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■■■■■■■■■■■武士道の極意■■■■■■■■■■■
松本光弘
筑波大学名誉教授 ・元 日本サッカー協会理事・元 筑波大学蹴球部監督
■■「武士道との出会い 」
● 私が精神性を語る時、どうしても取り上げなければならない本が
ある。 それは新渡戸稲造著の「武士道」である。
これは東京オリンピック決定後の1960年、日本初の外国人コーチとし
て西ドイツから招聘された D・クラマー氏が 当時 長沼健、平木隆三、
岡野俊一郎各氏が率いるサッカー日本代表選手に対して 「大和魂」に
ついて語った事からサッカー界を中心に注目されたことと深く関連す
る本の題名である。(英文「武士道」)
この本は、もともと著者が欧米人から「日本人はなぜ精神的な支えと
なる特定の宗教をもたないのに、自分達を律していけるのか」という
意味の質問を多く受けたのに対して著者が「欧米の人たちに日本人を
理解してもらう為に英文で書いたのがこの「武士道」だ」と説明した
事がこの訳本の前書に記されている。
●当時、私は D・クラマー氏が英文で書かれたこの「武士道」の本を
読んで日本人を理解し「大和魂」という言葉を使ったのであろうとし
て いた。 この事について私は当時D・クラマーとご一緒することが
多かった岡野俊一郎氏(故人、元日本サッ カー協会会長)を通して確か
めようとしたが、その真相はわからなかった。
後日(1973年)私はFIFA主催の第3回アジアコーチングスクール
(テヘラン)でD・クラマー氏の指導を直接受ける機会に恵まれ親し
くお話を伺えるようになった。
このD・クラマー氏の「大和魂」と新渡戸稲造著の「武士道」との関
連についての私なりの心のわだかまりを私は彼に直接お尋ねした。
彼の答えは「否」であった。それではD・クラマー氏はどこで「大和
魂」という言葉を知ったのか、私には長年抱いていた大変興味深い問
題であった。
私は機会あるごとにいろいろお話をお伺いしたが直接のお答えは得る
ことができなかった。ただ一つ彼が日本に来られる前に日本について
の知識と興味を持っていたのは、彼のお父さんがガーディナーであっ
たとのことである。そのお父さんが所持していた書籍の中に日本庭園
の本があってそれを見て日本にたいへん興味を持っていたとのことは
彼の口から直接伺った。それを裏付けるものとしてD・クラマーが来
日当時からごく親しかった朝日新聞記者中条一雄氏の書かれた文章の
中に父親がガーディナーであったことを発見し、その事実を再確認し
私はたいへんうれしく思った次第である。
●それというのも 私の生家は植木の産地である川口市安行である。
造園業を生業にしてきていた。D・クラマーが来日当時から日本に芝
生のグラウンドを多く造ることを提案した時私は直感的にサッカー、
芝生、造園のキーワードで芝生のグラウンド建設は私の使命と自分に
言い聞かせて今日まで来ている。
いずれにしろ私たちは戦後、あまり考えたり言葉にしなかったあるい
はしたくなかった「大和魂」という言葉を当時西ドイツから来られた
外国人サッカーコーチから突如として聞かされたことに対しては強烈
なショックを受けたことは事実である。(トルシエ元日本代表監督)
●話はとび、アジア初の2002年FIFAW杯が日本と韓国の共催
で開かれた。この時の日本代表監督はフランス人のフィリップ・トル
シエ氏であった。彼が日本代表監督として日本に来られてまもなく、
私はJFA(日本サッカー協会)の役員をしていたこともあり、例の
新渡戸稲造著の「武士道」の原著(英文)を筑波大学中央図書館で著
作権が外れていることを確認しコピーしトルシエ氏に手渡した。その
後トルシエ氏からその本の感想については聞いていない。
●1996年の夏、筑波大学蹴球部の一部の部員が学内で施設の利用規
