1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 読者さんから「SNS に10年間で3000話以上の法話を住職は。どの様にして作られるのか」の問い掛けに答えて。

2024-01-14 17:03:59 | 法話

【1月15日投稿分 】正月(1月)は、お盆月と同義にて、次の様なお話もと、この度は。


拙僧の法話の読者さんで、他宗の副住職(24歳)さんが「住職(拙僧)は、SNS で10年以上前から、3000話近く法話を投稿されてますが、何故、そんなに話を持ってるんですか」と。対し、拙僧「人は個人で持ってるエピソードなど、高(たか、程度)が知れてます。私の法話は、育て親(両親離婚の為)の祖父母や、檀家のご老人達、の体験話が半分くらいかな。街中で遭遇した教訓も多い。テレビ番組では、特にお笑い、つまり、バラエティー。彼らの知識と喋り口調はとても参考に。如何によか話をしても、聞き手に眠られたり、飽きられたりしては、坊主の負け。読者の中には『住職(拙僧の事)は、あんなくだらん物を見てるんですか』とお笑いを馬鹿にする人達が。対し、拙僧『人を笑わせるって、人を楽しませるって、容易い事ではないよ。人を怒らせるのは、容易いけど。何より、仕事に優劣などはない』とその人達に。法話ネタは常に、方々にアンテナを張り巡らして吸収を」「そうなんですね。でも、私は、そんなに沢山の法話ネタを持ってないもんで『また、同じ話をしてるわい』と思われとるんじゃないかと、常に萎縮しながら法話を」と。


対し、拙僧「禅宗系のご住職さんの中には、一言一句違わぬ同じ話を、生涯掛けて何十年も貫く人がおられると。5年、10年前に聞いた法話に対し『この話、前にも聞いたわい』と文句言う人は、この5年、10年、何の成長もしてないという事にて。人間、抱える問題は常に変化し、心も日々成長しているはず。よって、同じ話を聞いても、それが同じ話には聞こえないはず。禅宗のお坊様が同じ話を繰り返すは『自分(聞き手)の成長度合いを、自分で図ってみなされ』という事なのかな、と思いますよ」と。


続けて、この副住職さんに拙僧「番組『酒のツマミ』で、元ジャニーズの河合郁人さんが『先輩のモノマネ(木村拓哉さんや東山紀之さんなど)をこんなにやってきたら、もうみんな(視聴者)、飽きてしまってるんじゃないかと』とお笑いの後藤(フット)さんに相談すると『100人の観客の中に、そのモノマネを知らない人が絶対にいると思って、その人の為に全力でやれ。知ってるだろうという人にも、更に、笑って頂ける様に、日々スキルを上げる努力をしろ』と言われてましたよ。法話もこれに同じにて。拙僧のお寺の僧侶達には、常にそれと同じ様な注意をしています。スキルといえば、わが寺専属の宮大工棟梁(現在100歳、元気)が度々拙僧に『諺に、弘法筆を選ばず、とあるが、あれは間違いじゃ。お大師さんは、筆には相当に拘っていたそうだ。当然だ。道具が悪くて、プロ(大工も)の仕事が出来るか。道具箱の中を見れば、その大工が仕事が出来るかどうか、一発でわかる』と言ってたよ。この道具が坊主にとっては『姿勢と心』かな。これも参考に」と。


最後に、この副住職さんが「もう1つだけ、いいですか。年忌法要をする理由を檀家さん達に、どの様に説明をしてあげてますか」と。「例えば、拙僧には32歳になる娘がいて、今年の2月で初誕生を迎える息子を育ててますが、その娘に『度々実家に里帰りが出来るは、父さんと母さんが生きている間だけだと思うよ。子は鎹(かすがい)、と言うが、親もやはり鎹、だよ。今はそれほど、その実感はなかろうが、その時が来たら、大なり小なりこの意味がわかってくるよ。兄ちゃんも、弟も、各々独自の家庭を持つ事にからね。檀家さんの親族には、早い家だと3代先(孫の代)ではもう、付き合いがなくなってる。NHK の番組『ファミリーヒストリー』を見ていたらわかるだろ。戸籍は繋がるが、付き合いはなくなる。が、兄弟姉妹間が全くの疎遠になるは、旅立った親にとっては何とも寂しい限りだから、時にはわが子供達が顔を合わせ、少しでも交流が出来る様にと、祖父母、父母の年忌法要(3回忌、7、13、17、25回忌 ◦◦◦ )が営まれていると、そう思った方がいいかな。勿論、本来の意味は、産んで育ててもらった事、命を流してもらった事への御礼報謝だが』と先日、娘に話をしました。講演会など『年忌法要をする意味は、なんですか』と問われた時には、この様な類似の話をさせてもらっているかな。家族1人1人、各々人生は別ですが、唯一共通しているものといえば、先祖が同じという事だもんね。その軸(先祖)に1人1人が心を向ける事で、家族がばらけないで済んでいる。その先祖を蔑ろにしている家が昨今、何と多い事か。『命を繋いでくれた先祖への感謝』を形にしたものが『先祖供養』だもんね。感謝の心を持たない者ばかりで形成されている家族では、そりゃ、自己中心の主張をまくし立て、最後には、ばらけますわな」と。


