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■タイロングスティ特集

2011-09-10 | ●タイロングスティ
■■■■■■タイの山岳民族とタイのNPO■■■■■■
 
日本のロングスティヤーの社会貢献の対象先となったタイの山岳民族の子ども支援を
テーマにしながら、中進国へと発展を続けるタイ国の民族問題とNPOの活動を検証
したい。
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 タイ山岳民族の行方
いまを去る10年前、タイは,いまだODAを受ける後進国であった。
そしてタイの北部や北西部地方の農村地帯には、伝統的な習慣文化を持つ山岳民族が
多く暮らしていた。
 
 
これらの山岳民族は、カレン族、アカ族、モン族、ラフ族、リス族 など11部族に分かれ、
話す言葉もや習慣も生活様式も夫々異なっていた。
中でも、モン族の主力は、いまのビルマと、タイの中央部の平地に住み、6世紀辺りに
ドバァラバァティー王国を築いた東南アジア最古の民族のひとつだった。


(タイ山岳民族の子ども達の伝統的な祭り衣装)

哀れ、暫定滞在生活者」
●当初、平地に住んでいた少数の山岳民族は、多くのタイ人との生活様式や習慣の違いから、
差別的な偏見に苦しめられ、やがて山岳地帯に逃れて、生活するようになったとされる。
そして、これら山岳民族の約40%が「暫定的な滞在生活者」と言われる浮浪の民だった。

 
●そのためか、タイの国籍を持たない者が多く、
・タイの正規教育が受けられない
・タイの医療サービスが受けられない
・タイ国内での就職が制限される。
・タイの市への移動が制限されるなど、生活者として屈辱的な制限を受けることが多かった
 
●血気に走る若者達は、山を降りて都会に往き、売春や恐ろしい麻薬にはまる。
その結果、国籍なき子どもたちが増え、タイ政府もその対策に苦慮した。
特に、急速なエイズの蔓延は、世界の恐怖を誘った。
 
 
NGOやNPOの子ども支援」
その頃、タイの山岳民族や国籍なき子ども達の救済のために世界のインターシップ
NGOやNPOが、あい呼応して立ち上がった。
日本はもとより、米国、ドイツ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、英国など、
直接山岳地帯へ入り込んで支援活動が始まった。
 
●JTIROロングスティヤーのボランティア活動も、山岳民族への支援活動として始まった。
人権問題と絡んで、多くの世界のNPOやエコ団体が、協働支援活動の轍をげることになる。
 
先進的なタイのNPO」
●タイは、世界でも最もNPOやNGOが活躍する国のひとつとして知られる。
そして、タイは古くから、日本の一歩先を行く「NPO先進国」だった。
その理由には、タイの国民が敬虔な仏教徒であることと、歴史的な王権が確立している事
が背景にあった
 
後にエイズが国中に蔓延し、政府の医療予算が枯渇して,事態は日増しに深刻化した。
政府や行政の力が及ばず、どうなるか危惧された時に、ついにタイのNPOが立ち上がった。
まず、
その根本的な病巣である貧困問題と、農村部の教育水準を引き上げる事に着目、
政府に
代わって、積極的に変革の大きな役割りを担ったといわれる。
 
タイNPOのT・バード運動」
寄付金を集めその資金で 多数のの寄宿舎つき学校を建設した。
そして山岳地帯の子ども達や、貧しい農村地帯の子ども達を収容していった。
周辺の農地を手当てし、農場を作り、正しい農業のあり方や作り方を教えた。
そして、収穫物を市場で現金化して、子ども達に配分し、自立を促した。
やがてタイのNPOの素晴らしい仕組みが、」あちこちで動き始めた。
エイズもようやく収束の気配を見せてきた。タイのNPOの果敢な活動は、タイの国を救った。
 
これらのタイのNPOは「負の連鎖」を「正の連鎖」に代えて、タイの山岳民族の子ども達に
 人間としての生きる希望と自信を与えた。
これが著名な「Tーバード運動」と言はれるもので、タイ国の近代化に素晴らしく大きな貢献の
 足跡を残す事になった。
世界でも、NPOがこのような国家レベルの社会貢献事業を成し遂げた事例は初めてと思う。
 

(写真は、私たちを歓迎してくれた暁の家の在寮生たち)
 
●このタイNPOが成就した「Tーバード運動」の旗手的な存在が、実は2つの日本人による
山岳民族の子ども教育支援プロジェクトであった。
 
①「暁の家」(主宰・中野穂積さん)
②「さくらプロジェクト」(主宰・三輪隆さん)
 
●私は、一昨年JTIROのロングスティヤーと一緒に、中野さんが主宰する「暁の家」を訪れた。
山岳少数民族の塾生達と
交流し、改めて中野穂積さんの活動の偉大さに感服した。
中野さんが青春を賭けた25年に及ぶタイ子ども支援プロジェクトは、いまも不滅である。
 
タイ国のエイズ危機を救った世界的なタイNPOの「T-バード運動」の旗手が、
日本女性の中野穂積さんだったことを知り、日本のNPO関係者の一人として、限りなく
誇りに思っている次第ある
 

暁の家の概況
●因みに、この「暁の家」ルンアンプロジェクトは、1987年に始まった。
その後、高地民教育がスタートし、19994年には、ルワンァル奨学金制度が発足、1995年に
新しい生徒寮
暁の家」が開設された。

