暑季、 3月後半から5月まで、 東南アジア特有の暑さになる。
・雨季、 6月から10月まで、比較的雨が多い季節、
●少し南の国マレーシアがあるマレー半島は、モンスーン気候帯に入
るため、年間通じて 気温の変化はなく、年中暑い。
しかしチェンマイは、街全体が、平均高度350メートルの高原盆地にあ
るため乾季の12月から1月は、平均最低気温が15度前後で、思いの
ほか過ごしい。
タイの首都 バンコクに住む富裕層の人たちが、週末の避暑地として
チェンマイを選ぶのも十分うなずける。 チェンマイが、タイの軽井沢と
言われる所以である。
●タイの森林(全て国有林)は、かってタイ国土面積の53%を占め 世界
的な銘木の産出国として、農業国の一翼を担ってきた。
しかし戦後の資源枯渇による木材需要で、度重なる乱獲伐採で森林減
少が続き、国土面積の25%に激減した。
また タイ東北部に群生する銘木のチーク材は、タイの主要輸出品目だ
ったが、ヨーロッパ企業による伐採で、ほぼ姿を消した。
この結果、森林伐採による森林減少が原因の大洪水や 土壌侵食や干
害や塩害が多発し、タイの農業にも大きな影響を与えている。
(
〈シリキット王妃)
●チェンマイの北部,メーサ渓谷にある「シリキット王妃植物園は、1993
年にタイ王室の肝いりで、タイの植物や森林などを広範に研究するため
に設立された世界的な植物園である。
今やチェンマイの貴重な観光スポットとして内外から多くの観光客が後を
絶たない。
●2000年に入り、日本から数多くの環境NPOの団体や、大学などの環
境研究のグループが、マングローブやタイ北部地方の植林活動のため
に、相次いで訪タイした。
その活動は、今も次世代に引き継がれ、タイの森林復興に貢献している。
2006年に開催されたチェンマイ国際園芸博覧会には、日本からも多くの
企業や団体が参加したが、その郊外の跡地は、大きな緑地公園として市
民に公開されている。
●因みに タイ王室森林局によるタイ国有林の区分は
(森林のタイプ) (分布状況) (分布エリア)
マングローブ林、海岸林 南部と東部 (南部)(東部)
常緑樹林 、乾燥常緑林 海抜1000米以下の立地
山地常緑林 抜1000米以上の山地
松林 山地と低地の境界部辺り
混交落葉樹林 海抜1000米以下の低地 (北部)
落葉フタバガキ林 海抜1000米以下の低地
サバナ 抜1000米以下の低地の乾燥地 (東北部)
■「タイの森林事業」(コミュニティー・ホレスト)
●タイでは、森林を国有林として国が管理してきたが、その木材の約6割
は、農家などの燃料として使われてきた。全国の総エネルギィ―消費量
の4分の1はこの木質燃料に依存していた。伐採が進めば、木材再現
は枯渇していく。
それを防ぐ方法として、台頭したのが「コミュニィティ・フオレスト」である。
地域の森林を地域のコミュニィティで管理し、利用するという考え方であ
る。 タイ王室森林局も、このコミュニィティ林の設立を支援しており 全
国的な管理組織が できあがりつつある。
特にチェンマイ県のようにど、周辺の山岳地帯にカレンなどの少数民族
の村を抱えるところでは、早くから少数民族の自治的な「コミュニティホレ
スト」の設立に力を注いでいる。
棚田の畑で、野菜や豆類や果樹を作り、その上の森林をトウモロコシ畑
に転用していたが,ホレストの始動で、森林破壊農業はなくなり、車用の
道路が開通し、1998年には、待望の電気が開通した。
●ここにいたるまでには、日本のOISCA (世界規模の環海支援組織)
などを通じて多く若者が、ボランティアでタイの植林プロジェクトや、環境
教育プロジェクトや、タイの有機農業普及プロジェクトに参加し貢献した。
折しも1995年の神戸淡路大震災で、日本の若者や企業が、こぞってそ
の支援活動に乗り出し、日本に新しい協働の仕組みが、花開いたころの
事である。
今から20年前のタイは、農業国から産業国へシフトし始めたころで、まだ
公式のチェンマイロングスティは始まっていなかった。タイがまだ新興国
の表情を、随所にとどめていた当時の事である。
●その農業支援活動に参加し、タイの貧しい子供たちやエイズで親のな
い子供達の存在を知った複数の日本女性が、チェンマイで子供たちのた
めの収容施設を立ち上げ、その活動は、いまも続いている。
国際協働の鏡として 内外の尊敬を集めているが、その実情については、
次号で触れたい。
(プレー県・赤印)
■「世界の銘木チーク」
●私は、予てよりチーク材の重厚な家具に格別の興味を抱いていた。
その銘木のチーク材が、タイの北部地方、プレー県の特産材と知った
のは、ごく最近の事である。
去る3年前、知人とチェンマイを訪れた際、旧知のチェンマイ国際財団
理事長にお願いして、チークの聖地、プレーを案内して貰った。
●チェンマイの市中を出た車は、日本のODAの支援で作られたスーパ
ーハイウエイ(俗にタクシン道路という) を一路東へ、
仏都ランプーンを駆け抜け、いくつかの山並みの山間を走り抜ける事、
3時間ばかり、待望のプレーに到着した。
●着くとすぐ プレー国際交流協会理事長に、案内され華麗な「チーク
の館」に向かった。 階段を上りつめて館に入ると、一斉にタイの伝統楽
曲の演奏が始まった。藍染めのユニホームをきた男女14人からなる高齢
者の伝統楽器集団のお出迎えである。
予想もしない歓迎のおもてなしに、しばし立ちつくしていた。
(チークの館のホールでの演奏)
●ほぼ70代という高齢者のタイ伝統音楽団だが、その演奏は素晴らし
かった。その後、皆さんと昼食をともにし、日常生活について尋ねた。
この人たちは、定年後、あくまで趣味で毎週2回、「チークの館」に集い、
タイの伝統音楽と取り組んでいるという。
約半数の人たちが農家、残りの人達は教員や公務員の定年者だった。
プレーは、かって15世紀にランナータイ王国の都市国家として栄えた
由緒ある小都市である。
人々の表情は、総じてほりが深く気品にあふれている。私どもが持つ
タイの高齢者のイメージを大きく変えるに足る、素敵な出会いだつた。
●かってこの地方は「チーク材の聖地」と言われ、その集積地として盛況
を極めたという。チーク材は世界の3大銘木と言われ、美しい木目と強靭
な耐久性が格別。 あの世界一の豪華客船クイーンエリザベスや、オリエ
ント急行の内装にも使われている。
しかし、タイのチーク材の資源管理や育成保全の不備に加えて、伐採権
を買い取った英国企業の過剰伐採で、19世紀末の森林資源の枯渇と破
壊をもたらしたと言われる。
その為にチーク材は、既にこの地方の歴史的な遺産となってしまったが、
中進國タイの新しい輸出品目として、チーク材の森林の再興が、始まりつ
つあると言う。資源育成後の成果に期待したい。
(チーク材の高級インテリア製品)
■「日々是好日」
ともかくもあなた任せの年の暮れ 小林一茶
●元旦まで余すところ、あと数日。
平成最後の新年を迎え、新しい年、平成30年を寿ぐ事になる。
しかしタイは、旧正月に新春を祝うしきたりである。。
(続く)
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