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■■■チェンマイ慕情(4)■■■■■■■■■■■■■■■
■「農業国から工業国へ」
●タイは、今でこそ東南アジア屈指の工業国だが、戦前までは伝統的な
農業国だった。タイの北部や東北部イサーン地方は、今もトウモロコシや
米の農業が盛んである。 なかでもタイ米は、タイの重要な輸出産品であ
る。
一方 チェンマイを中核とした森林業では、建築やインテリアの高級材とし
てチーク材が 世界的に重用されてきたが、農地の拡大によって、その森
林面積は急減に後退した。
加えて 1997年の通貨危機以降、タイは工業国へと大きく変身し、1人当
たりのGDPでは、5000ドルを超える中所得国に変わった。
■「一村一品事業(OTOP)の行方」
●しかし 工業国への転身が進むなか、農村地帯や山林地帯を抱える北
部地方の近代化は、タイにとつて 次の大きな政治課題と言われている。
タイ政府は,2001年,工業化が進む中で衰退が予測される伝統的な地産
地消的な産品をグローバル市場にデビュ―させるべく 日本で成功した
大分県の「一村一品運動」をモデルにして、新しいプロジェクト「OTOP」
を立ち上げた。
対象産品は、伝統工芸品、ハーブ、農産物、宝石、自然食品、家具、マ
ッサージ、スパなど多岐にわたる。
( タイ国政府貿易センターTTCのOTOP通販カタログ誌1号2号)
●日本では、タイ商務省の出先機関TTC(タイ国政府貿易センター大阪)
が主体になって、2005年、カタログ通販に新規参入を決めた。
但し,当時の市場環境は、まだ携帯電話やスマホはなかった。 当然Web
サイトによるネットワークも存在しない。
消費者に伝えるコミュニヶーショツールといえば、オフイスコンピューターが
ようやく普及を始めたころだった。 当時の状況からすれば、カタログによる
通信販売は、極めて斬新と言えるものだった。
●そのプロジェクトを発想したのは、タイ国政府貿易センター大阪・所長で
領事のパタイ・スックソンマイさんだった。 彼は、笑顔が素敵で有能なタイ
商務省の官僚だった。
九州大学の留学生出身で日本語が堪能、2000年に始まったタイ・ロングス
テイや、日本におけるタイ料理店 の認証制度など、貴重な日本での公的プ
ロジェクトを立ち上げ、偉大な貢献をした。
(昨年、タイ料理のタイセレクト記念会でのパタイ公使、左側)
後に本庁に戻り、再び来日してタイ日本大使館公使を務め、昨年定年退官
した。私は、チェンマイロングスティプロジェクトからご一緒して、ほぽ15年に
わたり、大変お世話になった。
ただ残念だったのは、OTOPの通販プロジェクトが やっと軌道に乗りかけた
矢先、本国でクーデター(政変)が起こり、この事業を放棄せざるを得なかった
事だ。そして本人も、本国へ転勤になり帰国することになった。
(日タイ古都連携匠プロジェクトの記事)
■「日タイ・古都伝統の技の交流」
●古都といえば、忘れる事の出来ない事業企画がある。
予てから懸案の 日本の古都京都と、古都チェンマイの伝統の技を、匠の交
流を通じて実現する事業ある。今を去る13年前2004年の事である。
古都京都の伝統工芸の技と、古都チェンマイのOTOPに象徴される伝統の
技を、日タイの匠の人的なコラボで極めようという試みである。
企画したのは私どもJTIRO(日タイ国際交流推進機構)、主催したのはTTC
(タイ政府貿易センター大阪)、京都商工会議所が協賛した。
ここでも、私とバタイさんの協働が大きく奏功した。
(左から大和さん、草笛さん、浴衣モデルの玉永さん)
●「京都とチェンマイの古都伝統の匠シンポジューム」には、京都を代表して
・和創作の大和夢之介さん、
・照明工芸デザイナーの水野美代子さん、
・草木染め作家の草笛由美子さん
が参画してくれた。
現地チェンマイのタイ政府TTCホールには、チェンマイの匠を代表して伝統
工芸の技能関係者など 約100人が集まり開催された。
古都京都の伝統工芸は、千年の伝承技能が生かされているという。
かたや古都チェンマイの伝統工芸は、タイ王国の歴史と大きく関わるが、俗
にランナー様式の文化が色濃く反映しているといわれる。
異国ながら 同じ伝統文化を担う匠の人達が、歴史と民族と領域を超えて協
働する事は、国際交流時代の新しい試みとして、その意義は極めて大きく
成果が期待された。
●シンポジュームの会場では、日本の草木染による夏の浴衣が紹介された。
その色彩と柄の鮮やかさに注目が集まつた。
浴衣のモデルには、チェンマイロングスティのために同行した玉永浩一さん
が協力出演してくれた。その後、玉永さんは、チェンマイにロングスティの後
NPO・JTIROの現地理事として、長年にわたり日タイ国際交流に貢献いただ
いた。
●こうして日タイ古都連携シンポジュームは成功裏に終わった。
後日、帰国報告会を京都商工会議所で開催した。京都の伝統工芸の関
係者や匠の人たちが集い、翌年からの交流活動について協議した。
■「好事、魔多し」
●ところが、2006年9月、突如としてタイに軍事クデターがおこり、一瞬に
してタクシン政権が崩壊した。 まさに青天の霹靂(へきれき)である。
私どもTIROが推進してきた日タイ国際交流プロジェクトは、全て中断した。
日本人の私どもには、初めての経験だけに、全く取りつく島もない。
