■■■■■■■■■■■■■大阪は燃えている■■■■■■■■■■■■
■「大阪力の時代」
●いま大阪が熱い。
・大阪第1位「世界渡航先ランキング2年連続」(米国のMasterCard)
・大阪第1位「訪れるべき世界16地域」(世界最大手宿泊予約サイトAirbnb)
・大阪第1位「日本都市力(138都市)ランキング(シンクタンク都市戦略研究所)
・大阪第2位「世界の住みやすい都市」(英国エコノミスト誌)
世界的に著名なランキングサイトの首位を、ことごとく大阪が独占した。
3年後に日本万国博を控え、商都大阪の熱気がひしひしと伝わってくる。
●大阪の最先端拠点、JR大阪駅前に2年前から建設中の阪神デパートビル
が、美しい45階建ての巨大な容姿を現出した。そしてJR大阪駅の西隣
には、予てより話題の郵政ビルが、建設を始めた。その北側に広がるグラ
ンフロント西地区の大型建設計画も、地上部分の工事に着手した。
●(阪神デパートビル)㊤ ●(グランフロント西側プロゼクト)㊦
コロナパンデミックで一時中断したプロジェクトが、3年後の万博を目指
して一挙に動き出した感じである。
■「突破する力」
●折しも大阪は衆議院議員選挙戦の真っただ中にある。
去る2008年、商都大阪の復活を目指して小さな地方政党「大阪維新の
会」がスタートした。まずは二重行政の無駄をなくし、身を切る改革で新
しい地方自治を目指すために必死に取り組んできた。
戦後の地方統治機構を再整理して、二重行政の無駄を省くという新しい都
構想の実現には至っていないが、地方分権への大きな糸口をつかんだ事は
確かだ。
この10年間、大阪府と大阪市の地方行政の改革は、体制や財政など目に
見えて改善。特に今回のコロナの病床対策では 大阪府の吉村 府知事(維新
副代表)が地方行政の在り方を如何なく発揮して、内外にその存在を明確に
した。
●「大阪府と東京都の比較」
(大阪府) (東京都) (備考)
●(面積)㎞2 1905 2193
●(人口)万人 882 1386
● (人口密度) 4628 6316
● (税収見込)兆円 1,3 5,5 (2019年度)
● (GDP)兆円 39 104
● (上場企業数) 271 1161 (東証1部上場)
●(出典:nippon.com,2019)
●今回の選挙では「日本維新の会」が、初めて全国的に候補者を擁立した。
最近の全国紙の世論調査では、現状11人の議員数から当選30人という
予測の声が聞こえてくる。しかも政党としての立ち位置が, 政権自公の反
対勢力ではなく、常に是々非々で対局する第3勢力として今後の日本の政
局を揺るがすに足る新しい希望の存在になりつつあるという。
大阪人としては、嬉しいに尽きる話である。
●「江之子島」今の阿波座に住む小学生たちが、当時の大阪政府の繁盛
ぶりをPRするため、手ずくりの大判の絵画を創り、地下鉄阿波座駅の
なかに長期間の展示を始めた。大変な評判である。
■「伝統と革新の原点」
⚫️かつての大阪は、「浪速」と称して、江戸時代以降、明治の文明開花
後も、日本の副都心として、またアジアの中核都市として栄えてきた。
文明開花後の大阪の拠点は、江之子島、いまの 阿波座だった。
明治7年(1874年)に、初の本格的な大阪府庁舎が、大阪湾に面するこの江
之子島に建てられた。ここは「江之子島」という町名の通り、かつてこの
地は文字通りの島だった。水都大阪といわれるように、かつて大阪の中心
部、江之子島は木津川と百間堀川とに挟まれた中洲だった。
西洋の古典様式に倣った重厚な建築は「江之子島政府」といわれ、かつて
大阪の行政の中心地だった。
●明治10年当時の教会
そして対岸には外国人の暮らす川口居留地があり、オランダ総領事館はじ
め、洋館が建ち並ぶモダンな街は、新しい文化の発信地だった。先日も周
辺を歩いたが、当時のキリスト教会の建物と一部の洋館と、居留地を告げ
る石碑以外、当時のものを目にすることはできなかった。殆どがマンショ
ンやビルに変容している。かっての面影はない。
大阪府庁跡地には公立の芸術センターがあり個展で賑わっていた。
●大阪人はいま、こぞって「コロナの終息」と「神のご加護」を願っている。
去る3年前の大阪は、年間1000万人を超える外国人観光客で賑わった。
どの商店街も飲食店も、デパートも外国人客の歓迎モードで明け暮れた。
其処に突然のコロナウイールスの襲来で奈落の底に突き落とされた。まさに
どんでん返しである。
あれから3年、2つの政権が代わった。世界はこぞって臥薪嘗胆、我慢我慢
に明け暮れる毎日だった。
それだけにアフターコロナの関西万博開催は、まさに大阪再生の起爆剤と
期待されている。
●夢洲の全容
■「関西万博の概要」2025)
●3年後、開催の関西万博はこの江之子島から南へ現在のUSJ(ユニバー
サルスタジオ・ジャパン)のまだ南にある 大阪湾の人口島「夢洲」で開催
される。
日本政府が勧めるIR(統合型リゾート)の導入については、その第1号が
