【6月25日投稿分】
今日の投稿法話は、檀家さんのエピソードを『個出し』にしたものですが、本来、拙僧の法話(SNS に投稿)は、例えば、同じ様な失敗、教訓(サラ金に借金、離婚、家庭崩壊、浮気、病気、臨終間際)を経験された人達のエピソードを4つ、5つ混合させ、1つの話に仕上げていく、というやり方をしております。1個人のエピソードをそのまま載せれば、檀家内で「この話は恐らく、あの人の話よ」と特定される可能性がありますので。が、当人さん達は、自分の事ですから「この部分は、私の話だ」と理解をしております。勿論、載せる前には、当人さん達の許可は取っております。結構、喜んでくれています。自分の事が活字になって、本などに載るなんて、そうある事ではないですもんね。
SNSに法話を投稿し始めた初期(10年程前、現在までに約3000話を投稿)の頃は、下記の様に短い法話を投稿。が、話の中に隠れている含み言葉を、読み取って頂けない読者さん達から、自分勝手な解釈による文句が、ちらほらと。その理由から、徐々に徐々に長くしていき、わかりやすい様に仕上げたのが、昨今投稿の長文法話です。本来は、短い法話の中から「この住職はこの法話で、何を伝えようとしているんだ」と読み取って頂くが、最も面白い読み方なんですが、なかなかそうはいかないですわな。因みに、下記のエピソード1から6の法話ですが、読めば1、2分ですが、人前で話すと、その当時の時代背景や、登場人物の心情の移り変わり(そう動くからには、そう動く理由がある。そう思うからには、そう思う理由がある。底意)を詳しく話すので、かるく1時間は超えていく内容です。それだけこの短文には、含み言葉が含まれている、という事ですね。
【エピソード1】 法話投稿初期は、この様な140字(ツイッター)で。
拙僧妻のご両親と同居が決まった時、当時17歳の娘(現在33歳)が「何故」と。「嫌なのか」と返すと「私は嬉しいよ。でも、お父さんの負担が」と。「有難う。が、お母さんは3姉妹。そんな家庭の娘をお嫁に貰おうと思う男性は、そのご両親まで世話する気がないなら、初めっから結婚しようなど思わん事だ。そう思わんかい」と。
【エピソード2】
檀家爺様が「住職、老人ホームや病院に行くと、1人暮らしの方が『私らはここ(ホーム)以外に行く場所がない』と寂しそうに。そう考えたら、わしらは幸せ者だよ。お寺に行けば住職や奥様、檀家同士の触れ合いが。私は孤独じゃない、と安堵出来る」と。こんな言葉を聞く度に、お寺の存在価値を自覚させられ、お寺を潰しちゃならんと拙僧、心に。わが寺の檀家さんの中には、独居老人が少なからず。その中には、天涯孤独者が数人。その数人は全て、公正役場を通して公正証書を作り、拙僧と家内が後継人に。何かあったら、病院から老人ホームから直に、お寺の方に連絡が。数年前も92歳の老婆から「気分が悪い」と夜中に電話が。家内と駆け付け、救急車を呼んで病院に。他界までの半月を家内が病院に寝泊まりして付き添いを。亡骸はお寺に運び、通夜、葬儀は本堂で。
【エピソード3】
家族、親族、知人が土地家屋を購入しようとする度に「この土地で変な死に方をした人はおらんか」とか「この土地に悪霊はおらんか」とか「霊が居座ってないか」とか、やたら気にする50代女性(檀家ではなく、相談がある時だけ来る人)が。そんな事を聞かれても、拙僧にわかるはずないのに。その女性が過労で短期の入院を。退院後、拙僧が「入院中はどうだった」と尋ねると「それはもう快適で。病院食は美味しいし、ドクターや看護師さんは優しいし。毎日、家よりも熟睡出来ました」と。「ほう、それはよかった。じゃ、その部屋で最期を迎えられた人達に感謝せにゃ」と言うと「ん、どういう事ですか」「なんね。常日頃は、その土地やその家で、他界された人達の事をやたら気にするくせに。あなたが入院していた病室では、恐らく、相当数の方々が他界されてまっせ。当然でしょ、病院なんだから」と返すと、みるみる顔色が。対し拙僧、その女性に「そんな顔しても、もう遅いよ。その病室で散々癒されて、無事に退院してきてまっせ、あなたは」と。その女性ですが、それからは、奇抜な(祟る、悪霊、類の)事を言わない様になりましたよね。
【エピソード4】
10年程前に某小学校の講演を頼まれた時、生徒さん達、保護者さん達にこの様な話を。「拙僧が小学6年の時、学校の校門前に、お婆ちゃんが営んでいた駄菓子屋(現在は家だけが残っている)さんがあった。その駄菓子屋さんで何人もの後輩(下級生)達が「お金を渡したのに『もらっとらんぞ』とお婆ちゃんが、がんとして聞き入れず、お菓子を買わせてくれなかった」と泣いて拙僧に。対し「お婆ちゃんは、故意にしている訳じゃない。お金を貰った記憶が吹っ飛んでんだ。だから、お菓子を貰う時にお金を渡せ、と何度も注意したろ。お前達は、これで何度目だよ。少しは学習せえよ。まあ、それでも、よかお金(本当の経済)の勉強をさせてもらってるよな」と拙僧、下級生達に。読者さん達には「小学6年の頃の住職(拙僧)が、そんなアドバイスが出来たんですか」と驚かれるでしょうね。お寺というところは、これに似た相談が山ほど来ます。拙僧の父は、固有名詞は出さず「勉強になるから聞いておけ」と小学生の拙僧に。勿論、全部が全部じゃないですよ。
