毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
哀悼
大江健三郎氏が亡くなった。88歳だったという。昭和11年生まれだったから、私の母と同じ生まれ年。と言うことは母も生きていたら、87歳になっていた(大江氏は1月生まれ、母は9月生まれ)んだなあというのが訃報に接して最初に思ったこと。中学高校の頃は敬遠していたものの、大学に入ってからは大江健三郎しか読まなかったと言ってもいい人が亡くなったのにこんな感想しか持てなかった自分にちょっと悲しかったが、それだけここ最近は大江健三郎と疎遠になっていた証左なんだろうなとも思った。
このブログで大江氏について書いた文章がどれだけあるか検索してみた。すると、何冊かの作品についての感想を記した記事がいくつかあったが、どれも余り評価していないような書きぶりばかり。確かに「晩年様式集」というほぼ最後の小説も読み始めてみたものの半分くらいでずっと放置してあるし、その前に書かれた「臈たしアナベル・リイ」や「水死」に関しても読むのが苦痛であったのを思い出した。つまり21世紀に入ってからの大江作品は私には面白くないというのが正直な感想なんだろう。
では、それでも何故私が大江健三郎の本を読み続けようとしたのかといえば、「個人的な体験」という圧倒的な力を持った小説を書いた小説家、そして「想像力」の重要さを教えてくれた先達として心から尊敬していたからだと思う。その思いに駆り立てられながら、貪るように大江作品を読んだ時間は私の人生の中でも尊い時間だったと思う。そんな大江健三郎が亡くなったのだから、やはり悲しい・・。
何の弔いにもならないだろうが、半分しか読んでいない「晩年様式集」をしっかり読み通そうと思っている。それくらいしか私の大江氏に対する感謝の意を表す術を思いつかないから・・。
ご冥福をお祈りいたします。
このブログで大江氏について書いた文章がどれだけあるか検索してみた。すると、何冊かの作品についての感想を記した記事がいくつかあったが、どれも余り評価していないような書きぶりばかり。確かに「晩年様式集」というほぼ最後の小説も読み始めてみたものの半分くらいでずっと放置してあるし、その前に書かれた「臈たしアナベル・リイ」や「水死」に関しても読むのが苦痛であったのを思い出した。つまり21世紀に入ってからの大江作品は私には面白くないというのが正直な感想なんだろう。
では、それでも何故私が大江健三郎の本を読み続けようとしたのかといえば、「個人的な体験」という圧倒的な力を持った小説を書いた小説家、そして「想像力」の重要さを教えてくれた先達として心から尊敬していたからだと思う。その思いに駆り立てられながら、貪るように大江作品を読んだ時間は私の人生の中でも尊い時間だったと思う。そんな大江健三郎が亡くなったのだから、やはり悲しい・・。
何の弔いにもならないだろうが、半分しか読んでいない「晩年様式集」をしっかり読み通そうと思っている。それくらいしか私の大江氏に対する感謝の意を表す術を思いつかないから・・。
ご冥福をお祈りいたします。
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