■■■■■■■■■■時の流れに■■■■■■■■■■
■「チェンマイ余情」
●人の世は、はかない。
3年前の2016年11月、東京ビッグサイトの「ロングスティフエア
―」でご一緒したのが最後になった。
●右橋がチャワカーンさん、左橋がセクシットさん。その隣が私、次がタイ観光庁東京所長、
右から2人目が日タイロングスティ協会事務局長の上東野幸男さん
●先日タイの知人セクシットさんから、チャワカーンさんの訃報
が届いた。惜しい人を亡くしたものだ。
彼は、タイの経営人でありながら、チェンマイ在住の日本人ロン
グスティヤ—のために老齢化による介護の面倒を見ようと、長年
にわたって苦労を重ねてきた。
●私が彼を知っのは、ざっと10年ほど前の事になる。
彼を私に紹介してくれたのは、当時チェンマイ商工会議所の会頭
だったMr.Nakarungkulだった。
私どものNPO日タイ国際交流推進交流機構(JTIRO)は2000年か
ら日本のロングスティをチェンマイで推進してきたが、その活動の
一環として、毎年5月に恒例の訪タイ・ミッションを行っていた。
JTIROの理事全員がチェンマイを訪れ、日本総領事はじめ、チェン
マイ商工会議所会頭や、チェンマイ県知事、チェンマイ市長を表敬
訪問し平素のロングスティ事業協力のお礼と懇親を重ねていた。
その時,チェンマイ商工会議所の会頭から紹介されたのが、チェ
ンマイ国際財団(CIF)CEOの Mr.Chavakamと専務理事の
Mr.Sekisitだった。
●在りし日のMr.Chavakam
●私どもは、ロングスティ事業を縁にして、瞬く間に胸襟を開く
お付き合いが始まり、ともに仕事をする間柄になっていった。
特に専務理事のセキシイットさんは、タイの名門タマサート大学
を出て、日本に留学、帰国後もタイ本間ゴルフの支配人を続けた
という、日本通のなかなか頭脳明晰なビジネスマンで、今もおつ
きあいが続く。
●この時を境にJTIROと彼の主宰するチェンマイ国際財団(CIF)
は、業務提携し、密接に関わり合いを深めていった。
約20年前にJTIROがタイ政府と始めたチェンマイ・ロングステ
ィは、約10年を経て約3000人のロングスティヤ—が、常時永住す
るところまで拡大していた。
●2013年には、チェンマイ商工会議所のビジネスツアー一行が来日、
大阪を訪れて、JTIROとタイ政府観光庁主催の歓迎ミッションを
淀屋橋の阪南大学サテライトホールで開催した。
ロングスティ市場を支える日本のシニア事情の説明や、日本経済の動
向などが話あわれた。
そして新たにタイのプロサッカーに転向するガンバ大阪の多田大介選
手の紹介も行われた。あれから6年、多田選手は、いまやタイのプロ
サッカー界の重鎮コーチとして、多大の貢献をしているという。
●その後、会頭一行15人を高槻の禅寺に誘い、日本伝来の茶の湯で、
おもてなしをした。本格の茶席は、殆どの人が初めてで大変喜んでも
らった。
■「想い出の残像」
●特に思い出に残る事業がある。
JTIROが企画した ASEAN創立40周年記念、外務省協賛事業
の「チェンマイ、日本のお茶会」である。
CIFやチェンマイ商工会議所、タイ政府の全面協賛を得て、チェン
マイのホテルに、タイ北部地方の識者や財界人約250人を招いて、
盛大に行なわれた。
JTIROが日本から伴った茶人は、日本伝統文化のおもてなしとお
茶の趣を余すところなく披露し、多くのタイの人々の心を魅了した。
今も あの感動は忘れることはできない。
●そのあとの9月、CIFとタイ政府観光庁が主催する 「チェンマイ
ロングスティ・ビジネスフォ―ラム」には、日本から私が講師として
招かれチェンマイに赴いた。
●主宰はCEOのMr.Chavakam。
タイや日本の政府関係者や世界の旅行業者、大学のロングスティ研
究者が一堂に会して、定年後シニアの余後を受け入れるライフビジ
ネスの在り方を討議した。本格のビジネスシンポジュームだった。
しかし3ヶ月前の5月、タイに軍事クーデターが起こり、チェンマ
イ出身の女性首相が国外退去になり、ロングスティ関連ビジネスの
退潮が始まった。この時ほど、軍事クーデターが、日本人にとって
タブーである事を思い知らされたことはない。
●加えてバーツ高、長引く円安による予期せぬ現地生活費の高騰が
追い打ちをかけた。そして在住ロングスティヤ—の高齢化による要
介護ケアーの問題が顕在化してきた。
当初予期せぬ、さまざまな問題が多発して、チェンマイロングステ
ィは、初めての難局を迎える。
●JTIROは、役員の高齢化を事由に2015年にNPO団体を解散した
が、多くの読者を持つブログは、代表の私がこれを引継ぎ、継続して
いる。併せてチェンマイ国際財団CEOのChavakamさんと専務理事の
.Sekisitさんとの交友も続けてきた。
●2016年5月には、私とJTIROの理事だった北中さんの二人でチ
ェンマイを訪れ、ChavakamさんとSekisitさん4人で、旧交を温めた。
その時、Chavakamさんが車で案内してくれたのが、チェンマイから
はるか東へ約300キロの「ナン」という小さな古都、その時の思い
出は今も忘れる事はない。
もともと「ナン」は世界的なチーク材の産地で富裕な土地柄だが、私
ども2人の老人を、チーク材でできた立派な地元ホールで、20人ば
かりのシニアの人たちがタイの古典楽器のオーケストラで歓迎してく
れた。
いまだ経験ない出来事に興奮されやらず、しばし 歓迎の古典音楽に酔
いしれた事を今も鮮烈に覚えている。
●左端がCIFのCEOの.Chavakamさん、中央が会頭、4人目が専務理事の.Sekisitさん
●かくしてチェアワカーンさんは、私たちに素晴らしい思い出を残して
逝った。
「時は流れて時と知り,
友は別れて友と知り」
これは作詞家、安久悠さんの歌の一節である。
人間一人の生涯の思い出に比べ、海を越えたお付き合いの思い出は、
何かしら大きく重い。 言葉や習慣を乗り越え、人として親しくする
事の妙味とでも言えようか。
加えて海外の一画に、小さくともある時期、国策ともいえる事業を、
共に心血を注いだという忘れがたい共感がある。
●先日、日本の知人と友人を代表して、次のような弔電を送り、チャ
アワカーンさんの業績を顕彰した。
Mr. Seksitt Akeroungritt
I would like to express my condolences on behalf of many Japanese
friends and acquaintances for the death of Mr. Chavakam.
During my lifetime, I received special efforts for the international
exchange businessbetween Japan and Thailand.
In particular, the Japanese tea ceremony in commemoration of the
50th anniversary of the founding of ASEAN held at JTIRO and CIF
in Chiang Maiin 2014 was a memorableachievement.
I'm really thankful to you. Please sleep peacefully.
Yamada Kiyoshi
JTIRO・JAP
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