【エピソード5】
某高校の講演で拙僧、生徒達と保護者達に「上杉謙信公が「敵に塩を送る」で牛馬の隊列を整えて、武田信玄公の甲斐国に塩が届けられたが、1月の11日のこと。人々はその時の恩を忘れない為に、それ以来、この日には毎年、祭りを行うようになったと。これが何百年も続けられた『塩市』の始まり。今は『飴市』に変わっていますが。また、400年以上続く、京都の地蔵盆は、明智光秀公が京都所司代を務めていた時が、最も京都が安心して暮らせていた事より、京都民が光秀公に対する御恩法事として始められた事が、由来の1つであると。数百年前に先祖が受けた恩を子孫が、今も尚、お返ししている日本人って、素晴らしいと思わないかい。また、伊達政宗公の時代、1611年に起きた慶長奥州地震(東北大震災)では、犠牲者が5000人以上も出たとの事。その時の教訓を後世に残しておかなければならないと『津波はここまで来た』という石柱(現存)を400年以上前の人達が。自分達の事ばかりでなく、後々のわが子孫達の為に。ほんと、有難いよな」と。
続けて拙僧、生徒達や保護者達に「そう考えると、いつ頃からこうなったのか知らんが、昨今では、産んで、育ててもらった親までも『要らん』と言って、病院に遺骸を受け取りに行かなかったり。病院から火葬場に直行し、葬式もせず、遺骨を置き捨てて帰ったり。住所や名前が記されている埋葬許可証をわざわざ遺骨箱から抜いて、生ゴミ置き場や、電車の中に捨て置きしたりと。それを子供や孫が見て育つんだが。子供達は、どこで命の尊さを勉強するのかな。そんな事ばかりしてたら、そりゃ、秩序のない国になるわな」と。
【エピソード6】
昨日の事ですが、読者の女性から「私の家庭は仕事の関係上、人が多く集まる場所でして。事あるごとに、ある事ない事を噂されて、とうとう息子夫婦が『こんな家には、おりたくない』と出ていってしまいました。人の口を止める方法って、何かないもんですかね」と。「拙僧の父(わが寺の先代)は、他界する10年程前に、やっと、自分が住める小さな家を建てる事が出来ました。ところが、晩年に再婚した相手が大きな商売をしている家の娘さんで、娘といっても50代ですが、誰が言い出しっぺかは知りませんが、檀家さん達の間で『奥さん(父の再婚相手)の実家に、建ててもらったそうよ』の噂が広まりまして。実際は、父が他界した後は、拙僧が残り半分のローンの支払いを。ところが、その事実を知っても、噂を広めた檀家さん達は『だって、みんなそう思ってましたよ』と悪びれもせず、自分達の正当性(みんなもそう思ってたんだから)を主張するだけ」と。
続けて拙僧、この読者女性に「世の中というは、人の口が多くなれば、多くなるほど、とんでもない事を 言い出す人間が増えてきます。本当の事よりも、嘘(噂話)の事の方が、広まりやすいもの」と言うと、この女性が「何故ですか」と。「人間というは、人の好感度が高くなる話や、幸福話は毛嫌いするでしょ。人の好感度が下がる話や、不幸話は寄ってたかって面白がるけど。ワイドショーの視聴率が高いも、週刊誌がよく売れるも、人間にそういう資質があるからだよ。噂を立てる人間は、どんな事でも、面白がって噂を立てますよ。そんな輩は、ほっておくしかないかな。まあ、そんな人達も、その内に飽きますよ。所詮、他人(ひと)の事だからね。それに、真実がわかった時、恥をかくは、自分だよ」と。「そうですよね。人の口には戸は立てられないから、ほっておくしかないですよね」と。
【まとめ】
法話の内容は混合話になっておりますが、1つ1つの出来事は、全て本当の話(事実)です。檀家さん達の協力なしに、個人、つまり、拙僧の経験だけでは、3000話以上もの法話は書けませんよ。お寺を継いでいく事を了承してくれた息子達には「父さんの本やSNS の法話は、しっかり読んでおきなさい」と言っております。拙僧がこの世から消えた後、自分達が住職(寺守)となり、檀家さんと関わり合う中で、その家族の事情(相談、言い伝わってきた家族の昔話、祖父母、父母のエピソード)を聞かされた時「あっ、この話は、本の中のあの話だ」と何かしらの参考になり、指導も、し易くなるだろうからね」と。
次回の投稿法話は、7月1日になります。投稿の添付写真は、拙僧の法話本です。