定違反で部長から大目玉を食らった。私は指導者として責任を感じ蹴
球部の規律や規範について如何にすべきかを考えた。私たち筑波大学
蹴球部は1896年創部ですでに100年をゆうに超えている。
この間私たちは規律や規範については一切文章にしていない。暗黙の
了解で蹴球部は運営されてきているのである。
その年代、その社会情勢、その時々の常識としての規律や規範でこれ
まで蹴球部は運営されてきている。何も成文化しないでこれまで綿々
と歴史を繋いできている。これが誇りであった。この不祥事の時の私
の判断はこの機会にここで一度本気で彼らの規律、規範、モラルにつ
いて確かめ合おうとの覚悟であった。
その時思い出したのが新渡戸稲造著の「武士道」の本であった。
(著者、新渡戸稲造)
●新渡戸先生は外国人に向けて日本人の精神性を説いたとのことであ
るが、今現在の日本の若者に対してはどのような受け止められ方をさ
れるのか。またこの本を読むことによって古来の日本人の精神性に少
しでも気付いてくれることを期待しながら、160人ほどいた全蹴球部
員に一冊づつ購入し感想文を提出することを条件に渡した。
合わせて一流とは何か。私が日頃心にとめていた内容の多くのヒント
を与えてくれていた宮本武蔵の「五輪の書」を付け加えて全員に贈呈
した。(講談社)
この五輪の書も武士道と共に私がこれまで大切にしてきた書籍であっ
た。将来エリートとして活躍してほしい彼らに何かこの機会に学んで
ほしいというのがこの当時の私の願いであった。偉大な先人たちから
私たちは多くの事柄を学ばなければならない。自分の指導力不足を何
とか先人たちの書物を通して気付き、学んでほしい。
その願いからその時私が選んだのが、 新渡戸稲造著の「武士道」と
宮本武蔵著の「五輪の書」であった。
おりしもこの時は超多忙の最中で、感想文を全員から回収できなかっ
たことは今更ながら悔やまれる。しかし今考えると 当時の蹴球部員の
いろいろな精神的側面を垣間見ることが出来たことは有意義であった。
それぞれの感想文には、この本を強制的に読ませてその感想文の提出
を強要したとする 指導者である私に対する批判も含まれていた。
いま思い返すと 想い出 に残る1996年の一部の蹴球部員の良からぬ出
来事であった。
●この「武士道」と「五輪の書」の内容について私が読んで受け取っ
た精神性と、当時の若い彼らが受け取った精神性にはすくなからずの
違いがあつた。 端的に言うと私が同意した部分と、若い彼らが同意で
きた部分とでは本全体で相当な部分で相違があった。
また私がこの本の内容に対して同意する内容、即ち彼らに気付いてほ
しいと期待した本の内容を彼らは少しばかり違って受け止めるところ
もあった。そのような違いを、私は感じ取り日本人だから同じ考え方
であろうと思っていた事柄がそうではないことを確認し、これが世代
や年代や時代による違いかと私自身が気付く結果となった。この時思
ったことはもっと日本の武士道について学び、部員たちと話し合う必
要があるとの反省に立ち次なるステップに進みたかったが、そのまま
日時が過ぎ去り今に至っている。
■■「勝つ事は生きる事」
●この精神性の理解の私と彼らの違いになると、勝ちへのこだわりが
最初に心 に浮かぶ。「なぜ先生はそんなに勝ちにこだわるのですか」
こんな質問や言葉が、何度となく学生ばかりかいろいろな人達から私
は投げかけられた。
そんな時、私は必ずその人に、
・「何故あなたは生きているのですか?」と尋ぬる。
・それは勝つと言う事は生きると言う事に通じると考えるからである。
私は筑波大学で同僚であったバスケットボールの著名な監督と話す機
会が多くあった。この方もこの少々極端と思える内容について話して
いた時、 二人の意見は全く違わなかった。
スポーツの世界での勝ちへのこだわりの源泉は、
・負けることに対する恥、
・羞恥心、
・屈辱、
・プライド。
・家族や集団や社会の代表としての 使命感。