この夢洲における「オリックスとMGM連合」の企業体に決定した。
大阪市は、地下鉄の延伸や周辺の整備を始める。世界150の国と25の
国際機関の参加が予定されている。
●因みに「EXPO1970の結果概要」
●参加国数:77か国4国際機関6州 3市1政庁
• 総入場者数:6,421万8,770人(うち外国人約170万人)
● 1日入場者数最高:83万5,832人(9月5日[注 4])
• 迷い人:大人 12万7,453人・子供 4万8,190人 )
• モノレール乗客数:約3,350万人
• 売上金額 入場券:約373億6,100万円
o 食堂・売店関係:約525億6,400万円[10]
■「大阪万博の回顧」(1970)
●当時37歳の私は、ある広告会社の企画本部長として東西を奔走してい
た。万博では三井グループ館を担当し、開催期間の前後から約20回位会
場を行き来した。東京オリンピックの直後とはいえ、日本全体の高揚感は
格別だった。
当時の日本の生活周辺環境を整理してお伝えすると、ーーーー
・生活周辺の情報機器は、携帯やパソコンやFAXは未だなく赤電話のみ
・日本の車はトヨタがカローラ、日産がダットサンを発売したところ、
・海外渡航は、認可制で1ドル360円、
・大阪ー東京間は、東海道新幹線の開通で片道6時間が3時間に短縮。
誰もがスマホやパソコンでやり取りし、僅か1時間で東京へ、まさか70
年万博から50年後に、このような夢の世界が到来するとは想像する事す
らできなかった。まさに夢物語である。
●当時,竹やぶ林だった北摂の山田村周辺一体を総合開発し、万博会場や、
周辺の道路、関連施設など、広大な地域を数年がかりで開発し建設した。
そして日本初のモノレール路線(現在の伊丹空港から守口)を開設、いま
では高速道路や周辺は広大な住宅地や商業地に変貌した。
また万博跡地周辺には、世界的な規模のサッカー場や、日タイ文化交流に
大きく貢献した梅棹忠夫博士が提唱した国立民族学博物館や大学院大学が
ある。時の「大阪人の巨大な文化遺産」と言っていい。
万博の仕掛けの中で、驚いたものがいくつかある。携帯電話もパソコンも
ない時の事実である。万博会場に「歩く歩道」が実現し6000万人来場
した世界の人々を驚かした。軌道のないモノレールも然り。和服姿の案内
嬢や岡本太郎画伯の「太陽の塔」も大評判を呼んだ。
●当時の日本は、戦後25年、再独立を果たして18年、新興国に等しい
立場だった。にも拘らず世界的な国際イベントの東京オリンピック、次い
で大阪万博を相次いで呼び込み、大成功に導いた。
世界の驚きもさる事ながら、大阪万博を誘致した大阪人の心意気に感動し
たものである。まさに当時の大阪経済人の意地の結集と言っていい。
実は当時34歳の若き通産官僚だった大阪生まれの堺屋太一さんが、日本
政府を主導し、大阪万博の予算執行や外交努力をしたと聞く。堺屋さんは
後に「大阪維新の会」の発足にも大きく関わったという。もう少し存命し
て欲しかった。
この万博を契機にして、ナショナルやダイハツやシャープやコクヨなどの
企業が台頭し、大阪の知名度は世界にくまなく行き届く事になる。
●ここで「戦後昭和」初期の道のりを辿りたい。
昭和20年1945年 ●敗戦 ・連合国軍による占領統治の開始
昭和21年1946年 ・憲法改正・金融緊急処置令(日本初のディフォルト)
昭和25年1950年 ・朝鮮戦争の勃発
昭和27年1952年 ●主権回復(独立)対日平和条約、日米安保条約発効、
昭和30年1930年 ・大卒初任給,約1万円前後、超インフレで毎年倍増する。
昭和34年1959年 ・当時の皇太子夫妻(今の上皇)の結婚
昭和39年1964年 ●東京オリンピック、東海道新幹線の開通
昭和41年1966年 ・ビートルスの東京公演
昭和42年1967年 ・ASEAN東南アジア諸国連合の結成
昭和45年1970年 ●日本万国博、通称大阪万博の開幕
●回顧とは「心にある記憶の撚りを戻す事」である。
特に戦後昭和は、その足跡を辿るだけでも懐かしい。また心躍る。
(出典:第一生命経済研究所)「日本の経済の推移」2020年コロナ&2021年に続く低迷)
その後訪れる、戦後昭和の終焉、平成の長い不況、そして令和、世界は成
熟の中での発展を模索する道のりが続く。
加えて世界的なコロナパンデミックの襲来。いかにコロナ不況を抜け出し
新しい発展を目指すかが、いま真摯に 問われている。
世界的にSDGs継続性などビジネスの原点回帰が叫ばれ、「三方よし」の
大阪人の心意気が、再び脚光を浴びつつある。嬉しい次第だ。 (山)
■「関連参考資料」(DATA)
●去る2019年には、大阪は約1000万人を超える外国観光客で賑わ
った。2022年からの再開が期待される。
(下記は2019年の全国の記録)
●大阪人に栄光あれ!
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