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■■■■■■日本の介護の現実■■■■■■
(なぜ,タイで介護を!)
中西英樹
タイチェンライ市在住、ロングスティヤー
■■日本の介護」
●「介護」という言葉や文字に接しない日はない。確かに介護問題は
日本の重要課題である。しかし年を取ると誰でもボケて, 寝たきりに
なって介護を受ける身になるのかというとそうではない。
平成4年に行われた「認知症高齢者年齢別出現割合」という 調査に
よると、80から84歳の人のうち、認知症患者は14,7%にしか過ぎな
い。85歳以上になると27.3%と跳ね上がるが、現実は 大部分の老人
はボケてもいず、介護を必要とはしないのだ。
認知症は、アルツハイマー型と脳血管性認知症に分けられる。認知
症の半数が脳萎縮を伴うアルツハイマー型認知症だ。
■■83歳の母の病状]
●83歳の母は、アルツハイマー型認知症である。
現在、要介護度3。この病気はゆっくりではあるが必ず進行していき、
ゆくゆくは寝たきりになる。多分治らない。治るのであったらレーガ
ンさんやサッチャーさんは、引退後でも大いに活躍したことだろう。
側頭葉が萎縮しているので人格が変わり不安感から一日中、おなかが
痛いといい続けている。異常行動もあり目が離せない。
手がかかるためデイケア(日中預かってくれる老稚園)も、お風呂に
入れたらすぐ家に送り返してくる。少ない人数で多数の老人の面倒を
みなければならないデイケアの会社としては仕方のないところだ。
●家で母の面倒を見ているのは、主として兄、そして従として自分で
あるが、いずれにしても老老介護、日中のみならず夜中に何度も起き
て世話をする兄には限界が来ている。
介護度が高くなった老人を抱えた家庭の取る道はというと、施設、ま
たは病院へ老人を送るということであろう。
●実は2ヶ月の予定で、母をある老人病院に「検査入院」させたことが
ある。体にあったクスリを見つけてもらうためである。ところが食が
細いから、とすぐ点滴され、チューブを自分で抜かないようにとベッ
ドに縛りつけられてしまった。
点滴が入らなくなったら鎖骨あたりを切開して静注だという。これで
は本当に寝たきりになってしまう。あえてて半月足らずで退院させた。
家ではちゃんと食事も取り好物のビールも飲むようになった。
●老人用介護施設に入居するは、高額の入居料と月々の費用がかかる。
母の場合、問題は費用ではない。騒ぐ認知症患者は手がかかるため
通常の施設には受け入れて貰えないのだ。
自分の見るところ、デイケア施設、老人ホーム、病院では一斉に食事
をし、同じゲームをし、大人しく人の言うことを聞く羊のような老齢
者を主たる対象としている。
家族が本当に介護を必要とする、騒いだり、問題行動を起こす老齢者
を喜んで迎えてくれるところを探すのは難しい。
■■チェンライでの介護の取り組み]
●毎年のようにタイに行くようになって10数年経つ。
ここ数年は北部タイのチェンライ(バンコクより北に800キロ)を訪
れることが多い。そこで友人となったHさんは、介護が必要となった
お母さんを日本から引き取り、最後を看取った。
お母さんの亡くなる2週間前にHさんのお宅に滞在していた。朝、登
校前に近くに住む小学生のタイ少女がやってきて 不自由なお母さんの
背中を一生懸命さする。
意識がはっきりしないお母さんも、そのときは表情が和やかになるの
だった。
やはり介護は、子供を含めいろいろな人の中で行われるのが、本質で
はなかろうか。しかし日本ではもはや大家族で、あるいは地域で介護
を支えることはできない。また高コスト構造がきめ細かい介護を不可
能にしている。
●タイは大卒の初任給が1万バーツ(2万6千円)の国だ。
現金収入の少ないタイ北部では女中さんの月給が3千バーツ、介護士
を頼んでも月7500バーツ(2万円)だ。
母の介護問題を前にして、背中を無心にさすっていた少女のことが蘇
った。日本に東南アジアの看護師、介護士を招請する政策があるのな
ら、コストと受けられるサービスの質を考え、こちらから東南アジア
に行って介護を受けるという方法も、グローバリゼーションの世の中、
当然のことではないだろうか。
●日本で病院施設に入れるは我々にとって、母を棄てることに他ならな
い。タイであったら多くの人の中で、好物のビールを飲みながら、のん
びりとした余生を送ることが出来るだろう。それが老い先短い母にとっ
て幸せではないのか。
というわけで「年金で出来る老親の完全介護」をチェンライで実
践する事にした。 (続く)
■中西英樹さんのプロフィール■
中西さんは、大手化学メーカーを退社後、
JICAのシニアボランティアとしてウズベキスタンに大學教授として
赴任。帰国後、母上を伴いその介護ケアーのために、タイ最北部の古都
チェンライに在住中。
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