きのうは、横浜の関内ホールに、春風亭一之輔の落語を聞きに行ってきた。
落語のことは、ま、今日は良いとして、落語は知的な娯楽だな、と思ったと書いておく。
今日書いてみようと思ったのは、その帰りの電車の中でのことだ。
去年の初詣の車内のおばあさんのことを、乗客観察で書いたことがある。
貴婦人が、社内で食べたり飲んだり終点までずっとむしゃむしゃ、ごくごくが、まったく頂けないな、という出来事だ。
このときから、私は車内で飲み物をごくごく飲むのはやめた。
すいた車内に座った若者が、立て続けに大あくびをした。
まったくの無防備の様子で、おそらくこの日は眠かったのだろう。
何度も何度も大あくびをしていたのだが、口に手を当てるでもなく、うつむくでもなく、噛み殺すでもない。
それを見ていて思った。
大あくびを晒すのは醜態だということに気づいた。
うちの恥のことを書くことになるが、家庭では、父はあくびをするときは、いつも無防備な大あくびをしていた。
そういうことは小さいころから、家族の様子を真似て、私も家庭では大あくびを無防備にする習慣だった。
でも、向かいの席の青年の姿を見て、良識ある乗客ならば、公衆の面前で大あくびは頂けないなと思ったのだ。
若いころ、病んでいて、母と電車に乗った時、おそらく病院に診察に行くのに、母が付き添ってくれたのだろう。
私は薬のせいで眠かった。非常に眠くて、あくびが止まらなかった。
母は私に、「口に手を当てないの?」と聞いた。
「何度もあくびが出るから、面倒だから手は当てないの」
と、屁理屈を言った。
だけど、電車の青年を見て、やはり大あくびは、公衆の面前でするものではないなと、やっと気づいた。