・宗教や民族意識の精神性。
その他にもいろいろある。
●これらはすべて自らの身体の内から湧き上がるものである。生きる
ということも自らの身体の中から湧き上がるものではなくてはならな
い。そう考えると勝つことは生きるということに通じる。
私が63歳の定年を迎え筑波大学での最終講義でこの話をしたら、講義
を聞きに来てくださったある先生の私が日頃親しくお付き合いしてい
る奥様が「まさか」と私に言われた。 たぶん日常ではあまり考えられ
ない表現であったようである。
●東日本大震災の惨状/(写真:時事通信)
しかし今年11年目を迎えた3.11 東日本大震災に遭遇した方々の2011年
3月11日午後 2時46分以後のあの姿やその後の日常を見ればそのことが
非常に鮮明 に判る。 あの惨事の真っただ中全ての人々の行動は無心。
ただ目の前の迫りくる津波に対して、ただただ衝動的に行動をする姿
を映像で見た時、果たしてこのままこの映像を見ていて良いのだろう
かと 自問したくなるような切羽詰まった情景が現実にあったのだ。
この情景をスポーツの世界に置き換えることはできない。しかし、私
たちは何かで学ばなければこのような切羽詰まった状況下での的確な
判断はできない。それがスポーツの世界では疑似といわれればまさし
く疑似である。しかし、人が生きるか死ぬかの瀬戸際での判断は、過
去におけるそのような経験や体験が非常に重要な要素となることは容
易に想像できる。
●ではそのような経験や体験はいつどのような時にできるのか、ある
いはすることができるのであろうか。
そこにスポーツという世界が重要な役割を担うと私は考える。オリン
ピック・パラリンピックやワールドカップのあの自分自身の身体を酷
使してただただ勝利を目指すあの姿、あの精神、極限状態で何かを求
める人間の姿そのものである。スポーツの世界ではそれは極限の美に
映る。
しかし それが3.11など現実の世界では極限の地獄となる。そのような
事は日常生活ではあってはならない事である。絶対あってはならない
事である。 それが11年前の3.11の惨事が天災でなく人災であったとも
言われている。
もし人災であったのであれば--
・二度と繰り返えしてはならない事、
・絶対に忘れてはならない事
である。
このこだわりと反省と覚悟を後世に残さなければならない。勝ちへの
こだわり、ここでもこだわりがでてくる。継続は力なり、とよく言わ
れる。
継続は記憶でありこだわりである。
・ものにこだわる、
・忘れてはならない気持ち、
・諦めない心、
・持ち続ける頑張り、
・すべての勝つことへの克己心
とも言える。
極端ではあるが勝つことは生きることに通じる。
●去る2022年3月13日、私は 福島県浜通りにあるJ・ヴィレッジに
つくばから常磐線で3時間かけて行ってきた。
一つは新しく開設されたJヴィレッジ駅が見たかったことである。
いま一つの目的は、第36回デンソーカップチャレンジサッカー福島大
会最終日のイベント見学であった。全国の大学地域対抗戦の決勝戦が
メインの試合であった。
このJヴィレッジは11年前の3.11の福島第一原発事故処理の最前線と
して自衛隊と東京電力が使用していた場所である。
今回のデンソーカップ大会中の3月11日午後2時46分、デンソーカップ
大会参加の全選手、役員、関係者が宿舎前のピッチに集合し、一分間
の黙とうを捧げたとのことである。関係者の心配りに心から感謝する
とともに若いサッカー選手たちにいつまでもこの歴史に残る大惨事を
記憶にとどめてもらいたいと願っている。これが現在に生きる者の責
務である。
今後どのように原発事故の後処理が終息していくか、このJヴィレッ
ジ建設の立ち上げに関与した私の最も大きな関心事でもある。Jヴィ
レッジの誕生に関する話題は、いつか私が書き残しておきたい課題で
もある。
●「事に当たる時の心構え」
・今しなければならない事。
・後ですればよい事、