次回の投稿法話は、1月20日です。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 昨日、投稿した法話の補足。松本潤さんの『どうする家康』の大河が不評というに対し、「そうかな」と疑問を。

2024-01-12 22:03:40 | 法話

【臨時法話】 昨日、X(旧Twitter)に投稿した法話の補足です。


檀家の女性が「松本潤さんの『どうする家康』が大コケだった、とヤフーN で度々掲載が。住職は、この評価ですが、どう思われますか」と。「拙僧は去年の大河(松潤家康)は、面白かったと思うけどな。嘗て、松山ケンイチさんの大河『平清盛』も『面白くなかった』という酷評が。何か、世相の流れ(ジャニーズ問題)に影響(潜在意識)されて、糞も味噌も、一緒にしてしまってる感がある様な気がするんだが。それとも、歴史を楽しむ事が出来る、教養(様々な説)を持った人が、この国は減少してきたという事なのかな。視聴率だけで評価、是非の判断をするは、ちょっと違う様な気がするけどね。拙僧周囲の歴史好きの人達は皆、『どうする家康』は好評だったよ」と。


続けて拙僧「あなた(檀家の女性)の質問を受けた時、思い出した事があってね。実は、拙僧妻の妹は英国人に嫁いでいて、もう25年以上に。その息子達(双子21歳)が、毎年日本(わが寺)に。その息子達(日本語が流暢)と映画館に洋画を見にいくと『何がそんなに面白いの』という場面で、大笑いするんだよね。映画終了後に、何で大笑いしたかを尋ねてみると『英語をしっかり理解していないと、その場面の面白さはわからないよ』と息子達に言われたんだ。そう言われて初めて『そうか、そういう事だったのか』と。映画館で洋画(日本語字幕)を見ている時、日本人客が笑う場面と、外国人客が笑う場面が違うに、少しだけ疑問を感じていたんだよ。この息子達(妻妹の子)のお陰で、その疑問が解決した」と話すと、この檀家女性が「なるほど、なるほどですね。『どうする家康』を面白いと思った人と、面白いと思わなかった人、の違いは、それそのものの認識の差、という事ですね。何か、すっきりしました」「この世の中に『これ、正解』はないもんね。何でもがそうですが、否定から入ったら得るものは少ない。どんなものにも、教訓はある。教訓と受け取れるかどうかは、本人次第だけどね」と。


次回の投稿法話は、1月15日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 じたばたしたって、人間は死ぬ時は死ぬ。死にとうても死ねん。なれば、死ぬまで生きとかにゃならん。如何に生きるか。

2024-01-10 05:56:19 | 法話

【1月10日投稿分】 一昨日、X(旧Twitter)に投稿した法話の付け加えです。


今年の1月4日の事ですが、布教(仕事)で外回り(檀家の仏壇参り)をしていた時、見知らぬ女性が「お坊さん、少しお話、いいですか」と声を掛けられ「何ですか」と聞き返すと「そんなに親しくない知人から『信仰をしないと、あなた、死ぬよ』と勧誘されたんですが、これってどうなんでしょうか。何か、気持ち悪くて」と。「あなたの知人さんに『信仰してても人間は、死ぬ時は死ぬよ、と通り縋りの坊さんが言ってた』と言ってあげなさい」と。


まだ、こんな『脅し勧誘』する信仰者がいるんですね。昨年の4月に法律(不当寄附勧誘防止法)が出来て、実刑(懲役、罰金等)を喰らわす、と国は言ってるのにね。釈尊、達磨大師や、弘法大師、伝教大師など、日本の各祖師が『脅して信仰に導いた』なんて話、聞いた事がない。脅しでもって勧誘してきたら眉唾にて、気を付けましょうね、皆さん。


