■■■■■■■老人は荒野を目指す■■■■■■■
中西英樹
タイ王国チェンライ市在住、ロングスティヤー
■老人は荒野をめざす(五木寛之の著書から)
●自分とか自分より少し若い年代ならの五木寛之の「さらばモスク
ワ愚連隊」「青春の門」「青年は荒野をめざす」などを読んだ 経験
があるだろう。自分としてはスペイン戦争に着想を得た「戒厳令の
夜」、婦人画報に連載されてういた「朱鷺の墓」の印象が強い。
五木さんは年齢を重ねて「大河の一滴」とか 「孤独のすすめ人
生後半の生き方」といった 老人向けの随筆を書くようになった。
老人を励ます「新老人の思想」という本の中ではとうとう「老人は
荒野をめざす」と書いている(そうだ)。
昔,3Kというと
「きつい」
「汚い」
「危険」
であったが、五木さんの言う老人に必要な3Kとは
「健康」
「経済」
「幸福」
とのこと。体、カネ、心と言い換えてもいい。
●まあ 健康である程度の余裕があれば 仕合せはついてくるだろう。
ただ体はだんだん衰えてくる。
いずれカネで体をカバーできない時が来る。
それまではいろいろと人のために生きる。
それが老人は荒野をめざすことだ、と五木さんは言う。
でも体が動くうちは人のために働け、は案外当たり前の老人向け説
教ではないか。老人は荒野をめざす、などと大上段に振りかぶるこ
ともないように思う。それとも自分のような怠け老人にとっては働
く,それ自体が荒野を行くに等しい難行苦行であると示唆しているの
であろうか。
■青年は荒野をめざす
●五木さんの著書は題名がいい。1967年に平凡パンチに連載された
小説が「青年は荒野をめざす」だった。
大学進学をあきらめた青年がトランペット吹きのアルバイトで貯めた
金をもとに ナホトカ航路で欧州をめざす。ジャズと女と酒の放浪の旅
を通して 若者の精神的成長を見事に描いている。
「青年は荒野をめざす」もいいネーミングだが、この小説は8章から
なっていて各章の表題もいい。
・第一章は「霧のナホトカ航路」、自分も1970年9月にハバロフスク
号の3等船客としてナホトカに渡った。
・第二章「モスクワの夜はふけて」はハバロフスクからモスクワへの
ツポレフ114の機内でのエピソードから始まる。
モテモテの主人公は機内で知り合ったスチュワーデス(当時,今はCA)
とモスクワの公園で関係を持つ。自分もこの飛行機でモスクワ入りした
が何もエピソードはない。
風邪気味で空気の耳抜きができず、激しい耳の痛みを我慢していたと
いう情けない記憶はある。こんなに辛い思いをするならもう金輪際飛
行機には乗るまいと思った。考えてみればあれが我が初の飛行体験だ
った。
モスクワのあと、主人公はコペンハーゲン、パリ、マドリッド、リス
ボンなど各都市を巡り、ジャズ喫茶のトランぺッターとして稼ぐ傍ら、
各国の可愛い子といい仲になり、スペインの男との決闘、あるいはド
イツ人集団との殴り合いといったドラマチックな生活を送る。
欧州のあとは恋人と共にジャズの本場、アメリカをめざす最終章「新
たな荒野を求めて」で終わる。米国へ向かう貨物船の中で彼は大学に
は行かなかったがそれが自分にはよかったのだ、という自己肯定の手
紙を父に送る。
ザ・フォーク・クルセーダーズのヒット曲「青年は荒野をめざす」は
五木寛之の作詞だ。自分も終わりの「セイネンハー、セイネンハー、
コウヤヲメザスー」の部分は歌える。
■タイトルがいい
●ナホトカ航路、モスクワ経由で欧州へ、は当時一番安価な欧州行
きのルートだった。自分もこのルートで,主人公と同じ都市をいくつ
か回っている。梗概を読みながら、自分はこの小説を読んで いない
ことに気付いた。
老人は荒野をめざす という文章があるという「新老人の思想」も読
んでいない。読んでもいないのに,五木さんの本についてあれこれ述
べるのは烏滸がましいし,申し訳ないとも思う。でも本のタイトルに
釣られて購入してみたが、内容は大したことはなかった, ということ
はある。「新老人の思想」を購入した人の読後感がネットに 載って
いた。(以下引用)
⚫️「遊興に走らず,同世代の健康に恵まれない同胞を助けるなど与え
られた生を精一杯生きよと提言されていて、読後感は それほど悪く
ありません。しかしそれでなお星3はなぜか。それは出版社のパッケ
ージングにやられたと思ったからです。
この本は日刊紙の 連載をバンドルしたものらしく,前半は表記のよう
な主張に一貫性がありますが、後半は仏教論あり,人生論ありで 幕の
内弁当状態です。出版社のマーケッティングの旨さ,タイトルの つけ
方に『やられた』と思いました」。
五木さんの著書名はいつも秀逸と思っていたが,同じ感想を持つ読者
がおられることを知り、少しうれしく思った。
■■■■■■■何かを得れば何かを失う■■■■■■■