携帯電話や電子メールが普及する前の事ある、タイ現地との連絡や事情の
把握に格別苦労した。この現状回復には、ざっと2年を要した。
折角開花した日タイ古都連携プロジェクトは、敢え無く挫折せざるを得なかっ
た。苦労を重ねて構築してきたプロジェクトが、一瞬にして崩落する憂き目を
実体験した。
加えて、タイ政府の業務の引継ぎの仕組みや、タイの政変が 業務に及ぼす
実態に遭遇して、改めて失意を深める事になった。
●タイ政府の出先機関では、所長など責任者が転勤する場合、後任者に在
任中の業務の引継ぎをしない。業務を後任者に引き継ぐ慣習がないと言う。
これは、政府に限らずタイの企業でも同じだという。全く知らなかった。
■「タイの政変と政府組織」
●2006年のクーデターに次いで、2008年には、政権に反対する民衆の
大デモでバンコク国際空港が占拠され、ついに閉鎖に追い込まれた。
2014年には、再びタイ国軍によるクーデターが起きて、タクシン前首相の
妹に当たるシナワット首相が、首相の座を追われた。
軍による暫定政権は、国民に民政化を約束しながらすでに3年を経過する。
クーデターの際には、各省庁は、すかさず事務次官が大臣を代行し、国政
を執行する。そして国がいささかも停滞しないようにする。というよりも、その
ようになっている。大したした仕組みである。
15年に及ぶタイ政府とのお付き合いで、タイの官僚がいかに優秀か、よくわ
かった。クーデターで、政権不在が続いても、大きな国政の停滞はすくない。
タイの国民も、何かしらマイペンライ(何とかなるさ)で、悠々迫らずの気風ある。
繊細な感覚の日本人からすると、計り知れないタイ人の鷹揚さが,羨ましい限
りに映る。
●このように 政情の如何を問わず、タイの国政の実務を担うのが、タイの行
政機関である。過去を振り返っても、第2次世界戦争(大東亜戦争)中、常に
孤高ながら国王と中立を守り、戦後はアジアの盟主として、 その座を占める
事が出来たのはなぜか、
その理由として、英国を範とした伝統的な行政機構と、優れた官僚組織によ
る行政力を挙げる識者が多い。
そこで意外と知られていないタイ国政府の行政機能について紹介しておこう。
■「タイ王国、内閣の組織」
(省庁名) (日本の出先機関)
●内閣府
●内閣官房 (国家経済社会開発委員会事務局】
●国防省
●財務省
●外務省 ●タイ王国在日大使館 ●大阪総領事館
●観光スポーツ省 ●タイ国政府観光庁(TAT)
●社会開発・人間安全保障省
●農業・協同組合省
●運輸省
●天然資源・環境省
●情報技術・通信省
●エネルギー省
●商務省 ●タイ国政府貿易センター(TTC)
●内務省
●法務省
●労働省
●文化相
●科学技術省
●教育省
●保険省
●工業省 ●タイ投資委員会(BOI)
■「省に属さない政府機関」
●国王官房
●宮内庁
●国家仏教事務所
●王室プロジェクト調整特別委員会
●タイ国家研究評議会事務所
●タイ学士院
●タイ王国国家警察庁
●最高検察庁
●マネーロンダリング防止取締事務所
(出所;タイ王国政府官報公式Webサイト)
■「タイの地方組織(県)」
●タイの地方組織は、大きくは北部、北東部、中部、東部、南部の5つに
分類されるが地方行政組織の県は、全国に75県 存在する。
知事は、公選ではなく、内務省の官僚が任命される。
■「タイの国家予算」(資料)
●タイの国家予算は、10月を期初にして翌年9月までの1年間である。、
2017年の国家予算は、約2、9兆バーツ。現在のレート(1バーツ3円)で、
換算すると 約8兆7000億円になる。
因みに日本の平成28年度予算(一般会計歳出総額)は97兆4547億円
である。
■「余談、往来」
●タイ国政府との協議などで、何度か首都バンコクの省庁を訪れた。
主に商務省と観光庁だが、驚いたことがある。
観光庁を表敬訪問した際にも、挨拶した総裁、局長、部長、全てが女性
だった。 しかも、広大なオフイスのほとんどを、女性の職員が占めていた。
タイは、官庁に限らず一般企業でも、女性の幹部登用や社会進出が,世
界の中でも、はるかに進んでいる事を知った。
日本では、いま「働き方改革」で女性の幹部登用が叫ばれているが、友国
タイの女性の社会進出の実態を、ぜひ学んで欲しいと思う。
●今回は、チェンマイに関わる「日タイ古都連携プロジェクトから、期せ
ずして、タイの政府組織にまで話が及んだが、その理由は、日本人に
は珍しい政変(クーデター)について、詳しく触れたかったからだ。
因みに、2006年、2014年の政変は、チェンマイ出身のタクシン首相に
起因するもので、永きにわたってタクシンを支援してきたチェンマイの人
たちが、政変について黙して語らない理由が、よくわかってきた。
勿論、そこには、軍政による厳しい言論規制もあるという。
おりしも日本では、北朝鮮の脅威が叫ばれるさなか、第48回の国政選挙が
始まった。日本もタイ同様、政治不在でも、行政は大丈夫のようだ。
来る22日、明日の日本にとって素晴らしい結果がもたらされる事を 八百
よろずの神に祈りたい。
そして、一日も早いタイの民政化が実現し、チェンマイの街に笑顔が蘇る
日が来ることを期待してやまない。 (まだまだ続く)
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