●恵まれない山岳民族の子どもたちの自立教育と生活改善のために、
青春の全てをかけた日本女性中野穂積塾長の苦闘と努力と英知が、こうして華開いた。
いまや、タイ北部の社会貢献施設としては、「暁の家」の右に出る存在はないと聞く。
暁の家」のWebサイトは、http://www.rungarun-akatsuki.ednet.jp

「タイの先進NPOに乾杯」
●タイはいまASEANの中核国として、日本最大の友好国として経済発展を続けている。
タイのNPOは、タイの深刻な社会問題と果敢に対決し、救国の役割を果たしてきた。
タイのNPOの先進性に、いまもさまざま学ぶところが多い。 (山田清之)                                                                                                                               

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「暁の家」の子ども達の支援をかねて、ここをを訪ねる日本の人達が後をたたない

 JTIRO会員で、豊田市観光協会幹部の安藤さんが、去る2005年に中野穂積さんの
「暁の家」で、オカリナコンサートを開催した。。
そのときの感動のエッセイを安藤さんに寄稿いただいた
 

■■■■■■オカリナの響き■■■■■■
         豊田市 安藤 悠

 ● 傾きかけた夕陽の日差しのなか、人々がゆっくりゆっくりと集まってくる。
シートに座る人、プラスティックの椅子に腰掛ける人、開演時刻など意に解さな
いのんびりした動作が続く。
さすが南国タイである。
動きが途切れるのを見計らい開始が告げられた。
 

●チェンマイの町に素朴で澄んだオカリナの音色が流れだした。オカリナとはイタリア語で
“ガチョウの子”を意味する。

現在のオカリナ原型はイタリア・ブートリ地方のお菓子職人が製作した土笛だそうだが、
この演奏会でのオカリナを聞く限り、明るく陽気なイタリアのイメージは思い浮かばない。
誰もが南米アンデスのフォルクローレを思うだろう。

●70年代にヒットしたサイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」の笛の音色だ。
イタリアの楽器とは以外である。

2004年12月、私達はたいの子ども達におんがくえおプレゼントしょうと、オカリナ奏者でで
ありギター奏者でもあるKさん
を連れてここチェンマイまでやkってきた。
タイの子ども達は鐘や太鼓や鈴の打楽器の音に囲まれて育っているから、果たしてプレ
ゼントを喜ぶかどうか不安があった。

 

私達とは、豊田市のボランティアグループ「ほづみ会」のタイ・スタディツアーのメンバーで
ある

今年で11回目にあたり、毎年10日から2週間程北タイ山岳民族の中高校生約50
が寄宿する「暁の家」を
訪れ交流を深めている。
「暁の家」はチェンマイから、更に約100キロ北上したウイエンパパオと言うまちにある。

私にとって3年ぶり2度目のツアーだ。
2年程前から私は日本を離れ、タイ・ラヨン県にある日系企業に勤務しているので、
ボラン
ティアの皆さんとは
久々の懐かしの再会となった。
コンサートはチェンマイ、ウイエンパパオなどタイ北部の町や村の7箇所で開かれるが、仕事
の都合で私が参加
できるのは最初の3日間だけだ。

晩のチェンマイ出の演奏会は、タイの人々がオカリナにどう反応するかをしる試金石だ。
翌日は子ども達へのプレゼント第一弾として,市郊外にあるsとリートチルドレンの施設「緑の家」
を訪問する。
「暁の家」の子ども達の様子は、後日参加メンバーから教えてもらうことにしよう。

 チェンマイコンサートの会場には、市の中心を少し外れた小さな本屋さんのうらの空き地が
準備されていた、
ステージは煉瓦敷きの少し傾いたお店のテラス。
観客は空き地の芝生に広げたおおきなシートとそれを囲むようにならべられた赤、青、白の樹脂
製イスに座って
貰う。なにもかも手作りのミニコンサートだ。

辺りはすっかり夜の帳に包まれ、空き地に集まったタイ人、日本人さんが導く世界にひきこまれて
いった。たぶん多くの人は
オカリナなど初めて知る楽器だろう。そして初めて聞く音だろう。
Kさん自身による日本の四季、日本の情景をテーマとするオリジナル曲が次々と演奏されていった。



●音色は聞く人の心にやさしく穏やかに、時には寂しげに語りかかけ、そして、夜空に舞い上がって
いった。
特に決められた役割りがない私は、
オカリナの音色に安らぎと幸せを感じ、束の間ではあるが
仕事からの開放感に浸った。
タイの人々には、日本の四季や情景はイメージしにくいとしても、聞き入る表情から、心が癒され、
さわやかな感動を得ていると思った。

●「子ども達への音楽プレゼント」はうまくいくだろう。
スタディツアーは成功するだろうと確信した。
Kさんの立つテラスのステージにはローソク、
客席の周囲は棚に縛り付けた小さなドリンク壜に入った火縄が灯っている。
私はコンサートの修了まで灯りが絶えぬよう、その都度火縄の取替えをタイのスタッフに
伝えた。 
それは、タイの人々の心にオカリナの響きが絶えないよう願うことでもあった。   

 

 

 

 

 


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