・いま決断しなければならない事、
・後で決めればいい事、
ここで言う「後」という意味は、
・明日。
・明後日
・一週間後
・一年後、
・十年後、
・百年後一世紀後、
天災であれ人災であれ、 3.11の時のような極限状態に決して人々を
遭遇させてはならない。
そのための対策は、あるいは対処は・・・
・予知、
・予測、
・予防、
・準備
・対応、
これは温故知新にある。
将来は過去から現在に至るその延長線上にある。それを他人任せでな
く、人々が多かれ少なかれ自分の事として 受け止めなければならない。
サッカーの世界でチームを育成し、強化するとはとりもなおさず不測
の天災等に対応することの訓練にも通じる。これから起こるであろう
事柄に万全の対応をするという心構えこれが大切である。
上記の事柄はそのほんの導入部分の考えを示したものである。育成・
強化は天災に対する対処にも通じる。
■■[エリートの気概」
山岳登山家 植村直己
●私はこの人の行動や著書から多くの感銘を受け、多くのことを学び、
多くのことに気付かされた。 冒険家、それは過酷への挑戦,極限状態
へのあくなき同化、限界へのチャレンジであり人間の可能性の追求で
もある。外界から観察すると全く理解が出来ない部分がある。しかし
植村直己はあえて単独でこれを行うことを多く望んだ。
●単独で極地を往く植村直己(写真:時事通信)
もしこれを二人(複数)で行う世界であったらどのようなものであっ
ただろう。植村直巳の隣にもう一人の違った植村直己がビバーグして
いる。そんなときの二人の精神状態はどのようなものだろうと考えて
みる。
きっとどちらかが主であり、どちらかが従となっていくのであろう。
・単独から複数へ、
・複数から単独へ。
単独は自分ですべてを決めればよい。しかし、複数では役割とその分
担が必要になってくる。 そこにエリートの気概の必要性が生まれてく
るように思える。
●エリートとは何か。世の中におけるエリートの必要性は何か。
これについて今後もう一度考えなければならないと思っている。
植村直己は、まさに冒険家、アルピニストのエリート中のエリートと
いって良い。エリートとは何も少数の人の呼び名ではない。
その気概を持った人をエリートと呼ぶ。自分があるいは自分たちが何
かを背負う、背負っていく気概を持つことが大切である。
俺たちが率先して行う、そのような気概を持った人がエリートと呼ば
れるにふさわしい。 その気概を持った時、その人をエリートと呼ぶ事
が出来る。その気概をいつまでも持つ人は、エリートの中のエリート
と呼ぶにふさわしい.
サッカー選手の場合も勿論、他のスポーツ選手もこの気概を持って日
常に当たる選手をスポーツにおけるエリートと言う。 そのエリートの
気概にこそ、日本の「武士道」に通じる気脈を感じる。
●最後に私が大切にしている成熟した人間とは・・・
① 自分自身の他に自分の力を注ぐことができる対象を持っていること。
② 自分の行動を客観的に見つめることができること。
③ 自分が接するさまざまな問題を総合的に理解し、自分の活動のすべ
てになんらかの意味と価値を見いだすことである。
■■■■■■■■■■関連 資料■■■■■■■■■■
⚫️新渡戸稲造の「武士道」とは、侍の国として知られていた日本が
近代国家として歩みだしたなかで、キリスト教など宗教による道徳心
が確立する欧米での経験を踏まえて、新渡戸が武士道による崇高な日
本の道徳心について、欧米の人たちに啓蒙するために書いた英文の著
書である。(発刊、明治33年1900年)
武士が重んじた7つの要素は、近代日本人の道徳観として残され、
連綿と受け継がれているという。
・武士道を海外に広めた新渡戸稲造、
・日本柔道を極めた嘉納治五郎、
・日本の美的伝統物を残した岡倉天心、
など武士文化を通じて日本の武士道を内外に啓蒙し、日本の伝統
文化の神髄を世界に広めた武士道3偉人の功績は余りにも大きい。