■無意識の所作
⚫️異国に長く住んでいると、日本人なら誰もができる所作や体の動
きができなくなっていることに気づく。友人が 久し振りに日本に戻
り,新宿の朝の雑踏に巻き込まれた。何十,何百もの人がこちらに突進
してくる。自分と同じ方向へ向かう人もいる。これはみんなぶつかり
合って大変なことになる、とその人は一瞬、恐怖にかられたそうだ。
しかし雑踏は混乱に陥ることなく,無意識のうちにお互い避けあって
それぞれの方向に流れていく。
●京都の名刹、法然院
これは日本人にしかできないことだよ,とアフリカから来た人が言っ
ていた。国によっては学校で一列に並ぶ訓練など していないから、
徴募した新兵さんを横一列に並ばせる場合,あ, 君はちょっと後ろ,そ
この人ちょっと前に出て,などとやるのだが、2,3人が一列になった
ところで全体の列はもう前後にうねってどうしようもないとか。
⚫️チェンライでも,夜7時ごろの土曜市に行けば雑踏を見ることがで
きる。一応,左右一方通行になっているのだが、途中で止まるグルー
プもいるし,何といっても歩く人がノロいし,追い越しもままならなく
てイライラする。
イライラするということは日本のペースを基準に考えている,言い換
えればまだタイ化していないということだ。
それでも日本に戻った時、駅のエスカレータの乗るとき一瞬、逡巡
して、あるいは車内でつり革を持って立つ位置が微妙にずれていて、
若者に「チッ」と舌打ちされたことがある。
異国に住んで何かを得ると,母国の何かを失うというが、まだどっち
つかず、中途半端に得失経験を繰り返しているようだ。
⬛️センスのいい日本
⚫️異文化に慣れると言えば聞こえはいいが現地生活が長くなってく
ると、日本人らしさが一部失われる、これは実体験からも言える。
東京や横浜に行くと,歩く人々が洗練されていて、センスのいい衣服
に身を包んでいる。髭を生やした熟年もいるが、サマになっている。
チェンライでも髭の熟年を見かけるが、無精ひげまがいでむさくる
しい。
⚫️週末にサンサーイ市場に出かける。
今日は1着35Bの長袖シャツやカーディガンを売っていた。もちろん
古着だ。古着でもいいものは100B, 安くても60Bはするから1着150
円ならお買い得だ。でも古着でデザイン,柄で、これはというものは
見たことがない。新品でもそれほど値段は変わらないのだが,日本な
ら絶対誰も買わないというようなケバケバしい原色や 著作権侵害の
クレヨンしんちゃんの 図柄のシャツが 売られている。南国のせいか
鮮やかで派手な模様が好まれるようだ。
バンコク駐在から帰国したある奥さんは、着るものタイ風に 派手に
なっていて,日本の友達に「あなた それ,浮いているわよ」と 注意さ
れるまで気が付かなかったそうだ。
⚫️自分も池袋のメトロポリタンで待ち合わせをしたとき、比較的明
るいオレンジ色の長袖シャツを着ていった。友人は 向かい合うなり
「そのシャツ、何とかならんのか」派手過ぎて 高級ホテルのラウン
ジにそぐわなかったらしい。
また,チェンライでは正装と言われている「モーホーム」という藍染
めの上下で銀座に行ったことがあるが、友人たちからは 評判が悪か
った。いくらタイの礼服と言っても 乞食坊主の作務衣にしか見えな
かったらしい。銀座の高級割烹だったのに サンダル履きだったしな
あ。原色シャツやモーホームで頓着しないところが,もう日本人とし
て何かが欠落している証拠なのだろう。
⬛️腹が立つことも
⚫️日本の友人が南方ボケだ,とあきれるくらいだから, すでに異文化
に馴染んだ生活を送っているともいえる。清潔で安全,安心、決めら
れたとおりに物事が進んでいく、そういった生活は素晴らしい。
その意味で日本に暮らすことが日本人として一番いい。でも美人で
気立てのいい奥さんがいても不倫に走る男がいるように人間は 勝手
なもので、どこかに青い鳥がいるのでは,と夢想しがちだ。
⚫️男も女も短パン、Tシャツ,ヨレヨレの小汚い年寄りもウロチョロ
している市場で,このナッパが10B? 確かあっちの店では5Bだったよ
な,今日はネズミの開きを売っていた,アリの佃煮は小皿一杯で20Bか。
洗濯済みではあるがTシャツに短パン, 週5日のテニスで顔と腕はタイ
人並みに黒光りしている。道路を逆走してくる バイクや車にも 驚か
なくなった。
あまり公言すべきことではないが、自分だって適当にUターンをする
し, バイクで逆走することもある。テニスコートで バナナの皮をコー
トの外の草地に投げ捨てる。
でもコート内に捨てられた 汚いグリップテープを見て 腹が立つのは
まだ日本人の礼節が残っているからであろうか。
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