嘗て、こんな話が。70代女性が「友人の紹介でやって来た僧侶(拝み屋)さんが『この家は不動明王を祀ってあるから、家に入られん』と、玄関先であなたの先祖達が怒り狂っとる。出て行ったら祟られるぞ』と。どうしたらいいでしょうか」と拙僧のお寺へ。「そりゃ、大変だ。ところで、ですよ。ここ(わが寺)に来る時、その怒れる先祖達が待ち構えているという玄関を通り抜けて来る訳ですが、その時、何かされましたか」「 • • •  いいえ、何も」「そうですか。じゃ、この話は、もう終わりだね」と言うと「あっ、本当だ」と何やら気付かれた様子で。「1つだけ、言っときますよ。何が悲しゅうして、わが子、わが孫を祟る先祖など、おるもんですかいな。先祖を愚弄するも大概にせにゃ、失礼にも程があるよ。先祖1人、1人の数え方を、1柱、2柱、と『柱』を使うんですが、これは、私たち子孫を支えてくれているという意味。その支え(心)を傷付けて、どないすんねん、という話だよ」と。


【自殺の話】

著名人(芸能関係者含)の自殺報道が流される度に、読者や檀家、知人から「自殺者は地獄に堕ちて、永遠に浮かばれないって、本当ですか」の問い掛けがきます。テレビを見ていると、初めの内は同情的ですが、時間が経つに連れ、根掘り葉掘り掘り起こして、死者を冒涜する方向に。その様子を見ていて、以前、どこぞで耳にした『自殺は罪、永遠に浮かばれる事はない』の言葉が、頭を過ぎるんでしょうな、拙僧に問い掛けてこられる人達は。


今年も早々から「友人が自殺を」と読者さんから、上記と同じ様な問い掛けが。対し拙僧「江戸時代に近松門左衛門さんが『曽根崎心中』を発表。その影響で心中が流行。危機感を持った当時の僧侶達が、それを食い止める為に『自殺は地獄行き』と方便(嘘)を使って。それが功を奏して、心中が収まっていったとの事。結果的に嘘とはいえ、悪い事(自殺防止策として)ではないので、その言葉が今日(現代)まで続いているだけ。悲しく(哀しく)死んで逝った人を、更に追い込む様な心無い言葉を、投げ掛けたらあかんよね。その人(自殺者)も命を落とすまでは、懸命に生きてきたんだから。その人が生きてきた人生の全てを否定する様な、そんな言葉や思いを残った者が投げ掛けるは、あまりにも可哀想過ぎる。自殺も、病死や事故死も、老衰と同じく寿命。自殺未遂で終わる人もおられるでしょ」と。


加えて、この読者さんに「人間は寿命、といえばね、こんな話も。20年以上前の話ですが、拙僧のお寺の檀家で、朝、出勤で家を出て、数十メートル先の横断歩道で車に突っ込まれ、絶命した男性が。家を出る時、奥さんが『ちょっと、あなた』『あっ、何や』のやり取りが数秒あったなら、その突っ込んできた車は通り過ぎていたはず。何故、ピンポイントでそこにいなければならなかったのか。この様な類似の事例(過去の法話で紹介済み)は、拙僧の周りだけでも数例あります。人間、死ぬ時は、死ぬ。死にとうても、死ねん。死ぬまでは、生きとかにゃならん。なれば、如何に生きるかが大事。その『人の死』を出汁に使って、お金儲けをする輩(信仰者)も数例ですが、今日まで対応してきました。そんな輩(信仰者)の『自殺は、地獄行き』なる言葉で、君の友人の死(自殺)を見つめる様な事をしたら、友人さんが可哀想だよ」と。「わかりました」と、その読者さんが。


【余談】

信仰は特別な物では、ないですもんね。特別な物にしている者がいるだけで。檀家の爺様、婆様達は、異口同音に「死ぬまで、元気。逝く時は、コロっと。子供や孫に迷惑を掛けずに死にたい。これ以上の子供孝行はない。願いはそれだけ。住職(拙僧の事)よ、宜しく頼んますばい」と。嘗て、知人の婆様(行年89歳)も、拙僧にその様な願いを。この婆様は30年以上、毎朝、欠かさず菩提寺の掃除を。ある日、掃除を済ました後「少し疲れたから寝るね」と寝室へ。そのまま布団の中で安らかな大往生を。こんな大往生を拙僧、何人も見てきました。その様な人達は皆「だろうな」という生き方をされてますよね。勿論、一概には言えませんがね。22年前に先立った父が、拙僧が幼い頃より、よく言って聞かせてくれていた言葉は「自分の為だけに努力している者は、自分が努力しただけしか実りはない。損得抜きに人(世の中)の為に動いてごらん。ここぞという時には、どこからともなく、不思議と支えがやってくる。特に人は、良識ある人間ならば、受けた恩は必ず返してくる。その恩返しを当てにして動いてはいけんがな。いいかい、給料もらって仕事するなら、誰でもするぞ。ここをしっかりと頭に入れとけ」と。


次回の投稿法話は、1月15日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 正月早々に石川県では大変な事に。縁というは、人間の都合で待ってはくれませんね。全ての縁は、受け入れて、乗り越えていくしか。

2024-01-02 09:18:25 | 法話

【1月5日投稿分】


正月の三ヶ日(盆三ヶ日と同義、ご先祖さんの帰省)には毎年、納骨堂参りに沢山の檀家さん達が参拝して参ります。ご先祖さんを敬うという心があるというは、いい事ですよね。今年の元日は、檀家の娘さん(20代)から事前(大晦日)に電話があって「父親に言い聞かせて下さい」と拙僧に懇願を。そこで拙僧、納骨堂参り後のその家族を本堂に呼んで、何気ない話をしながら、娘さんに懇願されていた話題へと徐々に移行していきました。


「昨年は、こんな話をする機会が何度かあったんですよね。まだその子は赤ん坊なのに、若い父親が『住職、この子(娘)が将来、誰かに奪われるのかと思うと、堪らんですよ。この子は、絶対に嫁には出しません』と、すっとぼけた事を。そこで、その若い父親に拙僧『自分は嘗て、義父から娘さん(奥さん)を奪っておきながら、自分は娘を奪われるが嫌とは、どういう事やねん。自分が他界する時、親のいなくなった60代の娘が、1人で晩年を生きていく姿を想像してごらん』とその若い父親に。更に続けて『拙僧にも娘が1人いて、昨年の2月に孫(男の子)をプレゼントしてもらったが、この娘が3年前、結婚したい男性がいます。東京からリモートで挨拶をしていいですか、と連絡が。その頃はまだ、コロナ禍真っ只中だったからね。映像で対面した時、誠実そうで、優しそうで、凄く雰囲気のいい方で、何の文句もなかったが、結婚後の娘を守る事を考えた時、親の手立てはただ1つ、この父親を怒らせたら怖い、の抑止力を与えておく事。そこで拙僧、心とは裏腹に、猫の子をやる訳じゃないからな、とリモート越しで娘の彼氏に。娘が言うには、暫くの間、猫の子、猫の子、と呟きながら、彼が怖がってたよ、との事。実はこのリモート対面の後に、家内から拙僧、なんて事を言うの、と無茶苦茶に怒られてね。娘に限らず、子供というは可愛いよ。幸せになってもらいたい、と思う親の心は皆共通のこと。だが、子供は親の所有物ではない、というを忘れちゃあかんよな。拙僧が何が言いたいかは、わかるよね』と、その若い父親に言ったんだよね。昨今では、こんな父親は減ってきた様な印象があったんですが、まだまだ、いるんですな、後先も考えず、娘を雁字搦めにしたいという父親が」と、元日に来られたその家族に。


後日(1月4日)、その檀家の20代娘さんから電話があって「私の父ですが、住職の話を聞いて帰った後、娘溺愛の態度(日常的に何をするにも娘を身近に置きたい)に少々変化が出てまいりました。折を見て、結婚したいと思っている彼氏を、父に合わせようと思います。実際、その場面に遭遇したら、父がどの様な態度をするかは未知数ですが、少しは期待が持てそうな気がします。本当に有難うございました」と、お礼の電話が。うまく事が運ぶといいですよね。


さて、1月1日は、石川県で大変な事が起きました。どの震災でもそうですが、地震が起きる数分前まで、そんな事がこれから起こるなど、恐らく誰1人も予測は。まさしくこの世は『一寸先は、闇』です。コロナもそうですが、縁という縁は全て、一旦受け入れて、乗り越えていくしかないですもんね。その他の天災も、事故も、病気も、人間関係(夫婦、親子、友人なども)も、どれもこれも『何で私だけが、こんな目に』と文句を言っても、嘆いても、どうなる訳でもないですもんね。わが寺の檀家さん達には拙僧、仏さんにご祈願するなら、細々としたものは願わず、『どんな縁がやって来ようと、受け入れて、乗り越えられる、強い心を私に授けて下さい』と、この1点を願いなっせ、と指導を。しかしながら、この寒い時期に、被災者の皆様には、何とも物の言い様がございません。


思えば、福岡沖地震、阪神淡路大震災、東北大震災、新潟地震、福知山脱線事故、9、11同時多発テロ(これ全て過去の法話で詳細に説明を)など、全てわが寺の檀家さんが、何かしらで絡んでおりました。皆、運良く命は助かりましたが、異口同音に「今ここに、命があるに、何不足」の類似言葉を、後に拙僧と対面された時に。


次回の投稿法話は、1月10日になります。